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ご自身は否定派で伴侶が学会人である方
わたくしの主人は約20年ほど前に創価学会に入信しました。入信のきっかけは、わたくしの亡き祖父が仲人をした女性が選挙のたびごと我が家に訪れては、わたくしども夫婦を入信させるべく働き掛けてきたことでした。わたくしはアンチ創価学会派ゆえ、がんとして拒みましたが主人は受け入れました。 この時、ひじょうに衝撃的でしたのは、主人が若い頃に心髄し入信していた経緯があったことが判明したことと、執拗に入信を迫ってきた女性幹部の方がわたくしを見て、「貴女のように冷やかな目でご主人を見る女は初めてだ!貴女がそんなだから、ご主人は入信する気になったのだっ!!」と強訴されたことでした。 今でも事あるごとに主人とは信仰をめぐり対立してしまいます。どう見ても異常な集団としかわたくしには捉えることが出来ません。マインドコントロールされているとしか思えないのです。この先もわたくしがこの集団の中に打ち解けることは考えられません。 奥様、あるいはご主人が創価学会に入られており、ご自身はアンチ学会派である方の投稿をお待ちしたいと思います。日々こうした対立をどう乗り越えていらっしゃるのか?または、このギャップにより離婚に至った方のご意見なども、うかがえればと思います。 泥棒をして来い!とか、人を欺け!などど説いているわけではなく、「和を保ち、家族、友人を大切にせよ。」、「人のためになることを率先して行えばそれはいつか自分に実りをもたらす形で返ってくる。」というような大切な人間性の基本原理について説いてもいる訳ですが…。どうしても茶番に思えております。そんなことはこんな信仰に頼らずとも、沿わずとも、教学とやらの力を借りずとも理解できるからです。 年末にある財務(広布金)と称する資金集めも納得がいきませんし。折伏という名を借りての信者獲得のため、全く疎遠になった者が選挙になると「地域の公明党議員をよろしく!」と馴れ馴れしく来訪してくる不気味さ。 どれ一つを取りましても、全てが異国の儀式のように感じられ、学会論をたたく主人の目が、何と言いましょうか、逝ってしまっているというのか、とにかく不気味であり、そばに居たくないという感情が込み上げ参ります。 一方では諦めと放任の境地になっても居ますので敢えてここで、「どうしたらいいでしょうか?」という内容の質問は致しません。 ただ、同じような状態にあるご夫婦、出来ればわたくし共と同じ世代(50代~と60代のご夫妻)での、信仰ギャップを抱えておいでの方の投稿(同じような愚痴の書き込みは大歓迎でございます。)をお待ちしております。
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私は妻が創価学会ですが、私は入信していません。 どうしてか、というと宗教に助けを求めるということをしたくないからです。 ですから逆に妻が創価学会だから離婚するとか、不仲であるという事実はありません。 宗教に救いを求めることは何も悪いことではないし、この日本では宗教の自由はあると思っています。 ただ、貴殿の言うように妻が宗教に助けを求めた理由が「私(夫)」との関係ならばそれは非常に屈辱的に思うかもしれません。 うちは妻が病弱なので「なぜ自分だけ病弱なのだ」というのが基本になってますのでこれを責める気にはなれません。 他の信者のなかには夫の浮気で入信とか、子供の非行で入信がおりますが私自身の考えでは、何故浮気をする夫、非行に走る子供の心にノックするまえに宗教にいくのか疑問です。 入ればなんでも解決するというのはおかしいと思うからです。 信仰のギャップといいますが、私自身は元々無神論者です。 貴女は如何でしょうか? 夫が信じるものが信じたくないのか、信じる気持ちがないのか? それとも自分を否定された上での宗教だからかわかりませんが、宗教とはここでも安易に書かれますが、その人が信じるものをどう受け取るだけかの問題に思います。 安易に創価を否定しネットの書き込みや一部の狂信的信者をあげつらい文句をかくだけの回答にはあきれるばかりですね。 お布施も夫の収入なら口を出すのは間違いです。 何にどう使おうと夫の自由だからです。 妻だって化粧品の高さに文句を言われたくないでしょう? 公明党よろしくも、ハイハイときいていればいいだけ。 海外のモスリムになるとこれどころじゃありませんし、幸福の科学や一部の宗教主体の立候補者の勧誘もこれどころじゃありません。 貴女は創価を否定するまえに宗教を信じている夫を否定しているに過ぎません。 そんなに嫌なら離婚したほうがいいでしょう。 できるものなら、ですが。(できるならとっくにしてると思いますね。) ここで文句を言ってストレス発散をするならお門違いです。 ここは質問し回答を得る場所で愚痴をいう場所ではありませんから。
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- honjin
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こんにちは。 juin21さんはなぜそこまでアンチ創価学会派なのでしょう? 信仰と言うものに対し、色眼鏡で見てしまう傾向があるのではないですか? >「和を保ち、家族、友人を大切にせよ。」「人のためになることを率先して行えばそれはいつか自分に実りをもたらす形で返ってくる。」というような大切な人間性の基本原理について説いてもいる訳ですが…。どうしても茶番に思えております。 茶番ですか? 創価学会に限らず、信仰に限らず、そのような哲学を実践している方々はたくさんいらっしゃいますが、皆さん茶番に見えますか? >そんなことはこんな信仰に頼らずとも、沿わずとも、教学とやらの力を借りずとも理解できるからです。 頭では理解は出来るでしょう。 ただ、貴女はその様な振る舞いが自然と出来ますか? どの様な形であれ、貴女のご主人は自己の向上を目指して努力なさっているのでしょう。 それに比べて貴女はただ愚痴や文句を言っているだけの様に感じます。 貴女が信仰をしない自由が有る様に、ご主人にも信仰をする自由もあるのですよ。 創価学会が嫌なら、違った形で自己の向上に努力してみては如何でしょうか? 乱筆、乱文失礼しました。
お礼
貴重な参考ご意見でした。ありがとうございます。 夫には(全ての人に)信仰の自由があります。わたくしにも(全ての地人に)信仰をしない自由があります。わたくし自身は内心でこうしたギャップを覚えながら20年近く夫を黙認しています。 自分がなぜここまでアンチ学会派なのか?と、改めてしみじみ考えてみました。ひいて上げるならば、夫が力説を繰り返す名誉会長の崇拝と、「世界はみなSGI信徒になるべき!(他の宗派は全て邪宗と罵るので)」という極論の展開時に、飲酒が加わり手が付けられない有様(DVに陥る)に陥ったことがあるため、それがわたくしの最大のトラウマになっているせいだろうと思われます。信仰をして良くなる傾向にあるどころか、少なからずわたくしには入信前の夫のほうが自然体で良かった部分が多いのも確かでした。 回答者さまのお一人が書かれていたとおり、夫自ら稼いだ収入を納める訳ですのでわたくしに、とやかく言う権利はないことも重々承知しております。 ただ夫がこの納入の際に、その金額の提示をわたくしに求めることが解せず、昨年は勇気を出して話してみました。「それはおかしいのでは?信仰をしないわたしには対価が全く分かりせん。納得のいく額をご自分で振り込むことが、貴方の徳へと繋がるのではないですか?」と。漸くこのような対応が出来るようになった自分を感じました。その夫自身もまた、幹部の方を愚弄するなど、未だ信仰に大きく揺らいでいる部分があることも窺えます。入信へと強く働き掛けたのは、アルコール、実兄と親の死が引き金になった鬱によるものからだと思います。 この信心をしない者は愚か者!と豪語され、信仰の自由(しない自由)を否定されることは、わたくし自身の人間性も否定してくるかのような勢いですため、このような愚痴を打ってしまっているのだと反省もしております。と同時に、何名かの回答者さまのご意見は大変興味深い内容で、どれも一理あると切に痛感しております。 今後の自分と夫との接点について、別な角度からの視点を持てるようなポジティブさを皆様の回答から得ることが出来ました。ご投稿、本当にありがとうございました。
- usaginomoko
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トムさんの回答 非常に冷静な意見です。回答者同士の意見交換の場ではないので発言を控えます。
- usaginomoko
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夫婦で学会です。質問の意図からずれ込んでいたら謝罪します。家内と結婚時に入信しました。家内は2世です。 ま- なんらかの強い体験がないと入らないです。 貴方の感想は一般的な意見です。人の弱みに付け込むいやらしい団体 狂気な集団 普通にはそうみえますね。 修羅場 地獄を見た人でないと入信はしないでしょう。
お礼
真摯なご投稿、たいへんうれしく拝読させていただきました。 順不同のお礼の投稿となってしまい申し訳ございませんが、No.4の回答者さまへの返信で書かせていただいた内容にある経緯が、夫の入信の経緯だったように思われます。わたくしは無神論者です。夫いわく、この信心は大変奥が深く且つ、自分の病(鬱)は最も業が深く重い。」と述べています。 わたくしには自立していける術がないため、日々夫の暴力に耐えて参りました。そうした夫が少しでも良くなれば…との思いのほうを優先化し、学会否定は控えようと耐えてきた20年でもございます。 今回投稿させていただきました趣旨は、同じパターン(ご夫妻のどちらかが入信されているケース)に在られるご夫婦の意見(自分はこんな思いで居る)を読ませていただきたく…。 No.1様の回答は、まさに的を得ておりました。わたくしが内心で自問自答をするたび、自身に出している答えをおっしゃって(代弁)いただけていました。これをストレス発散と称されてしまいましたかぁ(苦笑)。そう受け取られましても致し方無い部分が確かにございました。未熟さを反省致しますね。 No,1様の奥様も病からご自身が信仰に救いを求められてのご入信とのこと。これは夫と同じであるように思いました。更に夫の場合は交通事故の加害者を再犯していた至らぬ実態を自ら嘆き、これを打破するには自身の改革しかないとして信仰に入没していったような気が致します。 信仰をする自由があれば、しない自由もある。この後者に在るわたくし(しない方々の全て)の自由を夫が全面的に否定してくることが恐らく、学会の考えはそんなにも偏見的なのか?という不信感へと繋がり、回答者様のご指摘して下さった部分の、「貴女は創価を否定するまえに宗教を信じている夫を否定しているに過ぎません。」に重ね合わせてしまっているのだろうと思います。ある意味それはそれで偏見であることに気付くことが出来ました。そうした自分自身に向き合わせていただけた意味で、たいへん有意義な投稿を賜ったと感謝しております。 改めて貴重なご意見、ほんとうにありがとうございました。