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ハンセン病問題と医療倫理
先日、講義でハンセン病についての講義がありました。私の中ではかなり衝撃を受けた内容でした。みなさんは「医療倫理」という点から見てどのような意見をお持ちですか?様々な意見を聞いてみたいです。宜しくお願いします。
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今回の質問の趣旨にそぐわないかもしれませんが、作家の遠藤周作氏がハンセン病について関心が深かったようです。作品のなかにもハンセン病に関わるものもあるので、機会があるようでしたら読まれてみてはいかがでしょうか。 それと、新聞記事等をさかのぼってみることも得られるものが多いと思います。 では。
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- fibula
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No2です。umiumi0111さんの「回答に対するお礼」を読むと、とても優等生的な回答を感じます。言い換えると「暖かい血」を感じ得ることができません。 今もその後遺症に苦しんでいる人や運命に立ち向かっている人に対する「無知故?の冷たさ」を感じます。さてそれはさておき >経済的に余裕の無い時代であると人間の醜い部分が多く露呈してきてしまうのでしょうか。。 そういう面はもちろんあります。 これは当たり前です。でも、それと同時に失うモノが少ないが故の暖かさも有ります。 このあたりは曽野綾子さんが毎週月曜日発行の週刊ポストに隔週連載で「昼寝するお化け」で記載しています。 もし私のこの文でumiumi0111さんに何らかの心の動きがあるのなら、「知ってください。 見てください。 ドラマではないデフォルメされてない等身大の生きた人間の営みを・・・」 最後につっこみを >どの時代にもなんかしらの問題はありますが。 日本人であるumiumi0111さんの一人の「なんかしらの問題」を知らない私は、よく知りも知らない無数の人がいる「時代」の問題なんてあるかどうかなんてとても言えませんが・・・
お礼
回答ありがとうございました。御礼がおそくなりすいませんでした。
- lumberjack
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回答者の多くの方が述べているように、その時代背景が重要であり、尚且つその法整備や倫理観の裏の事実が重要です。現代のように社会的に成熟されておらず、経済的にも余裕のない時代の背景があったとされています。また、行われてきたことにも隠された目的もあったようです。(まだまだ公開されていませんが) 私自身としては、先日の裁判は我々を含めた社会全体の、病気や異形のものに対する特別視への断罪であったと考えています。
お礼
回答ありがとうございました。経済的に余裕の無い時代であると人間の醜い部分が多く露呈してきてしまうのでしょうか。。どの時代にもなんかしらの問題はありますが。
「厚生省労働省はなぜ全面的に認めようとしないのでしょうか?それは差別をしていないという事を主張したいだけなのでしょうか?」 その様に失敗だっと認めてしまうと、過去のいろいろなことが矛盾として出てきて、それがあらわになり、厚生省労働省の権威が失墜して責任の所在があきらかになって責任をとらなくてはならない偉い人(その地位に過去いた人)がでてきたりするのでそれが怖いのだと思います。 ただその様な話は世間にはいっぱいありますね、自分がその時その立場だったら流されていくような気がします だからと云ってしたことは許されるものではありまん 「無知な質問をしてしまいごめんなさい。」 いろいろ知らないので質問をするのであって、納得するまで質問してください、恥ずかしいこととは思いません。
お礼
丁寧に有り難うございます。厚生労働省の権威ですか。確かに労働省の立場もわかりますが・・。許されることのできない問題でもあり、色色な要素がからんでいる問題ですね。
- kawakawa
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現時点で考えると倫理的には,確かに問題ありと言えます。 ただ,過去においてハンセン氏病患者が,隔離されなければ,どのような仕打ちを受けていたかということも考慮しなければならないのが,この問題なんですネ。 更に,感染力についての認識が誤っていたことも事実です。 これらを総合して考えると… 最後の十数年間については,事実に目を閉じての許されざる行為であるといえますが,法が作られた当時においては,判断の分かれるところでしょうネ。 以上kawakawaでした
お礼
回答ありがとうございました。どのような仕打ちと感染力についてですね。時代背景ということを考慮しないと考えることのできない問題せすね。
- fibula
- ベストアンサー率30% (115/372)
多分あの時代の医療関係者がひどいことをした → 医療倫理に反すると感じた → もっと詳しく知りたい ではないですか? でもその「医療倫理」は現在の「医療倫理」ですね。 この手の話を聞く時、忘れてならないのは、その時代の当たり前についてです。 その時代の先進諸国に済む人々が何を「当たり前」としていたかです。 その点を理解すればなぜ強制収容した首謀者が表彰されたか? 断種手術をされたか? なぜその様な今となっては非道と思えることが出来たのか? そんなことが親戚の家のことのように理解できます。 もしこの出来事を過去のことを過ぎ去った話と、とらえるのではなく今も連続する話だと思えるなら、SARS問題にゆれる世界を決して笑えないでしょう。 O-157問題・狂牛病問題で何も学んでいない人が多いのでは無いでしょうか。 過ちは過去の話では無いですよ。 今も形を変えて続く問題ですよ 私ですか、狂牛病の時は焼き肉屋でおいしい焼き肉をいっぱい食べ、2月後に上海の友人に会いに行きます。 怖いですか? 「スペイン風邪」を検索してみなさい。怖いというのはこういうのを言うのですよ。
お礼
回答有り難うございます。やはり時代の当たり前ということについても理解しておく必要があるのですね。あらゆる時代においてこのような事はあるものなのでしょうか。。。
確かに衝撃を受ける問題ですが、「医療倫理」と云うのが分からないですね、それは国の政策、特に厚生省の失政だった思っています。 良い薬が開発され、病状がそれ以上、進行しなくなって他の人にも感染しないにもかかわらず隔離政策をとりつづけハンセン病の人に多大な苦しみを背負わすことになったことは許せることではありません、現在になっても首相や大臣がそれを認めてあやまったのにまだ、厚生労働省は全面的に認めようとしていないと聞いています
お礼
早速の回答ありがとうございます! 厚生省労働省はなぜ全面的に認めようとしないのでしょうか?それは差別をしていないという事を主張したいだけなのでしょうか?しかし、差別ということは誰が見てもわかりますよね・・・無知な質問をしてしまいごめんなさい。
お礼
趣旨の十分関連しています。ありがとうございます!! 機会があったら読んでみようと思います。