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現実逃避をしてしまう性格

現在、大学生の男ですが、 昔から現実逃避をしてしまう性格です。 たとえば、勉強をする、運動をする、 誰に対しても優しく、偏見や差別をなく 人と接するみたいなことを義務的にしてしまうのです。 私を含めて、誰に対しても平等に優しく、いつも明るく接するのは 難しいです。 ですが、私の性格上、優しく、平等に接するように 最大限の努力を毎日しなければ 気がすまない性格なんです。 なので、中学、高校生のときは、優しく、平等に接することが できなくて、とても苦しみました。当然ですが、私が個人的に 好きになれない人もいるので、明るく、優しく接するのは 大変でした。 今は、少しずつたくさんの人に優しく接しようと毎日努力をしている ので、なんとか現実逃避(優しく接しようとするが、それが 実践できず、逃げてしまったことがありました)をしないで すんでいます。 みなさんは、私のような性格についてどう思いますか? 変ですか?

みんなの回答

  • tomban
  • ベストアンサー率26% (2616/9771)
回答No.3

変、というのはどうかと思いますが、やや問題ありかな?。 「優しさ」の元…基本にあるものってなんでしょうか?。 昔、こんな話をしたことがありました。 蓋付の側溝の中に「トンボ」が一匹紛れ込んでいました。 そのままだと死んでしまう、と何人かの仲間と連れ立ってきていた中の一人が蓋をどけてトンボを逃がしてあげたそうです。 そのことを彼女は大変感激した様子で私に語りました。 私の答えは 「腰痛めたらどうすんの?」というもので、その冷たい返答に彼女は怒っていました。 「納得できない!」と。 あれからずいぶんと時間がたった今でも、あのときの答えを「変更」する気はありません。 私にとっては「トンボよりも彼の腰のほうが心配」だったわけです。 「やさしさ」というのは「選択すること」なのです。 何が自分にとっての重要な価値であり、何がそうではないかという「問い」に対する果てない問答なのです。 結果的に彼は腰も痛めず、トンボもわずかな時間ではあれ、生の時間を長引かせることになりました。 しかしもし、その後すぐにでも「弱った」トンボが小鳥に喰われないとは限りません。 「満足感」は確かに得られもしますが、自分が「見知らぬ場所」では違う次元での「戦い」は始まっているのです。 ちょっと長くなりました。 「自分が得られるもの」は、自分の精神の「頑丈さ」で、どうとでもなるんだということはわかっていただけましたでしょうか?。 誰かに「やさしくする」ということは、いうなれば「責任」と隣り合わせの危険性をいつも持ち合わせています。 自分が自分に対してだけでも「崩れない」という意識を持ち合わせていないと、優しさというのは「エゴ」になってしまうんです。 …私は「やさしさ」っていうのは「毒薬であり、薬でもある」と思います。 だから「誰にでも優しく「しなきゃ」」というのは、本当に無理があること、辛い事なんですよ。 きりが無い、果てしない「労苦」なんですよ。 自分で「言い切れるもの」「納得できるもの」でない限り、他人やほかのものには優しくする必要は無いんです。 私たちは人間です。 神様じゃないんですから、もっとわがままに、奔放に生きたほうが素晴らしい。 …生を楽しんで生きてください。

iowaboy
質問者

お礼

たくさんの回答ありがとうございます。

  • goony
  • ベストアンサー率23% (188/813)
回答No.2

優しく、平等に接することが出来ず、逃げてしまった事が 本当のあなたじゃないんでしょうか。 頑張って優しく接するようにしている事が 現実逃避のような気がします。 本当は自分の思うとおりに人に接していたいのでは ないですか? 周りからの自分の評価が気になって ついつい無理をしてまで頑張ってしまう・・・。 そんなところは無いですか? もっと自分を信頼して自信を持って下さい。 あなたが優しく出来ない人は きっとあなたが優しくしなくても良い人なんですよ。 あなたが直感で「この人に優しくしてあげたい」と 思える人を大事にしていけば良いのだと思いますよ^^ 自分の素直な気持ちに従っていると楽になれますし もっとあなたが輝けると思います。

  • kurokuma7
  • ベストアンサー率19% (35/181)
回答No.1

はじめまして。 何をもってそんなに誰にでも優しく平等に接する事をするのか 少しわかりません。 それは、あなたの産まれた環境がそうだったからでしょうか? 質問者様の言ってる事は確かに大変です。 だからと言ってあなたのしている事は変だとは思いません。 が、質問者様が疲れているならあまり意味が無いと思います。 あなたは、あなたを理解してくれる人に優しく接すればいいだけだと 思います。

iowaboy
質問者

お礼

優しくというよりも、 愛想といったほうがよかったかもしれません。 疲れはしません。 ただ、それがどうしてもやりたいだけです。 回答ありがとうございます。

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