- ベストアンサー
お正月の父の容態について
- 父の容態が悪化し、年末から入院しています。
- 父の苦しい姿を見ると、母も辛そうです。
- 父との会話や思い出を大切にし、今を精一杯生きたいと思っています。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
私は、自分の経験上、最終的に良い意味で?”早く息を引き取ってほしい(苦しまないで)”と願ってしまいました。苦しそうな息遣いの父をこれ以上見たくは無かったという自分勝手な想いもありますが、おそらく父は苦しいであろうという状況、母は毎日看病で疲れているであろう状況、という部分が大まかな原因で、冷たいかもしれませんが、入院すれば入院するほど、それだけ入院費用がかかります。そういう金銭的負担もあったと想います。その意味からすると良い意味で願った部分ではないですが…。 「死」というものに直面すると、なかなか現実を受け止められません。それは、初めてであっても、そうでなくても同じように感じると思います。 貴方は強いかただと感じました。 >きっと奇跡はなく現実を受け入れるしかないというのは分かってはいるのに、初めての死の経験ではないのに、やはり辛いです。 >日々弱りながらもその中で、会話が出来る日や水を自分で飲める日があるとやはりまだ死を受け入れるのは辛く、涙が止まらない日もあれば、冷静に父の葬式の写真を母と選んでる日もあります 文章を拝見しますと、受け入れられないと言いながらも客観的に現実的な部分もきちんと見てらっしゃる表現が沢山あります。つらいですが気持ちの整理なんて、今すぐつきません。色々心の中で葛藤してしまうと思います。 お父様への想い、看病されているお母様への想い、自分自分の役割、今後の生活…。キリがないほど沢山つらい気持ちをされていると思います。ただ、その気持ちを割り切ったからと言ってゴールはないと思います。逆に沢山悩まれることで、お父様のこと、お母様のことを沢山真剣に考えており、貴方の優しさはお父様やお母様が一番分かっているのではないでしょうか。
その他の回答 (2)
- forever520
- ベストアンサー率46% (743/1588)
30代既婚者♂です。 死は、100%全ての人に訪れることであり、とても 身近なものでありますが、いざ親のそうした場面を迎えるとなると そんな簡単に割り切れるものではありませんよね。 私の両親は健在ですが、いずれそういう時が来ると分かっていながら、 それはもっと遠い未来の出来事であると、心のどこかでは現実的では ないのですよね。 世の中には様々な別れ方があると思います。事故なのである日突然 の別れをする方も見えれば、あなたのお父さんのように、病気で 最後を家族に看取られての別れもあります。 どちらが幸せかなんて愚問でしょうけど、残された時間は少ないにしても 最愛の家族と過ごす時間を与えられたということは、とても幸せなのかも しれませんね。 死を全ての終わりと捕らえれば悲しいですけど、始まりだと思えたら 希望に変わりませんか? あなたがいつの日か、この世を全うして旅立った時にお父さんが迎えに 来てくれたとしたら、それまでの時間だけのお別れですよね。 私もまだ生きていますので死んだ後の事は分かりません。でも少なくとも それで終わりだとは思いたくないです。 お父さんはこの世の役目を終えて、元の場所へ帰ると考えるほうがむしろ 自然なように思えます。 立派に成長したあなたを見て、お父さんはきっと悔いのない人生だったと 思われるはずです。 ただ、お母さんやあなたを残していく無念はあるはずですので、 何も心配いらないということ、お母さんのことは何も心配しないで欲しいと 私が必ずお母さんの支えになって、お父さんが旅立った後もちゃんと自分の 人生を恥ずかしくないように、しっかりと生きて行くと、伝えられたら きっとお父さんは喜ぶはずです。 自分の命があと僅かと知った時、残していく家族が毎日泣いて暮らして いたら、心配で心配で、辛いですよ。 辛いでしょうけど、お父さんに私達は大丈夫だと伝えてあげてください。 そして、お父さんには痛みや苦しみを極力取ってあげられるような緩和治療を してあげるべきです。 私にも幼い息子が一人いますが、いつかその時が来たならば、私が安心して 旅立てるように、今から息子を厳しくも愛情いっぱいに育ててあげたいですね。 あなたもあまり無理しないでお体を大切にしてください。 最後までお父さんらしい生き方ができることをお祈り申し上げます。
お礼
回答ありがとうございます。 ここ数日の看病を続ける中で、結婚して家を出た娘二人が父の元へ集まり、私は幸いにも妊娠により仕事も辞めており、安定期ということもあり、毎日通い、母の協力をしながら看病が出来、そういった意味では家族に囲まれて最後を過ごせる父は幸せなのかなーと思い始めました。 そして、その様に育ててくれた両親へも感謝の気持ちで一杯なのです。 皆、強制された訳ではないのに、家族の力ってすごいなーとつくづく思います。 年末の小康状態からいつその日が・・・という気持ちで過ごす毎日の中で、こんなに生きるとは死とはと考えたことはありませんでした。 いつかは誰もが迎えるものなのであり、悲しみの中で送られる事は、父も自身も更に辛くするだけだと思えてきました。 まだ父が頑張る限り、家族で見守って前向きに頑張って行きたいと思います。 ご回答者様も息子さんがいらっしゃるということなので、ご回答者様のようなご両親なら幸せなお子様ですね。 暖かいお言葉ありがとうございました。
- kabuyoagare
- ベストアンサー率50% (1/2)
私の父は62でガンを発病しました。4年間の入退院の末、最後の入院で帰らぬ人となりました。 どこかで「ガンは治る」と見た気もしますが、私の父の場合はそれは当てはまりませんでした。日に日に悪くなっていく姿を見るのは辛かったです。悪くなるばかりでしたので今から振り返ってみれば、あの時の方がましだったということがあります。最初は不安なのか携帯電話で1日に数回「今度はこれを持ってきてくれ」とか「あれはどこにしまったかな?」という電話がかかってきて母はノイローゼ気味になりました。しかし体力が落ちてからは食事も自分で出来ないようになります。するとあの電話はなくなりました。もっと体力が落ちてくると食事が出来なくなりチューブで鼻から入れます。最後は話もできなくなりました。今から思えばまだうるさいぐらいに電話してくる方が良かった、手伝えば食事が出来る方が良かったと思います。 ある日、家族が全員そろって見舞いに来ていたときに亡くなりました。全員の顔が見えて安心したのかなと思います。実際には目は見えていないと思います。声も聞こえていないと思います。 気持ちの持ち方なんか考えたことはありませんでした。医者の言うことを受け入れるしかないのです。求められている回答になっていなくてすみません。
お礼
辛い経験談、回答くださりありがとうございます。 私の父は、60歳で発見され、1年ちょっとの闘病生活です。 同じ病室で手術して、回復して社会復帰される方がおったり、癌にもいい癌と悪い癌があるものだね・・・と母と話をしたものでした。 急に下半身が動かなくなり、あっというまに間に転移が広がり寝たきり介助の生活になったとき、なぜ自分だけと子供のように泣き、母の優しさに甘え、弱さを隠さなかった父を否定する時期もありました。 しかし、今食事も取れず、最小限の栄養と水分でも生きている父の姿を毎朝見る事が出来る今は、気持ちを強く持ち父が、色んな意味で穏やかな気持ちになってくれることが一番の願いです。 回答者様も辛い経験を乗り越えて、こうやって回答くださり、ありがとうございます。 きっとこのような経験をしている方が沢山いて乗り切って生きているのですね。 私も今この父と過ごす時間を大事にして、記憶に残して行きたいです。
お礼
ありがとうございます。ご回答読ませていただきました。 ここ数日間、父の側に常にいる為、泊りきりの母と交代しながら、病院に通っておりました。 体調が良さそうに、自力で水を飲んだり手を動かしたり、会話が出来て安心して帰ると、翌日は苦しそうに呼吸をし、目を覚まさなかったり、一日一日病状が変わり、先が読めているようで、読めない状況が続く中で、回答者様の経験されたような気持ちになっている自分がいました。 これが自分勝手な思いなのかも、父のためなのかも母のためなのかもまだ分かりませんが、きっと父がただ悲しむだけでなく、こうやって冷静に考えさせてくれる時間をくれたのだと思います。 回答者様が思ったようないい意味での願いに似た感情なのではと感じています。 まだ父が生きる気力を持ち続け頑張っているうちは、精一杯寄り添い看病をしていきたいと思います。 暖かいお言葉本当にありがとうございました。