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終戦前後生まれでピアノ
昭和20年前後、東京に生まれ、幼少よりピアノをたしなみ、 ピアノ教室を開いたという女性がいます。 この女性が幼少期を過ごした戦後の日本はかなり貧しい時代でした。 今もピアノは高級品ですが、特に当時は安価な電子ピアノもありませんから、 本物のピアノは庶民が手にするには敷居が高いものだったように思います。 ということは、この女性はある程度裕福な家庭に生まれたのでしょうか? 皆さんのご意見をお聞かせください。
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値段ですけど、ちょうど良い資料が見つかりました。 http://members.jcom.home.ne.jp/katote/09aratake.htm >ピアノを購入する層は、月給5万円クラスの人々が多かったが、彼らは各会社の月賦制で、ピアノを頭金なし、月額5000円の20回払いで購入することができた。こういった人々は「月賦族」と呼ばれブームに拍車をかけた[46]。これはすなわちサラリーマンの月収の2倍程度ということであり、払えない額ではなかったが 上記は昭和34年の朝日新聞朝刊の記事を元にしており、ご質問者の考えておられる世代より十数年後になりますけど、事情は同じで、戦前はパーツを海外から調達していたので高価で、戦後は昭和22年にヤマハがピアノ生産を再開して、大量生産に乗り出し、低価格路線で昭和30年代には世界一の生産量ですから、それほど高くはないと思う。 それと当時一般家庭にあったのはアップライトピアノで、グランドピアノを置いてある家庭は私の交友関係では1軒だけです。
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- domaine-espoir
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こんにちは。 昭和20年前後に生まれたということで、 子供の時からピアノに接することができるとしたら、 たとえば、学校のピアノがあります。 良く知るある人たちがピアノを弾きますが、 どちらの人もその年代で、 どちらも学校のピアノから接することができたと言っていたことがあります。 参考までに。。
お礼
確かに学校で接することはできたかもしれませんね。 ただ、ピアノ教室を開くレベルというと、就学前から毎日訓練しないと難しいのではないでしょうか。 ご回答ありがとうございました。
昭和25年というと、「テープレコーダーが、国産初 重さ45キロの据置型で16万8000円と高く一般には普及せず」だったということです。 今に換算すると、 いくらになるのかわかりませんが…^^; ピアノというと、さらに貴重だったんでしょうね。 ピアノ、いいですよね。 久し振りに、弾いてみたくなりました。^^
お礼
下のURLによると、昭和25年の都市勤労者世帯の月平均収入が13,238円とのことですから、 テープレコーダー16万8000円というと年収以上の支出になりますね。 今なら外車を買うような感覚でしょうか。 http://shouwashi.com/transition-salary.html 私もピアノ大好きです。 ご回答ありがとうございました。
補足すると、この年代でピアノが買えるのは、日本経済が右肩上がりで、終身雇用ですから、高額商品も月賦で買えるようになり、逆に家電は超高額で手が届かなかったと思います、朝鮮戦争の影響でこれ以降は急速によくなりました。 ピアノを買った頃のわが家ですけど、電灯は白熱灯で、二股ソケットに延長コードを差し込んで、アイロンなどを使っていました。 冷蔵庫は無し、氷屋が氷を運んでくれて、木の箱の一番上に入れて、その下に魚など生ものを保存、洗濯機はやっと入ったくらい、テレビは白黒の中古を母親の実家がくれました。 親父はスクーターを買って配達に使い、自家用車は無し、エアコンも無くて扇風機はあり。 高額商品は頭金を入れて月賦で支払う、サラリーマン家庭は上記のように取りはぐれがないので、けっこう楽でしたが、うちのような商店や並びでよく遊んだ大工さんの家のような職人は、頭金を多めに入れていた記憶です。 進駐軍もいて、日曜に両親は進駐軍のキャンプに商品を売りに行っていたようです。
お礼
当時の生活が鮮やかに蘇る文章ですね。 私はその時代を体験していませんが、情景が浮かび上がってきました。 現代の感覚では、冷蔵庫や自家用車がないのにピアノはあったのが不思議な感じがします。 質問の女性は自分でピアノ教室を開くほどなので、4~5歳頃ピアノを始めたのだと思います。 とすると昭和25年前後のことでしょう。 戦後5年でそこまで生活レベルが向上したのですね。 補足ありがとうございました。
- yotani0425
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昭和20年代後半生まれです。 首都圏あたりとは事情が違うのかもしれませんが、地方の中心都市(現在200万都市ではあります)においてでいえば、それは裕福な家庭だったでしょう。当方が小学校高学年時代(昭和30年代後半)でもピアノを持っている・習っているなんていう子は1学年(約300人中)に数人でしたよ。先生は学校に1台のピアノを持っている子か習っている子以外にはさわらせてもくれなかったですから。
お礼
昭和30年代後半において、地方都市ではそのような状況だったのですね。 地方都市といってもかなりの規模のようですが、 首都圏とどのぐらい格差があったかによって変わってくるでしょうね。 参考になりました。 ご回答ありがとうございました。
うちも姉がその年ですけど、小学校の高学年でピアノを買いました。 狭い家なので、居間に置いてあり木造住宅なので今なら近所迷惑ですけど、当時は煩いこと言われず、中学を卒業するまで習っていました。 この時期は戦争で荒廃した日本の成長期で、今のように学習塾は一般的ではなくて、そろばんや習字を習っており、女の子はそれ以外にバレーやピアノなどを習うのがブームで、アメリカ文化が入ってきたということでしょう。 うちは普通の商店で、お隣の姉妹もピアノを習っており、サラリーマン家庭で一応当時は希少な一流大学卒の方の家庭でしたが、小さな家で電話もなくて、うちにかかってくるので取り次ぎをやってました。 ピアノは安くはなかったと思いますけど、月賦で買ったりしており、手が届かないほどでは無く、特にお金持ちでなくても買っていました。 その女性は貧乏ではないと思いますけど、それ以上は何ともいえません。 我々の親の世代は大学に進学できるのは極限られた方だけなので、生活が豊かになってきたため、子供の世代には教育費をかけるようになり、学習塾は医者の息子などが通うのみですから、芸術関係もブームで、私の友人はギター教室、別のはバイオリン、私は木琴を習ってました。
お礼
ピアノもブームの一種だったのですね。 戦争で荒廃したのにバレーやピアノなんて、ある意味日本は凄いですね。 ご回答ありがとうございました。
- cucumber-y
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当時の日本人の感覚であれば「ピアノが必要だからピアノを買う」では無く「欧米化の波に乗り遅れないようにピアノを買う」というインテリア感覚での購入が多かったと建築デザイン誌の記事で読んだことがあります。 そのためマイホームが持てるくらいの経済状況であれば、家にピアノがあっても特に裕福だというわけではなかったようです。 ピアノがある→子どもが生まれる→ピアノを習わせる→ピアノを嗜む このような流れが一般的であり、丁度その世代に当たる私の母親、配偶者の母親二人とも家にはピアノが有り、ピアノを嗜み、日舞の名取、師範くらいは持っているので女性が学問以外の習い事をすることが広く認められていた時代だったようです。 (ちなみに配偶者の実家はともかく、私の家はどちらかと言えば確実に貧困層に入ります。(笑))
お礼
なるほど。 インテリア感覚ですか。 確かに欧米の香りがしたのでしょうね。当時は。 ご回答ありがとうございました。
>昭和20年前後生まれ ある程度裕福どころか、物凄く裕福なのだと思います。 世間で言う”由緒ある家柄”の方なのかも知れませんね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 やはりそう思われますか。
お礼
教えていただいたページの「第四章 戦後のピアノ発展史」を読みました。 昭和34年で月給5万円クラスですか。 No.6のお礼に書いたURLによると当時の平均的な月収は恐らく37000円前後。 5万円というと約1.3倍程度ですから、収入としては中の上程度の家庭になるでしょうか。 興味深く読ませていただきました。 ご回答ありがとうございました。