- ベストアンサー
自分を許せない
- 20代独身の私は、自己嫌悪感に苦しんでいます。
- 仕事をしていないことで自己嫌悪感が強く、心の中で自分を責め続けています。
- 恋人がいるにも関わらず、自分自身を愛することを許すことができず、幸せを感じることすら許されないと感じています。
- みんなの回答 (10)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
<<<湧き上がる罪悪感に逆らわずそのまま受け入れる… それは具体的にどういう意味でしょうか? その感情を放置するということですすか? 放置すると消えてくれるのでしょうか… 脳の中だけでなく、行動としてはどうしたらいいのでしょう。 今私はどう行動していいのか解らず、さまよっています。 <<<お答えします 湧き上がる罪悪感に逆らわずそのまま受け入れる… それは具体的にどういう意味でしょうか? >それは自分には、あらゆる感情を湧き上がらせている者が存在していて、その感情を起こさせる情報があり、その情報の内、嫌なものだけを嫌っている状態が今の貴方の症状を作っているという事です。言い方を替えたなら、良いものだけを感じて、いたいという貴方の『分別心』が貴方の今の症状を生み出しているという意味です。 人間が生きてゆくと言う事は、喜びにも意味があり、悲しみにも意味が在るという意味です。もっと云うならば、嫌な事も、喜ばしい事にも意味が在るということになります。貴方の今の心の状態は、良い事ばかりに意味を持とうとしている、『貴方の生きる、態度に』誤りが在るという意味があります。 <その感情を放置するということですすか? 放置すると消えてくれるのでしょうか…>> この答えは、Yes、という事になります。感情は『一過性のもの』と言えます。放置するなら消えてしまいます。大事にしているから大きなものになります。不安を大事にして、心から追い出そうとする事がパニック障害になっています。今の精神医学は間違った事を教えています。 心は『安心を求める事から、不安になってしまいます』安心を求めなくなった時に、本当の安心が訪れます。言い方を替えたなら『安心を求める心が、不安を作っている』と言う意味が在ります。 <<脳の中だけでなく、行動としてはどうしたらいいのでしょう。 今私はどう行動していいのか解らず、さまよっています。 お答えします。行動としては、『多分、貴方の描いているものとは逆になるかもしれませんが』普通の心になる、或いは安心できる生活を望む事を捨てる、と言う事です。すなわち、自分の心の在り方を全て『忘れる』という事になります。安心出来たら生活を見直す、と言う事ではなくて、普通の生活の中に活路を見出すと言う事です。 ただ、何気ない生活の中に、貴方の本当の幸福が在ることを見出すと言う事です。このままで何も不足するものがなかった事に、貴方が気が付くだけです。『心に湧き上がる感情、言い方を替えたなら、湧き上がる雑念に振り回されなくなる』と言う貴方の心の成長を見守ってゆくと言う事です。 どう行動してゆくのか?という事は簡単です。湧き上がる心のうち、何を大事にしてゆくのかは『貴方が一番知っています』この事は誰も貴方には教える事は出来ません。貴方が素直に自分を見つめる、そうして、人生は一回しかない事に、想いを寄せる事です。 この一回しかない人生を、誰の為に、どう生きるのかは、貴方にしか決めることは出来ません。ただ今の貴方は、『今出来る事を、必要に応じて』やって行く他には在りません。やるべき事と、やってはいけない事は、本当は貴方が一番知っています。
その他の回答 (9)
参考にしてみたらどうかな。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5748521.html
- mdh57
- ベストアンサー率25% (7/27)
誰でも、一度は、多少の差はあっても、そのような経験をしていると思います。 でも、時間がかかりますが 「あせらず」、「あきらめず」にいれば、自然に治りますので安心してください。 私の知人の中で、最もうつの治癒が早かった人の方法を紹介します。 「宗教なんていやだ」と思わずに、是非、一度読んでみてください。 (以下、私の勉強した範囲内で恐縮ですが、ご参考になれば幸いです) 仏教の始まり(約3千年前)、釈迦が仮導の教えで「地獄」や「閻魔」などを説きましたが、それは実在する場所や人物ではなく、「方便(比喩)」です。 釈迦は説法50年間のうち、まず42年間かけて「爾前教(現在の真言・浄土宗など法華経以外の仏教)」を説き、後の8年間で、爾前教を仮の教えとして、釈迦自身が否定し、「法華経28品(後半14品が重要で、「法華経本門」といいます)」を説きます。 しかし、その「法華経本門」も、釈迦の死後2000年(正法・像法)で効力を失い、現在の「末法」という時代では、釈迦仏法を信仰しても効力はないと、釈迦自身が仏典の最後に記しています。 そして、釈迦が「文底秘沈」した(明らかにしなかった)「法華経文底独一本門」(無神論)が末法で信仰すべき仏法だと教えています。 仏法では、魂(命)は「有る」わけでもなく、「無い」わけでもない、「空(くう)」と表現されます。死後、命は、「霊魂」としてふわふわ存在するのではなく、死後は「冥伏」といい、生時は「顕現」といいます。肉体と魂は別々ではないのですが、「肉体」イコール「魂」でもないです。 簡単に言うと「起きている状態が生」、「寝ている状態が死」です。つまり「無始無終」といい「生命は永遠」ということです。 過去世の生命境涯や行いにより、現世の生命境涯(十界論をご参考になってください)がありますが、「定業」と「不定業」があり、自身の内の境涯変換(仏界涌現により)、定業(決定している宿業)でも「宿業(宿命)転換」が可能です。 また「成仏(仏)」とは「仏界をひらく」ということで、死んだ人のことではありません。(もし、死んで仏になれるのなら、早く死んだ方がいいということになってしまいます。) また、「地獄」という場所は、どこにも存在しませんが、例えば、戦地に生まれるなどの境涯を「地獄」に例えているのです。それと同様、「閻魔」という人物は存在しませんが、自分自身の中の悪い生命境涯や、自分の境涯を狂わす働きのことを「閻魔」に例えているのです。簡単に例えると、テロリストの子として生まれ、出生時から洗脳され、自分もテロリストになって、人殺しをしてしまう、等々が、これにあたります。 私事で恐縮ですが・・・ 私は、その「法華経文底独一本門(無神論)」を信仰をしています。 これは、10年間かけて勉強と経験を積み重ねて出した結論です。 自身の生命の内側に全て備わっていて、それを引き出すというもので、どこかに、神様や仏様がいるというのを否定している、無神論の教えです。(自身の仏界を引き出すことが重要で、外にはなく、生命に内在しています) 私は、前半は、外道(キリスト教や神道などの有神論)と、仏教「爾前教」(日本人が仏教だと思っている教え)を学び、後半で法華経を学び、最終的に文底独一本門(無神論)にたどりつきました。そして、邪宗や占い師など、(もちろんカルトも)信じたり、それらにお金を出すのも誤りだと気づきました。 10年かけて、しっかり宗教比較学を勉強してきたので、他の人より少しは詳しいです(まだまだ勉強不足ですが)少しでもお役に立てれば嬉しいです。 ここで詳しく説明したいのですが、理解するのに早い人でも2~3年かかる事なので、ここでは省略します。申し訳ございません。
- tumaritou1
- ベストアンサー率28% (260/913)
再度書いてみます。 ”今私はどう行動していいのか解らず、さまよっています。” と言う事ですが、仕事が出来難い状態であるなら、見の回りの事から始めた方が良いと思います。お茶を飲んだら茶碗を洗うということからです。ご飯を食べたら茶碗を洗う、風呂に入ったら自分の物は洗濯をするという具合に、やるべき事をやれる順から手をつけてゆくということです。体を使って生きるという事が大事になります。 体を使っていく生活で、心は開放する筈です。夢中になれるものを見つける事は大事な事です。夢中になって『我を忘れる時に』症状も忘れるはずです。症状が在ることを忘れる機会がだんだん増えてきます。症状が気にならなくなります。全く忘れていたとしても、症状は本当はあります。只ある事を感じるだけとなります。 症状は本当は生きる為には必要な事がわかります。生きてゆくための必要な情報を、只受け取ろうとしなかった事が分かります。良い事も悪い事も、分け隔てしないで受け取る事が出来た時に、本当の人生が始まります。辛い気持ちは貴方の人間性が深いためです。乗り越えた時には、沢山の人の苦悩が分かります。言い方を替えたなら、沢山の人と心の交流が出来ると言う事です。今はその準備期間という事になります。
お礼
夢中になれるものを見つけてみます。 今は考える時間がありすぎて、余計に考えてばかり居るのだと思います。 感情に善悪をつけず受け止めていこうと思います。 どんな感情も大切なメッセージですよね。 自分を信じて歩んでみたいと思います 有難うございます
- tumaritou1
- ベストアンサー率28% (260/913)
>>湧き上がってきた感情を感じ続け、そこに何も手を下さずにその感情とともに過ごし、苦しくてもその感情を見続けることを言っているのでしょうか? と言う事が大事になります。この事が出来た時に貴方は今の状態から完全に脱する事が出来ます。この事が分かる事が『自分自身を知る』つまり悟りを開くという事になります。症状を心から受け入れる事が出来た時が完治となります。 自分自身を働かせていたものと出会うという事です。自分の感情をわかせていた者、つまり右脳に在る無意識の意識です。お釈迦様が『仏性』といっていたものです。お釈迦の教えは究極の心の癒しの心理療法です。人生における全ての苦悩からの救いという意味になります。
お礼
色々とどうも有難うございます。 自分から沸き起こる感情から逃げずに向き合い続けてみたいと思います。 その感情をジャッジせず、ただ受け入れる。 向き合い続けたいと思います
- toshichan-
- ベストアンサー率43% (145/337)
うつ歴7年、自殺未遂1回、三度の入退院を繰り返し、現在通院中です。 まず注意を一言。 うつは自分を責め、自殺、自分を死に追いやる怖ろしい病です。 絶対自殺しないとまずは決めてください。 みなさん難しいこと書いているので、 体験者の立場から簡単にお話します。 車に例えると、今あなたは心のバッテリーが切れちゃっているんです。 だから、エンジンかからないし意欲もなくなるし、悲観的になるのね。 当然前には進めないの。 じゃあどうしたらいいかというと、心のバッテリーを充電したらいいの。 でもね、身体のバッテリーは一晩寝たら充電完了なんだけど、 心のバッテリーは充電されるのに相当時間がかかるのが難点なのね。 それで、精神科受診して、ちゃんとした病院なら急性期病棟があるから、 そこに3ヶ月くらい入院して、何もしないで休んじゃうの。 急性期病棟はいいよ。スタッフたくさん居るし、悩み事聞いてくれるし、 本当にいい病院は、「ご飯も出てくるし、何もしないでゴロゴロ、 それでいいんだよ」ってナースが声かけに来てくれたりするよ? そうしてゆっくりゆっくり心のバッテリーが充電されてくるのを待つの。 焦っちゃダメだよ。 ある程度充電されてきたら、意欲も出てくるよ。 ~療法やカウンセリングはそれから受けようね。医師が必要と判断したら。 今の状態で~療法やカウンセリング受けても返って混乱し、落ち込むだけだよ。 医者との相性も大きく関係するから、 合わなかったら主治医変えてもらってもいいんだよ? とにかく焦らないでゆっくり、心の充電させようネ。 いろいろ情報もってるし、自殺未遂まで体験してるから 必要ならいつでも質問くださいネ。 今の状況で出来ることアドバイスできますよ。 いっぺんにあれこれ出来ないし、考えられないからね。
補足
ご経験からお話してくださり有難うございます。 >絶対自殺しないとまずは決めてください。 はい。これだけは、この道だけは選ばないと誓います。 >車に例えると、今あなたは心のバッテリーが切れちゃっているんです。 だから、エンジンかからないし意欲もなくなるし、悲観的になるのね。 当然前には進めないの。 仰る通りです… そうかもしれません。完全にバッテリー切れています。 切れて居るのにエンジンを何度もかけようとして、充電どころか、余計にバッテリー自体も壊れ出しているように思います。 切れたバッテリーを何度も蹴って動かそうとしている状態です。 充電することって大事なのですね。 充電している自分は甘えているように思えて許せないのです。 だから充電切れのバッテリーを無理にでも動かさなくてはいけない衝動に陥ってます。 それと、今の自分を他人に知られたくないのです。 もっと何事にも頑張っている、生き生きしている自分が私は大好きでした。 だから、そうじゃない自分を他人には絶対見せたくないのです。 誰も私に理想などおしつけてないのに… 他人から見られる自分だけを意識して生きてます。 他人からどう思われているか…それが一番気になってしまう。 他人に否定されたりバカにされたり、けなされたり、陰口言われたり、もうあの感情を二度と体験したくないという気持ちがそうさせているのだと思います。
- bananan-kun
- ベストアンサー率41% (25/60)
私も同じような考えです(アラフォー PTSD中) 最近これじゃいかんとおなじく脱する方法を模索中。 私が最近自分を脱しようということで、いろんなサイトみていて、自分にぴったりなたどりついた携帯サイトがありました まずは、自分の滞在意識を登録するので、自分の性格むけの診断をしてくれてます。こういうのお嫌いでなければなんですけどね 携帯機種によりURLが違うとおもうので、「香山リカココロセラピー」で検索してみてください。 (月額315円) 心理療法士だったかな?なんかそういう方のサイトですので、気持ちをプラスにするヒントがたくさんです。占いを探していてたどりついたんですけどね、なかなかお気にいりのサイトです
お礼
ありがとうございます
- tumaritou1
- ベストアンサー率28% (260/913)
人間は『意識』する自分と、『無意識に入っている』自分と二人存在しています。優勝が掛かった一打を打つ時に『意識して』打つか、或いは『意識をしないで』打てるのかで、状況は違ってきます。 只、歩く事にでも云えます。野原で誰も見ていない時には、自由にのびのびと歩く事が出来ています。人前で大勢が見ている前を歩く時はどうでしょうか?『意識』が前面に出て、意識が歩くようになっています。無意識に入れなくなっています。 貴方は、今書いた事を何時も思っていて、自分は罪の意識にさいなまれていると感じているようですが、自分の心の状態を忘れた時には、貴方は『幸せな気持ちに』なれている事も有ると思います。 人間の心は誰でも同じに出来ています。処が貴方の今の状態は、今までの貴方の状態とは違っています。子供の時には幸せな気持ちで生きていたと思います。今の状態と子供の時の違いを書いてみますので参考にして下さい。 人間の脳は生まれた時は未熟です、成長する事で、だんだん大人の脳になってきます。この事が貴方の罪悪感と関係しています。聖書の話をしますが、決して貴方に宗教を薦めるつもりではありません。人間の苦しみが何処から来て、どのように先人達がこの苦しみから解放されたのかを、貴方に理解してもらいたいと思うからです。 聖書では天国という楽園が出てきます。この天国に一番近い存在は『幼子』という風に書いてあります。その反対が『失楽園』という事になります。つまり知恵をつけたために天国から追放されたという話です。この事と貴方の感じる『罪悪感』は繋がっています。この苦しみの事をキリスト教では『原罪』という風に呼んでいます。 仏教でも同じくなっています。人間には『業』というものが有って、人間の心を苦しめている、という意味合いです。 人間が大人になるに連れて、知恵が付いて来ると言う事は、脳の成長に関係してきます。つまり脳の成長が完成に近くなるという意味は、脳の機能分化が完成に近くなるという意味になります。脳の機能分化に関係した文献を少し載せてみます。 ロジャースペリー 分離脳 ノーベル賞受賞者 受賞年:1981年 受賞部門:ノーベル生理学・医学賞 受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究 ロジャー・ウォルコット・スペリー(Roger Wolcott Sperry、1913年8月20日 - 1994年4月17日)はアメリカ合衆国の神経心理学者。デイヴィッド・ヒューベル、トルステン・ウィーセルとともに、1981年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。1989年にはアメリカ国家科学賞(行動・社会科学部門)を受賞している。 コネチカット州ハートフォードにて生まれ、西ハートフォードにて育つ。11歳のとき、父親が死去。オベリン大学に通い、1935年に英語の学士号を取得、1937年に心理学の修士号を取得した。1941年にポール・ワイスの指導の下シカゴ大学より動物学のPh.D.を取得。その後ハーバード大学の心理学者カール・ラシュレーのもとで研究を行った。 スペリーの実験以前には、いくつかの研究結果から大脳の大部分は分化しておらず、代替可能と考えられていた(例:ラシュレーの等能説、量作用説)。彼は初期の実験でこれが誤りであること、すなわち発達期を過ぎると脳の神経回路がほぼ固定化することを示した。 ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球がそれぞれ独立した意識を持っていることを実証した。 この事と聖書に在る『失楽園』が関係しています。そうして貴方の罪悪感とも関係してきます。詳しく説明してみます。 脳の機能分化が完成に近くなる事で、一人の人間には二人の人格が存在してくるという意味です。自我意識は顕在意識です。いわゆる自我意識です。もう一つの人格とは、先に書いたものです。自我意識が出ない時に、自分を働かせている者です。人間が『意識』をした時にはうまくゆかない場合が多くなります。その際たるものが精神疾患です。 オリンピック等でも云える事ですが、優勝を飾る事が出来る選手達に共通している事があります。困難な状況や、大きな期待感などの中で『いかに自我意識が出ないように』演技や競技が出来るのかという事です。自我意識が出ないという事は、『いかに、無意識の自分に任せていられるのか』という事になります。 自我意識の人格と、無意識を統率している人格が、一人の人間には二つ同居しているということになります。この事が判りにくい事から、精神疾患の原因が特定でき難く、又完治が出来難くなっています。 自我意識はスペリー博士の研究からいうならば『左脳』に存在する意識です。その機能は世の中を論理的に割り切って行くと言う機能です。つまり計画的に物事を進めて行こうとする事です。悪い言い方をするなら、出来るか出来ないかもわからないのに計画を立てて進めてゆこうとする事です。悪いと言った意味は『誰も明日の事は分からない』という視点が欠けている点です。 この事を不安ともしないで人間が前に進む事が出来るのは、右脳の機能からです。右脳には言葉がありません。物事を割り切ってゆくという機能は持ち合わせてはいません。無分別という機能が備わっています。この機能とは、割り切れないもので出来ていると言う事になります。割り切れない事を『無限』と呼んでいます。言い方を替えたなら『永遠』で出来ていると言う事になります。 人生は気が付くと『孤独』で出来ているはずです。ですが、一人で暮らしていても孤独ではない人も大勢存在しています。そういう人は『無意識の意識』と仲良く出来ている事になります。 今の貴方の場合には、自我意識が出て、自我意識が引っ込めなくなった状態という事になります。自我意識が引っ込んだ状態と言う事は、『自分を忘れた状態』という事になります。つまり「無心で」何かをやることを忘れた状態という事になります。その為には自分の心の状態に右往左往しない人間になるという意味です。 脳の機能から云うならば、貴方の考えは今『左脳の機能を使って』考えていると言う事です。左脳の機能は論理的なことが専門です。感情の調節や、体の調節や、ホルモンの調節等は、自我意識の機能にはなっていないという意味です。その出来ない事、或いは解けない問題を、出来ない方の脳で取り組んでいると言う事になります。 この事で貴方の心は、堂々巡りをしているはずです。悪循環に入って出口が見えなくなっているはずです。この事を解決するためのアドバイスです。 貴方に湧き上がる『心の違和感、罪悪感』等は全て貴方が発信しています。もう一人の貴方の情報です。貴方に良くなって貰いたいと言うアピールです。貴方の不安は『貴方の安心できる者からの』良い情報です。 心に感じる『違和感や、罪悪感』とは本当は自分にとっての有益な情報です。ただ、分からない事から『嫌ってしまっている』だけです。湧き上がる感情は『もう一つの意識が』自分に任せてもらいたいというアピールです。自分に任せてもらいたいと言う事は、「もっと無意識の自分に任せてもらいたい」という事です。 その為には、症状を受け入れて行くという事になります。その為には湧き上がる感情を感ずるままに、受けて入れてゆくという事になります。湧き上がる感情をそのまま受け入れてゆくという事です。湧き上がる感情に逆らわない事です。 そうして自分の、湧き上がる感情に左右されない人間性が出来てきます。自分の感情に左右されなくなった時点で、自分と無意識は仲直りが出来てきます。湧き上がった感情を嫌って『心から追い出そうとしているために』無意識が、自分の心を圧迫しています。この圧迫を悪いものと『勘違いする事で』『心の矛盾が』解消できなくなっています。 精神疾患とは生きてゆく事や、死んでゆく事や人生そのものを不安に感じているという背景があります。ですが『本当は。自分の中の自分の助けを断っている状態が』不安をかもし出しています。 自分の症状を受け入れる、或いは自分を受け入れる、或いは世の中を受け入れた時に全てが好転します。うまく書けなくなりました。具体的に聞きたい事が在るなら、云ってください。書いてみたいと思います。
お礼
>そうして自分の、湧き上がる感情に左右されない人間性が出来てきます。自分の感情に左右されなくなった時点で、自分と無意識は仲直りが出来てきます。湧き上がった感情を嫌って『心から追い出そうとしているために』無意識が、自分の心を圧迫しています。この圧迫を悪いものと『勘違いする事で』『心の矛盾が』解消できなくなっています。 この言葉には非常に驚きました。 そして深いものを感じ、何か理解出来た気がします。 教えて下さり本当にありがとうございます!!!
補足
少し聞いてもいいですか? 湧き上がる罪悪感に逆らわずそのまま受け入れる… それは具体的にどういう意味でしょうか? その感情を放置するということですすか? 放置すると消えてくれるのでしょうか… 脳の中だけでなく、行動としてはどうしたらいいのでしょう。 今私はどう行動していいのか解らず、さまよっています。
そういう気持ちから脱したいのだったら、その関連から来たものを一切拒否し全然関係の無い自分の人生を行く事です。 たとえそれが善悪どちらの方からだったとしても、その関連から来たものや来た人を それをきっかけにして関わっておきながら、その後の事の批判をしていること自体が間違っています。 それが何処から来たものなのかよく見極めて、他とは関係なく自分本来の人生を行くことです。 自分で選んだ自分の人生を人のせいにしないようにしてください。
お礼
新しい方向からの考え方で、これもまたとても良いご意見有難うございます。 今の自分のたどり着いた場所は自分で選んだ道なのですよね。 つまり、この先も自分で選ぶ権利があるということ、あらためて考えてみたいと思います。 もしかしたら今も何かのレールに乗って生きているのかもしれません。 自分の足で歩く大切さを改めて感じさせられました。
- miffy-mama
- ベストアンサー率54% (20/37)
現在休職中ということですから、医療機関へは通っていらっしゃいますよね? もしまだ病院へ行っていないということであれば、まずは治療を受けられることをお勧めします。 しばらく投薬、カウンセリングを受けるとすこし気持ちに余裕が生まれてくるかと思います。 考え方を変えるのはそれからでも遅くないですよ。 私も自分を追い詰めるような考え方に囚われ、 自分なんていなくていい、いない方が迷惑をかけない、といつも思う日々が続いたことがありました。 今でも体調によって非常に落ち込むことがあります。 一つの考え方として、人のために何かをすることで自分の罪悪感を和らげることが出来るかと思います。 本来ならばあなたは両親や恋人から大切にされていることに何の罪悪感も持つ必要は無いんです。 でもそんなことを言われてもそう思えないから苦しいんですよね? それならば、大切に思ってもらえた分だけ自分が相手を大切にすれば対等ではないですか? もしかするとかえって身近な人のほうが難しいかもしれませんので、 ボランティアのようなものに参加してみるとか。 賃金という形での対価ではなく、感謝という形での対価をもらうことで 人から感謝されたり大切にされることへの抵抗感が少なくなるかもしれません。 こんなことは対等とか対価とかを求めるものではないんですけど、 今の苦しい考え方の渦に巻き込まれている状態からは抜け出せるかもしれません。 このくらいのアドバイスですが、何かの助けになれば幸いです。
お礼
これは考えても居なかった考え方でした。 凄く嬉しいです。 賃金という形でしか何も出来ないと思っていましたが、自分が何かを誰かのためにするということで自分の気持ちが少し和らぐかもしれないというのは確かにありそうです。 完全に抜け出せなくても少しでも気持ちの安定には繋がりそうな気がしました。
お礼
すみません。訂正です。 対人不安×→人間不信○
補足
有難うございます。 言葉にならないほど、自分の心の中を解って頂けて驚きの気持ちで一杯です。 そしてすべての言葉に妙に納得を感じている自分がいます。 >良いものだけを感じて、いたいという貴方の『分別心』が貴方の今の症状を生み出しているという意味です 仰る通りです。今の私の心はこの状態に非常に当てはまっているのです。 >心は『安心を求める事から、不安になってしまいます』 私は安心を求めているのだと思います。不安な感情を悪とみなし、不安がある状態を脱することだけに全力を尽くしています。その脱しようとする強い感情が余計にその感情を増幅させているのですよね。 >感情は『一過性のもの』と言えます。放置するなら消えてしまいます 湧き上がる不安な感情を放置する…という意味をまだ上手に消化出来てません。 湧き上がってきた感情を「無視」するのでしょうか?他のことを考えて、その不安感情を他の考えで逸らしていくことでしょうか? それとも、湧き上がってきた感情を感じ続け、そこに何も手を下さずにその感情とともに過ごし、苦しくてもその感情を見続けることを言っているのでしょうか? 色々聞いてしまいすみません。 >やるべき事と、やってはいけない事は、本当は貴方が一番知っています 今素直に感じることは、私は仕事をしなければいけないという感情です。 仕事をしない自分は最低であり、怠け者に感じ、情けなく意気地なしであると責めてます。 その反面、うつ症状から仕事をすることに対人不安があり、仕事をすることに踏み出せないというこの双方の感情でのジレンマに陥ってます。 しかし仕事をしないことで、自分は誰からも愛されない愛される権利の無い人間だと思ってしまっています。 仕事をしている=愛される人間 というわけではないはずですが、なぜか今の私にはこの方程式が出来て居るのです。 ゆえに、恋人が私を愛してくれていることに罪悪感を感じ続けてます。 (彼氏は私が今仕事をしていないことを知りません。周りの友人にも行ってません。知っているのは家族だけです) こんな愛される価値も権利も無い自分が愛されてしまっているという罪悪感です。 この罪悪感を拭うためには仕事をするしか今の自分の気持ちに納得がつかず、解決が無いような気がしてます。 でも出来ない…この繰り返しの感情です。 私の周りの人間、彼氏や友達、家族はとても温かい人であり、決して仕事云々で人を判断したり、細かいことを言う人ではないのですが、自分自身がそういう自分を軽蔑しています。 だから、そういう自分を責めています。 取りとめのない文章ですみません。