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疎外され続ける人生〜孤立の理由と改善のアドバイス
- 小学6年生のクラス変えをきっかけに、もう12年程友達のいない人生を歩んできました。中学や高校、大学と続く孤立の経験から、私が疎外されてしまう理由を考え、改善策を模索しています。周囲への関心やコミュニケーションについて意識し、自分自身を変えることで、孤立の状況を打破したいと願っています。
- 疎外され続ける人生はつらいものです。中学や高校、大学まで友達との関係が築けず、蚊帳の外のような感じになってしまいました。自分が付け入る隙を与えており、嫌がらせや悪口を言われることもありました。しかし、大学では特技を通じて友達ができたものの、それでもなお孤立感を抱える日々が続いています。自分自身の言動や態度について反省し、改善のために意識を高めたいと考えています。
- 私は疎外され続ける人生を送ってきました。小学生の頃から友達がおらず、中学や高校、大学でも孤立していました。自分が話しかけると緊張や不快感を与えてしまい、仲間に入れてもらえないような印象を持たれているようです。しかし、知人や上司からは才能を評価されることもあります。私はただ普通に人と話して、楽しく過ごしたいだけなのです。アドバイスや改善策があれば、ぜひ教えていただきたいです。
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昔読んだことがあるたとえですが, 底の大きさが同じコップAとBがあって, Aは高さ10cmの筒型の普通のグラス, Bはぎざぎざで,一番高いところは20cmあるけど,低いところだと4cmしかない。 これに水を入れたら,Bは一番低いところの4cmで水はこぼれますね。 Aをとるのが日本型で,Bを取るのがアメリカ型だと。 何がいいたいかというと,日本社会は,ものすごく高い何かを持っていてもなかなか評価されないということです。 私は日本でいう「協調性」は馴れ合いであって,「個」のないところに未来はないと言い続けています。 あなたは「個」を持ってしまったのでしょう。それもかなり高いレベルで。 中学生にはその価値が分かりません。20歳ならわかる?無理でしょう。 おそらく,理解してくれない人は,永久に無理です。それはあなたのレベルに届かないから。 無理して「日本人の平均」にあわせる必要はないと思います。 私は,子どもの頃から孤独志向というほどではないですが,集団と距離を置いていました。 それほど陰湿ないじめはなかったけど,みんなが盛り上がっているときに「なんで?」と感じるような。 これが非常に深刻な問題になったのは大学時代でした。 本当に苦しみました。 同じようなことも言われましたね。「あなたは独自の世界にいる」とか。 以後,いろいろと仕事をしましたが,3年以上同じ相手とは続いたことがありません。 なぜかというと,相手が「あんたもう少し人格治せよ」と言ってくると,即座に一方的に切ってしまうからです。 で,いま大学院に入り,数学を学んでいます。 ここの人たちの「個」は,私のレベルじゃありませんでした。 時間長引いても話に熱中してしまい,「この教室,次の講義に使いたいんですが」と言われたり,会議の時間忘れたり。 おそらく,「人格」や「平均」を押し付けてきた過去の「社会人」から見たら,奇人変人の集団です。 でも,数学の問題に立ち向かったら,「社会人」1万人集めてもかなわない頭脳の持ち主です。 確かに,ちょっと話しかけにくいところはありますね。 本当に気さくに教えてくれるけど,こっちから話を始めるきっかけにちょっと戸惑うところがあります。 その上,向こうは沈黙が流れても何とも思わない(笑)。 数学の先生は,どう考えてもどこから見ても「普通じゃない人」です。でも,なんか見てると,人生楽しそうですよ。 私は塾講師をしていて,子どもの突発的で本質に迫る質問には,いくら知識を持っていても足りることはないと思いました。 大人同士だと,遠慮が出たりして,表面的な話になりませんか? それを「普通」と呼ぶのはもうやめましょう。 仲間意識はろくなもんじゃないです。 私は四十年近く生きてきて,日本人の大多数は敵であるという結論に達しました。個性を認めない人たちはいずれ滅びる,と。 いま疎外されていると感じているなら,いまいる場所が,あなたに追いついていないだけです。 自分の世界を大切に持って,「この世界」を認めてくれる人を探したほうが,楽しく生きられると思うのです。
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- dynamon
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正直、読んでいてつらくなりました。孤独をかみ締めながら生きてきて、深く思考してきたがゆえの崇高さが伝わってきます。人間は前世で克服できなかった課題を持って生まれてくるといわれています。現世で克服できなければ、来世へと持ち越されてしまうようです。神秘主義的な話ですみません。そして、全ての課題をクリアし、磨かれた魂を持つひとは子孫を残す必要もないので、子宝に恵まれないそうです。三輪明宏は天草四郎の生まれ変わりとか、美空ひばりは前世を8代遡っても全員歌手だったとかです。 あなたへの具体的アドバイスなど到底私にはできませんが、感じたことを書かせてもらうなら、何故、疎外され、孤立してしまうのか、原因と結果があるとするなら持って生まれた課題なのでしょうか。 もちろん私は私の課題と日々戦っています。 この「教えてgoo」に回答させていただいて日も浅いですが、孤独と戦っている人の多さにつらくなります。たった一人の心の友がいれば、この世界が全く違ったものに映るのにと。たった一人でいいのにめぐり逢わせてくれないのかと。 短絡的な話で恐縮ですが、出来上がった人の輪の中に入ることが困難なら、あなたが中心となって何かの会とかサークルとか教室とかを主宰して、小さくてもいいので、コミュニティーやサロンのようなものをこしらえてみてはどうでしょうか。 応えになっていなくてすみませんが、これが精一杯です。
- hikarucou
- ベストアンサー率28% (268/954)
芸能関係ということですがどんなジャンルかわからないのであまり自信を持っては言えませんが、 そういう世界ではきっと年齢も様々で個性のきつい方も多いことでしょう。 芸能人同士ならライバルなので、友達にはなかなかなれないとも聞きます。 でもヒッキーじゃないんだから、仕事を通じてでも人とかかわっていられるのはいいことじゃないでしょうか? あなたを疎外してきた人は、たぶんあなたの中の個性みたいなものを感じて近寄りがたかったのかもしれませんね。だって多くの芸能人にはその人なりの特別な能力があって、それは一般人にはないものだから、むしろあなたがそうなのは必然なのかもしれません。 でも友達がいないのは寂しいですよね。 ファンはいませんか? もしいるなら、できる程度の節度を持ってでいいので、ファンとフレンドリーに接することができるといいと思います。 お仕事関係の人とでも、話しているうちに馬の合う人に出会える可能性は、普通の世界にいるより芸能界にいる方があるような気はします。 私の好きな芸能人も、仕事は派手ですが超インドアな人で、友達も少ないと聞いてます。 結構孤独な芸能人多いんじゃないでしょうか・・・。 お仕事頑張ってくださいね。 お仕事でも人を魅了できる人って素晴らしいと思います。 そういう人は疎外もされますが、また人を魅了もしますから。
お礼
芸能と言うと少し聞こえがいいかもしれませんが、テレビ等で取り上げられるような大層なものではありません。 大道芸などでやってるようなことを、たまに舞台で出演させていただいているくらいです。 フィギュアスケートのように、音楽に合わせて演技をする、パフォーマンス活動とお考えください。 それ以前に今のところはあまり自分からは動いておらず、ひたすら練習している状況で、そうした練習を通していろんな人と出会っています。 けれど、そうした練習の輪の中でも、私は孤立というか、少し距離のある状態です。 自分から近寄って話しかけたりはするのですが、向こうからはあまり来てくれず、集まりにも呼んでもらえず、「仲間」とみなしてもらえてないように感じています。 年上の社会人で、私を応援してくれている人がいます。 その人は私を「天才」とか「ものすごい才能のある人」なんて言ってくれるのですが、その人いわく、私を疎外している人たちはいわゆる「普通」の人たちで、私の才能や個性についてこれないだけだそうです。 私が思うに、「強い個性は人を引きつけもするが、同じくらい人を遠ざけてしまう」と思っています。 何らかの要因で大衆に支持をされれば「カリスマ」として大きな影響力をもつが、そうでなかった場合は「奇人・変人」として疎外されてしまう。 それはhikarucou様のご回答にもあった「疎外もされるが、また人を魅了もする」と同じことなのですが、少なくとも私は疎外されつづけてきた人間です。人と違った雰囲気、能力、個性や才能をもったが故に人を遠ざけてしまうのならば、そんなものはいらないと最近よく考えます。 支持を得ても、それは「ファン」としてであって、一人の人間として、普通に接して普通に好意をもってくれたわけではない。 あくまで「能力」に対しての好意であって、人間としては孤独でしかないんじゃないかとも考えます。 「ファン」ではありませんが、私の取り組みをよく知っていて、理解や応援をしてくれる人もいます。 嬉しいのですが、でもそこにも孤独感があります。 自分はまるで動物園にいる動物のようで、周りの人たちは「珍しいから、面白いから」という理由で、檻の外から私を見ている。 応援もいわば「檻の外から投げ込まれるエサ」であって、あくまで私の「個性」を見ておもしろがっている。 私と他の人たちとの間には「檻」という線が引いてあって、結局は線より内側には来てくれない。 要は、「あなたはとてもおもしろい人だけど、すごい人だけど、友達ではない。親しくしたいとは思わない。」 なんとなく、そんな孤独感も感じてしまいます。 考え過ぎでしょうか? ただ普通に人と楽しく話しをして、普通に楽しく過ごしたいというだけなのですが、私が何かしら回りとは違うから、それが叶わないのか、単に自分を特別な存在と思い込んでいるだけの「自意識過剰」なのか。よくわからない状態です。 確かに幼稚園の頃には「特別な人間になりたい」といった願望はあった記憶があります。「リーダー」や「ヒーロー」といったものに憧れていたのかもしれません。 「特別な存在でありたい」という願いは、「孤立・疎外」という形である意味で叶いました。 「変わってる」なんて言われない人でありたい。「普通」でありたい。 あるいは良い意味で支持される、特別な存在になりたいという願いは今もありますが、分不相応のわがままでしょうか。 ご回答ありがとうございました。
- poyan-osa
- ベストアンサー率12% (8/63)
印象としては、「頭のよい人」「まじめな人」「理屈でものをいう人」って感じですかね。 感情を表に出してどうのってのを避けてきたあまり、素の表現に臆病にもなっているのですかね? 結構、私も(?)「理屈っぽい(頭はよくないですが・笑)」人間ですから、なんとなく同調してしまいますが、友人にも「正しいことばかり言われても疲れるだけでおもろない」といわれたこともあり、「あ~そうなんか!?」といまでは結構ちゃらんぽらんに生きてます。でも、結構そのほうがうまくいくことが多いように思います。 とはいえ、おそらく同年代の方々には少々受け入れがたいのかもわかりません。友人はなにも同じ年代でなくてはならないという決まりはありません。年上のかたや、逆に年下の方には受けがいいのかも知れないですよ。私は、どちらかというと、年下には受けがいい感じです。
お礼
中学生のときには、「理屈っぽい人」と言われたことがあります。 自分としては普通に話しているつもりなのに、なぜ理屈っぽく思われるのかと疑問に感じていました。 高校の担任には「淡々と話す人」と言われました。 今も、関わりのある人たちからは「いつ、いかなるときも冷静に対応しそう」という印象のようです。 小学生から中学生前半までは感情を表に出して明るく振る舞っていたのですが、次第に全ての友達が離れていったことに加えて、私が何をしても集団でブーイングや暴力を受けるようになったことで、またそれを見ても元友人たちは何も助けてくれなかったことで、「自分の感覚や感情はおかしいもの」と思うようになったのかもしれません。 どんなに周りに馴染もうとしても、「仲間」になれなかったり、自分では考えに考えてまじめにしているつもりでも、「変わった人」、「自分の世界をもった人」、「自由な人」、「我が道を行く人」と言われるばかりで、そう言われるのが嫌で、「普通でありたい、周りと同じでありたい」と思い、とにかく物事を筋道立てて考えるようになりました。 大学では、今思えばアカデミックハラスメント(パワーハラスメント)ではなかったかと思えるような理不尽な扱いを受けたこともあり、何をするにも「自分のやろうとしていることは間違っていないか」、「自分の行いは他人からはどう見えているのか」など、他人の意見を伺うようなところがあります。 もう少しちゃらんぽらんにありたいところなのですが、以前知人関係でモラルハラスメントの被害に遭ってしまい、自分の感覚が信用できず、とにかく筋道を立てて考えてしまっています。 すると、今度は「君は論理的に考え過ぎ」などと言われる始末で、どう振る舞っても理解や共感は得られず、孤独感や疎外感はなくなりませんでした。 周りの人を気遣い、時には親切に対応していても、結局「仲間」には迎えられない。 ならば少し離れようかと距離を置いても、今度は「自分にしか関心のない人」と思われてしまい、どちらにしても信頼してもらえない。 孤独感を感じていて、精神的にも限界なのに、そのように見られていない、真に受けてもらえない。 ある人には「何の悩みもなさそう」と言われました。 やはり、同年代の人には受け入れられがたいのでしょうか。 本当は人と仲良くしたいのに、どうやってもそれが叶わない。 周りが普通にできていることがなぜ自分にはできないのか不思議だし、つらいです。 ご回答ありがとうございました。
お礼
大学の先生からは、「器用な人だね」とか「考えが深すぎる」と言われます。 編入学した大学では「嫌われ者」というよりは「別格の人間」、「別世界の人間」という扱われ方に感じていたのですが、後になって大学の同級生から聞いた話では、「kizuna011は遥か高いところにいる人だよねってみんなで話してた」と言われました。 もちろん、みんながみんなそう思っていたわけではないでしょう。 別に成績が優秀な学生だったわけでもないのですし。 崇高かはわかりませんが、孤独を噛み締めて生きてきたことは間違いないです。 なぜ自分は孤独なのか。どうすれば周りと同じになれるのか。といったことを考え続けた結果、何事も深く考えるようになったのだと思います。 出来上がった人の輪に入ることが困難なら、人が寄ってくるような人間になればいいと思ったことはあります。 そのために自分をより高めようと考えました。 でも、それでは余計に周りから敬遠されてしまうだけなんじゃないかとも考えました。 できる限り回りの人に近寄って話しかけたり、できる限り人に親切にしたりと状況を改善するために気をつけてはいるのですが、「仲間」とはみなしてくれず、あまり信頼もされていないように感じています。 学校ではたまに、親友とか相棒のような人をもつ人がいました。 そのような人を見るととても羨ましく思い、自分にもそのような人がたった一人でもいれば、全くちがう人生になっていたでしょう。 中学生になるまではそういった「親友」もいたのですが、中学生になってからは下の名前で呼び合っていたのも名字で呼ばれるようになり、同じクラスになっても関わってもらえず、縁を切られてしまいました。私が周囲から暴力や暴言を受けていても、一切助けてはくれませんでした。 周りを見渡して、やはりどの人も普通に人と接して仲良く、楽しく過ごしているのに、なぜ自分にはそれができないのか。 そのような人たちの中に入れないのかと悩み、苦しみました。 そうするうちに、「自分は周りに不快感を与える存在なのだから、なるべく大人しく、迷惑にならないようにしていなくればならない。」と考え、「もう自分には何の権利もないのだ」と自分をあきらめ、常に自分の格を下げ、周りに気遣うようになりました。 不登校などにはなっていませんし、本当は周りの人と仲良くして楽しく過ごしたかった。 でもそいった苦しみは、一切周りに伝わらなかったようです。 さらに言えば、学校に入る前の幼少時も同年代の親戚の中で私は暴力を振るわれ、疎外されていました。 これまでの人生を振り返ってみても、ほんの一時は友達をもち楽しい時間を過ごしましたが、やはりほとんどは疎外され孤立する人生を歩んできたようです。 ここまでくると、前世などの神秘主義的な話も考えてしまうほどですが。。 確かに「自分の前世は極悪人で、私はその罪を背負って生まれ、罰として孤独な人生を生きているのでは」と考えたこともあります。 やはり何かしら課題をもって生まれてきたのでしょうか? もしかしたらこの先も孤独な人生が続くのかと思うと、毎日のように絶望感を感じています。 いつか、孤独から解放される日がくるといいのですが。。。 ご回答ありがとうございました。