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今の友人に満足していますか?

20代男です。モヤモヤしています。宜しくお願いします。 ぶっちゃけ皆さんは、今いる友達に満足しているのでしょうか。 頻繁に会う友人、自分からメールすると返事は必ずくれるけど まず向こうからはメールがこない友人、複数なら遊ぶけど2人 で遊ぶことはまずない友人など、色々な人がいます。ですが、 自分は満足度が正直足りません…。 「この人とはもっと頻繁に遊びたい。メールもしてほしい」 「他の友達より自分ともっと仲良くしてほしい」など…。 他にも、「趣味があう友人をもっと増やしたい(趣味は同じで も相性はあわない)」「オシャレな友人が欲しい(服の趣味も これまた様々…)」「○○系なルックスの友人が欲しい(自分 のコンプレックスの表れ?)」など…。 「オレには兄弟同然のこいつがいる」と思える日を願い友達づ くりは日ごろ積極的にやっていますが、なかなか難しいものが あります。皆様の交友関係と心の内をお教えください。

みんなの回答

noname#95484
noname#95484
回答No.2

あまり参考にならないかもしれませんが・・・ 私はよく韓国ドラマを見ます。 韓国ドラマといっても、一昔前に流行った「冬のソナタ」のような純愛メロドラマのようなものだけでなく、家族愛や兄弟愛を描いた作品や、歴史大作など、いろいろなドラマを見ています。 韓国ドラマを見ていて気づくことがあります。それは、ドラマで描かれる韓国人は、自分の家族、そして友達を、本当にものすごく大事にするということです。友達のことを、かなり「熱い!」感情で大切にしています。まさに質問者様の言う「兄弟同然のこいつ」の友情関係があるような気がします。 そんなドラマをたくさん見て思ったことなのですが、ドラマで描かれる人たちは、その友達が「ただ自分の友達だから大切にしている」という感じがします。 すごく自分と気が合うから、とか、趣味が合うから、とか、おしゃれで憧れるから、とかじゃなくて、「友達として巡りあったから、大切にする」・・・って感じです。 今質問者様の周りにいる友達は、何かの縁があって、巡り会うことができた大切な存在なのではないでしょうか。 今周りにいてくれる友人を大切にすること。そうしているうちに、ただの友達が「兄弟同然のこいつ」になるのではないかなあ・・・なんて思いました。 まず自分が先に熱い友情を与えることで、受け取れるものがあるのではないかと思います。

noname#95685
質問者

お礼

ありがとうございます。 そうですね。自分が大切だと思う友人たちは、条件から選抜した のではなく、まずはコミュニケーションをとっていたら、どんど んステキな一面が見つかり、ロボットの合体が如く、自分とぴっ たりくるところがあることを知り、ふと気がつけば大切な存在に なっていました。本当に、easternflさんのおっしゃる通りです。 そして同様に、距離をとることになった人たちもまた、はじめは 普通に巡り会った人たちでした。そのうちどんどん好きになれな いところが目に付いて、結局距離をとることになりました。 >自分が先に熱い友情を与えることで、受け取れるものがある そうですね。以前、結構、仲良くなれそうな人がいたのですが、 面白がってくれるかなぁ?と、ちょっと独特なノリのバーに連 れてったら、とてもひかれてしまい、連絡が途切れてしまった 人がいました。今になって思えば、当時の僕には、まさにこの 考え方が必要だったのかもしれません。悪ふざけが過ぎました。 ありがとうございました。

noname#142920
noname#142920
回答No.1

こんにちは。 >「オレには兄弟同然のこいつがいる」 これが先にあるから、せっかくの、たくさんおられそうなお友達にも満足できないのではないでしょうか? 気づいたらそうなっていた、っていうものであって、それを狙っていくのはなんだか違うような気がしますが、どうでしょうか…。 私は…30代既婚女性ですが…そうですね、合うごく小数の友人がいます。 私友達少ないかも、って寂しくなるときもなくはないですが、私は狭く深くだし、好き嫌いも多いし、この現状には満足してます。 こんなわがままで欠点の多い私と付き合ってくれてありがとうねーって感じですね。 中でも…。 もう20年来の連れ。 漫才コンビの相方のようなダンナ。 このふたりがいれば、後の人はいらないくらい(えっと、もちろん比喩ですよ。けしてないがしろにはしてませんからね。)の密度で濃く深く友人関係を紡いでいます。 特に20年来の連れのほうは、私より私の人生を知っており、記憶しています。私より私のことを多分よく知っています。 私にとってはあまり仲の良くない兄弟より実の親よりも信頼しています。 こいつがいなかったら、うつ病のときに死んでたかもってときもありました。病気で金銭的に困ったときも、頼るのは親ではなく、こいつでした。 かつては共依存の関係にありましたが、思春期にそれに気づき、いったん離れて互いに自立し、適度な距離を保って現在も交友は続いています。 血よりも濃いものを、彼女には感じていますし、おそらく死ぬまでこのままでいると思います。 対するダンナですが、まだ付き合いはそれほど長くありません。 それなのに、溶け合うようなぴったり感、初めから家族であったかのような自然な信頼感を初めから持ちました。 惚れた男に“友人”や“家族”を感じた事のない私には新鮮な関係です。 生活における嗜好に一致する部分も多く、特に物事の捉え方、考え方は似ており、笑いのセンスに関しては昭和のニオイがするところ、オヤジギャグが好きなところで完璧に一致しており、同じ事を同じタイミングで言うこともしばしばです。 この二人に対しては、他の友人にはもちろん、家族にさえ全く持っていなかった信頼感がありますね…。 彼らのルックスは好きだし、趣味ももちろん合うし、自分にない物を持っていて尊敬もしてるし…。 でも、だから『友人』なのではないですね…。 ホント、なんで友人なんでしょうね。 作家の宮本輝さんの書かれていたものなんですが、 “抗っても抗っても、自分という人間の核を成す物を共有している人間としか結びついて行かない”っていう言葉があるんです。 私は、この連れとダンナとは、核が一緒なんだろうなぁって思います。 (エッセイ集『命の器』から部分的に抜粋してますが、たった2Pの文章なのに、初めて読んだ中学生時代から忘れられず、今でもよく読み返します。人との出会いについてなので、良かったら読まれてみてくださいね。) 昔はそんな友人を見つけるのは20歳過ぎてはもうないだろうと思っていましたが、ダンナと出会ったのは30過ぎてからなので、年齢は関係ないのだなと思うようになりました。 pink-ammonさんもきっと、今から、ご自分の核を意識され、ご自分が求めるものに練り上げていけたら、そういう友人と出会えるのではないでしょうか。

noname#95685
質問者

お礼

ありがとうございます。 >血よりも濃いもの >完璧に一致しており、同じ事を同じタイミングで >信頼感がありますね…。 書き込みを読み、とてもステキな方たちに恵まれて幸せな方 だな、と思いました。しかし、同時に気になったのですが、 そんな友人がもっと欲しい、という気持ちは沸いてこないの でしょうか。「適度な距離を保って交友関係」とありますが、 それ以外の距離感の友人関係も楽しみたい、という気分にな ることはないのでしょうか。 >寂しくなるときもなくはないですが現状には満足 「兄弟同然」とはまた違いますが、僕にも大切な友人はいま す。でも、「こんな友人がいたらもっと毎日楽しいのになぁ」 などの気持ちが常にあり、満たされることがないのです。 >そういう友人と出会える そうですね。今、自分の中には、「~な友人が欲しい」「~ な人には興味がない」といったリスト?が出来てしまってい ます。なんとかそういう友人と出会えるとよいのですが…。 ありがとうございました!

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