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幸か不幸か。

 例えば、5種類の食べ物しか知らないまま死んだとしても、それ以外に食べ物はなかったと思って死んだのならそれはそれで幸せだ・・・・・という考え方があると思います。  これはあくまで一例で、仕事・異性・趣味・・・・あげたらキリがないですが、全てのことに同じことが言えると思います。  逆に知らないことは不幸だ、という考え方もあるし、浮気に繋がる考え方でもあるかもしれません。  幸か不幸か、答えはないのかわかりませんが、もし答えが出れば、今現在の自分の悩みは解決できるような気がしています。  ばかばかしいと思われるかも知れませんが、ひとつ忌憚のないご意見をお聞かせ下さい。

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  • chapanese
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回答No.3

madoirenさん、こんにちは。 なかなか鋭いご意見をされていますね。 私の場合なら、時と場合によりますかね。 知らなくてよいものなら知らなくてもよいし、知ろうとしたら知ろうとする。 知らなくてもよい、というのは興味が湧かなかったり、たまたま知る機会を逃してしまったりした場合です。それで自分の生活等に影響なかったらそれでいいかな、って思います。 でも、知らなかったことで自分が知りたいと思ったら、わたしは知ろうとします。「虎穴に入らずんば虎子を得ず」ですよね。それが自分にとってプラスにはたらくかマイナスに働くかわかりません。そのとき、あとになって後悔したとしてもそれはしょうがないですよ、だって自分がそうしたんだし、自分のしたことは結局自分で責任とればいいんだ、って思います。失敗しない人っていないと思うし、その失敗からどう立ち直るか、その失敗を生かしてどれだけ成長できるかでカバーできるんじゃないか、と思います。 食べ物でたとえると、料理名を見て「やめておこう」と思う人と「食べてみよう」という人に分かれますが、わたしは俄然後者なのです。 「知らずにおこう」というより「知ろうとする」のが自分の考え方ですね。 最後ですが、ちょっとそれますがこの言葉を貴殿にお送りします。 「花に嵐のたとえもあるさ、さよならだけが人生だ」

noname#4275
質問者

お礼

ありがとうございます。 >時と場合によりますかね。  その使い分けができない部分が子供なんでしょうねぇ。どうしても連結して考えてしまう・・・。  お言葉、座右の銘に加えることにします。寺山修二も愛したそうですね。深いです。

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回答No.15

少し的外れかも知れませんが・・・・・ ある哲学者が言いました。 結婚は人生最大の過ちである。 しかし、その過ちにいつ気が付くか、それが問題である。 結婚した翌日か、又お互いが天国に行っても気が付かないか・・・・・ 彼方はどれが幸せだと思いますか?

noname#4275
質問者

お礼

むむむ、まさに言いえて妙。ありがとうございます。 普段ならどちらか答えられたかもしれないのですが、今は答えられない・・・ですね。というより答えられたら質問もしてなかったかもしれませんねぇ。

回答No.14

幸せとは、快感を得ること或いは不快感を感じないことと捉えられるかもしれません。 では快感とは何かと問うと、脳内麻薬の分泌により得られる恍惚状態ということらしいです。 ところが脳内麻薬分泌のタイミングというのは人それぞれ違うようです。 例えば「冒険遺伝子」なる遺伝子が確認されているそうです。 この遺伝子が「冒険型」である人は脳内麻薬の分泌が非常に鈍く、それ故過度の刺激を求めるのだそうです。逆に「安住型」の人間はそれが鋭く、少しの刺激で満足を得られる。つまり安定した生活を選んでも、冒険野郎と同等の快感、幸福が得られるのだそうで。 ところでご質問は、「経験が広いほどより多くの快感を得られる可能性があるのだったら、広ければ広いほど良いのではないか」ということなのでしょうか。…ううむ、違うような気もしますが、とにかくこれは真実でありそうです。 しかし快感とは常に幸福のみをもたらすものではないことも事実。 例えばパチンコで大当たりを引いた時に分泌される脳内麻薬がもたらす快感は、モルヒネなどよりもずっと強力だと言われているそうです。 パチンコは一例に過ぎませんが、考えてみれば世の中には幸福であるはずの快感によって身を持ち崩す人が多く存在しているようですね。 こうして考えてみると、幸福と不幸は表裏一体なのだなーと改めて考えてしまいます。 しかし「冒険型」であるか「安住型」であるかは自分自身の遺伝子の中に間違いなく答がある筈ですので、一度落ち着いて自分がどちらに属するのか判断してみてはいかがでしょうか。 「安住型」なら無理をして冒険する必要はありませんから。 私も受け売りなのでいい加減な情報かもしれませんが、参考まで。

noname#4275
質問者

お礼

ありがとうございます。脳内麻薬ですか、とても興味深いですね。表裏一体、まさにその通りですよね。逆にこの疑問を解決してしまうことの方が不幸なのかもしれませんね。

noname#4684
noname#4684
回答No.13

この質問の正答は存在しないでしょうね. わたし個人の意見は,「なんでも知りたい,体験したい.知らないまま死ぬのは不幸である」です.たとえそれが苦しみであっても悲しみであっても,体験したいです.おおっぴらに言えませんが,女性体験をたくさん重ねたい,という意味でもイエス,です. もう少し思考を入れた回答をしてみましょう. 人には「安定を好む」人と「冒険を好む」人がいます.安定派は5種のたべものしかしらないで死んでも,後悔はないんじゃないかな.冒険は,これを不幸と感じるでしょうね.

noname#4275
質問者

お礼

ありがとうございます。なるほど安定派と冒険派ですね。どちらの価値観もわかりますね。今までは明らかに冒険派だったような気がします。

回答No.12

madoirenさん、こんにちは。 非常に抽象的で、難しい、ある意味人生観のような問題ですね。 私は女性ですが、感じたままを書いてみたいと思います。 まず、食べ物ですが、5種類しか知らずに一生を終えてしまったら 沢山の美味しいものを知っている人よりは、不幸だと思います。 ただ、美味しいものも沢山あるかわりに、まずいもの、有害なものも多くあるので それらを知らずに一生を終えたことは、ある意味、よかったともいえると思います。 >逆に知らないことは不幸だ、という考え方もあるし、 浮気に繋がる考え方でもあるかもしれません。 そうなんですよね・・ここの部分に心惹かれました。 私は、母から「女は一生一人の人だけを知っているのが幸せだ」と言われました。 それは、一人の人だけと恋愛し、その人と結婚して添い遂げるのが幸せ ・・・という意味で母は言ったのです。母は昔の考え方なので・・ それがあるので、初めての恋人と別れるときは、悩みました。 まさに、知らないことは幸せである、という母の教えに背こうとしていたからです。 しかし・・・結果として、別れて、母の期待どおりには行きませんでしたが それは私にとって、いい経験になりましたし、より幸せになったと思います。 今思い返すと、それは、私がその当時、その恋愛に疑問を抱いていたからなんだと思います。 何の疑問も抱かず、何の不幸も感じず、恋愛を続けることができ その人と添い遂げるような人生であったら、それはそれで幸せだったのかも知れません。 仕事でも、そうだと思うんです。 今の仕事に満足されてて、自信を持って続けておられるなら、 それはすごく素晴らしいことではないでしょうか。 その道のスペシャリストとは、そういうものだと思います。 しかし、不幸にして、今の仕事に満足することができず (仕事状況や、仕事をする環境、条件など、すべて含めて) 仕事に対して不満を抱いている状況ならば、 他の仕事にチャレンジすることは、いいことだと思います。 また、チャレンジできる人は、幸せだと思います。 (他の仕事にチャレンジすることが許される環境といいましょうか) 恋愛に戻るんですけど・・・ 今、パートナーがいて、少しの不満はあっても(誰でもあると思います) 今が幸せだ、この人でよかった、と感じるならば、 それはとても幸せな恋愛をされているんだと思います。 「この相手でいいのか?これでいいわけがない」と思えるのであれば 残念だけど、その恋愛は終わりつつあるのではないでしょうか・・ madoirenさんの求めていること、知りたいことと違っていたらごめんなさい。 せっかくの人生、自分の気持ちに正直に、そして幸せをつかんでください。 頑張ってくださいね。

noname#4275
質問者

お礼

ありがとうございました。お母様の話はまさに凝縮された話ですね。自分も母・祖母からそう聞かされていたのでそこに価値観を感じていましたが、20~30代は逆の人生を送ってしまいました、後悔はありませんが。自分の気持ちに正直に・・・紙一重的な部分ですね。アバウトになれない自分を変えたいのかも知れません。

  • neterukun
  • ベストアンサー率17% (993/5831)
回答No.11

ねてるくんです >5種類の食べ物しか知らないまま死んだとしても、それ以外に食べ物はなかったと思って死んだのならそれはそれで幸せだ・・・・・という考え方があると思います。< そうはおもいません。 それってなんか負け惜しみっぽいです 自分で納得させようと自分を慰めているに過ぎないと思います一杯いろんなことしたい、私はそうです。 海外は10ヶ国くらいしか言った事ありません 何百の国があることも知りながら。 もしこのまま死んで世界が10カ国しかないと思えば なんてそんな悔しい言葉を残したくはないと思います。 ただね比べるものがたくさん知ればいいものと 1つしか知らない方がいいものがあると思います 熨斗紙を見てください 蝶々結びの方は何度でもやっていいもの、 出産とか入学とか昇進とか、粗品もそうです 結びきりはたった一度しかしちゃいけない、もう終わりのお祝い、結婚とか快気とかです。 この二つの価値観があるので例文が当てはまる当てはまらないはその観点で違います そう思うのですがいかがなものでしょう 例文を見たときに私は旅行が大好きなのでそういうたとえにしました。 恋でやるとしますと5つしかというのがもうあてはまらず たった一人の人を見つけてよかった・・とおもうでしょうね。

noname#4275
質問者

お礼

ありがとうございました。 >たった一人の人を見つけてよかった・・ そうですね、思えば過去の相手も全て「たった一人の人」と思ってきましたしね。その都度結びきりのはずだったんですよね。

noname#4236
noname#4236
回答No.10

人間は一度きりの人生の中で、そんなに多くの事はできないと思いますよ。時間も才能も、限られてますから。 医師や研究者、弁護士や宇宙飛行士さん等、ものすごく優秀で世の中にすばらしい功績を残す方がたくさんいらっしゃいますが、その方たちが世の中のありとあらゆる幸福やら可能性やらをつかんでいるでしょうか?その道を極めるため、莫大な時間と努力を費やし、やっと一つの事で成功できる(できない場合も多いし)。そういうもんなんじゃないでしょうか?その為に、色んなものを犠牲にし、見てみぬふりをし、時には誰かを傷つけたりもして、自分が選んだたった一つの事に人生をかけているんじゃないでしょうかね。それは決して『妥協』ではないと思いますよ。 幸せな家庭を築きたいというなら、その後の色々な女性とのお付き合いもあきらめるしかないでしょうし、そうしたくないのなら、一生独身の道を選べばいい。 何もかもを得ようとするから、余計に苦しくなったり、そこに『妥協』という言葉がでるんじゃないでしょうか。 自分が一番大切にしたいものは何なのか、絶対に失いたくないものは何なのか。。それを守るために、何かをあきらめることは、『妥協』ではないと思います。 >5種類の食べ物しか知らないまま死んだとしても、それ以外に食べ物はなかったと思って死んだのならそれはそれで幸せだ・・・・・ そうですね。。 でも、私ならこう思って死にたいです。 「本当は食べ物は100種類あるのは知っている。あと95種類を食べずに死ぬのは残念だけれど、5種類を一生食べれることができて、幸せだった。この5種類を食べるために一生懸命努力してきて良かった」 ま、あくまで理想ですが~(笑) ちょっと的外れな回答ですみません。

noname#4275
質問者

お礼

ありがとうございます。確かに理想かもしれませんね。大人でい続ける事にストレスを感じるのは、所詮子供なのかもしれませんね。

noname#50891
noname#50891
回答No.9

私には大変難しい質問でした。 ばかばかしいなんて、とてもとても…(汗) 支離滅裂な回答になっています。 お暇な時にでもお読み下さい。 未知の世界に興味を持ち、 そちらへ進んでいこうとする力は、 良いものを作り出したり、新しい知識を得たり、 素晴らしい発見を生むことがあります。 ですから、「6番目の皿」を追い求めることは、 そんなに悪いことではないと、私は思いますよ。 哲学で言う所の「エーロス」が、そのお考えに、 当てはまるような気がしました。 今回の質問ですが、色々考えた結果、 質問の発端を「恋愛における浮気心」とみなし、 「浮気とは…」ということで考え、 アドバイスを書いてみました。 例え話を書きます。 Aさんと、Bさんがいました。 Bさんから見たAさんは「多情な遊び人」です。 過去の状況から、Bさんはそう判断しています…。 さて、そんなAさんなのですが、 今はもう「浮気する気が無い」そうです。 過去が過去だけに(笑)、不思議に思ったBさんは、 理由を聞いてみました。彼曰く、 「もう、おなかいっぱい」だそうです。 「自分はこのお皿で幸せだ」と思った人間が、 新しいお皿が見つけた時、 あれも食べてみたい…という衝動が起こらないとは、 誰にも言い切れないです。でも、もしも、 そのお皿に手を出してしまったら、今あるお皿は 下げられしまうかも…となる訳で…。 運良く両方のお皿を平らげることが出来たとしても、 また新しいお皿を見つけたら、また同じ衝動が 起こって、繰り返して…となるかもしれません。 結局、それを終わらせるには、 沢山のお皿が並んだテーブルから、 自分の意志で立ち上がること、かと思いました。 Aさんは「おなかいっぱい」が理由でした。 つまり、満腹だ、もう食べられない…という自覚が、 Aさんを席から離れさせたのだと思います。 今のmadoirenさんは、小腹がすいているのかも… と思いました。だからまだ食べられると感じ、 新しいお皿にも興味が持てるから、 テーブルについているのではないかと思いました。 それを「幸か不幸か」と判断することですが、 何と申しますか…判断してはいけない、という 気持ちになりまして(汗) 他者である私が、幸福・不幸のラベルを 勝手に貼ってはいけない。 madoirenさんにしか決められないことだ、 という気持ちになるのです…。 肝心な所で答えが出なくて、すみません。 少しでもお役に立てればと思い、書きました。 読んでいて意味不明な箇所などありましたら、 遠慮なく、補足要求してください。

noname#4275
質問者

お礼

いえいえ、かなり近いです。ありがとうございます。確かに衝動の繰り返しですよね。衝動を現実化した時は幸で、終わらないことを考えた時が不幸・・・なのかも知れないですね。未知でなく既知だったら確信犯だったりしますよね。  でも他者が決める幸・不幸に操られているのが現実だったりするような気もしたりして、優柔不断なんですかね。

回答No.8

『味』を知った事によって、廻りも巻き込んで来てしまった事を、自分だけの苦しみから「強制終了」は出来ないんじゃないですか? 苦しんでいるのはmadoirenさんだけではないでしょう? >>そうすれば誰も傷付けずに済むし云々・・・ きつい言い方だと思いますが、それは驕った考えです。自分で蒔いた種は自分で刈り取るべきです。 人生半分過ぎた、とのお礼をいただいて私は無性に腹立たしい思いです。 妥協する事も必要な場合はあります。 でも「恋愛カテ」に相談を入れた訳ですから、ご自分の意思から始まったんですよね?根本は。 色々な恋愛の形はありますが、もうすべてを巻き込んでいると考えるべきです。 もう人生経験もつんで来た方でしょう。フッと「魔がさした」というか「現実からの逃避」というか・・・そんな気持ちになる事ってすごくわかります。 誰もが生きていれば、そんな気持ちになる事はあるんじゃないかしら。 そこで逃げるか、妥協するか、立ち向かうか。 「妥協」ではなく「打破」する意気を持ってほしいです。誰かを泣かせる事になるかもしれませんが、それは仕方の無い事です。 それに「妥協」しているのは貴方だけではないかもしれませんよ・・・

noname#4275
質問者

お礼

 すみません、やはり抽象的過ぎたようでご迷惑をおかけします。 >ご自分の意思から始まったんですよね? 意思を現実化すれば始まってしまう・・・という段階です。要はその妥協?が棺桶に入った時に後悔するのか?という・・・これまた抽象的ですが・・・済みませんでした。

回答No.7

とりあえずは、生きている事が幸せでしょうね。 食うに困らず、悩みがあってもそれを何とかしようとする知恵があって、悩みや痛みを認識できる 他人の痛みを理解できる知性がある事。 食って、休んで、生殖するのは生物として普通でしょうが、そこに知性が加わるから悩んだり苦しんだりすんでしょうね。 madoirenさんは今、生まれて初めて位の「蜜の味」を知ってしまったのかもしれませんが、もっと美味しい味は今後も絶対出てきます。 私も人生半分に来て、うらやまし~!気持ちです。 もう半端な事じゃ、悩みもしないしトキメキもないですよ~(笑) すごくテキトーって思われそうですが「悩んでください」一生懸命に悩んでください。 「明けない夜はない」です。 きっと心の糧になりますよ。 新宿のみなさんだって、そんな(それ以上、人間としての尊厳をなくしてもいい位の)、悩みや苦労の末に行き着いているんだと思います。 この世には「美味しい物」たくさんありますよ。 でも、それを選択して受け入れるのは自分です。 一旦受け入れたら、自分でなんとかしなくちゃね。 それが怖いなら、遠くから指を加えて見ていればいいでしょう。行動には責任を持つ、という事も大切です。 「自分を信じて前向きに」生きてください。

noname#4275
質問者

お礼

ありがとうございます。確かに「蜜の味」は無限ですよね。しかしどこかで終わりを作らなければいけない様な気がするんです。そうすれば誰も傷付けずに済むし、余計な問題も起きない・・・、ただそれをいかに妥協するか・・・、実は私も人生半分なんですが、ハムレットの気分です。

  • sintunado
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回答No.6

50歳男性です。 私にもその時代がありましたよ、知らないことは不幸なことと思ってました。 何でも知ろうとしたし、何でもやってみようとしましたね、それで傷付き打ちのめされて、 歳と共にその範囲が狭くなりました。自分で取捨選択をするんです。 若さがなくなっているのですね。 そこで、私の答えは「歳と共にある!」ですね。 自分自身のレベル(精神的、経済的、環境的、年齢的)に沿った形で、知っていなければならないことがあると思います。 何故?6番目の食べ物が、自分にとって必要なのか、その理由でしょうね。6番目があると 何故?知ってしまったのか。その過程によって幸、不幸の捕らえ方も変わると思いますが いかがでしょうか。

noname#4275
質問者

お礼

ありがとうございます。うーむ過程ですか。例えばメディアの発達は正しい情報も間違った情報も、受け取る側のレベルによっては知識になる恐れがありますよね。無人島に生まれていれば・・・などと思うことも。

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