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心
心 難しい問題だとは思いますが、 「清い心」とは一体どういったものなのでしょうか? 「清い心を持った人」というのはこういう人だ、というような書き方でも大変結構です。 短文長文構いません。ご意見をお聞かせください。
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どうしても消去法で考えちゃうんだけど、人の心から何を引けば”清い心”になるのか?その手法でしか僕は”清い心”を思い浮かべられない。 ずばり、嫉妬、保身、驕り。人の心からこの辺を引けば”清い心”になるんじゃないかな?
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清い心とは消去法ではなく足し算だと思います。 その理由として、子供って残酷ですよね。なぜ残酷なのかと言えば、純真無垢で何も経験していないからです。なので、大人になっても人生経験が浅いと残酷な心が支配していると思います。 では、清い心とは、辛いこと、苦しいこと、悲しいこと、病気、挫折のような出来れば避けたい経験と、嬉しいこと、楽しいこと、感動、幸福などの喜びの経験、つまり両極にあるあらゆることを経験することだと思います。そのように豊富な人生経験を積むことによって、他人の苦しみや痛みが分かるようになり、他人に対して優しくなれるのだと思います。つまり、子供の頃の掘り出たばかりの角ばった岩が、経験という川の流れで岩の角が削られて少しずつ丸くなっていくように。その結果、濁っていた心が綺麗な心になることが、清らかな心なのではないでしょうか。 人物で言えば、天皇・皇后両陛下のように。なかなか私を含めた凡人には清らかな心に到達するのは難しいでしょうね。 ご参考になれば幸いです。
お礼
御意見ありがとうございます。 まず、この文を読んで頭に浮かんだものは、太極図説です。 間違った解釈をしていれば、大変申し訳ないことですが、 陰陽五行を知ってこそ太極を知り得る、ということと解釈させていただきました。 これは、まさにその通りかも知れません。 陽だけ知れば馬鹿になり、陰だけ知れば捻くれる。 双方知り得てこそ、万物の真理が見える。 なにより、純真無垢は清らかとは違う、という意見を頂けたことに感謝します。 また何か思いついたら是非、力になって頂きたい次第です。 ありがとうございます。
お礼
御意見ありがとうございます。 やはり絶対的な答えが無いこの質問には 消去法を用いて考えるのが最善なのでしょうか。 そこから帰納すると、 清い心とは (嫉妬=欲望の醜い部分) ⇒欲を善い方向に消化できる心 (保身=エゴイズムを持った「守る」気持ち) ⇒広い視野を持った「守る」心 (驕り=感謝の気持ちの欠如) ⇒感謝を忘れぬ心 を条件として得ているもの、というわけですね。 なるほど。考えてみればその通りです。 帰納法を用いたからにはその答えは蓋然的になってしまいますが、 いやはや、考えさせられますね。 貴重な三つの代表例を挙げてくださり、ありがとうございます。 またなにか考えが浮かびましたら、是非。 御達見に感謝します。