• 締切済み

人生とは

最近思ったんですが、生きている上で起こる様々なことは、どんなに辛いと思っていても楽しいと思っていても、結局自分がそう思っているだけにすぎないと気付きました。 自分が楽しいと思う事をやっていても頭では空しいというだけです。 全てが幻想のこの世に、人は何のために生まれてきたのか。 よくある話だと永遠の生命を得るためだとか魂の成長だとか次世代の宇宙を作るためだとか言われてますが、そんなことを認識することは不可能です。 こんな質問してもそれこそ無意味だとは思いますが 人生についての皆様の考えをお聞かせください。

みんなの回答

回答No.9

人生とは何かと考える貴方の心は、きっと満たされていないのでしょうね。 人生は考えるものではなく、体験していくものでは・・・? こうして悩んで考えてる今も人生なんですよ。 宇宙規模から見ると、人間の一生なんて僅か数秒だそうですよ。 答えが出ないことを考えても考えなくても時間はどんどん過ぎていくのです。 人生をたまに哲学するのもいいけど、日常生活で何か感動することや 夢中になって何かを成し遂げてみるとか、いい意味で頭を空っぽにする ことも必要じゃないかと思います。

  • IXTYS
  • ベストアンサー率30% (965/3197)
回答No.8

>結局自分がそう思っているだけにすぎないと気付きました。 あなたはとても良いところに気づいておられますね。 初めまして、私は間もなく古稀(こき、70才♂)です。 間もなく待合室で名前を呼ばれ、次の旅へ出ます。 あなたも本質的には私と同じ。  全ての人はその時間の三分の二は何かを探しているそうです。 人生って何だ? これって『Who am I ?』と何らかわらない。 アインシュタイン先生が『相対性理論』をわかりやすくするために次のお話を。  『あなたの可愛い孫娘があなたの膝に乗っていてくれる時間は30分でも、5秒くらいにしか感じない。 ところが誤って真っ赤に燃えているだるまストーブに腰掛けてしまったら、たとえ1秒でも一生くらい長く感じるものですね~』 感じ方は状況次第で大きく違って来る。 万事は相対的なものだといいたかったのです。  あなたの認識眼も大きく変動します。 環境の産物に過ぎない。 違いますか? >自分が楽しいと思う事をやっていても頭では空しいというだけです。 あなたは本当に正直な方です。 快楽自体が目的にはなりえないと気がついたあなたは凄い。 同じく、お金そのものも目的にはなれない。 権力も名声も。  ヘミングウェーの『老人と海』 ご存じでしょう。 老人が巨大なエイと格闘し、釣り上げた時には骨だけになっていた。 この『エイ』があなたの人生の目的と置き換えれば話はわかりやすい。  《結論》あなたはどこから来て、どこへ行かれますか?(クオバディス・ドミニ?) 私は信仰を待って天国へ参ります。 ご一緒にいかがですか? 

lhglhggl
質問者

お礼

ですね。明日死のうが一万年後死のうが、僕にいわせればそれがどうしたですね。 人間はある現象に対して、それぞれの価値観で勝手に対応しており、極端な話、殺人が善と捉えられる文化があればそれは善となり、奉仕活動が悪ならば悪となります。たしかに相対的ですね。 富、名声、力はしがみついてる人多いですけど、意味ないですよねー 所詮は結果的に得た現象というだけで。ちょうどゲーム内でレベルアップしてパラメーターが上昇した感じですよね。 思ったんですが、人生の目的って死ぬことかもしれませんね。 回答感謝します

  • sos5
  • ベストアンサー率46% (54/117)
回答No.7

自分も生きる意味って何だろ?って考える時があります。 でも、誰かが言っていまのですが、生きる意味や産まれた意味っていうのは、死ぬ直前に考え気がつくものだって。 何となく、自分はその考えに共感しています。

lhglhggl
質問者

お礼

奇遇ですねw >生きる意味や産まれた意味っていうのは、死ぬ直前に考え気がつくものだって そんな考えもあるんですね。 僕は今はこんな考えですが、それでも人生捨てたモンじゃないと思いたいです。 回答ありがとうございます

回答No.6

再度、回答です。 あらゆる諸存在が個人的に構想された識でしかないのならば、それら諸存在は主観的な虚構であり客観的存在ではない。それら諸存在は無常であり、生滅を繰り返して最終的に過去に消えてしまうであろう。即ち、それら諸存在(色)は「空」であり、実体のないものである(色即是空)。 くわしくはWikiでも書いてあるので、以下のリンクにて確認してみてください。 わけが判らなくなり、そういう悩みも馬鹿らしくなるかもしれません。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E8%AD%98 上のリンクの説明の文言をみれば、あなたの考えている事も決して的外れではなく、高尚な事なのかも知れません。 その物事を客観的に見ることが出来る力を何かに役立てればと願います。

lhglhggl
質問者

お礼

下の回答と兼ねてコメントします。 仏教はかなり理にかなっていますよね 有名な科学者とかも絶賛しているようですし 僕の考えもベースはこれです 要約すると適当に生きればいいということですか それもそうだと思いますね 回答ありがとうございます

回答No.5

人生に意味を持たせるかどうかは、本人の志ひとつです。 確かに人生なんて、短いもので、昨日見た夢も少し前の幸せな日々も、過ぎてしまえばあれは現実だったのかゆめだったのかと言うレベルです。 どちらも脳で書き込む記憶なので、判らなくなる人もいるでしょう。 仏教には刹那と言う時間の概念があるそうです。 時間の長さは70分の1秒くらいが刹那にあたるそうです。 その1刹那の間に生と死をくりかえす考え方があるようです。 仏教の生まれたインドは天文学にも長けているのも考慮してそれがどう言う意味をなすのか考えてみました。 私たちの住む太陽系は太陽の周りを幾つもの惑星が規則的に回転しながら漂っています。 これは、私たちの体の中などの、原子や電子の形ににているのです。 つまり太陽系のようなものの集まりが銀河ならば、細胞は銀河で、あなたの体は宇宙そのものであり、あなたの体の外には、別人という別の宇宙があるのです。 あなたの体のなかの細胞の中の、更にその中の原子や電子、遺伝子などの中で、何十億もの命が生活を営み、その刹那の時間の中で沢山の生と死が繰り返されている。 当然そのなかでの時間は、あなたの住む銀河に比べて極端に短い時間になります。 そう考えると世の中というのは、本当に短く、私たちの宇宙のそとの更に大きな世界からしたら、私たちの一生なんて刹那以下かも知れません。 あなたが生まれてきたのが宇宙の摂理ならば、自ら命をたつと、その摂理に一石を投じることになり、そう言った事で、あなたの体内の宇宙の時間は主滅し、自分だけでなく、数え切れないほどの生死に影響を与えることになりかねません。 質問からしたら、回答が少々飛躍してしまいましたが、人生は所詮短く、幻想だという事間違いではありませんが、どうせ生きてきたなら、寿命が来るまで、摂理に従い、意味とか考えずに人生をまっとうしましょうと言う事です。 そして、どうせ生を受けているのであれば、無限の宇宙に対抗せず、楽な気持ちで楽しみましょうと言うことです。 あなたがどんなに悩んでも考えても、あなたも大きな宇宙のなかの小さな命でしかない。悩めば尽きないのは明白です。 たとえ誰かがしんでも、悲しまれる期間にも限りがあり、いずれ記憶から消えていきます。 たとえ歴史に名を残しても、地球が消滅すれば、それもなくなります。 それも、あなたの体の新陳代謝で細胞が消えるのとおなじと考えれば、曼荼羅の模様はそう言ったもの全体を現しているのかも知れません。 わけのわからない事を言う人と思われると思いますが(笑い) 要は、ちっちゃい事は気にすんなーっていう事です。

  • ucok
  • ベストアンサー率37% (4288/11421)
回答No.4

プロフィールを拝見しましたが、面白い達観の仕方をしていらっしゃいますね。なかなかポジティヴです。 さて、私は全ての幻想をフルに楽しむようにしています。生まれた理由が明確でないからこそ、それを探究できるのだと思っています。何も感じなければそのままやりすごせるところを、楽しいと自分が思って楽しんだり、辛いと自分が思って辛く感じたり、刺激を受けるたびに、「ひょっとしたら、この刺激を受けるために生まれてきたのかも」とか「生まれた以上は、この刺激を受けられてよかった」と思えたりするのが、私にとっての人生の醍醐味です。基本的に、もったいなことが嫌いなので、この世にいる以上は、この世をフル活用したいと思っています。そのフル活用の仕方は、年齢とともに変化していますが。

lhglhggl
質問者

お礼

僕は死ぬことを恐れ、死後の世界やどう生きればいいとかいろいろ考えてきました。結局今の考えに落ち着いたわけですよ。 回答者様や他の皆様ががおしゃることが懸命かもしれませんね。 何も考えず今を生きる。それがいいのですかねやはり 回答感謝します

noname#109750
noname#109750
回答No.3

何かのために生まれてくるわけではないと思います。生まれてきたので、その結果、生きがいやら何やらを求めているだけでしょう。苦楽を、思っているだけに過ぎない、と言ったって、苦しいものは苦しいし、楽しいものは楽しい。楽しいのに頭では空しい、というのは、もしかするとうつ病の気がある場合もありますが。人生は人それぞれ、個々の自分と言う人それぞれに与えられた異なる資本を基に、どう生きるも勝手です。自殺した太宰治の言葉、ただ一切は過ぎていく、という言葉がちらりと浮かびました。限りある命ですので、永久に残る金字塔を打ち立てようとしたって、大して意味は無いでしょう。ピラミッドだっていつかは消えていきます。ただ自分が思っているだけに過ぎなくても、楽しいものは楽しい、苦しいものは苦しい、ただそれでいいのでは。

lhglhggl
質問者

お礼

作家さんとかは割りと正論をいってますよね。 苦楽は親の教育や習慣によって刷り込まれるものと僕は認識してます。 汚い話になりますが、我々の国では、うんこは汚いものですが、ある国ではうんこには神が宿っていると考え崇拝している国もあるかもしれません。 このような刷り込みを一切とっぱらって自由になりたいと僕は考えます。そうすればいつか楽になると思っていたのですが、たどり着いたのは空虚でした。もちろん道の段階として感じている一過性のものに過ぎないとは思いますがね。 やっぱり川の水のように何も考えず流れる人生が一番頭がいいのですかね 回答ありがとうございます

noname#107497
noname#107497
回答No.2

人生とは、自分自身、環境の2つによって成り立っていると思います。 自分の能力がその程度ならその程度の人生、あるいは人生観しかなく、 例え優れた能力があったとしても、環境によって、否応なく振り回されていきざるを得ないものだと思います。 >最近思ったんですが、生きている上で起こる様々なことは、どんなに辛いと思っていても楽しいと思っていても、結局自分がそう思っているだけにすぎないと気付きました。 自分が楽しいと思う事をやっていても頭では空しいというだけです。 全てが幻想のこの世に、人は何のために生まれてきたのか。 人生の意味を追及する人生のひとはこれですよ。これ。 答えが出ているのに納得しない。 結局、気付いた、さあどうする? そこで、すべてが幻想なんだろうか? 魂の存在なんて本当にないのだろうか? 長い有史をかえりみても、それはこうであるというのが、後に実はそうではないということもあります。 話が変わります。 目の前に1つ石があり、石と手を後ろに回して、「絶対」どっちかに石が入っている。当ててみてと言って、 左に入っているからと言い、 右手を先に見せて貰い、右手に石は入っていなかったので、 左に入っているということになる。 でも、絶対であれば、左に入っていることになりますが、それなら、左手を先に見ればいいだけのことです。「絶対」が事実であれば、絶対ですが、絶対が単なる信、思い込みなら、絶対ではありません。 信か、絶対かを見極めるには、見るしかないと思います。 人生において問題なのは、気力かもしれませんね。 無意味に思える事でもやってみて挑戦したい気力。 だらだらしたいというものが、生きているようで死んでいるような、死んでいないようで生きていないような感覚。 意味不明なことが多いと思いますが、 参考になれば幸いです。

lhglhggl
質問者

お礼

そうですね。 今の僕の考えが正しいか正しくないのかは実際体験してみないとわからないことです。 「人生攻略本」があってそれに正しく書かれていればそうかもしれませんが、ないですもんねそんなのは。 気力が重要ですか。僕が解決したいのはそれかもしれませんね 空虚なあまり気力がわいてこないんですよw 回答ありがとうございます

  • blazin
  • ベストアンサー率50% (20256/40157)
回答No.1

そこまで考え過ぎなくても良いんじゃない? 人生とは貴方そのものなんだよ。 自分次第でどうにでもなっていくんだという真理に貴方は近づいたんだから。 貴方なりに良いなと思える自分自身を目指して、貴方なりの人生を歩んでいけば。そのプロセスが貴方の人生の彩を創り上げていくんだからね。その彩はそれぞれ違う。それが個性なんだよ。 明日を一生懸命生きる事。貴方なりに悔いなく毎日を過ごす事。 それも実は人生を考える事に他ならないんです。 何かの大きな定義や悟りに近づく事が人生の達人ではない。 いつまでも模索しながら、その時その時を大切にしていく事が。 限られた人の人生の意味なんだよね☆

lhglhggl
質問者

お礼

人生に攻略本なんてないのはわかっちゃあいるのですが どうも納得できないんですよ。 回答者さまの仰ることもひとつの答えというのはわかります、日々探求し精進すればなにか見えてきますかね? いずれにせよ過去でも未来でもなく、今を生きるのが人ですよね。 回答感謝いたします。

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