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本当に存在するんでしょうか?

こんにちは。 お盆休みですね。 ふと 神様 仏様 は 本当に存在するんでしょうか?

みんなの回答

  • michael-m
  • ベストアンサー率50% (2724/5433)
回答No.15

わかりません。 私は「在る」と言う前提で、もう30年以上も考えています。 例えば私達重力を信じていますが、リンゴが落ちる以前、重力は無かった? 信じる人が一人もいなくても重力はありました。 この世で「証明されているもの」など森羅万象の何%でしょう。10%あるんでしょうかね。 ほとんどの一般人は「仮説」や「学説」を「真実」と勘違いしているだけです。 その程度の科学力で存否を断言するなど、単なる「信心」と同じです。 そう考えると「判らない」という答えが、現時点で得られる唯一の正解です。 ただ言える事は、今現在、私達が定義つけている「神」や「仏」は様々な思惑の中でつくれられた偶像でしかありませんから、これは「無い」と言っても間違いではないと思います。 神や霊の存在を「在」と前提にしている私も、「ありえない」と考えています。

corkwood
質問者

お礼

ありがとうございます。 そうですね。 >」という答えが、現時点で得られる唯一の正解 でしょうね。 >「神」や「仏」は様々な思惑の中でつくれられた偶像でしかありませんから、これは「無い」と言っても間違いではない そういった神仏とが混在ごちゃ混ぜなんですね。 今の所「判らない」が正解ですね。

  • nuisance1
  • ベストアンサー率14% (39/264)
回答No.14

結論から言えばいません。法整備が整っていない時代に、人民の暴挙(特に殺人等ですね)を抑えなければならないため、権力者サイドがそういう団体(これ以上書くと 倫理項目に違反するため)とかが一体なり、幽霊、魔物を作りました。これを存続させるために 神なる概念を植えつけた。 まあ あるか、ないか、わからないものに時間とエンルギーを使うのはやめましょう。 でも人には 神は存在するとか、幽霊は存在すると言っておいた方がいいかも。自分の家族を少しでも安全に出来るから。

corkwood
質問者

お礼

ありがとうございます。 >結論から言えばいません ふむふむ。 >人民の暴挙(特に殺人等ですね)を抑えなければならない >神なる概念を植えつけた 治安の為だったんですね。 >あるか、ないか、わからないもの 言い得て然りですね。 >言っておいた方が >少しでも安全に出来る 得体の知れないものには人間素直に黙るんですね。 ご回答ありがとうございました。

  • t_saito
  • ベストアンサー率49% (61/124)
回答No.13

No.12 です。 科学的に解明されていない昔の人々は、雷を神の怒りと思ったかもしれません。理屈にあわないことは怖いです。 磁気を帯びた鉱石の近くで、妙な力を見つけたときは、摩訶不思議と思ったでしょう。そして、誰に話しても、理屈に合わないことなんて、信じないでしょう。 昔地動説を唱えた有名な科学者ガリレオは、反宗教的思想と糾弾され、「それでも地球は回っている」といった言葉は有名です。 現代でも同じです。オカルトは頭が狂っていると。 現在は、この宇宙(地球上も含め)は縦・横・高さという、3つの軸のほかに、あと1本の第四の軸があることは、科学的に証明されており、誰も疑わないでしょう。4次元の超立体では、宇宙と比較して小さく、のろまな我々人間にとつては不思議なことばかりです。 人よりも、もっと小さい顕微鏡のなかの生物にとっては、我々が当たり前のことでも、理解できないことがあることは、想像できるでしょう。 私の実体験でも、不思議なことが沢山あります。 若い頃、家主の敷地内に建てられた「離れ」風の家を借りて住んでいた頃の話しです。 風もない晴天の日の出来事です。 いきなり、玄関のドアが、外に大きな音をたてて飛んでしまいました。丁番もちぎって。 間もなく、連絡が入り、調度その時刻に妻の母が亡くなったと。 現在の科学では、時空を越えて何かが動くことは、可能性を否定していません。 また、力には、昔の磁力のように、今私たちが理解している以外の原理がありそうだ とも言われ、盛んに研究している大学の先生もおられるようです。 理屈に合わない。説明ができない。確証がもてない。従って「ウソ」というのは間違えで、「わからない」が正解でしょう。 これが、私の当初の回答です。

corkwood
質問者

お礼

ありがとうございます。 >理屈にあわないことは怖い 確かに原理を見出せなければただ指を銜えているしか無くなってしまいそうで無力から脱出できませんね。そこで神を作って迎合し見方にして安心を得ようと思ったのかなぁ? >「わからない」が正解でしょう。 現時点での偽り無い所見でしょうね。 ご回答ありがとうございました。

  • t_saito
  • ベストアンサー率49% (61/124)
回答No.12

No.11 です。 > 祈りが心に影響を与えたのでしょうかね。 仰る通りだと思います。 「病は気から」という言葉もあるとおり、自分をコントロールする精神力で自身を変えることもできるでしょう。 前回も書きましたが、私は多少霊感があるのではないかと思っています。実は妻も奇異な現象に何度か遭遇しています。 以前、新築の建売住宅を購入したことがありました。 その家のダイニングで置いてあった耐熱皿が突然手を触れないのに大きな音を出して割れた (温度変化もなく猫などが出入りできない状況ですので不思議です) ことがありました。 妻のベッドはその真上に位置していましたが、夜な夜な金縛りに合い、気づくと男の人が覆いかぶさっている状況が、何度も繰返していました。 体調もその頃から芳しくなくなり、病が胸苦しさを感じているのではないかと思いましたが、試しにベッドに手持ちのお守りを貼ったら、夜中に目を覚ますと、部屋の入り口に男の人が立つていたそうです。 試しに、入り口にも、お守りを貼ったら現れなくなったそうです。 近所の子供たちに聞くと (大人は何も言ってくれませんでした)、 何年も前に事件があって、庭は草が茂り、無人のその家を「お化け屋敷」と呼んでいたそうです。 古い家を壊し、新築するときは地鎮祭をおこなっていなかったようです。 私も、家の中を人が歩く気配をいつも感じていました。 旧敷地を分割して建てた隣家とは、いくら注意していてもトラブルが拡大していく状況でした。 これらのことを話しても信ずる方はおられないと思い、夫婦だけのこととして、誰にも話していませんでした。 私が山で怪我をし、入院したとき、他県に嫁いでいる娘が、これから歳をとると、遠いいと何かと不便なので 近くに越すよう言われて、引越しをしたら、すっかり改善しました。 それ以来、神棚を作り毎日拝むようにしています。

corkwood
質問者

お礼

ありがとうございます。 そんなこともあるものなんですね。 現時点では確証はできませんが。

  • t_saito
  • ベストアンサー率49% (61/124)
回答No.11

あるかないかは、人それぞれ心の問題です。 貴方が、「ある」と思えばあるでしょし、「ない」と思えばありません。 それが、神仏信仰というものでしょう。 科学の進歩は著しいものかありますが、仮に数百年前にさかのぼって考えれば、当時としては信じられないようなことでも、今の物理学では証明されています。 代表的なものは、浦島太郎でしょう。旅から帰ったら、知人が皆自分より歳をとっていたという話。まさに相対性理論ですね。 人類の歴史は、何度も滅びそうになったと聞いています。再びヒトの生命が息吹いたときは、多くの科学が後退して、再び進化をする、繰り返しだったのではないでしょうか。文化遺産にもミステリーが多いですね。 「一部の生き残った人が、物語として残した」という考え方は、考えすぎでしょうか。これも人それぞれでしょう。 物理学も科学も素粒子論以降、近づいています。 哲学も自然科学も近づきつつあります。 今信じられないことや、存在を証明されていないことも、将来は科学的に解明されることも沢山あるでしょう。 私個人的には、ただだの技術屋で、宗教家でもなんでもありませんが、神仏はあると思っています。 多少人よりは霊感が強めと思う程度です。 困ったときに、神社に行って祈祷すると、なぜか運が回ってくることは何度もありました。これを偶然と考える方はそれで良いでしょう。 祈祷をしなかつたときと比較はできません。信仰は自由です。 私は、何でも、他人が「ある」・「ない」で論じたときは、「ある」を選択するほうです。他人が「嫌だ」・「良い」と言ったら、他人を中心に「嫌」を尊重するようにしています。 神仏はあることを強要するものではないと思います。 「ある」と言い切るのはいかがなものでしょうか。 「ない」と言い切るのはいかがなものでしょうか。

corkwood
質問者

お礼

>信仰 まさしく  信仰  ですね。 あえて   信  の字が使われているんですね。 >今信じられないことや、存在を証明されていないことも、将来は科学的に解明されることも沢山ある 出てくるでしょう。 >困ったときに、神社に行って祈祷すると、なぜか運が回ってくることは何度もありました。 祈りが心に影響を与えたのでしょうかね。 祈りは心澄む境に移動できます。 >偶然 >比較 人間は今のみにしか存在できませんからね。 >「ある」と言い切るのはいかがなものでしょうか。 >「ない」と言い切るのはいかがなものでしょうか。 現時点ではいるかいないかわからない。 いないと考えた方が辻褄がよく合うことは多いとはおもいます。 ”実在はしないが、人が願えば作り出され有となる” あるという定義も勝手に人間が創作してしまえば根拠も無くとも鵜呑みにする人もでてくる。鵜多ければそれが常識に摩り替わったように見える。 それを利用する人もいる(もうそれは善に見せかけた悪用ですがね。)。 憂い悲しみ問題の多い生きる人間にとって、場合によって必要有効 どう脈絡がついたのか判り難いがその効力として結びつけ、問題だらけの人間にとって願ってもない発明に出会っているのかもしれません。 しかしそのかわり、脈絡の過程は必ず掴み難いという負副産が必ずセットになっていますして、自分の心に嘘でも付かなければなかなか納得に至れるものではございません。

  • goo-goro
  • ベストアンサー率0% (0/2)
回答No.10

corkwoodさん 前回の意見が私の最終意見です。 宇宙の構成は極大から極小まで何一つ矛盾がありません。 あらゆる法則や原理・原則も相克するものがありません。 地球上に誕生した人類の数は無限大といってもいいと思えますが 同じ構造・機能・生理で成り立っています。 何一つ矛盾するものがないのです。 結局、統一原理によるものと考えざるをえません。 この統一原理なるものにどのような名称を付けるかは それぞれですから申し上げません。 ない知恵を振り絞って書きました 有り難う御座いました。

corkwood
質問者

お礼

ありがとうございます。 >宇宙の構成は極大から極小まで何一つ矛盾がありません >あらゆる法則や原理・原則 >何一つ矛盾するものがない 矛盾以前の問題ですが、 まだまだ解明されていないことの方が多いんですよ。 宗教はガリレオも裁判にかけました。後で間違いを認めておりますが。 神が、人々の信任を失することをも承知で結果的に幸福へ繋げる為に計算に入れてまでしてワザと間違うでしょうか? 人間の対面だったと思います。 ガリレオの言った真実を、それ以前に関係者は理解し周知していたでしょうか? いいえしていません。青天の霹靂だったと思います。 周知していて裁判などかけるはずありません。 自らがかけられることを恐れたのでしょうか? 体面を憂い得た神はその関係者へのアドバイスを時期を共にして具体的にしたでしょうか?実際そういったことが具体的にあったのでしょうか? 神は仮にいたとしてもそんな事があった事を知っていたのでしょうか? いいえ知りません。 存在が無いからこそ知る事もできないのです。 知っていたなら何故そのことを人間に伝えないのでしょう。 結局辻褄が合わなくなってきそうになると、具体的ではない言葉を煙幕にしてお茶を濁してその場から退避です。 それを見ていた人々はやはりその時どうしたかはわかるのです。

  • goo-goro
  • ベストアンサー率0% (0/2)
回答No.9

corkwoodさん 神はいつから存在したか・・・永遠の不可思議なテーマだと思いますが、 宇宙や人間も又あらゆる動植物も一つの意志(神)の延長線上で 創造されてきたという事は間違い有りません。 宇宙の根本的な創造が複数の意志によって創られたとしたら 統一性が失われるからです。 人も一つの意志によるグランドデザイン、創造の理念・目的があり、 進化の過程を経て成るべくして人になっているのだと考えます。 そして限りなく進化を続けて行きます。 八百万の神も日本人が森羅万象に神を感じていたからです。 全てのものに神が宿っていると考えたのは日本人の深い精神文化の一つです。 例えば、春になると植物の芽が出て成長し花を咲かせていつしか実がなり 熟れて実を落とし冬に枯れていく。毎年の繰り返しに不思議を感じませんか? 人為的になせる技ではありません。 旧約聖書や古事記などを読んでみて下さい。 神話が完成する以前から人々の想像力や感性が 長い時間を掛けて創り上げてきたものです。 古事記は陰陽の法則が中心になっていますので、 創造のプロセスがよくわかります。 参考になるかもしれません。

corkwood
質問者

お礼

ありがとうございます。 >永遠の不可思議なテーマ 仰られるとおり不可思議です。それ以上になりえましょうか? >間違い有りません。 具体確証ができましょうか? >人為的になせる技ではありません。 確かに人間の手で作られたものではないですね。 しかし私は自然的にできたと思っています。 文明のある宇宙人が落として行ったのかもしれませんし。 その場合は宇宙人がその神になるのですか? そしてその神を作ったものは一体何になるのでしょうか? 神の神がいるのでしょうか? 神がいたとしたならば神はその起源として自然的に出来上がったのでしょうか? 神といわれる本当の正体はなんなのかと思われますか。 他回答者さまのようなご意見もありますが、これら他回答者様をも納得行かせられる説明はできそうですか? こんなことまでは本当は言いたくはありませんが、今夜の夢に出てきて確証されることもできるでしょう。 私は否定しているわけでも疑っているわけでもありません。 ただ私としてはいるならばいるで納得を伴った事実を知りたいのです。 しかしその答えとして、現実的にはわからないという見解が、現時点で妥当だという他回答者様のお答えを得ております。

  • goo-goro
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回答No.8

宇宙は無秩序に運行している訳ではないですよね そんな事があったら大変な事になります 宇宙は法則によって運行されています 自然科学の法則は無秩序から発生したとは考えられません 春夏秋冬などの季節の移り変わりの中で 様々に変化していく大自然の様子を どのように考えられますか? 人間の存在を越えた大きな意志があると思いませんか? 人はそれを神とかGodとか摂理とか叡智とか様々な名称を付けています 森羅万象が大いなる叡智の表れであるという事を否定されるのでしたら 神の存在も否定されていいと思いますが・・・如何ですか? 蛇足 人体の構造や生理的な機能などの精緻な様子も考えてみて下さい 偶然や、たまたま出来てしまったとはとても考えられません 人智を越えた存在があると考えざるをえません 宇宙はMACROからMICROまで不思議(神)に満ちています

corkwood
質問者

お礼

宇宙を作った者と人間などを作った者は同じという行きさつをご紹介ください。 それとも八百万なのでしょうか? 神は誰が作ったのでしょうか? 神は何でできているのでしょうか? 神の意識は誰が作ったのでしょうか? あるということは全て誰かが作ったと考えられるのでしょうか? いないのでしょうか?

回答No.7

 存在すると思った方が良いでしょうね。 今私たちが生きているのも神に命令されて今ここにいると思った方が楽のじゃないですか?  お盆には故郷に帰ってご先祖様に今私たちの故郷があるのも日本がこんなに豊かな国になったことも感謝するべきだと思います。

corkwood
質問者

お礼

考えが楽になる対象として都合が良かったんですね。

  • poolisher
  • ベストアンサー率39% (1467/3743)
回答No.6

本当に存在するかどうか、ということより存在を仮定したほうが人間の 思想や哲学の体系が豊かになる(と、考える人々や社会が存在する) ということです。 簡単にいえば、「いる」と考えたほうが人間社会には都合がいいという ことです。 実際には存在しないものを存在すると仮定するのは宗教だけではありま せん。科学でもどうような方法は採用されています。 例えば、無限大(∞)は数学では特定の状態を示す常識ですが、実際に は存在しない状態です。実際には存在しない無限大という状態を存在 すると仮定したことにより、人間の科学の知識がより豊かになりました。

corkwood
質問者

お礼

都合が良いからこそその発明は生き残って今も尚、活躍しているんですね。

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