- ベストアンサー
動物虐待について
動物は好きなのですが、恥ずかしながらベジタリアンになるほどの信念はありません。動物実験をしていないメーカーのシャンプーや石鹸を買う程度です。毛皮製品も、日常生活には必要ないし、動物虐待のもとに成り立っている製品と聞いたので、買うつもりはありません。ただ、皮革製品については、どうなんでしょう?日常生活から排除するにはそれなりの覚悟が必要です。皮革製品は食肉用の動物の皮を使って生産されているという話も耳にしていますが、実際のところはどうなんでしょう?皮革製品を使用することによって、動物虐待に大きく加担することになってしまうのでしょうか?
- みんなの回答 (6)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
少し調べてみました。 「虐待」という言葉を使われた理由が分かった気がしました。 育てるにも殺すにも、 コストの低い、楽な方法をとると 「虐待」になり得る場面がありそうですね。 可愛がるためではなく、お金儲けのための物として使う、作るんですよね。 薬品入れて、のた打ち回ってても、 放り投げられて骨が折れても、 暗くて狭くて気が狂っても、放置、なんですよね。 法律で規制が無ければ コストかけて治療や安楽死をさせる所はあるのでしょうかね。 考えてみたことがない人は、たくさんいると思います。 知りたくない、考えたくないという人も。 感情や痛覚のある動物を、 見た目の綺麗さや、手触りの良さを求める人間のために できるだけ狭い敷地で、大量生産する。 そんな現状を少し想像しただけで 「そこまでして欲しいの?」という気になります。 食用のために狩るのと同列には考えられません。 この問題に詳しいわけではないので ろくな回答できなくて申し訳ないですが・・・。 毛皮はまた別のようですが、皮だけの話でしたら 牛や豚の皮は食肉の副産物が多いようです。 ワニ等、あまり一般的に食べられていない動物は 皮を剥ぐ目的で生産するようです。 人工のフェイクレザーもありますし、 自分が入手する際に出所を確認していくしかないのかも・・・。 特に動物好きでもないのですが、 生産される工場内部の情景を想像すると 毛皮とか気持ち悪い、野山で暮らしてるわけでもないし 買う人いなくなればいいのにって思っちゃいました。
その他の回答 (5)
- onbase koubou(@onbase)
- ベストアンサー率38% (1995/5206)
そこまで気にするのであれば何も出来ません。 インターネットが利用すれば誰かが儲かり、その人達が毛皮を買えば、結果的には「加担」したことになります。 ちなみに殺虫剤でハエや蚊、ゴキブリを殺すのは「虐待」ではないのでしょうか? 「雑草」と称する生きている草花をむしるのは「虐待」ではないのでしょうか? ネズミを駆除するのも「虐待」でしょうか?
- PeachMan
- ベストアンサー率31% (775/2476)
“屠殺”は“虐待”なのでしょうか? たしかに、この世に生まれて育てられ、わずか数年の後に出荷されて解体される運命の牛さんや豚さんの苦痛や無念を考えると涙がでそうになるくらいにかわいそうなことではあります。 しかし人間は、知恵と財力を使って動物性タンパクを含むもの以外のものを選んで生涯を生き抜くことが可能ですが、野生の世界における肉食動物は“狩り”が出来なければ自身が飢えて死んでしまうのです。 もし、あなたのような意識を持った肉食動物の親がいたとすれば、愛するわが子を飢餓で苦しませることになり、それはそれでわが子に対する“虐待”となってしまいますね。 せめて人間の姿で生まれてきたことに感謝して、提供された肉や皮革製品にも感謝の気持ちをこめて無駄なく大事に消費してあげれば天国の牛さんや豚さんにも届くんじゃないでしょうか。 せっかく命を提供したのに、人間の役にたつことなく粗末にゴミとして捨てられてしまうことは、亡くなった提供者にとって虐待以上に苦しいことだと思うんですけどね…。
- hohokoko23
- ベストアンサー率20% (30/145)
病気などの治療で使う薬はほとんど動物実験をしています。 動物実験を止めて人体実験にしますか? 薬を飲むのを止めますか? 無理ですよね・・・ 人間の生活は多くの動物の犠牲の上に成り立っていると言っても過言ではありません。悲しいかなこれが現実です。人間が生きて行くということはそういうことなんです。 そもそも動物実験が虐待というのはどうなのかな?と思う 病気を治す為に一生懸命頑張っている人間に動物虐待だと言えるかな? 食肉を加工している人間に動物虐待だと言えるのかな? 好き好んで動物を殺す人間なんてほとんどいないですよ でも誰かが損な役回りをこなさないと世の中はまわっていかない 誰かがやらなければならないんです 大事なのは自分の生活が多くの動物の犠牲の上に成り立っているということを理解して感謝して生きて行くということなのでしょう。
- 5gasira
- ベストアンサー率34% (347/994)
私は無宗教です、あらかじめご了承ください。 動物虐待と食肉を食べることはまったく別と考えます。ベジタリアンと非ベジタリアンで何が違うのか私は分かりません。飼ってる動物にえさをやらない。捨てる。たたく。これは虐待です。 牛肉を食べる、これは普通です。 どこから、ベジタリアンという発想がわいてきたのか分かりませんが、それぞれが運をもって生まれてきたのです。 たまたま人間ですが、動物、植物、他の生命体いろいろありますが、食物連鎖であなたが好きな動物はほかの動物を食い殺しているかもしれません。捕鯨反対といっていますが、鯨は何を食べていますか? プランクトンなら何匹食い殺してもいいですか? 蟻を踏んでもそ知らぬ顔で猫を踏んだら血相変えて虐待ですか? 矛盾ですよね。徹底する気がないならつまらぬ意地を持たぬことです。
お礼
ご意見ありがとうございます。そういったall or nothingな考え方があることは重々承知しておりますが、残念ながら私の質問に対する答えには・・・
- cowstep
- ベストアンサー率36% (756/2081)
通常は、皮革製品を使用することまで、動物虐待とは言いません。過激派は兎も角…
お礼
ご意見・情報ありがとうございます。私は「すべてはどこかで動物虐待につながっているんだから何をやっても無駄。虐待したくなければお前が生きるのやめろ」みたいなall or nothing的な考え方ではなく、「自分の出来る範囲で動物虐待への加担を少なくしたい」という考え方をしています。なので、皮革製品はどうなのかな?と思ったわけです。毛皮製品を生活から排除するのは容易ですが(というか、必要ないので買いたいとも思いませんが)、皮革製品は私達の日常生活の至る所に入り込んでいますので、これを排除するのはある程度の不便が伴うかもしれません。もし食肉の副産物が多いのならホッとしますが(食べるために殺すのは虐待度は低いと考えますので)、もし毛皮製品のような虐待以外の何物でもないプロセスを経て生産されているのだとしたら、皮革製品も(出来る範囲で)購入を控えようかな・・・と思ったのです。