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スピリチュアル的に自殺とは。 首吊りや飛び降りなど自ら命を断つアクショ
スピリチュアル的に自殺とは。 首吊りや飛び降りなど自ら命を断つアクションをとらなくても、病気の診療を自らの意志で拒否し死を選んだ場合、自殺だと思いますか?
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これは非常に難しい問題だと、私は思います。 まず、大前提として考えなければならないのは、スピリチュアルという分野が一部の研究者の独占物ではないという事です。人それぞれが考えるべきものです。 で、治療というものには二つあります。一つは処置をする事で確実に命を繋ぐ事が出来る。しなければ死ぬというもの。もう一つは結果が不確実なものです。 これは病名で決まるものではありません。例えば同じ癌でも早期発見ならほぼ助かるでしょうし、後期なら後者でしょう。また、若ければ前者でも、高齢者では身体への負担が大きすぎるかもしれません。それに治療によってベッドから起き上がれなくなってしまうと言う事も有り得ます。 個人的には、管だらけになってベッドに縛りつけらる処置や単なる延命処置を受ける気はありませんし、それが自殺かといえば、私は違うと考えています。人は自立し、動けなければ活きているとは言えないからです。 あと問題は思想的な拒否です。例えば輸血拒否のような。これも、死ぬ事を望んで拒否すれば自殺だと思いますが、それが自然な流れだと考えているなら、どちらとも言えないと思います。つまり恣意的自殺と誘導的な自殺行為があり、この後者は自殺とは言えないと思います。但し、そこに導かれる事に霊的には因縁めいた関係があると私は考えていますが。 (ただ私は、某宗教の聖書の解釈は初歩的な間違いだと思いますけどね。) 結論として、私はケースバイケースだと考えます。また、自殺か否かと言う二者選択ではなく、「自殺的行為」というものもあるでしょう。例えば優等的な自殺の他に、健康を害すると判っていても暴飲暴食をやめない、昨今の「大盛りがお得」等という風潮は、代謝の高い若者相手ならいいですが、年寄り相手では自殺的行為であり、提供者は殺人的行為だと私は考えています。これもまた相対的に考えるべきものでしょう。
お礼
難しい問題でした。ありがとうございます。 ケースバイケースで、一概にいえないですね。