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仮定法の理解の確認

質問してきて、自分が大分、仮定法について誤解していたということが発覚しました。 そこで皆さんからもらった助言を元に少し解釈し直しました。 まず、仮定法とは現実ではない話を表すときにつかう。 1つ時制をズラスことによって現実ではない話を表せる。 表現方法は「もし~だったら」→If S had Vpp 「もし~ならば」→If S V(過去形)     「もし仮に~すれば」」可能性0%     「もし万が一~するとすれば」可能性中     「もし~すれば」可能性大 で使い分ける。  だが、I wishやas ifを使う時だけは、例外的で、過去だから過去完了などとはならず、主節の時制からズレテいれば過去完了、同じであれば過去を使う。 ここで疑問が生じました。 1ある、文法書には仮定法は時制がないと書かれていたんですが、 時制がないとは厳密に言うとどういう意味ですか?? 2時制の一致を受けないの意味がよくイメージできません。 詳しく知りたい。 3shouldの後だけ、直接法が来たり、仮定法が帰結説に来たりしますよね。 その理由はwere toはbe toというのを時制を1つズラスことによってwere toとなっているから完全に仮定法であるが、 それに対し、shouldは時制を1つズラスなんて事してませんよね。 よって、こいつは例外的に1つ時制をずらさなくても現実ではない話もできるし、現実の話もできるんだという解釈でいいんですか?? 教えてください

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  • love_pet2
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回答No.6

【仮定節と帰結節】 仮定法、というとき、仮定節と帰結節を区別せずに述べられることが多いのですが、学習者のためには決していい「習慣」ではありません。 "if ..." の部分=「仮定節」、 それに続く「仮定に対する帰結」を述べた部分=「帰結節」 ❖ 仮定法の文=仮定節+帰結節 仮定法の文がすべて↑の構造なら、ここで話しは終りなのだが。。。 【仮定節だけの仮定法の文】 I wish I were a bird. 「私が鳥だったらなあ」「鳥だったらいいのになあ」 がその典型。 これは、If I were a bird, I could do ....... 「もし私が鳥であれば、私は ....... できるのに。」 の帰結節をはぶき、「鳥だったら」+「いい」という表現に変えたもの。 I wish が「いい」にあたります。 【帰結節だけの仮定法の文】 I would like to do ....... 「.......したいなあ。」 がその典型。 would は will をひとつムカシにした形。 これは、仮定節、 「もし状況が許すなら」「もしさせてもらえるのなら」等 が省かれているのです。 【were to について再び】 were to は、be to の現在形、is/am/are to に対応する「仮定法の形」。 be to の意味は、「予定、義務、可能、意図、命令」など、つまり、 「これから何かする」という意味です。 これに動詞を続けると、未来のことを表すのにどうすればいいか、と悩まずに、動詞そのものの形を変えずに、be を were にするだけで仮定法の形にすることができます。未来を表すことのできる will や shall を would に should にして使わずに、「中立的」な「未来」に関する仮定を表すのです。ね、便利でしょ?

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  • cherry77_
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回答No.7

「仮定法」の定義自体が曖昧なので、こういう疑問を持たれるのも無理はないですね。何しろ、オランダ語の文法用語を英語に当てはめているんですから。厳密には帰結節でwillがwouldになるのは仮定法ではありません。本来は条件法とでも言うべきなんです。

参考URL:
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2529731.html
  • trgovec
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回答No.5

should should というのは助動詞の中でも難しく考えると実に厄介なもので、実用的には「~すべきだ」、if 節で「(万一)~したら」、that 節で要求・当然・驚きなど(訳さない)と考えた方がずっといいのです。 それはともかく、if S should は未来のことなのでそこには現実・非現実、時制をずらすことで非現実性を表現ということが通用しません。 1) If a big earthquake occurs, the city will be destroyed. 2) If a big earthquake should occur, the city will be destroyed. 3) If a big earthquake should occur, the city would be destroyed. 1は単純な「~すれば…するだろう」で特に気持ちのようなものはありません。2、3の条件節は可能性を考え、それが低いことととらえています。2の帰結は単純な未来なので低いながらもありえそうだ、3は仮にあるとすればというような純粋な仮定の上での話、という違いです。 では should とは何ものなのか。「~べき」ではないし要求とかでもないし… 今ではほとんど使いませんが shall に「~することになろう」という意味があります A big earthquake shall occur.「大地震が起きるであろう」 これは予言のような響きをもちますが、予言と言うことは未来のことです。これを条件節に使って should にし(結果的に “shouldの時制” がずれることになりますが)表現を控えめにしたのが if should と考えることはできます。 条件節の should や帰結節の would など助動詞の過去形が仮定法を使った文にはよく出てきますが、これは will などに比べると控えめであることを表現します。仮定の上での話なので同じ「だろう」でも可能性がより低いということです。 He will have written to her.「彼女に手紙を書いただろう」 仮定法ではなく過ぎたことをただ推測(ただしまれな用法) If he had known her address, he would have written to her. 住所を知らなかったことを前提とした事実に反する仮定 *if a big earthquake shall occur「もし大地震が起きることとなれば」(現代の用法では誤りとなる)と大袈裟な予言を条件にすることを避けて should で表現を控えめにした、とも考えられます。 ともかく複雑に考えても得るところは少ないので、もともと多くの意味用法をもつ should の用法の一つ、未来の動作を条件節に使う(可能性の低さを含意)ときの用法ととらえておけばよく、時制をずらすずらさないを考える必要はありません。

  • love_pet2
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回答No.4

日本の英語教育にはいいところもたくさんあるんですが、 質問者さんが疑問に思っていらっしゃるようなことも引き起こす、、、 と、ぐちっても、ここでは何の解決にもならないので、 即、質問者さんのご質問内容について回答いたします。 【反実かどうか】 仮定法の仮定であるか、フツーの仮定であるか、の違いの決め手が、 コレ→反実であるかどうか 質問者さんの > 仮定法とは現実ではない話を表すときにつかう という解釈でばっちりいいです。 【反実の表し方→時制をひとつムカシにする】 反実であることを表すには、英語の場合、時制をひとつムカシにする。 > 1つ時制をズラスことによって現実ではない話を表せる という間接的な覚え方より、トニカク、 表現したい内容の実際の内容より「時制」をひとつムカシにする、 と覚える。 「時制」をひとつムカシにすることが反実を表す、 と覚えてもよい。 質問者さんの > 表現方法は。。。 の部分はまったく忘れた方がいい。 これで、 > I wish や as if を使う時だけは、例外的で、。。。 などということを考える必要なし。 【時制とはなにか】 > ある、文法書には仮定法は時制がないと書かれていた > 時制がないとは厳密に言うとどういう意味ですか?? この場合の「時制がない」というのは、 「実際の時制を表さない」という程度に理解しておくのでいいと思います。 > 時制の一致を受けないの意味がよくイメージできません。 「時制がないので時制の一致を受けない」と考えてください。 ようするに、英語の仮定法は「時制を超越した表現」だと思ってください。 現代英語では、元々あった、仮定法を文法的に示す動詞語尾を失ってしまっているので、このような「変則」的な仮定法の作り方をするのです。質問者さんがほかのヨーロッパの言語(すべてではありませんが)を勉強するようになると、このことがよく分かります。 > 詳しく知りたい。 その気持は分かりますが、それはここでは一応おあずけにしておきましょう。 【should】 > shouldの後だけ、直接法が来たり should は助動詞ですから、その直後の動詞は「原形」です。「直接法」たらなんたらいう必要はまったくなし。 > shouldは時制を1つズラスなんて事してませんよね。 もうずれています。should は shall の過去形です。 > よって、こいつは例外的に1つ時制をずらさなくても よって、例外ではありません。 > shouldの後だけ、(中略)仮定法が帰結説に来たり 質問者さんの疑問はごもっともなのです。なぜかと言うと、「仮定法」というときに「仮定法の仮定節」と「仮定法の帰結節」をはっきり区別して説明してある文法書や教科書(ないしは、教師)がほとんどないからです。この「仮定法の仮定節」と「仮定法の帰結節」については、のちほど説明します。 【were to】 > were toはbe toというのを時制を1つズラスことによって be to の be は「原形」ですから、時制はもともとついていません。よって、その時制をズラスなんてこともできません。is、am、are、を仮定法の使い方として時制をひとつムカシにしたのが、were(最近では、was も使われる)です。were to の意味を把握するには、まず、be to がどういう意味を表すのか分かっていなくてはいけません。 今から用がありますので、続きはのちほど。

hohoho0507
質問者

お礼

お礼ではないです。 love_pet2さんなるべく早く更新お願いします

hohoho0507
質問者

補足

かなり簡潔していてわかりやすいです。僕もその解釈を最初はしていたんですが、その解釈(表現したい内容の実際の内容より「時制」をひとつムカシにする)だと以下のようなことが疑問になります。 私が電話した時彼女が家にいればいいのにと思った。という文を英語に直します。 まず、過去の事について起こりえてない⇒現実ではない⇒仮定法ですね。 よって表したい内容の時制をひとつ昔に戻します。 そうすると、彼女が家にいるとは、当然、過去の内容ですね。 よってここは時制をひとつ、昔にするので、仮定法過去完了になるはずです。  しかし、要するに時制の一致を受けないとは、主節の時制は関係なく、 彼女が家にいればいいのにという文を分けて考えるということですか??(これだけ書かれていたら、仮定法過去だから。)

  • trgovec
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回答No.3

たびたびすみませんが付け加えます。 (直説法)過去や仮定法過去完了では状態の動詞・動作の動詞という制約はありません。状態でも動作でもでも直説法過去形は「過去の事実」であり、それを仮定法過去完了にすれば過去の事実に反することは明らかだからです。

  • trgovec
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回答No.2

訂正です I said I would have 実際の発言は I said, "I would have..." ↓ I said I would have 実際の発言は I said, "I will have..."

  • trgovec
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回答No.1

1と2は関連するのでまとめます。 「仮定法で表される世界は時制の縛りを受けない」と言った方がいいでしょう。「世界」というのは仮定法で書かれた部分を指します。 現実を言う「直説法」の世界には時間の流れがあります。 --過去--現在(今)--未来--→ I have と言ったら今現実に「もっている」、I had なら過去のあるときに「もっていた」、I will have なら少なくとも今はないが未来のいつか「もつことになるだろう」。 何の前置きもなく何かをしゃべったり書いたりするとき、発言内容は全て「今現在」を基準にしているのはお分かりでしょうか。過去を振り返っても未来を予想しても発言しているのは今です。*I am saying I have... /*I am saying I had... /*I am saying I will have... 。 発言するときにいちいち「…と私は言っています」なんて言う人はいないし言う必要もないので書かないのです。 ところが「過去に…と言った/思った」ということを「今」伝えたいときは「言った/思った」も一緒に言う必要があります。そうしないといつの発言か分からないからです。そしてこのとき「言った/思った」という主節に合わせて発言内容(従属節)の時制が動きます。これが時制の一致です。 I said I had 実際の発言は I said, "I have..." I said I had had 実際の発言は I said, "I had..." I said I would have 実際の発言は I said, "I would have..." 仮定法は現実ではない仮定を条件にすることから、そこに現実の時間の流れを当てはめられないと考えます。区別するのは「過ぎ去ったこと」か「過ぎ去ってなくてまだ続いていること」か、です。これから起きること(未来)は事実に反するかどうか分からないので、仮定法未来というのは本当はふさわしくありません。 時間そのものの流れ(時制)とは別に物事のあり方や行われ方を区別するものをアスペクト(相・体)と呼びます。ある時点で終わって過ぎ去った「完了体」、ある時点で終わってなく続いている「未完了体」、仮定法には体の区別しかないと言えます。 If I had had more money, I would have bought a house. これは I did not have any more money という過去の事実(終わったこと)を前提とします。 If I had more money, I would buy a house. これは I do not have any more money という現在の事実(今も続いていること)を前提とします。 今これを言っているのなら先ほどと同じように I am saying は要らないので書かないのです。過去にこういうことを言ったということを振り返るなら I said を前に付けますが、仮定法は現実の時間に縛られず主節についていくため I said if I had had more money I would have bought a house. I said if I had more money I would buy a house. 動詞は変わりません。なお、時制の一致を受けないといっても代名詞などは適宜変わりますから注意。この例では全て「私」なので変わっていないだけです。 実は厳密に言うと仮定法の動詞とは if, as if, wish などに続く節で使われているものだけを指します。as if や wish が例外ということはなく全て主節に先立つか同時かで区別をしているのです。 「if 従属節, 主節」のように言いますがこの条件と帰結も I am saying/think etc [if..., ...]. 「言う・思う」という大きな枠組みの中に入っていて、「大元の主節」である say や think は今の発言や考えならいちいち言わないと考えれば、if 節も結局(大元の)主節とずれるかどうかで判断すればいいことになります。 こういう考えは文を読み問題を解くためには実用的でないので、仮定法というものをぼやかして「現実と違うことを言う方法」のようにとらえるのが一般的です。(一般的に“主節”と言われる部分の would 原形・have+pp の名称は特に決まっていません) 3 仮定法未来という不思議な名前で呼ばれる should, were to ですが、本題集などを見ていると気づくことがあります。 If a big earthquake should occur, If the sun were to rise in the east, 未来に起きる可能性が低いか全くないことの仮定、と言われますが多くの場合、動詞は「動作の動詞」おおざっぱに言えば「進行形になれる動詞」です。この動作の動詞というのが厄介で、現在形が現在の事実を表さないのです。夜に「the sun rises 太陽は昇る」と言っても、何でもないときに「earthquakes occur 地震は起きる」と言っても嘘になりません。休みの日に「I work at XX XXで働いている」とも言えます。しかしこれらを現在進行形にするととたんに嘘になります。現在形は時間に関係ない事実や習慣的なことを表しますが進行形はそのときの状態を言います。 一方、「状態の動詞(おおざっぱに言えば普通進行形にしない動詞)」の現在形は現在の事実です。I have/know/am と言えば現に今「もっている・知っている・である」なのです。 こういうことから状態の動詞は仮定法過去で事実に反することが言えますが、動作の動詞の現在形はそもそも現在の事実を表さないので仮定法過去の条件で事実の反対が言えません。 そのため動作の動詞を if 節にもってきて「~すれば」とするとどうしても未来のことになってしまうのです。 if a big earthquake occurs... 仮定法などの含みなしで単純な仮定をするなら現在形を使います(「条件節には未来形を使わない」)。これはこれでかまわないのですが、可能性が低いと見るなら何らかの方法が必要でそれが should と考えてください。普通の未来形にするわけにもいかないし、would では「くれたら」になるし、残ったのが should と考えていいでしょう(shall の過去ではあるのですが、現代はそういう意識は希薄です)。普通 should は仮定法と感じられない文脈でも使うので were to より非現実感が薄いとも言えます。if the sun rises in the west は誰がどう見てもありえないので仮定法の感じを強く表す were to にします。 そして未来のことなのではっきり事実に反すると言えないため、内容によっては主節に単純な未来形が来ることもあるのです。 (話をややこしくするなと言われそうですが、河合塾の参考書にも書かれているので付け加えます。were to もかなり起こりうることに使われるのです。if I were to fall in love という文を見たこともあります。これがありえないことと考えるのは無理があるでしょう。こういうときは主節に will を使うことができます。were to「仮に」 should「万一」と固定的に考えない方がいいでしょう。)

hohoho0507
質問者

お礼

shouldは時制を1つズラスなんて事してませんよね。 よって、こいつは例外的に1つ時制をずらさなくても現実ではない話もできるし、現実の話もできるんだという解釈でいいんですか?? この部分は正しいということでしょうか???