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創価学会の新聞と選挙

親のように尊敬している方に、創価学会の方がいます。宗教とは無関係に、お人柄がとても好きで、大切な関係です。その方が、私に新聞を取ってくださっています。「私には必要ない」とご遠慮したのですが、その方にとっての心からの親切であることは痛いほど分かるので、直接的に迷惑とは言えません。全く読んでおらず、新聞代も毎月重なれば、大変なものになりますから、胸が痛みます。また、選挙のたびに、誰に投票して欲しいとお願いされ、「ご推薦いただいた方にも注目しながら、検討して判断させていただきますね」と答えても、必ずお礼の電話を頂きます。推薦の人に投票していない後ろめたさや、また個人で判断すべき領域を侵されるような気持ちにもなります。私は無宗教ですが、自分の信条はあり、そのことや政治のことには、踏み入られたくないタイプです。創価学会と無関係な場面では、私のその性質を、その方は理解されています。遠まわしな返答で、察して欲しいというのは我が儘でしょうか?どうすれば、傷つけることなく、また関係を壊すことなく、気持ちを伝えられるでしょう。それより関係を大切にして、我慢するほうが良いのでしょうか。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.1

 少しケースが違うのですが、友人に友人が沢山学会員をしているという人がいます。で、その人はどうしたかと言うと、あまりにしつこく勧誘するので、これ以上勧誘するなら友達の縁を切る、と言ったそうです。すると、勧誘はなくなりましたが、今までどおり友人関係は続いているそうです。  また、選挙時のお願いもしょっちゅうあります。で、分かりましたと答えながら別の候補に投票します。でも、そのお願いした人は必ずお礼の電話をくれるそうです(ここはwondernmさんと全く同じです)。  というわけで、私の友人のように、選挙の時に頼まれれば、分かりましたと答えて自分の思うままに投票行動をして、素直にお礼を聞けば良いのです。  信じてもらえないかも知れませんが、私の住んでいる地域はとても学会員の多い地域で、選挙一週間前の休日に散歩をしていたら、通りすがりの見知らぬおばあちゃんから「○○さん(←公明党の立候補者)に入れてね」と突然声を掛けられた事があります。なので、学会員の方が選挙協力を呼び掛けることにはさしたる重い意味があるわけではなく、あくまでも本当にお願いの域を出ていないようなので、あまり深刻に受け止めない方がいいです。  また、選挙後の電話も、もし、本当に票を入れてくれたのだとしたら悪いと思って掛けているだけだと思いますので、軽く受け答えをすれば良いと思います。  これから先、人から投票のお願いを受けることは頻繁にあると思います。その度に心を痛めたり悩んでいたりしたら大変ですので、ここは処世術と心得て、やり過ごしましょう。  新聞に関しては…どうしても断れないのでしたら、とるという選択肢もありますよ。とっても読まなければいいだけの話で、祖父母の代からの付き合いで、共産主義者でも共産党員でも無いのに赤旗をとっている人や、特定の新聞社をとりつづけている人もいますし。

wondernm
質問者

お礼

ありがとうございます。処世術として、というのも一考に価すると思いました。参考にさせて頂きます。

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回答No.8

真実の仏教には「主師親の三徳」がそなわっています。主とは主君、主人の忠言、師とは恩師、先師の忠言、親とは生みの親、育ての親、両親の忠言、その三者の言葉を信じる事と同等であり、それ以上なのです。また主の徳とは眷属を守る力、師の徳とは眷属を指導する力、親の徳とは眷属を慈愛する力、「三徳具備されている御本仏」が真の仏、日蓮大聖人イコール南無妙法蓮華経です。尊敬されている方の信じている仏教、「仏教のお勉強」と言う事で少し理解だけでも深めていただいても宜しいかと存じます。 「我慢」ということば、仏教では七漫の一つ「只須(すべから)く汝仏(なんじほとけ)にならんと思はば漫のはたほこをたおし、いかりの杖をすてて偏(ひとえ)に一乗に帰すべし、名聞名利は今生のかざり我慢偏執は後生の穂だしなり」と日蓮大聖人は仰せです。「五重の相対」もチョットかじってみて下さい。お勉強になります。真の仏教には日蓮大聖人の時代より、杖木瓦石(じょうもくがしゃく)の難、というのが常にあります。無理解者の非難と言う苦痛の事です。以上。

wondernm
質問者

お礼

仏教のお勉強は興味のある人はどんどんすれば良いと思うのですが。なぜ、仏教のお勉強が自分の選択した書物でなく、送られてくる新聞でないとならないのか。また、なぜ仏教のお勉強が、選挙の投票をお願いされたり、お礼を言われることなのか、そこに行き着きます。私は、宗教は持ちたい人は持てば良いと思っていますし、尊敬する方の信仰を決して汚さないように配慮し、信仰をもつ自由を認めています。信仰を持たない私は、寄り添おうとしているのですが、信仰を持つ多くの人は、結局、同じ信仰を持たない人を受け入れないのかな?と感じることも。私がその信仰を持たない自由も、分かって欲しいのです。せっかくのご回答ですが、まるで私はあくまで野球のルールにおいての話をしているのに、サーッカーのルールではこうだから、こうしてみては?というような、煙に巻かれたようにも感じました。

  • 55mph
  • ベストアンサー率23% (9/38)
回答No.7

wondernmさんの、迷惑である!という意思は先方に伝わっていません。 ヤメないんですからね。 迷惑である! というのは表現がキツイかもしれませんが、wondernmさんが、我慢する”という言い方をなされている以上先方のされている行為は、迷惑な行為です。 先様の人格とは関係なく、その人は宗教的に狭い視角を持っている為、とにかく自分のする宗教的な行為はすべてが、 善きこと なのです。 wondernmさんにしている事どもはすべてがカミサマに対しての、 善行 となります。 で、 wondernmさんが、かかる行為を言下に否定できないのはその辺りを勘案しての事であろうと推測します。 wondernmさんがお考えになっているのは、言下に否定”でなくとも、とにかくそれら宗教に係わる行為を、やんわり”にでも否定したならば、先様は宗教を全面否定されたように思われるのではないか・・と。 ・・ですよね? で、考えるポイントとして、 先様がナゼニそのような行為をしているのか? という事があるわけですが、それは 自分の為です。 功徳《クドク》と言うのですが、自分に功徳があるように期待して、かかる行為に及ぶわけです。 功徳というのは、なんていうか、まあ、カミサマのオメグミですかね。 学会員の頭の中では、新聞を購読することも、公明党に投票することも、カミサマのオメグミに直結しているわけです。 で、学会の方々は結構真剣に功徳の訪れを願っておられるようなので(当たり前ですよね・・)wondernmさんの否定は功徳の否定、つまりは、 自分へのシアワセの訪れの否定・・ と受け取られる恐れが充分に考えられます。 なにしろ(人格とは別に)視角が狭いですからね。 で、僕の考えですが、先様との関係の完全な軟着陸を目指して、 一度創価学会に入信してみる。 というのはいかがでしょう? 一度入信してキチンとワケを説明して脱会したのならばそれ以上何事かをプッシュしてくることは無くなる筈です。 先様はwondernmさんが、学会を知らない”と思っておられるので、いろいろプッシュしてくるのですが、事情を知っている人からの否定でしたら受け入れてくれるのではないかと思います。 脱会という事によって先様との関係が壊れるかもしれませんが、もしそういうことになったとしたならば、その時にwondernmさんサイドで、大切な関係”と認識されている関係とは一体何だったのか?という事をあらためてお考えになられてはどうか? と、思いますけれど・・・

wondernm
質問者

お礼

ありがとうございます。入信はやはり無理ですが。信仰をもつものと持たないものとの共存が、困難だとは思いたくないけれど。大切な関係とは、信仰をも同一でないとならないのか・・・という点ですね。本当に難しいものですね。

  • hishow
  • ベストアンサー率22% (49/218)
回答No.6

 お人柄に尊敬されていて、wondernmさんのことをわかっていらっしゃる方なのに察してもらえないのはなぜでしょうか?  1.遠まわしすぎて伝わっていない。  2.わかっているが学会の規則などでお願いや電話をしなければならず、wondernmさんに迷惑だと思いながらも形式的にしているだけ。  3.新聞を取っていることから、興味があり、学会に勧誘できると思っているため。  wondernmさんの尊敬する相手から3は失礼な提案だとは思いますが、第三者の意見としてお受け取りください。  本当に信頼していらっしゃるのでしたら、「私のことは良くわかっていただいてると存じますが、その上で電話等をしていただくのは何か学会の規則などでしょうか?」などと尋ねてみてはいかがでしょうか?  

wondernm
質問者

お礼

ありがとうございます。失礼だなんてとんでもないです。私自身も、実は、利用されているのかな?とちょっとだけ感じたことも実際にはあります。ただ、どうしてもそういう悪意のある方とは信じられないので、やはり4.善意の行為であるがゆえに、他の感じ方の想像もつかない、というのが答えかも知れないと。。。

noname#4092
noname#4092
回答No.5

「親のように尊敬している方」であるなら、今の状態に慣れるのが良いのでは。投票は自分の意思です。 その方も、新聞を取ってくれても、それ以上、集会に来て来て、と言わないなら、「絶対行かないから」、と断わったら、もい言わないなら、分をわきまえて付き合っているのでいいいのでは。つまり、相手の方も、自分が努力してる姿、部数を稼いでいる姿に、取りあえず、あなたの勘定は満足してるなら、それでいいのでは、親のように尊敬してるなら。つまり、そのラインまでは、相手に乗ってあげるということです。 つまりは、その程度乗ってあげるほどの相手でないか、どかですね。  ちなみに、私は、若いとき3回ほど集会に、友人に誘われて行ったことがありますが、2人ですが、両者とも、親の代からです。  創価学会の教えは、”当時は”(今は知りません) 創価学会以外の人は地獄に落ちるとか、創価学会に入って、そこから辞めた人は、最初から入ってなかった人より罪深い、理由は、素晴らしいものを知ったのに離れたからだそうです。(ウラ憶えですが、そんなとこでした。) まあ、ブッシュさんの宗教もそうらしいですから、アメリカ国民の1/4?ビックリするほどでは有りませんね。  まあ、断って、あなたと、その人の関係が「本物」だったか確認するのもいいでしょうね。向かうは、自分の努力するための「数」であって、それほどでもないかも知れません。 以外にも、(固い宗教はそうです、、)それがなくても、気持ちのある関係かも知れません。 それは、やって見れば分かりますね。

wondernm
質問者

お礼

ありがとうございます。宗教への否定は感じていないので、割と素直に集会や勉強会などに参加してみたこともあるんですが。やっぱり、合わないんです。入信は無理ですね。結局、どこまで自分が譲歩できるか、どのラインまで乗っていけるかという判断と覚悟ですね。参考にさせて頂きます。

  • kijineko3
  • ベストアンサー率22% (286/1282)
回答No.4

そう、あまり深刻に考えなくてもいいのではないでしょうか? 信じるも自由。信じないのも自由。 投票を頼むのも自由。その通り投票するかどうかも貴方の自由。 投票したかどうか判らないのにお礼を言うのも自由。 勝手なお礼に、ハイハイと返事するのも自由。 今の状態は、相手の方が婉曲に貴方を傷つけていると思います。 「暖簾に腕押し」「柳に風」の対応でいいのではないでしょうか。 もし、それで相手が貴方から傷つけられたと思うのならば、それは筋違いです。 自分で自分を傷つけたというべきでしょう。 別に我慢する必要は無く、貴方は自分の心に正直な 自然体な対応で接すればいいと思いますよ。 (^.^)/~~~

wondernm
質問者

お礼

ありがとうございます。信じるも、信じないも自由。本当にそうですね。参考にさせて頂きます。

  • ma_
  • ベストアンサー率23% (879/3732)
回答No.3

その人の関係を大切にしたいなら付き合いで購読するのもいいのかもしれません。 聖教新聞・公明新聞・しんぶん赤旗にしろ、一般新聞ではえられないウラ情報が得られるのでおもしろいと思います。 自分の信条とことなる雑誌・新聞も読んでみることは、悪くない事だと思いますよ。 自分の考えの幅を広げることにつながります。

wondernm
質問者

お礼

読んだことはあるんですけれど。正直、やはり私の役には立ちそうにない内容でした。

  • mai9999
  • ベストアンサー率12% (32/256)
回答No.2

一番の方のおっしゃるとうり。それでいいと思います。 実は、私もいつもどこの政党から投票の依頼がきても はいはいわかってますとも、○○さんですよね。 入れるつもりです。といっています。 それで、相手が喜んでくれるならいいことしたわけですから。 実際に投票したことはないですけどね。

wondernm
質問者

お礼

ありがとうございます。>相手が喜んでくれるならいいことしたわけですから という考え方ができれば、すごく楽になるだろう、とおもいました。参考にさせて頂きます。

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