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負けることに安住する
負けることに安住する 「安住」と書いて「あんじゅう」と読みます。「あずみ」じゃないですからね。 しばらく考えていた事なのですが、負けることに何となく満足感すら感じてしまう事ってありませんか? 子供の頃は負けると悔しくて泣いたり(泣かなかったり)して何とか次は勝ってやろうと必死に検証と改善努力をしたものです。 しかし、最近は負けっぱなし(純度100%ではありませんが)なのがいけないのか世の中を斜めに見るかクセがいけないのか何となく負けても悔しくすらなくなって来た様な感じがします。 防衛機制がフル回転エターナルブリザードで機能しまくっているのかどうなのか分りませんが、負ける事が自分の役割であるかのようにすら思います。 さすがに生死が関われば状況は違うのでしょうがそれ以外は努力するのが億劫と言うかしないです。 アテナイの政治家ペリクレスが「貧窮する事は愚かな事ではない。しかし貧窮から脱出しようとしないのは愚かな事である」的な事を言っていた覚えが何となくあります。 (ペロポネソス開戦2年余りでペストで死んだ)ペリクレス的には僕は多分愚か者でしょう。 僕はまだ貧窮しているわけではないのですが、まぁこのまま順当に行けば日本政府と同じで僕の人生も崩壊するんじゃねーかとか人事の様に思います(私は自分自身を客観的に見ることが出来るのです)。 負けることより勝つことのほうが気持ちの良いはずですが最近はそれもどうなのか。感覚が麻痺していますね。 何となく自己啓発本と言う(詐欺師最高傑作の)商品を買って読んでみたり、ノウハウ本と言う(これまた悪徳出版社御用達の)商品を買って読んだとしても「これは~が駄目だな」とか言って結局拒絶しちゃいますよね。 ええと、皆さんに聞きたいことは ・負けることに満足する事はありますか?(ただし全力の努力の末の敗北は除く) ・負けることに満足する感情が理解できますか? ・そのような感情を続けて学んだ事は何ですか? ・脱出した人はどのようにして脱出しましたか? と、言う4つです。一つだけでも良いので宜しくお願いします。 回答予想 (1)あなたがそれで満足しているならそれもあなたの人生。諦めろ。 (2)私もその様な経験があったが~(出産、事故、近親の死亡etc)が起きてそれから自分の生活を見直して(以下略 (3)啓発本読んでも効かないならここで解決は出来ないですよ。お手上げ。 (4)私もその様な経験があったが落ちるところまで落ちて何とかなりましたよor自殺しましたよ (5)まぁ皆そうなんだし、そういうことを承知で仕方なく惰性で生きてるんだよ。だから気にしちゃ駄目だよ。 (6)あなたねぇ!恥ずかしいと思わないの!?生んでもらった両親や、あなたを生かしてくれた環境に感謝できないの!!???どうして?私なんて(以下略 (7)もっと社会経験をつんだら分かる。俺なんて(以下略
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- jyukkasapp
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>僕はまだ貧窮しているわけではないのですが 質問者さんの場合、勝っても負けても(当分)豊かに生きていける術を 持っているから、負けることに安住できるんじゃないでしょうか。 それってすごく幸せなことだと思います。 さて。 ・負けることに満足する事はありますか?(ただし全力の努力の末の敗北は除く) →今の私は、負けても(それほど)困らないので負けに満足することもよくあります。 ・負けることに満足する感情が理解できますか? →理解可能。共感も可能。 ・そのような感情を続けて学んだ事は何ですか? →これから必ずしも熱湯になるとは限らないのであれば、 ぬるま湯も悪くないと思います。 ・脱出した人はどのようにして脱出しましたか? →自分の存在価値を徹底的に否定されたのがきっかけです。 蛇足。 質問にはありませんでしたが、参考までに。 ・勝ちたいと思うにはどうすればいいですか? →現在の自分自身の存在価値を否定することです。 これから何かになろうという人は、今の自分に価値を見出しちゃいけないんです。
勝つ事に執着している人を見ると、まだ若いなって思います。 人生経験を重ねる内に「負けるが勝ち」「損して得取れ」等が身を持って分かるようになると、勝つことばかりに執着しなくなると思います。 また若い頃は親の不甲斐なさを責めた事もありますが、自分がその歳になって見ると自分も同じ様なものだと気付かされます。 私の場合は、 職場やPTAの役員の時など仲間内で問題が生じた時に、こちらから見ると負けている人が、相手が退いてくれたことを言い負かしたと錯覚しているのを良く見ました。 周りから見ると大人気ないとか、間違っていると思われているのにです。 それを見て取れた時、何が勝ちかは人其々で、負けるが勝ちを実感出来ました。 また仕事や社会的に認められたり大成したりの勝ち負けは、歳を取るごとに自分の力だけではどうにも成らない運命を感じるようになりました。 生まれた家の環境や遺伝子で、どんなに頑張ってもどうにも成らないことは山ほど有ります。 体育系の体もそうで無い体も遺伝子で創られていて、どんなに頑張っても160センチの身長を200センチには出来ませんし、 自分がいくら頑張っても、運が良くてせいぜい大臣止まり、絶対に天皇にはなれませんから。 そんな経験を重ねて行くと、勝ちに拘る事も負けて悔しがる事も、全て自分の力や価値観では決められないことで、他人の判断や何かの力に委ねられることが分かります。 私は十人人がいれば五人は味方、五人は敵と思っているので、勝ち負けには何ら問題意識は有りませんね。 見当外れの回答でしたらお許しください。