内政不干渉は、確かに現在の国際政治における基本ルールの一つです。
それはまず17世紀に大国間の軋轢(当時は主に宗教的な)を避ける方法としてヨーロッパ
各国間で合意され、さらに20世紀に至って小国・発展途上国が先進大国の抑圧を避けて
自立できるためのルールとして認められるようになってきました。
しかし、このルールが未来永劫認められ続けるのかと言えば、私は懐疑的です。
第1に、これだけ国際間の交流が活発になってくると、各国家の内部だけで統治が確立
されていれば良いという状況ではなくなってきます。企業はより有利な条件を求めて
資源を国際的に移動させるでしょう。他国で長期間生活する人が多くなれば、
政治的参加の機会のないまま他国の法に縛られることを不満に思う人も増えるかも
しれません。一国で起きたことが直ちに他国の情勢に影響を与えるような環境では、
どの国も他国の状態に無関心ではいられません。
第2に、現在の国際政治の場で、内政不干渉の原則が声高に唱えられる場面というのは、
概ね国際世論に反した行動をとる国が国際世論を黙らせるために主張している場合と
いうのがほとんどであるように思います。北朝鮮は言わずもがな。中国も国内少数民族の
抑圧を批判されると内政不干渉の原則を持ち出します。ロシアのチェチェン政策は、
今でこそ国際的な風当たりは弱まっていますが、以前は人権抑圧という批判を内政問題と
主張してかわしていたはずです。トルコのクルド政策等、例をあげればきりがありません。
元来小国保護の目的も担っていたはずの内政不干渉の原則が、逆に少数民族抑圧の
隠れ蓑として使われている現状は、どう考えても正常ではありません。
ただ、それでは内政不干渉に替わってどのような原則を掲げればよいのかとなると、実の
ところ、これという決め手がありません。何より、どの国にとってもそれなりに便利な
原則ですから、おいそれと手放すわけにはいかないのです。
国際政治が国家間の折衝と同義である間は、この原則は変わらないと思います。NGO
などの活動がもっと活発になった時が転機かもしれません。
お礼
回答、ありがとうございました。 No1~No7のご回答への補足を、No7のご回答への補足にまとめて記させていただきました。
補足
No.1~No.7 までのご回答にまとめて補足させていただきます。 このような質問をするきっかけは、イラクや北朝鮮の問題です。ただ、それら個々の是非を云々するのではなく、圧制からの開放などを理由とした米国からの圧力、軍事力行使の正当性を考えたからです。 法治国家においては法律によって個人レベルの行動の是非は一応規定されており、その枠内では本人の勝手でしょうという理屈は理解できます。(No.1,No.3のご回答に納得です) それを国家間の関係に拡張して考えた場合、各国が国民の総体としての自由意志によって内政を行っていて、それが他国に迷惑をかけないなら、他国が文句を言う筋合いは無いですよね。(No.4のご回答に納得です) ところが、内政干渉せざるを得ないケースが下記(1)(2)のように出てきますよね。 (1)No.2のご回答の「北朝鮮の核兵器」のようなケース (2)No.6,No.7のご回答の「(内政干渉される側の国の)国民が迫害・抑圧されている」ようなケース ------------------------------------ No.5、No.7のご回答で、17世紀から(内政不干渉を含む)国際政治のルールが確立し始めて、現在の国際法につながってるということが分かってきました。まさにこのあたりの回答を求めていました。 検索エンジンで「ウェストファリア条約」を検索してみたら、結構出てきました。むかし学校の歴史で習った 30年戦争、神聖ローマ帝国、ハプスブルグ家などの言葉をなつかしく思い出しちゃいました。でも、そのころはまったく皮相的にしか学んで無かったですね。 ---------------------------------- さて、補足としての結論ですが、 No.7の方のご回答>>現在の国際政治の場で、内政不干渉の原則が声高に唱えられる場面というのは、概ね国際世論に反した行動をとる国が国際世論を黙らせるために主張している場合というのがほとんどであるように思います。北朝鮮は言わずもがな。中国も国内少数民族の抑圧を批判されると内政不干渉の原則を持ち出します。ロシアのチェチェン政策は、今でこそ国際的な風当たりは弱まっていますが、以前は人権抑圧という批判を内政問題と主張してかわしていたはずです。トルコのクルド政策等、例をあげればきりがありません。 元来小国保護の目的も担っていたはずの内政不干渉の原則が、逆に少数民族抑圧の隠れ蓑として使われている現状は、どう考えても正常ではありません。 ただ、それでは内政不干渉に替わってどのような原則を掲げればよいのかとなると、実のところ、これという決め手がありません。何より、どの国にとってもそれなりに便利な原則ですから、おいそれと手放すわけにはいかないのです。 他の方のご回答にもあるように、「内政不干渉は必ずしも絶対ではない」という動きが現実のものになってるんですね。そもそも17世紀以来の国際法形成過程の中では「民主主義国家だから内政干渉してはいけない」というロジックだったんでしょうか、それとも質問に記したように「お互いの縄張りは尊重しよう」というロジックだったんでしょうか。国際法の歴史の専門家でもないと答えられないような質問かも知れませんがよろしくお願いします。