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私学助成金の配分の仕方について質問します。私は、今まで、助成金の配分は
私学助成金の配分の仕方について質問します。私は、今まで、助成金の配分は大学ごとにされるのが原則で、それをさらに学内でどう配分するかは各大学の自由裁量に任される、というような配分法だと思っていましたが、最近は、もしかしたら、ちょっと違うのかな、と思ってきました。 学部や学科が新設されるごとに、助成金の額も増やされていくのかな、と、最近では思っています。たとえば、Aという大学には今まで存在しなかった「国際コミュニケーション学部」が増設されると、次年度からはその分だけ上乗せされるという風に。学科についても同様かな、と、最近は思ってます。 むやみやたらに、名前を見ただけでは何をやるのか分からないような学部や学科が増設されていくのは、助成金欲しさだったりして。 知っている方いたら、ぜひ教えてくださいませ。
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- publicpen
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そうですね。金額の増減でなく、 関係省庁や関係者に「価値の薄い分野は仕分けられる」と言う当たり前のことが、 メッセージとして届いたことが重要だと思います。 今公務員がやってるようなことは1990年程まではもっと酷く個人経営主、農家、企業も やってたわけだし、実は批判できないんですよ。 問題は公務員の動きの遅さですね。 残念ながら日本は既に経済大国とは言えない代物ですから。 現状の借金は世界最高クラス、、国際競争力もGDPも20位以下です。 批判ばかりしてマイナスを削ることばかり考えず、中長期で見ればプラスを見ないとダメですけどね。 ただし国家事業である宇宙開発や公共事業の評価が芳しく無く、マンガ・アニメが特に政府や企業に支援されること、世界的なコンテンツに育ったことを見ると、国家プロジェクトがどう、支援額がどうってのはあんまり関係ない気がしますが。 やる気1つ、英雄が1人出るかどうかって感じじゃないでしょうか。
- publicpen
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>内容的に重複してるような学部がひとつの大学内に共存してるように見える場合があって、これは悪しき組織肥大で、仕分け対象にならないかな、と思ったものです。 上の南米・・・も読んだ上での考察です。 確かにその通りですね。 仕分けの点で、ノーベルな科学者さんたちが反論してたけど、現場を少し見聞きしてたので、 「先生方は分かってないなあ」と思いました。 要するに「スーパーコンピュータ2番でいいでしょ」ってことです。 この場合、1番か2番かって議論じゃなくって、 それによって得られるお金が1兆円なのか100兆円なのか、 1年でできんのか、4,50年かかんのか、そういうのが大事なんですよね。 と言うかそういうことが本来、ものすごく大事じゃないですか。 でも科学者や研究者はそういうのが凄く弱い・・・と言うか興味無い。 だから第三者機関できっちり管理しなきゃいけないんだけど、その辺はアンタッチャブルに なってますからね。 そもそも日本は科学立国ってことになってるけど、実はそうでもないw 他国から評価されているのは、戦後出てきた新興メーカーで、 別に大学で何年もすごい研究をしてた人たちばかりじゃない。 文系の人も多いし高卒もいる。 言わば「市井の発明家」が評価されてきたのであって、何十億もかけたプロジェクトで 評価されてきたわけではない。 そして僕の見聞きした点と言うのは、ある有名大での話ですが、 例えば学生Aがパソコンが欲しいとする。そうすると担当教官X教授の名前で申請を出す。 そうすると数週間後には最新鋭の30万円のパソコンが手に入る。 研究室の研究費と言う名目で、です。もちろん国費、税金ですよ。 その税金で得たノートパソコンは家で音楽を聴いたり、ネットで遊んだりに使われるわけです。 もちろん研究にも使われるでしょうけど、審査甘いな、と。 そして倫理感と言う面では彼らに期待できません。 と言うより、人間は「開いた金庫から何も盗るな」と言う方がムリなんだと思う。 むしろ金庫を開けておく方が悪いんではないかと。 Xも自分のカネじゃないから、その辺は緩いわけだし、大学も審査も緩い。国の機関も緩い。 そういう事がいくらでもあるわけです。 またあるシンポが行なわれる。著名な海外の研究者を呼ぶ。それは良い。けれど彼らの ホテル代はもちろん観光地巡りの際のガイド料、飲食費も出すんですよ。 もちろん経費です。それは国費、税金なわけです。 あと「留学生10万人計画」とかやってますけど、現状でもかなり留学生いますよね? それで色々と聞くと殆ど学費払ってないんですよ。国が面倒を見てるんですね。 もちろん、優秀な人、貧しい学生はしょうがないけど、見聞きしてると あんまり優秀じゃない人や、実家がお金持ちな人もいるんです。 日本人学生の多くが当たり前に学費を払ってるのに、そういう人をそこまでして 呼ぶ必要はあるのかな?って思うんですよ。 むしろアメリカもイギリスやフランスも自国学生を保護・優先し、 留学生からより多くお金を取りますよね。それが当たり前だと思うんですよね。 その辺の価値観ってどうなんだろ?ってことですね。 他にも「1回の実験で何百万円もかけたけどデータがうまく取れなかったからパーだ」と 当たり前に話してました。彼らに悪気も危機感もないんですよ。 だって「打ち出の小槌」だから。盗んだわけでもないし、申請出せばいくらでもおりるから。 そしてどの大学も「より多くの研究費を取ってきた教職員ほどエライ」と言う風潮があるから。 そういうのを実際に見聞きしてるので、どうかなあって思う部分はありましたね。 日本は1990年まではお金が腐るほどあったから良かったけど、 今は超借金国家ですからね。そういう事してたらいかんだろ、と思うんですね。 もちろん自由を殺いで、杓子定規に官僚的に仕切るのもどうかと思いますし、 その辺は実務やっている事務員や公務員さんからすれば大変な部分あるんでしょうけどね。 その辺も含めて再考は必要だとは思います。 ただし、大学に限らずに組織そのものに自浄を求めるのは難しいと思いますよ。 むしろ審査機関で厳密に審査することが肝要かと思います。
お礼
再度のお返事ありがとうございます。 警察の裏金問題にしても、自浄はほとんど無理とのこと。鳩山内閣が退陣しても、民主党は仕分け路線は継承してほしいですね。
私学助成金ですが、その額に関しては、学生数に依存する部分が非常に多いです。 一般補助金とされるものがそれです。経常費(教員の給与、教育研究費等)の補助という性格のため、学生数に比例するのが原則ですが、多ければ多いほど出るかというとそういうものではありません。定員と実数が近い場合が一番多くなります。 一定の割合よりも定員オーバーや不足があると減額になります。教育の質ということを考えると妥当な算定でしょう。 そのため、私立大学は、欠員も避け、過剰も避けるように合格者を出すように努めてます。定員100人の学科に150人入学してくれたら、大もうけなのですが、助成金をカットされると、大学全体に及びますので大変な痛手です。 一昨年?でしたか、立命館大学が、入学数の見込み違いをし、希望者に学科変更を認めたことがありました。あれは、助成金カット対策だったのです。 また、警告しても定員を守らない悪質な私学には、助成金を全面的にストップさせてます。 あとの助成金は研究費や独自の奨学金補助などです。 新設学部学科に関しては、別の理由です。 受験生向けの看板の付け替え、これが一番でしょう。大学改革に熱心そう→時代に後れてない。こういう印象を狙う。 また、新設効果(新設学部は滑り止めに利用する受験生が多い)の受験者増もあります。 もう一点、二部学部を夜間廃止、その定員を新学部へという流れもありました。既存の学部にない学部ということで、早稲田のように文化構想などという聞きなれない名前、コンセプトの学部ができてます。
補足
なるほど。 しかし、これは公金詐取のスキームじゃないかと思ったことがあって、実名を明かした具体例は今回は伏せておきますが、たとえば次のような手法です。 それなりに伝統のあるA大学には文学部が既存で、その学部は、仏文学科、英文学科、独文学科、国文学科、露文学科などの学科を抱えていました。ボルヘス、ガルシア=マルケス、プイグなどの南米文学が20世紀後半あたりから注目されてきたのに対応して、南米文学を専攻する部門を新設しようということになったときに、普通なら「南米文学科」を文学部の中に増設しますよね。だけど、そうしないで、「南米リテラチャー学部」という(学科ではなく)学部を新設してしまったのです。これは奇妙ですよね。 なぜ、そうするか?助成金の分配法が「学部ひとつ増設につき1億円、学科なら3000万円」と決められていたならば、南米文学科を増設するだけの場合より、学部にしてしまったほうが、7000万円お得なのです。「リテラチャー」などとカタカナ語を用いるのは、それが文学部と重複してることを誤魔化すためです。そして、文部官僚はわざと騙されたふりして、学部相当の助成金を配分する見返りとして、キックバックを獲得してしまう、と、まあ、こんな具合のスキームです。架空の大学、学部を例に挙げたけど、構造的には同様のことが行われてるように思えたのです。 今回は実名は伏せますが、私の質問は、それを裏付けたくて、なされたものなのです。
- publicpen
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人員数、COE採択など複合的評価ですよ。 詳細はわからないですが、学部新設はむしろ赤字になりやすいですね。 子どもの数が減ってるので当たり前なんですが・・・ 学校や公務員のおもしろいところは増やすのは得意だけど減らすのが苦手なところですかね。 企業などは赤字になったらその部門や人員をすぐに斬ってしまう。 もちろん反対はあるのですけどそこは独裁でやってしまう。 学校や公務員は赤字補填のために更に増員させたりしますね。 新学部は、新規入学者が欲しい(人数を増やせば学費納入額が増えるから)がため、 大学の知名度アップ、また学内政治の妥協案の産物(あぶれた助教授の行き場の確保)だったり します。 世界的に言えば、大学は拡大化は必須なんですけどね。 中小規模の名門大や古典主義の大学はどんどん存在意義を失っていて、 大規模総合大の強みが発揮しつつあります。 流れとしては正しいのかな、と。
お礼
お返事ありがとうございます。上にも書いたけど、内容的に重複してるような学部がひとつの大学内に共存してるように見える場合があって、これは悪しき組織肥大で、仕分け対象にならないかな、と思ったものです。
No.1の訂正。読みようによってはまずいミスタイプをしてしまいました。 他留学生 → 多留年生
ぼくは私立大学に常勤職として勤めたことがないので,よくわかりません。いいかげんきわまる回答です。 基本的には,「学部や学科ごとに細かく積み上げた額」を配分するのではないと思います。そのかわり,「大学全体の学生総数」が算定根拠になるのではないでしょうか。このとき,欠員・過員・他留学生があるとマイナスファクタになるはずです。だから,ともかく学生が来ること,留年生を出さないことが最重要になります。 新設学部・学科が乱立した原因は,少なくとも国立大学では,小泉構造改革です。ひらたくいえば,それまでの学部・学科を解体してがちゃがちゃに組み替えないと,予算を削減する(または民営化する)ぞと文科省が脅したわけですね。むろん,官僚は利口なので,こんな文書は残っていないでしょう。 私立大学でもこれに似た圧力があったのかどうか,わかりません。しかし学習院大学だけは,「学習院は変わらない」と大学案内にぶちあげましたね。よほどの経済的な支えがあったとしか,ぼくには思えません。 このようにしてできた新設学部・学科は,私立大学ではとくに一過性のものとされているようです。つまり,いま集客力のありそうなもの(たとえば心理学部)をつくりますが,将来に客が減ってくるとまた解体・合併して新たなものをつくることができるような教員配置にします。
お礼
早速のお返事ありがとうございます。 学生総数を算定基準とするのだとすると、大学ごとに配分するという、私の当初の考えで大体あっていたのかな、ということになるかな。
お礼
ありがとうございます。 >関係省庁や関係者に「価値の薄い分野は仕分けられる」と言う当たり前のことが、 >メッセージとして届いたことが重要だと思います。 そうですね。蓮ホウさんのパフォーマンスも感じ悪いけど、厳しさを強調する意味では、功を奏したのかもしれませんね。