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創価学会で活動をされている方へ質問(長文です。)
私は無宗派のものですが、創価学会の方からよく入会の勧誘と選挙の勧誘があります。 以前は仲の良かった友人でしたが、きっぱりと断ってもしつこく勧誘され、最後は逆ギレされて絶交してしまいました。 良い友人だったので寂しいです。 私は彼やその他勧誘している人が悪いとは思いません。 本人は創価学会が本当にすばらしい宗教だと感じ、そこに入会させることで私たちを少しでも幸せにしようと考えてくれていることはわかるのです。 でも勧誘されたくない人にとっては説伏はしつこい押し売りやストーカーのようなものに感じるのです。 事実勧誘のせいで私と友人はとても不幸なことになりました。 また、教えて!gooでも恋人と学会のせいで結婚できなかったり、私と同じような不幸にあった方をたくさん見かけます。 創価学会はもちろん相手を幸せにするために勧誘してくださってるものと思いますが、ほかの宗教だって同じです。 幸せにするためです。 このように強い勧誘で学会が邪教扱いされたり、双方が不幸になっては創価学会自体にもメリットがないように思うのですが、説伏に改善点があると感じることはないのでしょうか。
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改善というよりも・・・ 勧誘の仕方というのは「こうしろ」「ああしろ」とは教えられていません。 その昔、戦後学会が発展途上だった頃は寺ぐるみで激しい折伏戦を展開したものでした。 それこそ、相手がどう思おうと、無理矢理にでも入信させ、信仰に引きずり込むというやり方です。 時代も時代でしたので、日本人は皆貧しさや苦しさの中で「幸せ」というものを本気で模索していたのだと思います。その中での人を幸せにする行動として、今でも「美談」として学会の中で語り継がれていることも事実です。 しかし今の時代、相手の意見をとことん否定して、無理矢理説き伏せようとすることは、平穏を乱す行為であり、そこに美しさはかけらもないと私は思っています。 最近の学会の中でも、人との融和をモットーとするような活動が多く、「一人でも多くの学会理解者を」というニュアンスになっています。 もちろん、友人に信仰をもってもらうことが一番の目標ではありますが、そうでなくても、学会の理念を理解してくれる人が増えれば、学会としても満足なのです。 人数としては飽和状態だし、資金にも困っていないですから。 ただ、地方になればなるほど昔の体質が残っていますので、狂信的であり、非常識なところがあります。 強烈な勧誘をする人は、そういう中で、本人がなにか強迫観念にさらされているのだと思います。 日蓮の教えでは人に仏法をたもたせることが、一番尊い行為であり、それが即ち成仏の道と言われています。 ですから、自分に悩みがあったり、乗り越えたいことがある場合、人を入会させればその人も自分も幸福になれると思い、とにかくそれしか見えなくなっているのではないでしょうか。 日頃から私は思っているのですが、人に認めてもらいたい時に、人とのコミュニケーションができない人間は変に一方的にまくしたてたり、自分を盛り上げることだけにやっきになる傾向がありますよね。 それじゃ、逆効果なわけで。 学会もまだまだ変わりつつあります。 強烈な会員ばかりではありませんし、今後、変な行動をする会員は減っていくと思います。
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- hiremekizitugen
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>私は無宗派のものですが、創価学会の方からよく入会の勧誘と選挙の勧誘があります。 以前は仲の良かった友人でしたが、きっぱりと断ってもしつこく勧誘され、最後は逆ギレされて絶交してしまいました。 良い友人だったので寂しいです。 私は、逆で、しつこく誘いに来る友人がいて、本人の方から創価学会仲間になりたいとか、重い病気をもっているからとか言われて、そんなに酒とか好きでもないのに付き合っていたんです。(病気なら酒飲むな^^) それで、病気のことが気になったので、学会の会合に誘ってみたら、ぜんぜん参加しようともしないんですよ。 >でも勧誘されたくない人にとっては説伏はしつこい押し売りやストーカーのようなものに感じるのです。 事実勧誘のせいで私と友人はとても不幸なことになりました。 私は、その友人にもいいました 「仏の顔も三度までって言うんだから、誘ってあげるのは三度までだよ。誘ってあげているのに、しつこいとか押し売りとか思われたら、かえって仏法の価値が下がるから、もう誘わないよ」って。 >このように強い勧誘で学会が邪教扱いされたり、双方が不幸になっては創価学会自体にもメリットがないように思うのですが、説伏に改善点があると感じることはないのでしょうか。 他の方が回答されているように、学会にマニュアルはありませんね。 ですから、個人個人の折伏(説伏でも切腹でもありません^^)に改善点を見い出していく必要があるでしょう。 そして、その改善点の根本は、日蓮大聖人の御書に求めるべきです。 「公場にして理運の法門申し候へばとて雑言・強言・自讃気なる体・人目に見すべからず浅〓しき事なるべし、弥身口意を調え謹んで主人に向うべし主人に向うべし。」>1283ページ この御書からすれば、「真面目に謙虚に言葉や態度に気を付け真心をもって自分の会社の社長と対話するように折伏する」のが基本であることが分かります。 私も、回答しながら反省し、再度その基本に徹していこうと思いました。 PICIAさんも、せっかくの良い友人だったのですから、この御書に反する折伏を受けたのなら、その友人にこの御書を見せてはどうでしょうか?
お礼
逆の意味で、「無理矢理折伏してはいけません」みたいなマニュアルを作るのも良いかもしれませんね。 回答ありがとうございました。
お礼
説伏の仕方が指示されていないと言うのはちょっと意外でした。 私はそれこそ会社の売り上げノルマみたいなものがあって、それであんなに強く勧誘してくるのかと思っていましたので。 私の友人も少し落ち込みやすい性格だったので、救われたかったのかもしれないですね。 丁寧なご回答ありがとうございました。