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10年来の友人との「創価学会」への関係性に疑問
- 私には10年来の友人がいます。彼女と私は周囲に不思議がられるほど服や性格が正反対なのに、なぜか仲良くなって現在に至ります。
- 彼女が創価学会に入っていて支持している党も決まっていることを知り、私は頭が混乱しました。
- 宗教は個人の問題なので支持するかは当人の自由ですが、私は彼女との関係が不安になっています。
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質問者が選んだベストアンサー
私は、創価学会会員でも、佼成会会員でもありません。ですが、どちらの友達もいます。誰もが大事な友達ですし、長い付き合いです。 友達の名誉(?)の為にも、自分の考えを書きたくなりました。一番仲の良い創価学会員の彼女についてです。 宗教を持たれている方で、毎朝門のところに立ち、隙あらば(?)…という感じのお年寄りがいました。遠巻きに敬遠されていた事もあり、無宗教の私も同じ偏見を持っていました。 彼女と知り合い、気が合って友達になってすぐの頃の事です。駅の改札を出た所で、小雨が降っていました。彼女がさりげなく身障者(車椅子)の方に声をかけたのです。二人で交代で車椅子を押し、傘をさしかけ、駅から20分かけて家まで付き添いました。 結構大変でしたので、当然知り合いだと思っていたところ、なんと、全然知らない人! 『恥ずかしかったけれど、(学会で)勉強した事を実践しなければ…と思ったの』と、一言。 私の中で、偏見が消し飛んだ瞬間でした。彼女の事は好きでしたが、大好きになりました。それからは宗教を持っている人に<向上心>を感じています。 彼女は自分の体験から、私の為に勧めてくれましたが、私は無宗教の為断わりました。でも彼女の気持ちだけは素直にありがたいと思いました。 ただ、私が彼女を受け入れた事と同様に、彼女も私の無宗教を受け入れてくれています。一度頼まれて、相当上の方からのお話もありましたが、自分の考えをしっかり伝えて、お断りをしてあります。 貴女に伝えたかった事は、<彼女>の友達としての位置づけに、偏見を持って見てほしくない…という事。偏見は全ての物の見方を変えてしまいます。自分に素直に<彼女>を見てあげてください。
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- domesso
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10年付き合ってて、何故いまになって急に…。 大人になって、青年部だか女子部だかに入って、 『○○さん(ご友人)もそろそろ折伏(勧誘)してみないとね~』 とか周りに言われたんでしょうけど…。 普通お母さんもおいで、なんて言われませんしね。 勧誘の線が濃いと思います。 でも招待されちゃったんですよね。 もうOKしてしまったのでしょうか?? 断われなければお母さんはナシで、誰か他の友人を誘うとか…。 とにかく不安ならはっきり断わるべきです。 それで向こうが離れて行くなら、残念ですがそれまでの関係ですし。 まずはやってみよう、とか言ってきますが、入ったら最後です。 会合などにも行ってはいけませんよ。 でも、彼女のために質問者さんもぜひ偏見を持たず(難しいですけどね)接して あげてください。 ああいった宗教活動をする方は、とかく活動にのめり込みがちです。 宗教の仲間とばかり接して普通の感覚を失いがちです。 そのために友達でいてあげて、遊んであげてください。 宗教ばかりが人生じゃないよ、人生を楽しむことも大切だよ、 と気付かせてあげてください。
お礼
まだ返事は濁してあります。でもやはり何か用事を見つけて断ろうと思います。そして今まで通り映画やショッピングなどを楽しんで行けたら、と思います。ご回答ありがとうございました。
- nontro_08
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創価学会員です。 日蓮大聖人は仰せです。「合戦は瞋恚よりをこる」(曾谷殿御返事)。「合戦」とは要するに戦争のことであり、「瞋恚」とは怒りのことです。 個人同士の喧嘩も、国と国との戦争も、結局は「怒り、憎しみ」が原因となっているわけです。あらゆる人が、あるいは国家指導者等が、口では「平和、平和」と言っています。しかしながら、戦争はなくならない。いくら法とか条約とかを制定しても、その理念に反する事態が生じるのは、日常茶飯事です。 真に平和を実現するには、観念だけではどうしようもありません。一人の人間の中に、そういう憎しみを取り除き、他を尊重し、平和を渇仰する心を築くしかないのです。これを「人間革命」といいます。それは、単なる気の持ちようとかでは不可能です。真の宗教哲学が必要です。それが創価学会の日蓮仏法の信心なのです。人間革命、境涯革命した人々がこの地球上で増えれば増えるほど、世界は平和になり、戦争はなくなっていくわけです。これこそ学会の目指す「広宣流布」なのです。 また、創価学会の池田名誉会長は、次のように言われています。 日蓮仏法は、「立正安国」の宗教である。「立正」(正を立てる)とは、正法すなわち、慈悲と生命尊厳の仏法哲理を、社会建設の主体者である、一人ひとりの人間の胸中に打ち立てることである。「安国」(国を安んずる)とは、その「立正」の帰結として、社会の平和と繁栄を築いていくことである。いわば、「立正」という、仏法者の宗教的使命の遂行は、「安国」という、仏法者の社会的使命の成就によって、完結するといえよう。社会の平和、繁栄なくしては個人の幸福もない。ゆえに、日蓮大聖人は仰せである。「一身の安堵を思わば先ず四表の静謐(せいひつ)を祷(いの)らん者か」(立正安国論)。「四表の静謐」とは、社会の太平であり、広くは、世界の平和、繁栄である。宗教は、決して宗教のための宗教にとどまってはならない。「安国」という、社会の平和と繁栄を実現してこそ、民衆の救済という宗教本来の使命を全うすることができ、人間のための宗教たり得るのだ。この立正安国の使命を果たすために、創価学会は社会の建設に立ち上がったのだ。 (聖教新聞2010. 5. 7付 小説・新人間革命「勇気」より) 宗教といえば、「自分の内面に閉じこもるものであり、人里離れた山中にこもり、自分だけの悟りを求めるもの」という固定観念が根強い。そういう向きは、創価学会という宗教団体が政治に関われば、「何か企んでいる」「日本を乗っ取り、学会を国教にするつもりだ」といった誤解や妄想に陥りがちです。それは結局、宗教というものが何か、全くわかっていない証拠です。真の宗教者なら、積極的に社会に関わっていくものです。社会の諸事象に関わり、そのなかから社会を良くしていこうとする。それが、宗教者としての慈悲ではないでしょうか。「社会がどうなろうが、悪くなろうが、知ったことか。自分だけ悟りを得ることさえできれば、それでいいんだ」というのは、自分中心のエゴであり、無慈悲であり、宗教者の態度とはいえないのではないでしょうか? 創価学会は、確かに世間から悪口され、評判は良くありません。しかしながら、真の正しい運動には、誤解と偏見が付き物です。なぜなら、人間は勝れたものに対しては、それを素直に受け止めるのではなく、反感と嫉妬の感情を抱きがちだからです。特に嫉妬の島国根性といわれる日本においては、そうです。正しいのに、悪の固まりのごとく吹聴される。逆説的な言い方ですが、それゆえに創価学会は真の正しい宗教団体なのです。 人の評価ほど、あてにならないものはありません。悪口されているからそれは悪いのである、といった直線的思考が必ずしも当てはまるとは限りません。あなたもどうか、世間の喧騒に惑わされることなく、真の創価学会の姿を、自身で探究してください。
お礼
ご回答ありがとうございます。何もわからないものを頭ごなしに否定するのはやはり間違ったことですよね。パソコンで創価学会のことを色々調べてみます。ありがとうございました。
- WAR
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30代サラリーマン♂(独身)です。 >今度彼女の家に招待されました。 >お母さん同士も仲良くしてほしいし、お母さんと一緒に来てね。と。 >私と母は勧誘されるのでしょうか。。 『勧誘』されています。 入会するか、しないか、支持するかしないか、 Yes. か No. しかなく一度 Yes. と言ってしまえば大変です。 しっかりと 『No. 』 と言いましょう。何度も何度もです。 友人との友情のためにもです。 >「創価学会」の悪評を無視出来ません。 創価学会は悪評以上に「良くない組織」です。 ご自身でネットで検索してみればよろしいかと思います。 政治への偏向的な長年の干渉、 メディアへの偏向的な長年の干渉、 芸能や娯楽・芸術関連への偏向的な長年の干渉、 仮に百歩譲って"悪い"と断罪できないとしても 『良くない』ことははっきりしていると思います。 >不安な私は心が狭いのでしょうか? 「不安だ」と思うご自分の気持ちをこれからも大事にしてください。 「安心だ」と思ったらかなり危険な状態にある証拠だと思ってください。 私は何でも言い合ってきた親友が創価学会の会員だったことが ここ1,2年の間に判りました。相手がそう言ったのですが。 告白した後は相手は新聞を取ってほしいとか私にも興味を 持ってほしいと話したりメールしてきたりしました。 私は無二の親友だと思っていたので最初はショックを受け 微妙な相手の態度の変貌に恐怖も感じました。 しかし、告白されて一ヵ月後くらいに呼び出して一緒に酒を飲み はっきり以下の主旨を伝えました。 「これからも友人でいたいし、信頼もしている。だけど 創価学会は大嫌いだし、過ちも犯している。自分は君とか これからも付き合いたいし、何でも話したい。しかし 君の"創価"の部分とは一切、付き合う気は微塵もない」 少しの期間、気まずい状況が続きましたが今では良好です。 その友人も私に勧誘めいたことや一方的に創価を持ち上げる 発言は一切謹んでくれています。 友人は凄く真面目なナイスガイで学会を信じているようです。 私はこれからも友人との友情を大切にしつつ、友人の真面目な 気持ちも尊重しつつ創価を辞めてくれるように真摯に つきあっていこうと思っています。同時に自分が友人の加入 している組織を断固認めないのとある意味同様に友人が 私の脱会の勧めを断固拒否してもそれは尊重していこうと 思っています。私と友人の個人的な出会いと個人的友情を 常に最優先しながら。 友人にもいつも言っています。自分と友人の間にはこの地球上の どんな組織も入ることは出来ない。しかしお互いの思想信条の 自由はあるしお互いがどんな組織も支持する権利はあると。 最後に一つだけ創価学会の存在を世のまともな人々が憂う 最大の理由は創価学会は宗教と呼べない行為を実に多く行って いるということです。政治への無軌道な介入もそうです。 今後のご参考になれば幸いです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >自分と友人の間にはこの地球上の どんな組織も入ることは出来ない。しかしお互いの思想信条の 自由はあるしお互いがどんな組織も支持する権利はあると。 全くその通りだと思いました。励みになります。ありがとうございました。
- hikarucou
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全然心狭くないです。 私もかつてありました。高校時代の友人からの勧誘。 家まで来ました。選挙の時もそう言われたし、旦那の会社の社長夫人が学会に入っていて、集まりに連れて行かれました。みんなに囲まれ勧誘されました(入りませんでしたが)。 学会に参加する気がないなら、ちゃんと言うべきです。 「うちはそれには参加できないの、ごめんね。そういうことなしで付き合っていこうよ」って。 でないとお母さんともども勧誘されますよ。 友達も成長して、本格的に学会の活動をし始めたのでしょうね。 誰がなにを信仰するもしないも自由ですから、否定は駄目ですが、強制も駄目ですよね。 それを言ってつきあいを辞める人なら、どんなに今まで仲良くしてても、それで壊れる仲だとしか言えません。
お礼
ご回答ありがとうございます。私は優柔不断なところがあって、少し勇気が要りますが今後の関係のためにも入る意思がないことをきちんと言おうと思います。ありがとうございました。
- forestgirl
- ベストアンサー率38% (104/273)
私も学生時代、1人いましたのでお察しします。 両親も知っていましたが、付き合いをするかには口出しはしないけど、それ以上はと言われていました。 >宗教は個人の自由なので、何を支持するかは本人の自由だと思います。 そうなんですよね。 否定はできません。 ですが、肯定する必要もありません。 私の場合は、友人に対して、学会だとは切り離して付き合いを続けていました。 選挙の話は、誰に入れるかなんて本人が書く時見られる訳でもないので、聞くだけ聞く。集会に誘われても、私は無宗教だからと断り続けていました。家に1人で招待された時は、半分そんな話の時もあったので、私の家族とはわかった時点で絡んでません。 普通に遊んでいましたが、徐々に相手が離れていきましたね。学会が原因かはわかりません。全く関心を示さなかったからかもしれないし、私に別の原因があったのかもしれません…。それでも、今も選挙の時はメールはきます。 個人と個人のお付き合いで考え、特に今執拗にされる要因がないなら、現状様子見でよいのではないかと。ただ、意志が弱いとか、自分自身がどうしても無理と思うなら距離を置くのも仕方ないですよ。 それこそ宗教の自由ですから!
お礼
ご回答ありがとうございました。とりあえず様子見でいきます。また勧誘されるまでは。「聞かなかったこと」にしてみます。。 ありがとうございました。
心が狭いや広いの問題ではないでしょう。 私は妻が創価学会の信者でして、私自身は入ってません。 お母様の言うように宗教ほど、戦争の種になってきたことはありませんが、ではお母様はキリスト教やイスラム、仏教など他の宗教も同じように嫌ってますか? キリスト信者が実は悪魔崇拝なんてのもよくありますし戦争を起すのも彼らのほうが多いように私は見えますね。 では何故、創価学会がだめなのか、それはもう世の中の悪評をモロに受けているからですよね。 私もこんなイメージがあります。 選挙の時だけ押しかける、友達のふりをする選挙運動。 無理矢理、座談会に連れ込む強制振り。 聖教新聞を読ませるなど・・・メディアに信者がいる、言論統制している、文民統制を侵害している。 大よそ良い噂はありませんね。 しかし、彼女と貴殿は10年来のお友達です。 彼女の宗教観を押し付けられないのであれば、そのままお付き合いをしてよいのでは? 今のこの日本でまさか友達が創価学会で私まで差別されるってないでしょう? 彼女は無理強いはしないけど・・・と言ってるならそのまま、実は親が教師で、戦争をなくすため宗教はないほうがいいという思想をもっているの、ということを10年付き合った友達になら言えるのでは? 自宅招待はそういった懸念があるやもしれません。 先ずは貴殿がお邪魔してそれから様子をみてはどうでしょうかね。 私事でなんですが私の妻は病気なんです。 どうして自分だけ病気なのか、病気であることが結婚前から妻を苦しめてきました。 皆がもっている当然の健康が妻にはありません。 彼女の家もなにか不幸や両親の離婚など、創価学会に入るような社会的弱者なのではありませんか? 心当たりがあればそのことを少し考えてあげてください。 彼女は無理強いはしたくないと言ってます。 それを先ずは信じて、NOははっきりということです。 私は妻に言われても入りませんし、妻の信仰を邪魔しようとも思いません。 信仰や思想は夫婦ですら自由だと本気で思っているからです。
お礼
ご回答ありがとうございます。確かに彼女の家は母子家庭で、お兄さんが障害を持っています。何を心の拠り所にするかは本人の自由ですものね。最後の1文に励まされました。ありがとうございました。
お礼
偏見、という言葉にハッとさせられました。回答者様の実体験も、きちんと友人であれ自分は入らないという心意気に励まされました。ありがとうございます。これからも彼女とは友人でいたいと思います。そして勧誘されたら回答者様のように自分の意見をはっきり言うようにしよう、と勇気を頂きました。ありがとうございました。