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住所表記法の相違の背景(日本と米国)
日本とアメリカ合衆国における住所表記法の相違について質問です。 日本とアメリカ合衆国とでは、 住所の表記法が以下のように異なります。 【日本】全体から個へ (例)○○県△△市□□1-2-3 【米国】個から全体へ (例)1-2-3,□□,△△,○○ このように文化が異なるものに至った背景・原因を教えてください。
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日本でもアメリカでも単に「あの家」と言うだけなら「that house」となって大差ありません。 しかし,少し詳しく言おうとすれば「あの家」は「△△市のあの家」となり「that house in △△ city」となります。つまり前から修飾するか,後から修飾するかは言葉によって決まっていて,それが住所に反映されていったのです。
お礼
なるほど、確かに語順がそうなっていますね。 住所の表記の違いは、言語の違いの一側面でしかないわけですね。 すると、さらに疑問が湧いてきました。 というのも、どうして英語は主体先行なのでしょう? (というより、なぜ日本語は修飾先行なのでしょう?) 主張の核をはじめに述べてからそれを修飾するという流れは、思考の方法として、自然なもののように思えます。修飾詞・修飾節が長い場合、日本語は、イメージし辛いという短所が浮かび上がってきました。 では、この思考の違いはどこからくるのでしょうか? 日本は(近年はだいぶ変わってきましたが)集団主義的で集団を優先する傾向が強いのに対して、 米国は個人主義的な文化であるような気がします。 これは、言語が先なのでしょうか?思想が先なのでしょうか?ニワトリとタマゴでしょうか? それとも、言語と上記の集団主義・個人主義の社会の相違は、また別個のものなのでしょうか?