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イギリスでは拾ったお金を使っても違法ではない?
Roald Dahlの『Charlie and the Chocolate Factory』で主人公のCharlieが道端で拾った1ポンド札でチョコレートを買う場面があります。 そこで、質問です。イギリスの法律では拾ったお金は自分の物にしていいのでしょうか? Roald Dahlの小説では、しばしば登場人物が法に触れることをやります。たとえば、『Danny the Champion of the World』ではお父さんを助けに行くために未成年の主人公が自動車を運転するし、『George's Marvelous Medicine』では主人公が家にあるありったけの薬品や靴クリームなどを混ぜて意地悪な実の祖母に飲ませます。良き目的のためなら、曲がったことをしても良いというのがRoald Dahlの考えのようです。 そんな彼のことですから、お金を拾うこともたぶん違法なのではないかと思ったのですが、いかがでしょうか?イギリスの法律に詳しい方、どうか教えてください。
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- hayasi456
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戯言を こんなジョークが 神父が寄付されたお金を自分のために使って良いか天の神にゆだねる時に カトリックでは 地面に帽子を置きお金を空に投げ「神よ帽子に私が使って良いお金を帽子に入れたまえ。」 プロテスタントは 「神よ私が使ってよいお金を帽子の外に落としたまえ。」 ユダヤは帽子は置かず 「神よ寄付のお金をあなたにお渡しする為に天に投げます。もし私が使ってよいならば地上にお戻したまえ。」 英国国教会はカトリックですね広い大地の中で自分の目の前に落ちていれば神が帽子に入れてくれたのと同じかも知れませんね。 細かいことは解りませんがイギリスは紳士の国で慣例法ですね、拾ったお金をどう使うかは紳士かそうでないかので判断すれば良いのかも。 (紳士は表と裏がかなりありそうですね。) 参考に http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%B1%E5%9B%BD%E6%B3%95 http://ukvol.exblog.jp/1543029/
- ucok
- ベストアンサー率37% (4288/11421)
違法なのかもしれませんが、違法の度合いが違います。 例えば、イギリスでは歩行者がすいている交差点の赤信号で待っていると、青信号側の車がわざわざ停まって、歩行者を優先してくれることが結構あります。つまり歩行者にしてみれば、赤信号を無視して横断する羽目になるわけですが、誰も困らないし、親切な行為ですよね。 日本でも多少のスピード違反が見逃されたり、18歳の飲酒喫煙が黙認されたりしますが、他は総じて杓子定規です。テレビやラジオの番組が、秒針が0を打った瞬間に始まるのは先進国では日本と米国くらいですし、電車がきっかりオンタイムで発車・停車するのも海外では珍しいです。 さらに、日本の子供は「1円玉を拾ったら交番に届けるのよ」と教わりますが、原作が書かれた1964年のイギリスなど多くの国々ではそもそも交番がありませんでした。また、日本でも海外でも、のんびりしていた時代のほうが、社会の融通が利いたもので、この作品は1964年に書かれたものですから、世界が商業化に向かって急速に変化する直前ではありますよね。 こうした背景を踏まえると、まあ、厳密に言うと違法なのかもしれないけれど、細かいことに目くじら立てるほうが人間としてどうなの??という次元のお話だと思います。そういう意味では1975年の作品で子供に自動車を運転させるのとは、ちょっと程度が違いますけどね。
- akiko0828
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難しいことは分かりませんが昔拾った100円でチョコレート買っちゃいました^^; きっと違法、は違法なんでしょうけどそこまで気にすることもないんじゃ。ひろった1ポンドを交番に届けるというのは実際現実的じゃないし。 日本はイギリスをお手本にしてますから基本的に同じなんじゃないでしょうか。 善の目的のために主人公が違法なことをする、これも洋の東西関わらず物語ではよくあることだと思います、まずは面白くなくっちゃいけないんで。
- remonpakira
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法治主義(形式的法治主義)と法の支配(実質的法治主義)の 違いもあるのでしょうね。 日本などは法治主義国家なのですが、いわゆる「悪法もまた法」という ものです。 イギリスは法の支配という考え方を採用していて、、 法の形式だけではなく内容上の正当性が追求されねばならず、 法律体系が憲法や人権、慣習や社会道徳などに適っているかどうかが 問題となります。 つまり法律が例えあっても法律の内容がおかしければ異議が挟めると いう考え方です。 実際は同じように運用されているのですが、ベースがそういうものなので 良き目的のためなら、曲がったことをしても良いというより 法律はそのような柔軟なものでなくてはならないという考えが あります。