- 締切済み
自殺したらどうなる
20数年働いた会社をクビになり、なかなか職につけなく家族もギクシャクしだしてとてもつらい日々を送ってます。 自殺願望があり診療内科にいってまして薬をのんでなんとやってますが 自ら命を絶った場合、普通の死亡とは違い成仏できず霊がさまようというのは本当でしょうか?
- みんなの回答 (7)
- 専門家の回答
みんなの回答
- michael-m
- ベストアンサー率50% (2724/5433)
成仏できないという事と彷徨うという事は別ですよ。 成仏とは仏の世界に行けるという事。 この場合は現世を含む世界の「輪廻」から解脱できないという意味です。 自殺の方法や動機などにもよりますが、通常は地獄に落ちるという事はないでしょう。 しかし、人は生まれ変わり死に変わることによって、少しずつ仏の世界に近づいていき、やがて人の世界を含まない仏の世界での輪廻に移ります。 (ちなみに、仏の世界が極楽だなんて思ったら大間違い。仏の世界でも如来になるまでには何度も生まれ変わり修行を続けるのです。) 仏陀は他を救うために自らの命を捧げましたが、これは自殺ではありません。 自殺するという事は、自分に課せられた修行を放棄することなので、課題に更に利子が付いて、もう一度修行を繰り返す事になります。 すごろくで云えば「5マス戻る」とか「ふりだしに戻る」のと同じことです。 まぁ、あの世や来世があるかどうかなんて誰も確かめた人などいません。 「そんなものあるわけ無いよ」というニワカ科学マニアを信じてもいいですが、もし無くても無になるので悔やむという事はないですが、もしあったら悔やんでも遅いという事なのです。 どちらを信じた方が確実かは簡単な選択肢です。
- mdh57
- ベストアンサー率25% (7/27)
自ら命を絶った場合、成仏はできないです。では、普通に死亡した人は、成仏しているのかというと、ほとんどの人が、していません。(少なくとも現時点では) また、霊がさまよう、という事は、どんな死に方の人でもありえません。 成仏は、正しくは「仏の境涯を成く」(ほとけのきょうがいをひらく)という意味です。 なので、葬式で偉いお坊さんにお経をあげてもらって、戒名してもらっても成仏しているとは限りません。 もし、死んだら仏になれるのだったら、長生きするより、早死にした方がいいですよね? (以下、私の勉強した範囲内で恐縮ですがご参考になれば幸いです) 仏教の始まり(約3千年前)、釈迦が仮導の教えで「地獄」や「閻魔」などを説きましたが、それは実在する場所や人物ではなく、「方便(比喩)」です。 釈迦は説法50年間のうち、まず42年間かけて「爾前教(現在の真言・浄土宗など法華経以外の仏教)」を説き、後の8年間で、爾前教を仮の教えとして、釈迦自身が否定し、「法華経28品」を説きます。 しかし、その「法華経」も、釈迦の死後2000年(正法・像法)で効力を失い、現在の「末法」という時代では、釈迦仏法を信仰しても効力はないと、釈迦自身が仏典の最後に記しています。 そして、釈迦が「文底秘沈」した(明らかにしなかった)「法華経文底独一本門」(唯一の無神論の信仰)が末法で信仰すべき仏法だと教えています。 仏法では、魂(命)は「有る」わけでもなく、「無い」わけでもない、「空(くう)」と表現されます。死後、命は、「霊魂」としてふわふわ存在するのではなく、死後は「冥伏」といい、生時は「顕現」といいます。肉体と魂は別々ではないのですが、「肉体」イコール「魂」でもないです。 簡単に言うと「起きている状態が生」、「寝ている状態が死」です。つまり「無始無終」といい「生命は永遠」ということです。 過去世の行いにより、現世の境涯(十界論をご参考になってください)がありますが、「定業」と「不定業」があり、決定している宿業でも「宿業(宿命)転換」が可能です。 また、「地獄」という場所は、どこにも存在しませんが、例えば、来世は戦地に生まれるなどの境涯を「地獄」に例えているのです。 それと同様、「閻魔」という人物は存在しませんが、自分自身の中の悪い生命境涯や、自分の境涯を狂わす働きのことを「閻魔」に例えているのです。 簡単に例えると、テロリストの子として生まれ、出生時から洗脳され、自分もテロリストになって、人殺しをしてしまう、等々が、これにあたります。 私事で恐縮ですが・・・ 私はその「法華経文底独一本門(無神論)」を信仰をしています。 これは、10年間かけて勉強と経験を積み重ねて出した結論です。 私は前半は、外道(キリスト教や神道などの神論)や、仏教「爾前教」(日本人が仏教だと思っている教え)を学び、後半で法華経を学び、最終的に文底独一本門(無神論)にたどりつきました。そして、邪宗や占い師など、(もちろんカルトも)信じたり、それらにお金を出すのも誤りだと気づきました。 10年かけてしっかり宗教比較学を勉強してきたので、他の人より少しは詳しいです(まだまだ勉強不足ですが)少しでもお役に立てれば嬉しいです。 ここで詳しく説明したいのですが、理解するのに早い人でも2~3年かかる事なので、ここでは省略します。申し訳ございません。
異状死として警察が来て検視をされ、医師により検死されます。死亡診断書でなく、 「死体検案書」が交付されます。 質問者さんの家族が、精神的にダメージを受けられると予想されます。
- Oruko000
- ベストアンサー率31% (335/1079)
私の感じたままをお話しします。 魂や霊のようなものが存在するのか肯定も否定も出来ませんが、人の念のようなものが残ることはあると思います。 そこにただ居られて、亡くなったときのショックを繰り返されている感じです。 私は見えませんが、ぼんやりと感じる程度で、その念と思う姿が霊なのか、本人の魂なのか確かめる術はありません。 私がそれらを感じる時、とても不安になります。 恐怖とも哀しみとも言えない複雑な感情です。 いたわることが出来ないかと思いますが、こちらの声には無反応です。 時間軸のない中を、念が薄まるまでそこにいるのかもしれません。 死に希望などありません。 生きていればこそです。
お礼
ありがとうございます。 そうですね、私は霊感が強かったときがあり死んだ人を見ることが あったので霊の存在を感じますが、生きていればのことですね。
可能性はあるでしょうね。 私は数学者なので、確率でもって考えてみます。 どちらにせよ人間が死ぬことは確定しています。 今死のうが後で死のうが、死にます。これは100%です。 生きてる間に幸せになれる可能性はあります。 つまり今が死ぬほどつらいとすれば 生きることの幸せ期待値Aは A>=0 です。 0のままかもしれない でも、プラスになる可能性もあるかもしれない。 自殺する場合の期待値Bはどうなるかと言うと B<=0 です。 ただ土となって無に帰すか。 あるいは霊的概念でもって裁きを受けて永遠の苦痛を味わうかもしれません。 つまり0か、それ以下です。 自殺をしたら幸せになれたとする教義は今のところ聞いたことがありません。 ゆえに 幸せになれる可能性は A >= 0 >= B と定義されます。 A つまり生きていた方が幸せになれる可能性は高いでしょう。 ここで、輪廻や生まれ変わりについては考慮しておりません、 どうも聞き及ぶところ、今の意識を持っていくことはできないようなので、 つまり生まれ変わった誰か他人が幸せであったところで、 「自殺した私」はまったくもって報われませんからね。 さらにもっと上位概念があって、あなたが死んだあとも、 あなたの世界が続いたと仮定すると、 かなり高い確率でご両親やご友人が悲しんでおられる姿が見えるはずです。 その状況を持って、霊体(あるいは上位概念の意識など なんでもいですが) となったあなたが、霊仲間や閻魔様やらに認められるのでしょうか? これは可能性の問題です。 で、そういったいろーーーーんなことをひっくるめて どんなに頑張っても100年以内には死にます。 それで大往生、精一杯生きたから後は安らかに成仏しましょう・・・ というのであればそっちのが安全に思えますね。 100年なんて案外あっという間でしょう。 以上です。
お礼
ありがとうございます。 なんか福山雅治のガリレオみたいで気持ちが楽になりそうです。 そうですね、人間いつかは死にますね、なんか頑張れそうです。
- pu2pu2
- ベストアンサー率38% (590/1513)
現実にこの目で見た訳ではありませんから、本当の所は解りません。 でも、私の考えでは自殺者は成仏出来ずにさ迷うと言う事は無いと思います。 自殺者でも成仏は出来ると信じています。 成仏出来るか出来ないかは、生前その人がどの様な状況であれ、百パーセント生きたかどうかで決まるものだと、私は思っています。 質問者様の状況充分理解出来ます。 何故なら、私は持病の為三十年近く満足に働く事も出来ず、貧しい生活を余儀なくされています。 現在も持病を抱えながらの職探しの日々です。 世の中の不況で今回はいつ就職出来るのか、全く目処が立ちません。 それでも生きています。 元来楽天的な性格と言う事も有りますが、人間寿命が来るまで生きなきゃいけないんだろうなぁ‥と漠然と、かつのほほんと思っているからです。 人間その場になれば何とかなるものです。 取り敢えず息をしているだけでもいいでは有りませんか?‥ 具体的に生活に窮している様であれば、役所の福祉課や援護課に相談に訪れる等して、取り敢えずの生活だけでも確保しておきましょう。 生活の心配が緩和されれば、生きる力も多少は戻って来るでしょう。 多分、自殺者は成仏出来ないと言うのは、人が簡単に自殺に走らない様にと言う戒めで言われているだけなのでしょうが、確認する必要もないでしょうから生きていましょう‥よね。
お礼
ありがとうございます すごく理解できたような気がします。 私はまだまだですね、少し楽天的に考えるようにします。 生きていればいいことがあるかもしれませんね
- kyo-mogu
- ベストアンサー率22% (3398/15358)
現世は修行の場と考えられています。修行の途中で止めることで×を与えると考えられていますね。 自決とかとちがって、弱い意志ですから成仏出来ない。死を理解していないという考えだそうです。 実際はどうだか分かりませんが、今ある苦労はしなければ成らない事だそうです。それを乗り越えることが大切なようですよ。 宗教的な考えとかで変わるので断言できませんが、霊界の本などではそのように書かれています。
お礼
ありがとうございます。 そうですか、修行の場でいまの苦境に耐えなければならないということですか、絶えられなければ・・・ということですね。 家族との絆を戻すのが今の一番の修行かもしれまん
お礼
ありがとうございます