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2番煎じな企画
よく2番煎じな、企画の本ってあると思うんですが どこまでが許される範囲なのでしょうか たとえば、チーズがなにやらかにやら とか 世界が100人の が 日本が100人 何がし とか 類似本なんて言葉もありますが 自分が思うに着眼点もひとつの発見のように思うのですが 類似本とは、盗作にあたらないのでしょうか? 有識のあるかたの見解をお聞かせください
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こんにちは。 一応、出版・編集関係に携わる者です。いやー、耳の痛い質問ですね(笑) まず、盗作になるのか、ならないのかと言うと、世間や一般読者が見ても明らかにグレーゾーンにある作品であっても、法律のレベルでの証明は極めて難しい、といえましょう。出版物は「表現」であり、表現は著作権法等によって守られています。 が、逆に言うと、著作権を侵害された、という訴えを起こすにあたっては、ひとつひとつの言葉の言い回し、意図などを厳密に「盗作である」ということで照らし合わさなければなりません。 いくら似ているから、といっても、アチラはアチラで表現の自由があり、「たまたまそうなっただけだ」という逃げ口上も成り立ってしまいます。 したがって、現実的には盗作として訴えるというケースは非常に少なくなります。また、そこまでしても勝訴できるかどうか、保証されるものでもありません。ですから出版界としても「これはこれでしょうがないだろう」とあきらめているのが現状なのです。 このような「二番煎じ」が横行する背景には、やはり出版不況が上げられましょう。 まさしく本が売れない時代なのです。現在、一冊の単行本が5万部も売れれば小さな出版社ならホクホクです。 しかし、実態は5000~1万といったところがいいところです。 そこでベストセラーに便乗し、類似本をデッチ上げるわけです。そこで2~3万部も売れればおんの字、というわけです。 いずれにしても、情けないことですね。
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- farnorth
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え~、横道のハナシになって申し訳ないです。 あまりにひどいパクリ本はどうかと思います。居直りあるいはやったもん勝ちというのも確かにあります。ただ、パクリとかそういう見方をされないように努力している人も出版界で多々いるわけです。 もちろん売れる本を真似するのはよくあることです。ただ、たとえ似ていても切り口を変えるというのが「出版企画」なので、パクりといわれないような企画を考えるのが編集なのだと思いたいです。これがよくいえば「着眼点を変える」ということだと思います。 ぶっちゃけ発想はパクリでも、結果、まったく違う本にすればいいわけで。そのため著作権とかクリアするためにどんなに苦労してることか。。。一部の(じゃないか…)犯罪「的」行為を見て「出版界とは」みたいにいわれるのはツライですねぇ。もちろん、私が出版界を背負ってるというワケじゃありませんが(笑)
お礼
業界内のお話 ありがとうございます
実際、「類似企画本」についての件が法廷に持ちこまれたことがあります。 もう15年ぐらい前のことでしょうか、 「10回クイズ」や「究極の選択」というのが流行りましたね。 元々はニッポン放送の番組から火がつき、 番組企画によるそれらの本が出ましたが、 すぐに「類似企画本」があちこちから出ました。 二見書房、永岡書店、廣済堂、 いずれもこの種の「類似企画本」ではよく見る出版社ですね(笑)。 で、ニッポン放送はこの類似企画の各社を訴えたのですが、 結局その訴訟は却下されました。 参考URLはその判決文です。 結局それらは、一種の遊びとして認知されているものであり、 番組のコーナー名として認知されているものではないというのが判決理由のようです。 以上、参考になれば。
お礼
ありがとうぞざいます さっそく拝見します
著作権で保護されるのは作品であり言葉そのもの、或いは表現ではないでしょう。従って独創的アイデアとして真似を防ぎたければ実用新案特許でも申請しなければ保護されないと思います。 ある人の思いついた新鮮な表現、或いは造語があるからこそ言葉は豊かになってきたものと思います。もし昔から類似のものを禁止していたら今日の日本語は随分貧しい言葉で終わっていたのではないでしょうか。格言等は世界中で類似の表現、発想が見られます。中には偶然の一致もあるでしょうが、その殆んどはお互いに影響を与え合ったものです。 とはいうものの例のチーズや100人の村などは商業主義で意図的に二匹目のどじょうを狙ったのは明らかで、眉を潜めたくなる現象でした。
お礼
ありがとうございました なるほど、そのように思えます
お礼
業界話を交えた詳しい解説 ありがとうございました