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自分のやりたいこと(こだわりをもちたい)
できる人間には色々な要素がると思いますが、必ず必要のものは『拘り』だと思います。 自分の中の考え方に強い『拘り』をもっている人間は仕事でもそれが如実に出てきます。それは仕事が成功する十分条件ではないですが、少なくとも必要条件と考えます。 ただ、『拘り』をもてない人間のほうが多いと思います。 自分が『拘り』を持つためにはと考えたとき、自分が『やりたい』と思うことをやることに限ります。 もう30才になりました。 本気で『やりたいこと』探すチャンスだと思っています。 何かアドバイスをいただけたらと思います。 ・やっていることの好きと思えるところを探す ・物事を少しずつ好きになっていく 上記のような消極的なものではなく、今までの視点と異なるようなご意見をお待ちしております。
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- k0758
- ベストアンサー率16% (8/49)
私は、自分の子に対し、 自分だけのこだわりは、まわりが迷惑するから止めろ。 業界一、○○県一、日本一などのこだわりならやってもいいって、 言っています。 駅前などで、よく自分の楽しみの為に、 ギターを奏でて歌っている方を見かけますが、 他人を感動させられな方の演奏と 単なるこだわりだけの人とは似ていますね。
- chubou3
- ベストアンサー率23% (264/1130)
世の中には拘りを持ってやりたい事を仕事にしている人も居ます。 しかし、全体の割合で言えば1%ぐらいではないでしょうか? 私の経験上やりたい事が一生無い人は90%は居る物と思います。 別に10%に入れなかっても良いでは有りませんか。 当然好きでなければ、人並み以上のレベルには一生なれません。 少ない給料(今後も少ないと予測できる)で節約して生活している人は一杯居ます。 それがいやだったら、無理やりにでも好きに成って夜も寝ずに一番を目指してください。 自分自身に体力や精神力が無い人は上記90%の中で一生を終るのが当たり前ですね。それが天分です。
- meikenhati
- ベストアンサー率50% (1/2)
「やりたいことは身近にあるが、気がつかないだけ。この考えを方は消極的ではないよ。」という、ucokさんの意見には私も賛成です。これが私の回答です。 その為に、「自分の中で追求する姿勢」が生まれることが必要です。 30歳でどうにかなる、今後大不況時に40、50歳ではどうにもならないかもしれない。(でも、30歳と同様にどうにかなるかもしれない。) 不安を解消する為にも、mnm898さんと同じような職業で、同じくらいの年で家族を持ち、この不況でどうにもならなくなった人の意見を聞いたほうがいいと思うのです。いかかでしょうか?
- phj
- ベストアンサー率52% (2344/4489)
仕事にこだわりをもつこと、 一見大切なことのように見えます。 しかしその「こだわり」は誰のためでしょうか? 自分のため、一歩間違えれば自分勝手になりかねません。 お客のため、余計なお世話かもしれません。 そもそも、仕事、とは誰かが与えてくれなければ成り立たないものであることも、30歳なら考えるべきだと思います。 絵を描いても、仕事として売るためには、買ってくれる人がいなければ成立しませんし、歌を歌いたくても、歌う場所(テレビ・CDなど)を用意してくれる人、そして聞いてくれる人がいなければ仕事として成り立ちません。 そのことを忘れてただ自分のこだわり・やりたいことを実現しようとするのは、自分勝手以外のなにものでもないと思います。 しかし実際には自分のこだわりを仕事に反映し実現している人もたくさんいます。 私は、どんな仕事でもまずはスペシャリストになるべきだと思っています。 事務仕事でも、会社の業務に精通するには時間がかかります。そしてその仕事が「なぜ」そのように行われているか理解し、適正に行うだけでもかなりの能力を必要とします。 たとえばファミレスの接客を例にすると・・ 今のファミレスはスタッフの呼び出しボタンがテーブルについています。つまりお客が「注文し、配膳し、お金を払う」という当たり前のサービスについて、お店側スタッフが「自分たちの能力で確認し、適正に(お客様の望むタイミングで)テーブルにスタッフをサービスに出すことができません」と言っているわけです。 これでは(誰も口にはしませんが)レストランといっても、セルフサービスとあまり変わらないのです。 ここにスペシャリストのスタッフが一人いて、すべてのお客様の食事の進行具合、事情(子供がいる・お年寄りがいる等)を把握して、適正なサービスを行うことが出来るとすれば、そのレストランは必ず繁盛します。 少なくとも一流と言われるお店のサービスはそのようにスタッフを訓練しています。 これは客側になってみれば当たり前の要望ですが、サーブする側になってみれば、混雑状態、テーブルの配置、各スタッフの錬度、厨房との連携など様々な条件を勘案しながら、適正な仕事が出来ることが要求されます。 これが出来る人は誰のためにやっているのでしょう。自分のためでしょうか・お客ためでしょうか? 強いていえば、みんなが満足感を得られるように自ら進んで行い、売り上げに貢献している、というのが正解でしょう。 このようにスペシャリストになれば、本当の意味で「コダワリ」が生きてきます。たとえば「あのテーブルの配置をもう少し見直せば、もっとサーブしやすくなる」とか「入り口の待合の工夫をすれば、来店されたお客様をどこにいてもすぐに見つけることができる」などです。そして本当のスペシャストで売り上げに貢献する人の意見なら、会社だって喜んで耳を傾けます。間違いなく利益につながるからです。 つまりどのような「拘り」であってもそれが結果として仕事(または会社)に利益をもたらせなければ、自己満足の域を超えることはないのです。 どのような仕事でもスペシャリストでありプロフェッショナルでなければ、誰も意見を聞いてくれません。意見を聞いてもらえないということは「拘り」も生きてこないということです。 仕事で拘るなら、必ず利益を生むこと、これが絶対条件です。まず利益を生む能力を身に着けましょう。
- usikun
- ベストアンサー率35% (358/1003)
別な視点で 「やりたい」と思えることで無くとも、拘りを持つことはできますよ。 私は今の仕事が「やりたい仕事」ではありませんでした。 あくまでも通過点 そう思っているうちに職務経歴が無視できない 財産となり、通過点が生業になってしまいました。 しかしながら通過点と思ってた時も、生業と感じる今も仕事に 対してのこだわりはあります。 人より成果を出して当然という自分のプライドが拘りを産みます。 好きなことでなくとも、その場所でなさねばならぬ何かを見つける ことで今の会社でも拘りが生まれるのではないかと思います。 現状に真摯に向かい合う 30歳の大人ならまだ見ぬ夢を追うより現実的選択です (面白みのない話ですけど・・・)
- ucok
- ベストアンサー率37% (4288/11421)
>また一歩間違えれば青い鳥になるという考え方もわかります。 #2にお礼をいただきまして。念のために補足しますと、そういうつもりで書いたのではありません。チルチルとミチルは、幸せの青い鳥を求めて壮大な旅に出て、途中、これが青い鳥かと思っては勘違いに終わったりしますが、最終的に、青い鳥はずっと昔から自分たちのすぐそばに、いつも当たり前のように存在していたのだと悟ります。単に自分たちがその存在に気づかなかった、気づこうとしていなかっただけなのです。 あなたが「やりたいこと」は、あなたがその存在に気づいていないだけで、案外と身近にあるのかもしれません。私も本当にやりたいこと(厳密に言うと、やらずにいられないこと)に気づいたのは30歳を少し過ぎてからでした。気づいてみたら、それは10歳の時からずっと拘っていたことでした。
お礼
ucokさんのおっしゃることがごもっともだと思います。 しかし… 『それは10歳の時からずっと拘っていたことでした』 これがある人はそれほど多くないのでは? 自分も同じで30年間という長い間を振り返って、『拘り』を持ったものがない(正確には思いつかない。) ただ、人生を振り返る意味では非常にありがたいお言葉でした。ありがとうございました。
- sunsowl
- ベストアンサー率22% (1025/4491)
よく分からないのですが… ご自分の身近からやりたい事を拾うのではなく、 ご自分がまだ知らない世界を体感して、 そこからつかみ取ってくるとか? 外国にでも行き、視野を拡げてくるとか、そのくらいでしょうかね。 インドに行くと、考え方や価値観が変化すると聞きますが… まあ、こういう事は大学生でも思いつく事ですので、 30歳になった質問者様の場合は、もう少し 「効率のいい探し方」が出来てもいいかと思いますが。
お礼
海外で視野を広げるという考え方は自分も真っ先に浮かびます。 ただ、自分の場合、個人的な理由(親の病気・結婚間近etc)で、冒険が難しい環境なんですね。例えば、今の自分であれば仮に今の会社を辞めてもいくらでも仕事を見つけることができるけど、このまま40歳50歳まで、ただ何となく仕事をしていたら、今と同じような経済環境になった際にどうなるんだろうと不安なんですよね。それなら、今からでも遅くないから、自分の武器を探そうとしていくつか専門的なことを学ぼうとしても、その専門性のゴール(目指すもの)に魅力を感じないからモチベーションがあがらないというのが正直な気持ちです。
- ryuken_dec
- ベストアンサー率27% (853/3139)
>『~であるはず』という考え方は、ちょっと傲慢だと思います 傲慢でも何でもない。 「やりたい」というのは欲求であり、自分の心の声。人間で正常に脳が活動している以上は何らかの欲求は発生しているはず。これが無いのであれば、それは脳の感情を司る部分が死んでいる。 普通はそのようなことはないだろうから、『~であるはず』。 No2の回答にもあるが、問題はそれに気づくか、もしくは意識できるか。 「あ~、明日も客先回り嫌だ。もう営業で頭下げてノルマに追われるのは嫌だ。ヨーロッパにでも行ってゆっくり過ごしたいよ。」と思っていれば、「ヨーロッパにでも行ってゆっくり過ごしたい」がやりたいこと。
お礼
あなたの回答は上から目線すぎだね。 アドバイスでもなんでもない。 もう書かないで。
- ucok
- ベストアンサー率37% (4288/11421)
これは皮肉でも何でもないつもりなので、どうか真面目に読んでいただきたいのですが、もしも今、「本気でやりたいこと」が見つかっていないのであれば、「やっていることの好きと思えるところを探す、物事を少しずつ好きになっていく」といったことを、「消極的」ととらえる視点を捨てることこそが大事だと思います。「やりたいこと」というものは、本当は学生であっても「探す」ものではなく、「気づく」ものなのですよ。青い鳥みたいに。
お礼
『気づく』とは面白い考えだとと思います。 また一歩間違えれば青い鳥になるという考え方もわかります。 ただ、自分の中で追求するという姿勢がなかなかうまれないんです。 ジレンマですね。
- ryuken_dec
- ベストアンサー率27% (853/3139)
学生ならやりたいこと探しも許されるかもしれないが、30にもなれば何かやりたいことがあるはず。
お礼
『~であるはず』という考え方は、ちょっと傲慢だと思います
お礼
大半の人間は現実をみて生きなければいけないと思います。 それが本人の幸せであることも間違いないです。 ただ、それでは世の中はこれほど変わらなかったでしょう。 夢を追う人間がいるからこそ、世界は(良い悪いは別にして)発展したと思います。一部の夢追い人と大勢の堅実派…前者になりたと思うことは一歩間違えれば『甘え』や『逃げ』と判断されることは分かってますが、自分はやはり前者になりたいと思います。 上記の気持ちが強いため、『やりたい』がない『拘り』は自分の中ではなかなか成立しないのです。