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校庭芝生化プロジェクトについて

小学校の校庭を芝生化するプロジェクトがあちこちで進められています。これについては賛否両論のあるところではないかと思います。私の知りたいのは賛成側の論拠です。何故に芝生化が必用なのか、その理由が今ひとつ分らないのです。 私の子供の頃、小学校の校庭は毎年冬になると水溜りが凍り、轍の後もカチンカチンに凍りついた、それはそれは寒々としたものでした。転んだりすると「ひじょーに痛い」思いをしました。ラグビーをしている時にタックルされて転んだ時は非常に痛い思いをしました。耳でも打とうものなら飛び上がるほどの激痛でしたwwwそのお陰で人に殴られたらどれだけ痛いかも想像がつくようになったのかも知れません。そんなのはまだましなほうで、先輩たちの話では凍てつく校庭に素足で突っ立ち、教育勅語を暗誦させられたとの事です。時間の経過と共に気が遠のいていくほどの苦痛だったとの事です。 お陰で私は非常に元気です。この10年間に医者にかかったのは何回あるだろうかと努力して思い出さなければ分らないほど元気です。それというのも小学校時代からの鍛えられた肉体だからこそと感謝しています。 最近小学校の校庭を芝生にするという、私にとっては奇想天外な発想が、発想に留まらず徐々に実行されてきています。脆弱な子供の大量生産をしたいのか?一部のゴルフ好きの人間の思い付きとその方面の業者だけのプロジェクトではないのか?業校癒着ではないのか?そんな疑問が拭いきれないでいます。芝生化=情操教育の一環、と考えているのであれば余りにも短絡的に過ぎると思っています。 これからの日本はますます貧しい国になっていくのは目に見えています。「技術立国」とかいった過去の栄光に縋っているようですが、このままではすべての面で中国に追い越されるのは必定。足らずとも「足れり」とする精神を育むのではなく、時代に逆行するような過保護は非常に疑問です。未だ太平の夢の中にいるのか。危惧せざるを得ません。 歳を取るごとに感じることですが、昔の若者は20歳になるかならないかの時に、血も滲むような訓練に耐えて、果ては知覧から、あるいは鹿屋から南の空に向かって帰らぬ出撃をして行ったのです。こんな教育で果たして将来の日本はどうなるのか非常に心配です。 余談が長くなりましたが小学校の校庭を芝生化しなければならない理由を知りたいのです。昔は芝生などありませんでした。それでも昔の人間は正常に育ちました。今の人間以上の分別を身につけることが出来たと自負しています。今何故芝生化が必用なのか、その理由をお教え頂ければ幸いです。

みんなの回答

  • ryuken_dec
  • ベストアンサー率27% (853/3139)
回答No.6

>お陰で私は非常に元気です。 これこそ、「何故に芝生化が必用なのか、その理由が今ひとつ分らない」以上に根拠が無く理解できない。 >1度なのか0.5度なのか、それは知りませんが、上昇していました。つまり程度の差を無視すれば >現在と本質的には同じだといえます。それはご理解願えると思います。 >しかし明治の人間は昔と違って平均気温が上昇しているから校庭に芝生が必要だとは言いませんでした。 本質的に全く違う。理解できない。自分の頭で考える必要がある。 15度が25度になっても問題は無い。でも30度が40度になったら問題。問題は温度が上昇しているかどうかではなく、人間が耐えられる温度かそうでないか。今の夏の暑い日は通常の人間の温度調整機能では危険。 芝生化のメリットの1つは子どもが外で遊びやすくするため。 土のグラウンドでは痛いので子どもが転がることなどに怖がるようになってしまう。芝生だと転んでも痛くないので転ぶこともいとわず思いっきり遊べる。その結果転び方もうまくなる。 こう書くと「昔の人はそれを我慢することで根性が養われた」という人もいるが大嘘。昔のような土のグラウンドで根性論で育ったサッカーのGKはセービングが下手。土のために思いっきり飛べずに恐怖心が染み付いてしまったので芝生の上でも体いっぱいに伸ばして跳ぶことができない。トップクラスのGKでも同じ。 人間の体は自己防衛のために痛みを記憶する。これは呼吸と同じで根性では乗り越えられない生理的現象。その結果、痛みを受けて耐えることをやっていると人間はその痛みを回避する好意を自然と取るようになり、運動能力などが制限されてしまう。そうすることで本来なら発達していた能力をうもらせてしまうことにつながる。

y0OilIo1lm
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。この問題は究極のところ実証論的に究明する以外にないのかも知れないですね。芝生化、やればいいでしょう。私は真夏の炎天下、年老いた今でも30キロの山道を歩ききる自信があります。そのような人間が経験から言うことが理解されない、非常に淋しい気がします。ご回答いただいた皆様、ありがとうございました。

回答No.5

端的にお話しすると、化学の閾値の概念はご理解いただけるでしょうか? 閾値がご理解いただけたら、純粋に閾値を越えたという事です。 異常、異常でないはあくまで相対的なものです。 例えば、虫などで考えれば明治から平成の温度を変化は誤差です。 ただ、人間の場合はその温度間に閾値があるため、多大な影響を生じます。 過去は自然が多かったので外気温35度なら校庭の温度も35度でした。 また昭和60年までは外気温が35度を上回る日はほとんどありませんでした。 今は毎年地域により外気温は40度を越える日がありますし 緑が少ないため校庭の真ん中は照り返しにより45度まで上がっています。 35度と45度、人にとっては閾値を越え異常な状態を起こす温度差です。 それを昔の状態に戻そうというのが校庭の緑化です。 今の夏の炎天下で、人が運動をする事ができない事態が生じる は科学的なエビデンスがある事ですので 違う気がするという、過保護な気がするという主観が何故エビデンスある事柄より優先されるのか 正直理解ができません。

  • takapeko
  • ベストアンサー率44% (251/563)
回答No.4

校庭の芝生化を推進しているのはJFA(日本サッカー協会)だと思い ますが、どのように聞いてらっしゃいますでしょうか? 少なくともゴルフは関係ないと思います。 http://www.jfa.or.jp/jfa/social_contribution/index.html

y0OilIo1lm
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。仰るとおり確かにJFA(日本サッカー協会)が公式に推進しているのは間違いないですね。ただ、保護者の中で芝生化に賛同する人の思いは皆同じかという疑問が残ります。ゆえに「少なくともゴルフは関係ないと思います。」につきましてはにわかには納得できません。また誰が推進しているのかとか賛成者の思惑がどこにあるのかは主題ではありませんので悪しからずご了承願います。 さて本題ですが、参考ホームページを読ませて頂きましたが芝生化必用論の根拠が今ひとつ希薄に感じられました。これこれしかじかの理由で絶対に必用だというのが感じられなかったのは残念です。

回答No.3

医学において、一度は生死をわける違いがります。 パタパタと体調が悪い人が日射病になった時代と違い 現在の夏の炎天下は明治の子を100人連れて来れば 100人が日射病にかかり、100人が死ぬ温度です。 そこに概念や曖昧さは入り込む余地がありません。 お風呂で考えると、明治は40度の温度だったが戦後すぐは50度になった。 熱くはなったが、問題にはならなかった。 それは当然です。『生物の存在にグロスとして問題のない温度』だからです。 いまは60度になったら問題になった。 『生物の存在にグロスとして危機を生じる温度になった』 だから問題になった。 上がり幅は同じでも生存リスクに与える影響は数百倍違う、 そのような要因は世の中にあふれ温度はその一つです。 ですので、現状としては炎天下外で遊ばないか もしくは芝生化などで温度を下げる対策を行うか、二者択一です。 それ以外は例えば、陸軍軍医の森鴎外が今の世にあったとしても認めないでしょう。 科学者の立場として医者はそれ以外の選択肢を認められません。 どちらが良いのか 教育者はできるだけ子供は外で運動をしたほうが良いというスタンスなのでしょう。 その部分には異議を挟む余地はありますが 現在の気温と生体に対する影響に関し異論を挟む余地はありません。

y0OilIo1lm
質問者

お礼

再度のご回答ありがとうございます。全体に真意を掴みかねているのですが、特に「現在の夏の炎天下は明治の子を100人連れて来れば 100人が日射病にかかり、100人が死ぬ温度です。」のくだりは疑問というよりも寧ろ私にとっては意味不明です。何か明治時代とは別世界のような、それ程環境が変化しているものなのでしょうか? 私が思うには逆に今の過保護の子供達が育ち、仮に、仮にの話ですが、パプアのような酷暑の地域で、飲まず食わずの戦いを強いられたり、シベリアのような極寒の地に抑留されたりした場合、一人として生き残れるものはいないと思うのですが。 要するに私は基本的に肉体は鍛えなければドンドン退化していく、人により個人差はあるものの一般的には鍛錬によって丈夫になっていくものだと思っているのですが。 なお「芝生化などで温度を下げる」、そんな効果があるのかと、いい勉強になりました。ただし私の子供のころもやはり真夏の暑い日は33、4度はあったように思いますので、やはりそんな必要がどこにあるのかという疑問は残ってしまいますが、、、

回答No.2

昔と違っていまは気温が上昇しているので 校庭の照り返しが強く夏場はすぐに熱射病になってしまいます。 私は医師をしていますが、熱射病は根性論ではないので 戦前、戦後の子を連れてきて今の環境においてももバタバタ倒れますよ。 校庭の芝生化は暑さを和らげる効果があるため夏でも子供が安全に遊べます。 時代が違うのではなく環境が違うのです たとえば昭和40年代は一部地域で 光化学スモッグが問題になり、光化学スモッグ発生時はサイレンがなり 校庭の子供は校舎に避難しました。 それを見て情けないというのと同じです。 昔は毒ガスが発生する事がなかったからずっと遊んでいられた。 昔は体の温度調節能の範囲内の気温だったからずっと遊べた。 何でも昔と比較すれば良いものではありません。 関与するファクターが違うのですからその点は常に考慮に入れる必要があります。

y0OilIo1lm
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。私の子供の頃にも校庭で何かあるとき、必ず何人かは倒れました。熱射病という言葉も良く言い聞かされていました。根性論でないのは納得できます。しかしながら倒れる者がいるから芝生に、というのはどうも納得できないのです。 明治や大正時代にもやはり「当時からしての昔」とは違って気温が上昇していました。1度なのか0.5度なのか、それは知りませんが、上昇していました。つまり程度の差を無視すれば現在と本質的には同じだといえます。それはご理解願えると思います。しかし明治の人間は昔と違って平均気温が上昇しているから校庭に芝生が必要だとは言いませんでした。 平均気温の上昇云々などは良く言われることですが、我々はもっと自分の頭で考える必要があるように思います。

  • kent_a
  • ベストアンサー率18% (36/199)
回答No.1

個人的な意見ですが ・地球温暖化対策  芝生が少しでもCo2の削減になるのでは? ・ヒートアイランド対策  地面より芝生の方が温度が上がらないのでは? ・安全対策  モンスターペアレントの出現なので校内での怪我に過敏になっているかも 芝生化は個人的には子供がのびのびと過ごせるので賛成ですが、その後の維持管理をどうするかまで考えないと大変なことになると思います。

y0OilIo1lm
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。3つ掲げていただいているのですがそれについては何とも、あるいは、今ひとつ、というところです。ただ最後の「維持管理をどうするか」ですが、これ非常に重要ですよね。それに見合う効果があるならまだしも、あちこちに空港を作りすぎて維持するのに大変だー、というのと同じような問題が起こらなければいいですね。

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