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クリスマスを納得できる詭弁ってないものでしょうか?
今年も残すところ2ヶ月を切りました。そろそろ年末モード、クリスマスの声も聞こえてきています。 ところで、私はキリスト教の信者ではないため、本来、クリスマスとは何の関わりもありません。 しかし、日本では、クリスマスを毎年盛大に祝っています(騒いでいますの方が正しい?キリストの誕生を大多数の日本人が本当に心から祝っているとは思えないです)。 違和感を毎年感じつつも、毎年クリスマスのイベントを「家族が楽しみにしているから」という理由で自分を納得させようとしているのですが、商業主義に乗せられているだけなのが虚しくて仕方ありません。 キリスト教信者でもない自分が、キリストの誕生日を祝うつもりは、それほど無いけれど(反対にアンチキリストというわけではありませんし、斜に構えているわけでもありません)、商業主義に乗せられても、自分を納得させられそうな詭弁とかないものでしょうか?これが質問です。 ちなみに、いっそのことキリスト教信者にでもなってもいいかも、と思ったこともありますが、キリスト教の教義の根本的なところで、私の信条と相容れないところがあるのでやめました。 うちには、小さい子供がいるのですが、年中行事などがあると、その意義をいつも教えています。クリスマスは、「キリストの誕生日なんだけど、世界平和をお祈りする日でもあるんだよ。だから、みんなの幸せを祈ってプレゼントを交換するんだよ。」と一応、教えてはいますが、これは私の勝手な創作なのでちょっと、と思っています。
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- t78abyrf9c
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>けど、自国のそこそこうまくいっているシステムを拒否する理由に、自国の国民の大半がその宗教の信者ではないからとなるのでしょうか。 貴方の質問内容が、私には上記(つまり、宗教の否定がシステムの否定に繋がる)のように受け取れたからです。 >日本は、前者でしょうか?それとも後者でしょうか? 私から見れば、前者でも後者でもないです。 その辺が、日本と宗教(観)を語る上で少々厄介なところなのですが・・・。 以前に、日本と宗教の関係性に関する質問に答えた事がありますので、参考までにご覧頂ければと思います。 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5081768.html
- nolly_ny
- ベストアンサー率38% (1631/4253)
お寺のお坊さんの自宅に行けばクリスマスツリーが飾られているぐらいですよ。質問者さんはたいへん誠実な方なんですね。 日本のイベント「クリスマス」には、一切宗教的なことは関係ありませんよね。これはキリスト教信者も知っていて失笑していることでしょう。 クリスマスだけでなく、バレンタインデーもハロウィンも、本物の意味とも意義とも全く異なります。先の方々も書かれているとおり、日本の誰かお金儲けしたい人が作り上げた、日本だけのイベントです。 本物のChristmas Day、Saint Valentine's Day、Halloweenと、日本語の呼び名(発音)とは大きく異なることも考えて、「全く別の、ただのイベント」だと考えて、宗教的なこととは切り離して考えてはいかがでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。 >質問者さんはたいへん誠実な方なんですね。 はい、ひとからも、よくそのように言われます。多分。 それは冗談として、他の回答者さんへのお礼にも書いたのですが、多分、私はクリスマスのようなイベントの雰囲気にのることが苦手なんだと思います。 苦手なことに対しては、何かと疑いを抱いたりするのが人情だと思います。 それはそれとして、私は、人よりも少しだけ、自分が抱いた疑問を解消したいとか、真摯に向き合おうとする傾向が強いのかもしれません。その意味では、誠実な人間と言えるかもしれません。 クリスマスについてですが、自分には疑問が解消されないまま、現在進行形で、毎年参加しており、空虚な気持ちを抱いています。 実は、私は、クリスマスに限らず、各種イベントに対して、子供の頃、いい思い出が何もないため、余計にそうなのかもしれません。 今は、子供がいるため、子供には自分と同じような辛い思いをさせたくないと思う一方、いろいろなことを知っておいて欲しいと思い、いろいろと考えながら、家族の年中行事を行っています。 そのために、年中行事の趣旨を、人よりもまじめに考えているのかもしれません。 ですから、本来の趣旨からは切り離した、単なるイベントとは、なかなか割り切れないと思っています。 ですけど、イベントの趣旨を理解した上で、各種の家族行事を行うのはなかなか楽しいと思います。 ですから、反対に、趣旨の理解しかねるイベントは、?です。
確か本場のクリスマスの起源もどこかの土俗的行事がキリスト教と融合したものではなかったでしょうか。日本では金神教にクリスマスが再度融合してできたものが、いわゆるクリスマス祭りなのではないでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。 クリスマスの起源について調べたことがありますが、本場での起源については回答者さんのおっしゃるようなことを読んだ記憶がそういえばあります。 後半部分については初耳です。金神教自体はじめてうかがいました。金光教と関係がありそうな、、、ちょっとおもしろそうですね。機会があれば調べてみたいと思います。
- t78abyrf9c
- ベストアンサー率47% (3029/6402)
「キリスト教の信者ではない」というのが最大のネックになってるようですね。 ですが、今の日本はクリスマス以外でもキリスト教の影響を多大に受けた状態になってます。 最早、「キリスト教の信者ではないから」と言ったところで何の意味もない状態にまで来ているでしょう。 まず、「個人」や「社会」と言った言葉や概念は、キリスト教無くしては有り得ません。 そして、現在の資本主義や政治・司法(刑法)システムは、上記概念を基にして出来上がっており、全ての源流がキリスト教へと繋がってきます。 日本人の多くが「キリスト教の信者ではない」という理由で、今の日本から「個人」「社会」「資本主義」、そして現在の政治や司法の仕組みを全て拒否したらどうなってしまうでしょう。 恐らく、物凄い混乱状態になると思います。 クリスマスも、それらの延長上として捉え直すと、違った見方が出てくるのではないでしょうか。 http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002046.html http://jfn.josuikai.net/josuikai/21f/main53-1.htm http://www.kunidukuri-hitodukuri.jp/web/koso7/koso7_column_tosa2_24.html http://www.amazon.co.jp/dp/4787231006 http://www.google.co.jp/search?hl=ja&safe=off&rlz=1B3GGGL_jaJP329JP329&num=100&newwindow=1&q=%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E3%80%80%E8%B3%87%E6%9C%AC%E4%B8%BB%E7%BE%A9&btnG=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=&aq=f&oq=
お礼
回答ありがとうございます。 あるところにA国があったとします。A国は、その国の代表的な宗教的概念に基づいて、社会システムを作りあげていたとします。 A国の隣にB国があったとします。B国は、絶対的な支配層、少数の富裕層、そして大多数の貧困層から構成されていました。 B国で支配層に政変がありました。新たな支配層は、B国の国力を高めたいために、新たな支配システムを構築しようとしていました。そこで、B国はA国のシステムを取り入れることにしました。しかし、宗教については、B国にはB国の宗教があるため、A国の宗教は取り入れませんでした。しかし、支配システムに国民の娯楽は必要だと考え、A国の宗教のお祭りを形だけ取り入れ、奨励しました。 B国は、A国のシステムを取り入れた結果、紆余曲折はありましたが、そこそこうまくいき、国民も大多数の者が、そこそこの経済状態で暮らせるようになりました。 しかし、B国のある国民b1さんは感じていました。「わが国は、A国の宗教とは何の関わりも無いのに、A国の宗教のお祭りを祝っている。なんで?」 もしかしたら、b1さんは、A国のある宗教的なお祭りのいいとこだけをB国で祝い始めた理由に気が付くかもしれません。 けど、自国のそこそこうまくいっているシステムを拒否する理由に、自国の国民の大半がその宗教の信者ではないからとなるのでしょうか。 お祭りを別の理由で取り入れていたとしても、どうでしょうか。 一方、国の支配層が、その支配のために、ある宗教とも言えるようなシステムを導入し、そのシステムに従うことを国民に強制し、従わないものを弾圧し、多くの国民はその支配システムのせいで、貧困にあえいでいたとしたら、国民の多くは、そのシステムの信者にはなりきらないと思います。そして、その自分達を支配して苦しめていたシステムを拒否する理由に十分なり得ると思います。そのときには社会が大混乱になろうとも、そのシステムの支配のための様々な要素も拒否されると思います。 日本は、前者でしょうか?それとも後者でしょうか?
- unkotarezo
- ベストアンサー率16% (1/6)
今の日本に最も影響を及ぼしている思想は、仏教でもキリスト教でもなく、「資本主義」だと思います。資本主義はみんなが市場で経済活動するのが原動力なので、「たくさんお金を稼いで楽しく消費する」のが一つの幸福のあり方であるとされているところがあると思います。従って、クリスマスもバレンタインもゴールデンウィークもそういう消費の機会として与えられているわけです。キリストの誕生日とかは消費行動も盛り上げるためのコンセプトに過ぎないと思います。なので、クリスチャンではないのなら、クリスマスではキリストの生誕を律儀に祝わずに、プレゼントを子供に買ってあげて、奮発したディナーやケーキをみんなで食べて「クリスマスの雰囲気」に浸る、資本主義のお祭りだと思ってみてはいかがでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。 >資本主義のお祭り 私も、今のクリスマスはこの一言に集約されているように思います。 だから、毎年、虚しさを感じるのかもしれません。
- impiousfox
- ベストアンサー率22% (119/537)
私はクリスマスの商業主義にはだいぶ前に折れ、 バレンタインデーの商業主義にも今年ついに敗北しました。 ハロウィンの商業主義にはもはや屈しまいと思っているのですが それもいつまでもつかわかりません。 しかしそれらも、親しい人々と暮らす楽しい日々の 歳時記的な演出に過ぎないと思えばどうでもいいことです。
お礼
回答ありがとうございます。 商業主義に対するあきらめの境地なのでしょうか。 ちなみに、僕はなぜか、ハロウィンだけは、子供が出来てからすんなり楽しむようになりました。節分の豆まきの親戚という感覚というか。 夫婦でヘビーメタルが好きなのですが、ヘビーメタルバンドのHelloweenつながりが単なるオチです。スペルは違いますが、でも、BGMにぴったりなので、毎年同じことを徐々にバージョンアップしながらしています。子供も喜びますし。自分達も楽しんでいます。精神レベルがそれなりという見方もなきにしもあらずな気もしますが。予算があまりかからなくていいというのも気持ち的に楽なのかもしれません。
- phj
- ベストアンサー率52% (2344/4489)
日本人は多神教です。八百万の神が居るとされています。 実はキリスト教が入ってくる以前にも、渡来宗教である仏教と日本古来の神道の融合について悩んだ人がたくさんおりました(つまり八百万の神に外国の神・仏を入れていいのか?ということです) 一応の解決策として「本地垂迹」が唱えられるようになりました。つまり、インドでは仏様として現れた神様は日本では別の神として現れたということで、「人々の幸せを願うのは同じだから」同じものだ。というものです。 これを聞いてから、日本人はどんな神様でも受け入れてしまう懐の広い民族だから、正月に神社に行って結婚式やクリスマスをキリスト式にやって、お葬式を仏教でやっても(日本人なら)問題無いんだ。とおもうようになりました。 また古代ローマも多神教で、戦争して異民族をローマに引き入れると新しい神様がローマの神殿に配置されたそうですし、その神様が魅力的だと、(ハロウィンの流行のように)新しいお祭りも出来たそうです。 ということで、クリスマスを祝うのは神仏習合の日本人だからアリ(だって神社に御参りしても、その神社のいわれとか何の神様かとかあんまり考えないでしょう) イスラム教徒でも最近はクリスマス風に祝うのがはやっているので、日本もアリ で「世界中の人々が幸せな一日を送れるように考える日」でいいのだと思います。 子供が大きくなったら、戦争や飢饉でクリスマスを迎えられない子供たちのことも考えられるようにすれば良いと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 不勉強でして、「本地垂迹」は初めて知った言葉でした。昔の方も折り合いをつけるために工夫されていたのですね。 日本民族が、多神教であることを忘れていました。 そういえば、私は、子供に対して教育上、都合のいい世界中のあらゆる宗教の教え、風習、神様を、いろいろと引き合いに出させて頂いています。 お祭りも、それなりに取り入れた方がいいのかもしれませんね。 ちなみに、私には、神や死後の世界、運命、運、不運などの概念さえも無いのですが、子供には教育上、畏怖の対象として神様の存在を、利用させて頂いています。神様にしてみればいい迷惑かもしれませんが。 神や死後の世界の無い私にとって宗教とは、神を信心することではなく、哲学、生活規範、倫理、モラル、道の一つだと思っています。 教義は、多少不合理であったり、現代思想と相容れなくても、私は、自分一人の考えでは、すぐに自分こそが絶対に正しい、正論だと思い始め、つけ上がり、謙虚さを忘れるので、その歯止めとして、あえて宗教が必要だと思っています。 子供が大きくなって、私が神などいないと考えていたのが分かると、子供が、どうツッコミを入れてくるのか、それに対してどうボケて返すのかを考えていたりします。。。。 自分の質問と、ご回答を読んで、フト思ったのですが、どうも私は、お祭りごとが苦手なようです。 私が小さい頃、私の父は、そういったイベントを全く、何一つやってくれなかったので、「クリスマス=楽しい」という感覚が無かったことが原因の一つかもしれません。ですから、私は未だに、この手のイベントの雰囲気に乗るのが苦手なようです。 苦手ですから、特に出費を伴う割には、私にとって年中行事で最も、意義が理解出来ない「クリスマス」に対して、否定的に感じていたのだと思います。 そう考えると、子供には私と同じようになって欲しくないので、「クリスマス=楽しい」という感覚を、子供の頭が柔らかいうちに、植え付けておきたいと思います。 やはり、自分ひとりで考えるより、よかったと感謝しております。おかげ様で、解決いたしました。 みなさんがクリスマスについて、どのどのように考えているのかも教えていただけて、たいへん興味深いと感じました。 ありがとうございました。
- precog
- ベストアンサー率22% (966/4314)
「子供が楽しみにしているから」でいいんじゃないですか? でも全部の行事を他人に合わせることもないんですけどね。
お礼
回答ありがとうございます。 >でも全部の行事を他人に合わせることもないんですけどね。 私もそう思います。
- ziv
- ベストアンサー率27% (426/1542)
“楽しみにしている家族を喜ばせる” 祭りにこれ以上の意味もこれ以外の意味も必要ないかと。 古来から祭りの本来のあり方とは、 苦しい日常から開放され片時でも、皆が共感できる事柄にこじつけて 楽しさを分かち合うための物だと思うのですよ。
お礼
回答ありがとうございます。 おっしゃられることは、もっともだと思います。 商業主義が行き過ぎているから、僕だけ腹の底では共感できなくて、虚しさを感じているのかなぁと思っています。
- rinring
- ベストアンサー率18% (822/4396)
子どもの頃は深く考えてませんでしたが、大人になるにつれ、色んなイベント事が本来と違った主旨にで行っているのだと、私も感じていました。 バレンタイン・ホワイトデー、節分、ひな祭り、母・父の日、等。 キリスト教信者の方は、家族で静かにお祝いをするらしいですね。 お子さんに対するものなら、今のままで良いのじゃないでしょうか。 ご自分に対する詭弁なら、消費拡大のために商業主義に乗っかてみようと言う気持ちでも良いのじゃないかと私は思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 子供を楽しませるのは、家族として大切なことだと思います。 消費拡大のためにもクリスマス商戦は大事だと思います。お金が回るなければ、自分の収入も減ると思っています。 大人が、大人なりに楽しめる、誰でも納得できる合理的な口実が欲しいなぁと思っています。 もっとも、クリスマスの頃は、毎年、年末年始休暇目前のうきうき気分で、個人的には一年で一番楽しい時期ですし、忘年会の第三コーナーから第四コーナーへさしかかるぐらいの気分で騒いではいます。。。
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お礼
私の質問文の内容を、宗教の否定がシステムの否定に繋がると、t78abyrf9cさんは受け捉えたそうですが、解説ありがとうございます。