死を恐怖する事は、極自然な在り方です。
死を恐怖するから愛おしく思え、防衛本能が働き、用心が出来るのです。
「今を精一杯生きることしかない」のではなく、今を精一杯に生きれる為に「限り」と「恐怖」があるのです。
しかし死を恐怖するあまり、今何をなすべきかとか、今を大切に生きることを忘れてしまって、死から逃れる事しか考えない、そんな本末転倒な人が居ます。中国の始皇帝や錬金術師の一部がそうです。
近年ではアンチエイジングなどと言っています。
でも、チョット考えてみてください。
古来より人は歳を経るに従い、自然にボケてきて、死への恐怖も薄れて行きます。準備をして悔いなく死出の旅立ちをするためです。
ところがチョット考えてみてください。アンチエイジングでボケもなく、明瞭な感覚で死を迎えたら、それこそ、その恐怖はどれほどの物でしょうか?
とは言っても、近年の人は信仰もなく、身近な人の死も目撃する事が殆どないままに育ってしまいます。だから死というものが認識できないので、自分も人も安易に傷つけてしまうのです。しかも罪の意識もなく。
だから死を恐怖する貴方は至極正常な感覚の持ち主です。
大丈夫、きちんと生きてさえ居れば、自然に死への恐怖も薄れてきます。更にきちんと悔いのない人生を送れば、その効果も倍増です。
私は一昨年、死の直前まで行きました。医者は奇跡的だと言います。
心筋梗塞で発症から手術まで3時間。よく生きていたものだ。
検査に行った病院で看護師が心臓の異常を医師に叫んだのを聞いて、私(歯科医)は朦朧とする中で覚悟を決めました。
しかし最後まで意識を失う事無く、私はせめて自分の心臓の止まる所を確認したいという一心で、モニターを見ようとして手術中の執刀医に叱られたほどです。でも、そのときには恐怖も何もありませんでした。
心臓と脳外科はココという病院に運良く搬送されて、その甲斐あって手術は成功。
「普通なら、搬送された段階で心肺停止でも不思議ではない」(担当医)からの復活でした。
もはや半世紀を越えているから恐怖も少なく、信仰を持っているから恐怖はなかった。私はそう考えています。
しかし(信仰は別にして)若い人が死を恐怖しない事は異常です。生きる力がなくては困ります。
生きる為に恐怖するのですから、多いに恐怖して生きるための努力をして下さい。怪我などしないように予防して下さい。
お礼
>大丈夫、きちんと生きてさえ居れば、自然に死への恐怖も薄れてきます。更にきちんと悔いのない人生を送れば、その効果も倍増です。 安心しました。ありがとうございます。 また、michael-mさんの体験まで聞かせていただきありがとうございました。 とても心に響きました。