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創価学会員は?

創価学会員は自宅に聖書を置くことが禁じられているというのは本当でしょうか?

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  • mujinkun
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回答No.9

しつこくすみません。 日蓮上人の行動を見ると、他宗の教義に対しては超攻撃的であり、なおかつ悪僧と判断した輩には、厳しく談判しています。 しかしながら、一般の檀徒に対しては、正しく指導することこそ忘れませんが、否定したり、接触を断ったりはしていないと思います。 また、立正安国論の中でも、わざわざ念仏を攻撃する内容とし、宛てた北条氏の背景にある禅宗を直接の対象にしていないなど、案外、まず対話をしたいのだという姿勢が見える気がします。 まずは向き合う姿勢から、また相手を知る努力ということでは、私はあまり違和感は感じません。 確かに「自分はこういう姿勢で行きたい」ということで、解釈は自分で決めてしまうものなのかもしれませんが、宗教なんてそんなもんじゃないっすかね。←偉そうに言ってもこれが本性!

lenami
質問者

お礼

たびたびどうもです。 > 日蓮上人の行動を見ると、他宗の教義に対しては超攻撃的であり、 その超攻撃的なところを創価学会としては受け継いでいるのかいないのか、しつこくお聞きしたい気もするのですが、とりあえずこの辺で止めておきます(笑)

その他の回答 (9)

noname#3513
noname#3513
回答No.10

再び失礼します。♯7です。 異教徒が異教を信じる自由を侵害する、そんなことしません。してはいけません。だって憲法に反するでしょ。極論ですけどね、これ。守られるべき自由を侵害してはいけませんよね。 相手の考えをまったく無視して自分の宗教を押し付けるのではなく、相手の宗教を理解した上で理非善悪を語り合う、これが理想だと思うのです。 ウチの宗祖はこの宗教を立ち上げる前にいろんな宗教を勉強して、これが一番って考えたらしいです。最初から他宗教を全否定していたわけではない・・かな、たぶん。もし750年前にキリスト教が日本に入っていたら、聖書だって読まれていたと思いますよ。 ウチの宗教活動は、相手を幸せにすることが基本らしいっす。不幸の原因が他宗教の崇拝にあるというのを理論的に打破できなければ、それ以上の説得はしないし、無理やり改宗もさせない。あくまで納得するまで語りましょうというのが基本です。 日蓮さんのお言葉に「自分の理論が智者に論破されない限り、自分の考えを捨てない」とかいうのがあります。相手のことをお勉強してから、対話をしていく。これ大切だと思うのです。 なので、もし「聖書を置くとは何事か!」とか言われても、あなたが心行くまで納得できるお話を聞かない限り、置いておきましょう、読みましょう。聖書は欧州文化の一つです。(キリスト教の方たちには大変申し訳ないです。聖書って大切なんですよね。仏教徒の言い分ですからご容赦下さい) 日本人の宗教観は他国のひとから見れば相当ちゃらんぽらん。ここまで真剣に考えられる人は、それだけで素晴らしいと思います。いい人生を送るためのよりよい哲学観の模索ができることが宗教の取り柄だと思います。頑張りましょうね。 だらだら駄文、これにて失礼いたします。

lenami
質問者

お礼

たびたびどうもです。 > ウチの宗祖はこの宗教を立ち上げる前にいろんな宗教を勉強して、 > これが一番って考えたらしいです。 > 最初から他宗教を全否定していたわけではない・・かな、たぶん。 > もし750年前にキリスト教が日本に入っていたら、聖書だって読まれていた > と思いますよ。 ならば、キリスト教やイスラム教より日蓮仏法の方が優れているという判断は、創価学会では誰が下しているのだろうかと突っ込みたくなりましたが、今回はこの辺で止めておきます(笑)

  • mujinkun
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回答No.8

NO.5です。 宗教の教義の優劣というものを知ってしまえば、やはり他宗教を「すばらしい」とは決して思えません。 「こういう考え方なんだ~。なるほどねぇ」という感じです。 その人が信じることは「よし」とはしますが、教義については「劣ったもの」として捕らえます。 この宗教もいい、あの宗教もいい、と思っていたら、本当に一つの宗教を持ってはいられないと思いますよ。 だからと言って、他宗教を信じている人を「劣っている」とは思いません。 何らかの宗教を持つからには、意識の高い人だと信じます。 まあ、いずれにしても、お金目的、生き神様を拝んでいるような団体(宗教とは呼べないような)のことだったら、尊重以前の問題ですが、通常の宗教に対しては、その信仰姿勢を重んじるというわけです。 でも、仏法者としては、「その宗教は正しい」とは思わないし、言えません。

lenami
質問者

お礼

> その人が信じることは「よし」とはしますが、 > 通常の宗教に対しては、その信仰姿勢を重んじるというわけです。 異教というだけで、その信仰を頭から否定するような態度は取られないということですね。 異教徒が異教を信じること自体は尊重されるのですね。 個人的にはその姿勢は好感がもてますが、創価学会の宗祖である日蓮上人の姿勢とは隔たりを感じます。 日蓮上人は異教は徹底的に否定・排除する姿勢を取られていたと思うのですが。 私の日蓮上人に対する認識が違っているのか、あるいは創価学会の異教に対するスタンスが宗祖である日蓮上人とは異なっているのか、どちらなのかなと疑問を覚えました。 もし異教に対するスタンスが、日蓮上人と創価学会とで大きく隔たっているとしたなら、素晴らしい日蓮仏法といえども、受け入れられない部分があったのかなと思ってしまいますが。

noname#3513
noname#3513
回答No.7

こんにちわ。私は不真面目な学会員です(笑) 学会がお奨めしていないのは、他宗教の教えなどを生活の根本や心の支えにすることであって、聖書を自宅に置いたぐらいで文句をいうようになっては、それは「社会生活に支障の出る宗教」であって、これはよろしくないです。宗教はあくまでよりよい生活を営むための哲学思想であって、人生の教えであるべきだと思います。 また聖書は欧米諸国の文化を知る手がかりの一つだと私は思います。つまりお勉強の一環ですね。「知ること」を否定する宗教だったら私とっくに脱会していますよ。 池田名誉会長はいろんな人たちと対話をしています。その相手にはキリスト教の人もイスラム教の人も、無宗教の人だっていました。対話をするためには相手の文化を理解する必要があるはずです。聖書を読むことで相手の考えをより深く洞察できるのではないでしょうか。異文化交流というやつですかね。 ちなみに私は小説版ではありますが、旧約聖書を持っています。面白かったです。 他宗教の教義などを知ることでより自分の宗教に誇りが持てるようになるってこともあっていいと思います。要は聖書根本に生きようとか思わなければよいのではないのでしょうか。 そんなわけで、ただ単に家に置いておくのはなんの問題もないと思います。もちろん読むことも。そんなことを否定していたらきりがないです。キリスト教を完全に否定するのであれば、日曜日は休日ではありません。クリスマス商戦にひた走る人々を指差して攻撃しなくてはなりません。それははっきりいって「狂信」で「盲信」です。 長文かつ駄文ですが、私の考えです。失礼しました。

lenami
質問者

お礼

> 対話をするためには相手の文化を理解する必要があるはずです。 > 聖書を読むことで相手の考えをより深く洞察できるのではないでしょうか。 そうですね、対話をするためには相手の文化を理解することが重要ですね! そこで思うのですが、上辺だけの対話に終わらせないで心から相手と通じ合うためには、相手を尊重することが必要だと思います。 相手を尊重することは、当然相手の文化を尊重することだと思います。 相手の文化を尊重することの中には、相手の宗教を尊重することも含まれると思います。 相手の宗教を尊重することは、別に相手の宗教を信じることではないですよね。 ただ、相手の宗教を侮蔑したり攻撃することなく、それを信じる自由を認めてあげることだと思います。 異教徒が異教を信じる自由を、創価学会は認めないなんてことはないと思うんですが、どうなんでしょう・・・・。 > 長文かつ駄文ですが、私の考えです。失礼しました。 いえいえ、こちらこそ。

  • keketan
  • ベストアンサー率50% (1/2)
回答No.6

はじめまして。学会員です。 聖書を置く事自体は禁じられていないと思います。 そういう「決まり」みたいなものは、少なくとも今の学会ではだいぶ柔らかくなったようで(まだ私は20代なので昔の学会の事はよく分かりませんが…)その他に、神社等に行く事自体も禁止されていません。賛美歌なども曲として素晴らしい物と認められています。 ただ、会員さんによっては神社には徹底して行かなかったり、建築物として興味があって行ったり(←うちの夫) と、様々です。聖書もそんな感じのノリなんじゃないかな。 創価学会の「戦う!」は、あくまでも「悪」に対して言っている事なので、むやみやたらに敵をつくろうとはしていませんよ~。 「勝利」とはいろんな意味に対して使われます。『弱い自分が何かを乗り越えた時』も「勝利」と言います。

lenami
質問者

お礼

はじめまして。 > 聖書もそんな感じのノリなんじゃないかな。 所有が禁じられているわけではないのですね。 > 創価学会の「戦う!」は、あくまでも「悪」に対して言っている事なので、 > むやみやたらに敵をつくろうとはしていませんよ~。 ようするに社会悪的意味合いであって、「邪宗」という意味合いで用いられることはないということなんでしょうかね。 「邪宗」という意味合いが含まれると、異教は全て「悪」になりそうですからね。

  • mujinkun
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回答No.5

見過ごしてしまっていたので、出遅れました。 会員です。 聖書は、別にキリスト像ではありませんので、置いておいても持っていてもいいと思いますよ。 だいたい自分の宗教を重んじるためには、他宗教の教えもある程度学ぶ必要はあると私は思います。 創価大学においても、西洋哲学や、宗教学は当たり前のように学べますし、教材として聖書は必須でありましょう。 あの大学のデカい図書館に他宗教関係の書籍がないなんてことは考えられません。 あと、ティファニーのクロスのネックレス持ってますよ。 例えば会員がそのネックレスを見ても、「わお。十字架じゃん!」と冗談を言うくらいな反応です。 ただ、十字架にキリストが張りつけられているようなもの(信仰の対象に近いもの)は会員誰もがイヤがると思います。 勿論、十字架自体がイヤ、ホテルに聖書が置いてあるのも撤去したいっていう感覚の会員もいるとは思いますが、それは個々の感覚であって、泊まる旅館の部屋に、弥勒菩薩像が置いてあったら気持ち悪いと思うのと同じなのだろうと想像します。 結論は・・・ 聖書を持つことは、禁じられてはいません。 「持っている」と言っても「けしからん」と思うのは、超年寄りの狂信的な「信者」さんだけだと思います。

lenami
質問者

お礼

> 聖書を持つことは、禁じられてはいません。 > 「持っている」と言っても「けしからん」と思うのは、超年寄りの狂信的な > 「信者」さんだけだと思います。 聖書の所有は自由なのですね。 わかりました。 ちょっと疑問に感じたのは以下です。 > だいたい自分の宗教を重んじるためには、他宗教の教えもある程度学ぶ必要は > あると私は思います。 あくまでも自分の宗教を重んじるためであって、他宗教を尊重するゆえにそれを学ぶというのはどうなのかなと感じました。 例えば尊敬する外国人がいて、その人がクリスチャンだとします。 その人を尊敬する思いがその人の宗教を尊重する思いにまで発展し、それを理解したいと思ってそれを学ぼうとする。 もちろん自分の宗教は最も強く信仰したままですが、その上で、他の宗教も一つの宗教としてその存在を認めて尊重する(それを信じる人達の信じる自由を認める)ことは、創価学会では許されるのかなって思ってしまいましたが。

noname#3690
noname#3690
回答No.4

>みんな仲良く → 世界平和 解釈の違いがあるように思います。彼等の言うところの 「みんな」とは、その宗教を信じる「みんな」のことですし 「世界」とは、その人達で構成する「世界」を指しているんだと思います。 だとすれば、その宗教を信じないものは無視するか、場合によっては排除するかという事になってきます。 つまり「平和のために戦う」というおかしな理屈が通ってしまいます。

lenami
質問者

お礼

> その宗教を信じないものは無視するか、場合によっては排除するかという事 > になってきます。 > つまり「平和のために戦う」というおかしな理屈が通ってしまいます。 創価学会の人から反論がないみたいなので、そういうことなんでしょうね。 もう少し他の宗教に寛容になって欲しいなあと思ってしまいますね。 「戦う!」とか「勝利!」なんて言葉は捨てて、 「争いごとはもうやめた! 人種や宗教にこだわるなんて馬鹿馬鹿しいよ! 敵対なんて必要ない! クリスチャンもイスラム教徒も、みんなみんな友達さ!!」 そんな気持ちになってくれたら、とっても素晴らしいと思うんですけど。 創価学会の人は、素晴らしいと感じてくれないんでしょうかね??? やはり、 「聖書は家に置いてはいかん!」 「十字架のキーホルダーも絶対に使っちゃいかん!」 「最後まで戦い抜くぞ!!」 「勝利あるのみ!!」 と叫び続けるんでしょうかね?? なんだかとっても悲しいです。 争いごとは沢山です・・・・。

回答No.3

確か十字架のキーホルダーを使用することも禁じられていたと思います。そんなにまで徹底的に異教を排除する必要もないと思ってしまいます。 >みんな仲良く → 世界平和 そんな雰囲気は感じられません。 創価学会のホームページにはやたらに「戦う!」「勝利!」といった言葉が使われています。 雰囲気的には全共闘といった感じです。 「みんな仲良く → 世界平和」よりは、「敵対 → 支配」を目指しているように思わざるを得ません。

参考URL:
http://www.sokagakkai.or.jp/index.html
lenami
質問者

お礼

十字架のキーホルダーもダメなんですか! 他の宗教にほんのちょっとでも関わりのあるものは一切禁じるって感じですかね。 > 「敵対 → 支配」を目指しているように思わざるを得ません。 キーホルダーさえも禁じるようだったら、ほんとに、世界中の誰とでも打ち解けて心を通じ合いたいっていうより、他の宗教とは徹底的に敵対するってイメージですよね。

回答No.2

創価学会とは元は日蓮正宗と言う宗派の門徒です。 この日蓮正宗が排他的なようです。 その後何やらごたごたが有って、日蓮正宗は創価学会を破門したようです。 興味が有れば参考UHLをご覧下さい。 ただし、破門した側の言い分ですから、創価学会の方にもそれなりの言い分は有ると思います。

参考URL:
http://www.nichirenshoshu.or.jp/jap/indexj.html
lenami
質問者

お礼

参考にさせてもらいます。

回答No.1

「昭和35年5月3日、第22回本部総会で三代目会長に就任した池田は、戸田会長七回忌までに、300万世帯の達成と、大石寺に大客殿を寄進し、邪宗教を徹底的に撲滅する、との三つの進路を示した」 上記の通りですので、他宗教は皆敵ですから、聖書をおくなど、とんでも無い事なのです。

lenami
質問者

お礼

本当なんですね! 聖書を置くことが許されないってことは、クリスチャンを家にいれることも許されないってことですかね。そうだとすると、 みんな仲良く → 世界平和 というイメージが持てない宗教ですね。

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