- ベストアンサー
自律神経失調症の治癒と体の不都合について
- 体に支障がある際の自律神経失調症の治癒について悩んでいます。捻挫後遺症で左足が痛く、歩行が困難です。また、自律神経失調症と鬱も悩みの種です。足の治療法に不安があり、日常的に不安定な気持ちで過ごしています。
- 治る可能性もあるけれど、治らない可能性もある足の痛みと、自律神経失調症に悩まされています。治療や運動をしているものの、不安定な気持ちが続き、焦りも感じています。治療を長い目で続ける必要があり、自分を受け入れつつ向き合いたいと思っています。
- 自律神経失調症と足の痛みによる日常的な不安と焦りに苦しみながらも、幸せを掴むために積極的に過ごしたいです。彼氏を作ることや、自分をさらけ出すことにも不安を感じていますが、今年は諦めずに挑戦していきたいと思っています。
- みんなの回答 (1)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
自律神経失調症という事も、鬱という事も、同じ原因が在ると思います、それは生きる事の不安から起きていると思います。誰でもが或る不安を抱えて生きていますが、貴方の場合には、その原因を生きる事の不安から抱えていると思えます。 それは自分自身との戦いという風にして、貴方は自分と向き合っていると言う意味です。自分自身の中には現状を諦めの中にも肯定的にしかも明るく見つめている自分が存在しています。貴方の苦しさはその肯定している者を否定している事です。 誰の心も同じに出来ています。肯定する自分と否定する自分が同居していると言う意味です。つまり人間の心は「矛盾」に満ちていると言う意味になります。つまり心の矛盾を貴方は今、自律神経失調症と鬱と言う形で、言い方を替えたなら「生き難いという想いで」受け取っていると言う事になります。 この生き難い想いの解消が「人生における救い」と言う事になります。この事をキリスト教では「神に会って和解せよ」と言っています。仏教では、他力本願であれば「阿弥陀様に救い上げられる」自力本願であれば「生死の問題を解決する」と言う自分自身を知る。つまり見性する事、言い方を替えたなら、悟りを開く、と言う事になります。 つまり自分の性を見ると言う事になります。自我意識に対して矛盾しているもう一つの意識を、知ると言う事になります。難しく考えないで下さい。分かる時が来たら分かります。今は只私が、書いてゆく事を読み流すくらいで良いと思います。 生きる事を「一切皆苦」と言う事にして、お釈迦様は修行に入ったと言う事です。この一切皆苦という事は、精神疾患のことという風にしてみた場合に貴方は、分かると思います。貴方が意識している間の心の苦しさの事です。心が分からない者から圧迫を受けていると言う苦しさ、或いは生き難い想いの事です。 この生き難い想いからの開放が、仏教の根本をなしています。もっと云うならば「宗教」の根本をなしています。と言っても、貴方に宗教を進める気があるわけではありません。人間と言うものが古今東西「心の矛盾」に苦しんでいると言う事を理解していただきたいと思っただけです。 さて長くなってきましたので、具体的な貴方へのアドバイスをしたいと思います。アドバイスは幾つか在ります。 一つは貴方が嫌っている事を無理に受け入れようとしている態度です。もっと自然に受け入れてゆく事です。それはわきあがる感情を「只受け流す事」を学ぶと言う事になります。湧き上がる感情に一喜一憂しないようにすると言う態度です。気分の浮き沈みを問題としない態度を学ぶと言う事です。良くても喜び過ぎない、悪くても落ち込みすぎない事から始める事が、良いと思います。自分の感情に自分が流されなくなった時に鬱は何処にいったか分からなくなっています。 一つは貴方が「人間は如何して苦しむのか」という事を学ぶ事です。自分を含めて世界中で今苦しんでいる人が沢山存在している事、その訳を学ぶ事です。この中に貴方が求めている答えが存在しているからです。自分の不安も、安心も人から学ぶ事が出来ないからです。 今言ったことを学ぶ中に、貴方の救いは在ります。答えは「全てを受け入れる事です。」言い方を替えたなら、このままで救われていた事が分かる時に。分かります。もっと云うならば「人生に救いは無かった」と知る事が救いと言う事になります。この事が絶対肯定と言う事になります。絶対の安心とは全てを受け入れる中に存在しています。
お礼
お返事が遅れて申し訳ありません。 書き込みありがとうございます。 おっしゃるとうり、毎日がいきていくことに対して不安です。 治る可能性と、治らないかもしれないという不安で揺れ動いています。 私の中にあきらめというか、うけいれなくてはという気持ちは多少あります。でも本音は諦めたくありません。 まさに肯定と否定が混ざり合ってます。 悟りですか。。。難しいですね>< わかるときがきたらわかるとはカウンセラーにも言われました。 時間がかかりそうです。。。 一切皆苦、、私のこの状態も修行の1つということでしょうか。 >一つは貴方が嫌っている事を無理に受け入れようとしている態度です。もっと自然に受け入れてゆく事です。それはわきあがる感情を「只受け流す事」を学ぶと言う事になります。湧き上がる感情に一喜一憂しないようにすると言う態度です。気分の浮き沈みを問題としない態度を学ぶと言う事です。良くても喜び過ぎない、悪くても落ち込みすぎない事から始める事が、良いと思います。自分の感情に自分が流されなくなった時に鬱は何処にいったか分からなくなっています。 無というか、凪で常にいるということでしょうか。感情に引きずられる わたしには難儀ですね。 >一つは貴方が「人間は如何して苦しむのか」という事を学ぶ事です。自分を含めて世界中で今苦しんでいる人が沢山存在している事、その訳を学ぶ事です。この中に貴方が求めている答えが存在しているからです。自分の不安も、安心も人から学ぶ事が出来ないからです。とい 難しい問いですね。 世界の人々が苦しんでいる理由、、、 なんでしょう。なんでこんなに不公平なのでしょう。。 これは本当に悟りの世界なのですね、要は、、、 絶対肯定、、いつかたどりつきたいです。 仕事をしながら、ずっと考えてました。 世界の人が、私がくるしんでいる理由はなんだろうと、、 難しいです、この問いは、、、 私が今苦労している訳は、世界の人が苦しんでる訳は何だろう。