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日本はなぜアメリカと戦争したのでしょう
>日本はなぜアメリカと戦争したのでしょう。 >はめられ説、侵略説その他いろいろの説があるようですが、大勢の方々のご見解をお聞かせください。
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noname#111050
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お礼
ありがとうございました。十分参考になりました。
補足
これは質問者によるお礼の補足で、No.9ご回答者へのお礼の続きでもあります。 私は前記のとおり考えますので、「誰が政治をやったとしてもアメリカとの開戦は避けられなかった」とはとても思えません。石原莞爾中将は昭和16年の初めに、「平和を乱した東条(英機大将)と梅津(美治郎大将)を捕らえて銃殺刑に処すべし」と京都帝国大学で京都府知事などを前に講演し、東条の逆鱗に触れ陸軍を追われた由です。石原莞爾が陸軍の実権を掌握していたら、日中戦争は起きないか、起きても和平していたと思います。そうすればハルノートはなかったか、あっても緩やかな内容だったでしょう。マスコミが煽った事実はあったでしょうが、政治結社東方会総裁中野正剛(元・朝日新聞記者)は、東条内閣を公然と批判し、憲兵隊に連行され厳しく取り調べを受け、憲兵2名が自宅に住み込むに及び割腹自殺しました。当時は特高・憲兵が監視していて、到底公然と政府や軍部を批判できない状況にあったようです。それでも、昭和17年10月に大阪の主婦が「こんな戦争は早く止めて下さい。うちは貧乏だから国債は買えません。国債を買わないと隣組の組長からよそへ行けと言われ、配給のものも分けてもらえません。日本は負けてもいいから早く戦争をやめてください。」との手紙を東条首相に宛てに出しています(特高が押収したものが残っています)。その他にも、天皇批判の手紙など多数の反戦資料が大阪の図書館で展示されました。 米英などの挑発もあったでしょうが、挑発に乗らない賢さが必要ではなかったのでしょうか。 日清・日露戦争も、楽勝ではなかったと思います。日清戦争後の三国干渉に対し、無謀に反発していたら日本はロシアにつぶされ、ロシアの一部にされていたかも知れません。ここでじっと耐え、その後の日露戦争では戦力を消耗し尽くしたことを隠して賠償金なしの講和を結んだ薩長の賢明さを、岩手県人は学ばず、日本を滅ぼしたと私は思います。 私は別の質問として、「戦争による利益はあったのか」を問いました。「帝国主義が消滅し民主主義の平和な国になった」との考えもあるでしょうが、そのために310万人もの人々が犠牲となり、莫大な経済的損失を被る必要があったのでしょうか。戦争の結果(特に原爆、大空襲などを受けての敗戦)を知っていたら、誰も戦争を始めなかったでしょう。ということは、アメリカとの開戦は大きな誤りであり、戦争による利益などなかったということです。 必要なことは、いかにして戦争を回避するか、ということではないでしょうか。 余談ですが、関西人はお笑い(文化)と商売(ビジネス)に力を入れるものの、戦争はしません(大阪の歩兵第八連体は弱いことで有名でした)。 したがって関西からは軍人も政治家も出ません。堺の商人あがりの小西行長は秀吉をだまして一旦は朝鮮との講和を結ばせました。日露戦争のころ、堺の与謝野晶子が「君死にたもうことなかれ」と、反戦歌を詠んだことはよく知られています。岩手県人もこのように怜悧で優雅であったならば、あの戦争はなかったのでは、と愚考しています。