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はっきりした原因もなく、PTSDになることはありますか?
街中などを歩いていると時々、とてつもない絶望感に襲われます。 そして大人なのにしゃがみこんで泣き出してしまい、 思い切り泣くまで泣きやむことができません。 頭の中では「ごめんなさいごめんなさい」「誰か助けて」 という言葉が鳴り響いていて、 思わず口に出していることもあります。 (幻聴ではなくて、勝手に頭に浮かんできてループする感じに近い) 社会不安障害(パニック障害・会食恐怖)と診断されているのですが 私の場合「死ぬかもしれない」と感じる恐怖は 治療して3年目位で無くなり、 激しい発作もおさまりつつあります。 飲食店での食事もだいぶとれるようになってきました。 (5回いったら3回くらいは平気) しかし、今はなぜか突然に絶望感と謝罪のような感情があります。 誰に対して何を謝っているのかがわかりません。 これはPTSDの症状でしょうか? (突然起こる発作のため) もしそうなら理由がわかりません。 本人は忘れようとしているので意識がないけれど 心は覚えていて思い出させているのでしょうか? 悲しいことはいくつかあったけれど、 PTSDはもっと大変な思いをした人の病気のように思うのです。 もしわかれば教えてください。
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まだ一般的にはなっていませんが、複雑性PTSDではそのようなこともあると思われます。
- am2007
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書こうか、書くまいかと悩みましたが、お叱りを覚悟で書きます。 >はっきりした原因もなく、PTSDになることはありますか? 現代医療において、はっきりした原因がないときには、PTSDといわないようです。 >頭の中では「ごめんなさいごめんなさい」「誰か助けて」 >という言葉が鳴り響いていて、 >思わず口に出していることもあります。 あなたがNo.1さんのレスに書き込まれている「ぼーっと散歩しているときなど、急に親が自分に手をあげていたことを思い出します。」、「虐待ではなくしつけです」というくだりがあります。意識がボーっとしている状態を無意識ともいいます。無意識になったときに沸いてくる感情が、パニック発作の直接原因である可能性が非常に高いのです。 また、「親とは今では和解して嫌な感情はありません。」とも書かれています。人の感情には、建前(理性)と本音があります。親との和解は、頭の中(理性)では解消したけれども、心の中(本音)の部分に、まだ、こだわりが残っている可能性があります。つまり、まだ、「心が納得していない」のです。 それは、「門限を守らない、(中略)、かなり強めに殴ったり蹴られていました。一番小さいころの記憶が幼稚園年少~高校3年生くらいまでです。」とも書かれていますが、中・高校生になると、それなりの分別がつきますので、それほどでもありませんが、善悪の判断もはっきりと分からない幼稚園~小学校低学年の頃の「重度の躾け」は、ともすれば、いじめと全く変わらないように「幼少期の子供の心には映る」のです。 >今はなぜか突然に絶望感と謝罪のような感情があります。 心というものは、ときには、思わぬ出来事を見させてくれます。 心が落ち着いたときに、過去の抑圧された感情が湧きあがってきます。心が葛藤しているときには、ほぼ出てきません。また、夢も同様です。例えば、よくある話しですが、離婚話しの最中(葛藤中)には、旦那は夢の中に出てこず、離婚が解消して(心が落ち着いて)から出てきて、心を惑わせます。 >誰に対して何を謝っているのかがわかりません。 幼少期に起きた重度の躾けから生じるお母さんに対する謝罪の言葉でしょう。「言われた通りにしなさい!」、「黙っていうことを聞きなさい!」、「どうして出来ないの?」などといわれたかすかな記憶はありませんか。躾けというものは、愛情あってこそ躾けの意味があります。愛情なき躾けは、単なる虐待です。あなたは、お母さんに対して、「自分は愛されている」という愛情を感じていらっしゃいますか。 幼子の心は、真新しくきれいな白板です。そこに、「何故、そうしなければならないの?」という納得がいかなかった部分があったのでしょう。「何で?」、「どうして?」、「怖いよ!」などの負の感情が、パニックを呼び起こします。でも、「自分は愛されている」という想いがあれば、パニックは起こりません。 100%の解消は出来ませんが、今よりは、かなり楽になると思います。試してください。 まず、私の書き込みをじっくり、理解・納得されてください。(これが重要です。)また、現在、お母さんと、幼少期にあった数々の出来事を会話することはありますか。あったとすれば、現在、どれくらい理解されていますか。その幼少期の出来事を理解するために、それとなく、お母さんにお尋ねされてください。決して、顔色を変えずに、それとなくですよ。 当時の出来事が、理解・納得出来たら、客観的な立場でイメージしてみてください。「あのとき、あ~だったんだ」、「こんなこともあったんだ」、「辛かっただろうな」などと。 最後に、当時の出来事は、記憶にない出来事ですから、いくら考えても当時の辛い感情は沸き出てきません。ですから、安心して考えてください。「当時の抑圧された感情が当時の心に蓄積されている」ので、現在も湧きあがるのです。ですから、当時の「辛かった、悲しかった、我慢していた想い」などを引っ張り出してください。無論、感情は伴わなくても構いません。イメージで結構です。やがて、心が落ち着いてくると思います。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5466101.html(No.4)
お礼
お返事が遅くなって大変申し訳ありません。 >書こうか、書くまいかと悩みましたが、お叱りを覚悟で書きます。 気にしなくて大丈夫ですよ。 むしろ色んな意見が聞けてありがたく思っています。 正直な意見というのが実は一番相手のためになることもあると 思います。 >離婚話しの最中(葛藤中)には、旦那は夢の中に出てこず、離婚が解消して(心が落ち着いて)から出てきて、心を惑わせます。 とてもわかりやすいたとえだと思いました。 渦中にいるときは確かに嫌な感情が通り過ぎるだけですね。 しつけなのかという議論はむずかしいところですが 私の兄は素行が良く勉強もでき難関私立中学に合格し 近所の小さい子の面倒も見るようなタイプで、 対して私は小食で食事にも人の倍の時間がかかり 学業成績も悪く、自閉的で友達が誘いに来てくれても ずっと絵などを描いており、 絶対インターフォンに出ないような子供でした。 家のしつけが厳しかったのも重なり 母も手を焼いていたのではないかと思います。 母は元教師でしたし、母の生家はとてもしつけが厳しかったので 感覚が少し違うのかなと思います。 「叩くほうの手も痛いんだよ!」と泣かれたことを覚えています。 土下座して「お願いだからまともになってください」 「親戚中でこんなに素行の悪い人間はいません」 といわれたこともあります。 別に私は元ヤンキーなどではありません。 この辺りのことは忘れたいです。 ただ、母は父と土日毎に喧嘩していたため やめてよ、などと余計な口を挟み、 とばっちりとして殴られたこともあります。 旅行に行くと毎回大喧嘩なので、中学生を境に全て断っています。 しかし一度母に全てぶつけてみたことがきっかけで 今は本当にわだかまりがないような気がします。 少なくとも私は。 回答ありがとうございます。
- shu-hikaru
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素敵なnanorunamoさん、以前も回答させていただきました。 幼少期から私が21歳、姉が25歳になるまで姉から暴力を受けていました。猿山のボスと一緒ですね。 小5~中2は学校で虐められていました。教科書、ノートにデブ、ドラム缶、バカ、嫌われてんだよ、などなどいっぱい落書きをされ、学級会で「どうすれば改善できるか」と議論され、先生も親も知っていましたが、何もしれくれませんでした。この頃の記憶は学校のも家庭のも、あまり有りません。 初体験は19歳での婦女暴行でした。この頃の記憶もあまり有りません。 24歳新婚早々から4年間、夫に精神的DVを受けました。 29歳、信じていた男に妊娠6ヶ月で捨てられました。その頃から睡眠障害を患いましたが授乳中はと我慢して31歳から1年間カウンセリングを受けました。病名ははっきりと聞きませんでしたが精神安定剤を睡眠導入剤を服用していました。 当時は育児休暇など使える状況では無く、生活のためにすぐに復帰しましたが、「勝手に子ども産んで迷惑だ」と職場でバッシングされました。 33歳でその男と裁判となり、助けてやると近づいてきた男に騙されて負債800万円を背負いました。負債は2年で完済しましたが、この頃の記憶は墓場にまで持って行きます。 返済する過程で交通事故に遭い、実際にはその際の保険金で随分と助かったのですが、交通事故という現象が借金返済のシンボルとなってしまったのでしょう、1年前に再び交通事故に遭ってから様々な思い出がフラッシュバックするようになってしまいました。 その数年前から時々、精神安定剤と睡眠導入剤とを貰いに心療内科へ行っていたのですが、とうとう定期的な通院を必要とするようになってしまいました。 先生に「PTSDでしょうか?」と質問したら、「それだけの経験をしていれば、そう言っても良いでしょうね」と言う返事でした。しかしカルテに書かれているのは不安障害かも知れないしうつ病かも知れないです。実際に軽度のパニック障害も持っているし、不安障害も睡眠障害も抱えていますが、飲む薬が合っていて改善に向かうのなら問題無いような気がします。 多分、心の病を抱えている人は、単一の病だけでは無く、複数の病を抱えているような気がします。診断名はさほど大事では無く、症状を緩和させる自分に合った薬を服用し、適切なカウンセリングを受けてご自身の心の深いところに有るものを整理することが大事なのでは無いでしょうか。心の深いところに有るものを整理する過程で合わせて色々なことに気が付いていけば、自分の現在も、過去も許し、慰め、認めることができるのでは無いでしょうか。
お礼
お返事が遅くなり大変申し訳ありません。 shu-hikaruさん、いつも回答ありがとうございます。 大変なご経験をされているのですね。 とてもおつらかったことと思います。 何度かその頃の記憶があまりない、という記述をされていますが 私もあまりはっきりした記憶がない部分があります。 これは嫌なことを忘れようとする自然な作用なのでしょうね。 そうでなければつらすぎます。 でもどこかで覚えている位印象的なできごとなので 時々フラッシュバックするのだと思います。 おっしゃるように病名にこだわるのではなく 適切な治療をしていけばよいと思います。 アドバイスありがとうございました。
- jinseiwalk
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いやな思い出は忘れようとする作用が人間にはあります。あなたの場合もそうだと思います。泣き叫ぶほどいやなことが会ったに違いありません。 しかしあまりにも耐え切れないほどなのでそれを忘れてしまって、ただ泣き叫んだことだけ覚えていてフラッシュバックするのです。 昔のかわいそうな自分を思い出して泣くことはストレスを溜めない良いことです。ただ回りがびっくりしますので、駆け込む場所、トイレなどは日ごろから確認しておきましょう。 心理セミナーなどで過去を振り返るものがありますから行って見るといいかもしれません。
お礼
お返事が遅くなってしまい、大変申し訳ありません。 こういう場合もフラッシュバックと呼んでかまわないのでしょうか?? いまいちこの定義がわからないのです。 でも確かにパニック発作ってPTSDの感じと似ている気がします。 (実際の患者さんに聞かないとわからないかもしれませんが) 泣くときはビルの中の階段とか隅の見えないところにしています。 それでも都心は人が多いので恥ずかしいです。 知らない方が通って、大丈夫ですか?と言って頂いたことや、 ポカリスエットを買ってきて頂いたこともあります。 東京の方?は優しいですね。 みなさん強く生きていらっしゃるのに、 自分は人のお世話になることばかりです。 来週から街のごみ拾いボランティアに参加しようと思いまして、 なんとか街の方々に還元できたらと思います。 回答ありがとうございました。
私は30歳で独立開業した同時に不安症が始まり20歳から始まったかなり激しい皮膚病が10年も治らないため心身症の勉強とセミナーの参加を始めました。 ある行動療法で深層心理に迫ったところ「もうヤダー」と叫び我慢している自己に気づいたのです。 その後別の合宿で自分が中学生入学以前の記憶が無いことに気づきました。おそらく幼い時に何かがあり思い出したくないため記憶喪失になり、それが原因となり「もうヤダー」と叫び我慢しているものと想像しておりました。 30歳から始まった不安症は治らず40歳になり不眠症と自律神経失調症となり通院服薬を始め、病気を抱えながら無理して仕事を続け57歳でついに我慢の糸が切れ精神病院に入院しました。 ここまで悪化させたため仕事を辞め治療に専念し3年ほどで光りが見え始め現在62歳ですがどうにか情緒安定までこぎつけました。 ものの本を読みますと精神分析で生育過程に問題ありと原因が究明され解決ということが記載されていますが、現実は数重なるカウセリングを受けても記憶はもどらず30年間追求しても何も分からず、医師からもカウセリングをすすめられましたがもう原因追及はあきらめましたということでお断りしました。 原因は分かりませんが、結果として、不安症・自律神経失調症・鬱病・パニック障害・睡眠障害を抱えての30数年間ですし現在も通院し死ぬまで通院とあきらめてます。 ご質問PTSD、結果として突然に絶望感と謝罪のような感情があるわけですから、まずはカウセリングを受け心ら整理と気づきを深められ、情緒不安定で生活に支障があるようでしたらお医者さんで薬を処方してもらった方がいいです。 カウンセリングを受けて深層心理が簡単に分かるとは思えません。 カウセリングは心の鏡のようなもの絶望感と謝罪のような感情への深い気づきと自分の心に対する対処の仕方が整理されてくると思います。
お礼
おはようございます。 入院までされたのですね、大変だったんですね。 でも情緒が安定されたということでよかったです。 私も原因追及はむずかしいかもしれませんが カウンセリングの必要がありそうですね。 原因に目を向けるのが嫌で逃げていたかもしれません。 アドバイスありがとうございます。 お体お大事に。 私もがんばります。
- ka030025
- ベストアンサー率65% (120/182)
PTSDという病名がつかなくても(PTSDと診断される条件を満たしていなくても)過去に何か衝撃的な出来事を体験し、トラウマを抱えている場合、それがパニック発作のような形で出ることはあります。 あなた様が社会不安障害となられた原因の中に、何かそのような(自分を責める・謝罪をするから助けて!というような)ものはありませんでしたか? それとも、とてつもない絶望感がふいに襲ってくるから、それに対して「お願い許して!」というふうになってしまう状態なのでしょうか。また、その時に何らかのフラッシュバック的なものはありますか? とても辛いことだと思いますが、そうなった時は一種のパニック発作と考え、気持ちを落ち着けて「なんでもない、大丈夫」と唱えながら、その絶望感の中身を自分なりに探ってみてください。 悲しいことがいくつもあったのなら、その中に原因がひそんでいるかもしれないし、いくつもの悲しみに耐えてきたことで、心が消耗し、パニックが起こりやすくなっているのかもしれません。 パニック障害も社会不安障害も、苦しい状態をあまり我慢しすぎると、うつ症状を併発してしまうことがあります。 ですので、お医者さんには、最近時々そういう状態になること、どんな悲しいことがあったのかを、ぜひ打ち明けてください。 いずれにしても、ご相談の症状は、社会不安障害&パニック障害で治療を受けていらしたことと無関係ではないと思います。 お医者さんに相談することが最善だと思います。 どうぞお大事になさってください。
お礼
早速の回答ありがとうございます。 とても助かります。 なるほど、パニック発作のような形で出ることはあるのですね。 特には思い当たらないのですが、強いていえば 数年前に激しく嘔吐した後(1時間位トイレから出られず) マンションのベランダから飛び降りようとしたことがあり 幸い近くにいた住民の人が止めてくれて助かったことがあります。 (自分は錯乱状態で、後で聞いてぞっとしました) 自殺願望は全くありません。 フラッシュバックは全くありませんが、 ぼーっと散歩しているときなど、 急に親が自分に手をあげていたことを思い出します。 ※虐待ではなくしつけです。 門限を守らない、寝転がって電話をしていた、ピアノの練習をしない、 など悪いことをした時のみ、かなり強めに殴ったり蹴られていました。 一番小さいころの記憶が幼稚園年少~高校3年生くらいまでです。 親とは今では和解して嫌な感情はありません。 病院でのアドバイスもありがとうございます。 参考にさせてください。
お礼
URLありがとうございます。 読んでみました。 今は新しい?病気のカテゴリーがたくさんあるのですね。 とても参考になります。 回答ありがとうございます。