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本の読み過ぎは良くないのでしょうか。
最近堅い本を読みすぎているせいか、会話での言葉も堅いものや難しいものも多くなってきたようで、職場の体育会系の方から「本を読むよりスポーツしろ、スポーツ! 」と言われてしまいました。 本を読みすぎると良くないのでしょうか? 私としては極力読んでいきたいのですが・・・。
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小学生の頃いました、「読書しすぎる子」。 毎日何かしら読んでいて、そのペースもすごかった。 小学生なのに会話や雰囲気に大人っぽい感じがあったように思います。 私がポプラ社のホームズシリーズを読み漁ってるときに、 彼女は「真夜中は別の顔」なんてのを読んでたんです。 中学生になってあの本を読んで、なるほどなって思いました。 ・・・って話逸れました。 あなたの言い分を読んでいると、読書がどうのこうの、と言うより 職場の方、もしくはその方のものの言い方が気に要らないのですよね。 好きなものは好きだと、自信を持って言っていれば良いと思いますよ。 あなたが本を好きなように、その人だって好きでお笑い番組を見ているんでしょう。 周りと趣味や笑いのツボが違うことなんて、今に始まったことじゃないはずです。 一生付き合っていく人でもないんだから、そんなものはテキトーに合わせてあしらえば良いのです。 そもそも、その方と深い会話なんて必要ですか?相手も望んでないと思いますよ。 もししつこいようであれば、「家にテレビがない」とスッパリ言えばいいんです。 以前の職場にそういう女性がいましたけど、浮世離れしていてカッコ良かったですよ。 読書云々よりも、私が気になったのはあなたのモノの言い方です。 ハッキリ申し上げます。(きつめに書きます。ごめんなさい。) まず、質問・補足ともにご自分の文章を読み返してください。 職場の方と同じ、ご自分と好みの違う人を見下した、 高慢で強引なものの言い方をしてるな、と思いませんか。 そういう心の内は、話相手である職場の方や友達、家族などにも必ず伝わっていますよ。 それじゃ、スポーツしろなんて心配されるのも判るような気がします。 私があなたなら、あなたの言いたいことは3行で伝えます。 アリストテレスや志賀直哉の名まえを出さなくてもです。 固い言葉や小難しい引用はあなたの個性で、逆に面白いと思うんですけど、 毎日のことだと人によっちゃ鼻につくかもしれないので、注意したほうがいいかもしれません。 (なんだか私の妹とそっくりなんです。どうしても気になったのでハッキリ書きました。) それと、本に限らず、テレビだって映画だって絵画だって、 発信する人がいて私たちがその恩恵を受けることが出来ます。 まずそれだけでありがたいものだし、それを見る価値や選ぶ基準などは受け手各々が判断するもので、 皆さんの分まであなたが測ってあげるのは、それこそ余計なお世話というものです。 あなたがツマラナイというお笑い番組だって、たくさんの人が頭をひねらせて作っており 事実、たくさんの方が面白いと言ってるから需要があるのですよね。 受け手側の一人にしか過ぎない私には到底できないことです。 私だって実のところテレビが好きではないので、 テレビばかり見ている人を愚かだなって思うこともありますよ。 お笑いにしろ報道にしろくだらない番組ばかりだし、他にもっと面白いことがあるのにねって。 それなら見なければ良い話で、たいして見てもいないものなら、ここで批判しなくてもよいと思います。 好みに関することで同意を求めたいなら、この場はふさわしくないのでは。 あなたは本がお好きで、たくさん読んでおられるのだから、 ここではないところで本のすばらしさを語れば良いと思いますよ。 最後に。 読書家=知識や語彙力があるというのは一理ありますが、 話していて自分の言葉や思想でないものってすぐ分かります。 逆に稚拙な表現や飾り気のない言葉のほうがハッとさせられることのほうが多いです。 それらは要するにハートや魂がある言葉だったりするのです。 本を読むにしてもスポーツをするにしても、お笑い番組を見るにしても どうぞ心の向くままに、今したいことをなさって下さい。 それがあなたにとって今しか出来ない、価値のあることならなお良いと思います。 長くなりましたが、以上です。
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- oshieterc
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5番の回答者です。 お礼文中の補足情報から、回答を変更いたします。 >本を読みすぎると良くないのでしょうか? 御質問の件は読書量が問題なのではありません。 本を読む、読まないの問題にしてしまっては書籍がかわいそうです。 これ以上は既に他の方が書いていますから、しつこくは書きません。 どうしても理由の説明が必要でしたら、読書カテとは別のところに質問を設けて下さい。 回答可能な質問形式であれば理由も含めて回答いたします。
- nakayama-s
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たぶん周囲からは「本の読み過ぎ」と思われている者からひとこと。 小さい頃から本好きで、そのまま早や人生も老境に差し掛かっております。逆にスポーツ(と、その他の多く)には全く(あるいは、ほとんど)縁のない生活を送ってきました。 今振り返ってみるに、「本の読み過ぎ」で何ら問題だったと思うことはありません。仕事(技術系)でも、出世に縁はないものの今のところ満足できる仕事ができております。私と同じ歳になって同じ感慨を持たれるという保証はありませんが、私としては今のまま本を「読み過ぎ」て頂きたいと思うものです。特に「堅い本」というのは今でないと読めないかも知れませんから。 他の方もおっしゃっていましたが、会話の言葉遣いは読書と直接の関係はありません。私も若い頃、同じような失敗をしました。要は相手の立場に立った話し方をすれば良いだけのことです。 普通の生活を送っていれば、人生いやでもいろいろと経験することになります。(たとえば私の場合、望まぬ失業を2回、望んでの転職を1回経験しました。)それ以外の時間を何で過ごそうと、大きなお世話と言うべきでしょう。
「本を読むよりスポーツしろ、スポーツ!」 体を使うこと自体は良いことですが、言われ方次第ですね・・・・ 本ばかり読みすぎなんじゃないの? 体を動かせば? というならごもっともだと思うし、 ちまちまと本なんか読んでるんじゃねーよ、ということなら、大きなお世話だと感じるし。 本を読まない人はとことん読まないのですよ。 本などつまらないと思っている。 それはそれで構わないと思うのですが、人それぞれ生き方や志向の問題ですから、「本よりスポーツのほうが良い」と単純にバッサリ斬ることはできません。 体育会系のほうが優れているとか、いや、文系のほうがとか、別にそういうことじゃないでしょう。 でも自分でも「読みすぎ」と自分で感じるときがあれば、違うことをやってみたらいいんじゃないでしょうか? スポーツでもいいし、散歩でもいいし、旅行でも買い物でも美術館でも、何でも。 本と絵を見るのは似ているようでいて違うことだと思うので。 それに美術館って体力使うんですよね(笑)
- potachie
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「話での言葉も堅いものや難しいものも多くなってきた」 これ、本のせいではなくて、考え方の問題です。 自分主体で話すか、相手主体で話すかという、スタンス、作法、配慮などの違いです。 知識が入っても、使い方が悪かったら、良くないことになる、というのは、ご質問者の仰るとおりなんですが、だから、「知識を仕入れるのを辞めよう」というのは、ヘンな解決策で、「使い方を知ろう」というのが前向きな解決策だと思うんですが。 ご質問者の「堅い本」の中に、アウトプットの作法に対するものって、入っていないのでしょうか? けっこう、名著になっているモノもあると思うのですが。 スポーツの中でも団体競技は、キャッチボールひとつを取っても相手に配慮する技術も一緒に学びますから、その職場の人の話は正しいです。「体育会系」という単純なくくりで人をまとめてしまうのはどうかと思いますが。
- tanpopo91
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こんにちは、はじめまして >会話での言葉も堅いものや難しいものも多くなってきたようで これは、コミュニケーションの礼儀として、気をつけましょう(^_^;) 私は、幼い頃異常に本を読んで自覚無くやたら語彙が多い子だったので、クラスメイトと話が通じなくて嫌がられました。 その職場の体育会系の方は、言葉を柔らかくして、 「会話が頭デッカチっぽくって、感じ悪いぞ」とさりげなく注意なさってくださっているのかもしれませんよ? スポーツもお好きでしたら、健康に良いくらいされてもいいのではないでしょうか?
- dandyman
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人間は経験が全て、経験した事以外は身につかない。 私も本は好きなので、本を読むことが悪いとは思いません。 しかし本をずっと読んでいるだけで何か分かった様な気になってしまうことは怖いと思ったことがあります。 本を読んで何かを”感じる”ことは大事だと思いますが、「行動する」という部分も大事にした方が良いのは確かでしょう。 それがスポーツとは限らないと思います。
- oshieterc
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同じく。 沢山本を読んで、他の経験も沢山してみましょう。 実生活での経験がより読書の楽しさを深くしてくれる事もありますよ。
お礼
回答ありがとうございます。 +御礼遅れてしまい、申し訳ございません。 > 沢山本を読んで、他の経験も沢山してみましょう。 > 実生活での経験がより読書の楽しさを深くしてくれる事もありますよ。 回答頂いた上で大変言いにくいのですが、 どちらかというと私は経験知の方を大事にしているのです。 経験至上主義とも言うんでしょうか。 過去のQAで理論か経験かという質問があり、 私が「経験こそ何物にも替え難い財産である」と回答した時、 他の回答者さんと衝突してQAが紛糾した事もありまして・・・。 ここで経験知をお題に見直しますと、 通常は自分の経験知は普通に一生を過ごした場合、自分一人分のものしか得られません。 本を読むと、大抵はその人の半生分くらいの経験知が書かれている(例外も多々ありますが)。 これを吸収した場合、簡単に考えれば本を読んだ冊数がそのまま自分の経験知として蓄えられる。 実際は違うかもしれませんが、少なくともその著者の言いたい事は吸収できる。 これは物凄いオトクな訳です。 たった400円くらいで、その著者一人分の思想が吸収できる。 美味しすぎます。 また、#2さんへの回答にも書いたのですが、 味の無いお笑い番組など、経験知を得る手段として見る価値など無いのですね。 (但し、ダウンタウンなどの番組はそんな発想もあったのか、と 知的刺激を受けるので、これは見る価値有り) アリストテレスが形而上学の中で「理論家よりも経験家の方がはるかに当てる」と 言っている通りです。 実世界で役に立ててナンボです。 また、アポロンが半人半馬であるケンタウロス族のケイロンに息子を預けたのは、 人と獣、つまりは事の行使には法と暴力の二つの力が必要である為、と マキャベリはこじつけていますが、 私なりに言えば、知識(理論)と経験ではないかと思うのです。 このどちらが欠けてもいけないが、事の行使と実現の為に両者は積極的に吸収すべきだと。
- tatapopo
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こんばんは。 学生時代のわたしも、本好きでした。 ある日、友達と話しているときに、 「あなたの話は、難しい言葉が多くて、 わたしは頭が悪いのでわからない」と言われました。 その友達は、正直いって、 勉強がよくできる子ではありませんでした。 でも、その友達の話し方は、 とてもわかりやすかったんです。 それに気が付いて、自分がすごく恥ずかしくなりました。 「難しい言葉ばかり使わず、 相手にわかりやすいように伝えるほうが良いに決まってる」 という当たり前のことに気づかされました。 質問者さんが、昔のわたしのようだとは思いません。 (昔のわたしは、単純に、 本で覚えた難しい言葉を使いたがってただけだったので(笑)) でも、なにかのヒントになればと思い、 体験談を書かせていただきました。 本に影響を受けすぎた言葉遣いは、 理路整然として、かっこよかったとしても、 相手に合わせる思いやりがなければ、相手の心には届かないものです。 また、 自分らしさがなく、魅力的ではないんです。 目の前の相手とちゃんと向き合って、 自分の言葉で、相手に合ったわかりやすい言葉で、 会話できるのが良いんだと思います。 「スポーツをしろ」というのは、 極端な提案で、冗談でしょうけど、 向き合う相手が、自分と他人なので、 スポーツをすることで、磨かれる部分はあるのかもしれませんね。 さて、 「本の読み過ぎは良くないのでしょうか。」という質問への回答ですが、 良くないとは思いません。 読書量が多いひとは、会話にセンスがあって、 とてもすてきだと思います。 読書で培われた知識を整理して、自分のものにして、 相手にわかりやすく伝えられるようになるのが良いと思います。 相手と自分の距離感にあった言葉遣いで、 話せるようになるのが良いと思います。 わたしは最近、忙しいのを理由に読書をしていないので、 この質問を読んで、 また、昔のように読書漬けになりたくなってきました。 読書はいいですよね~(^-^)
お礼
優しい回答ありがとうございます。 +御礼遅れてしまい、申し訳ございません。 ご回答に励まされました。 一つ難点なのが、自分で難しい言葉だと意識していないという所なんですよね。 例として、自分の仕事が手薄になってきた時、 「今は次の忙しい仕事までのモラトリアムっすよ~。 今日ばかりは休憩させて頂きます。」 と言った所、見事に通じませんでした。
>会話での言葉も堅いものや難しいものも多くなってきたようで 本の読みすぎがいいことか悪いことかはともかく、これはあんまりよくないことだと思います。 本をたくさん読む人って、「まるで本の文章のようなしゃべり方をして本を読むことであることがすぐわかる人」と「とくにそのような特徴がない人」のふた通りがいると思います。 質問者さまはそのような指摘をうけるということは、前者なのでしょうね。 本を読むのはそのままだとしても、確かに他のことにも目を向けたほうがいいかもしれませんよ。
お礼
回答ありがとうございます。 +御礼遅れてしまい、申し訳ございません。 >本を読むのはそのままだとしても、確かに他のことにも目を向けたほうがいいかもしれませんよ。 確かにそうですね。気をつけます。
- klax_on
- ベストアンサー率27% (3/11)
>職場の体育会系の方から >「本を読むよりスポーツしろ、スポーツ! 」 >と言われてしまいました。 まあハッキリ言って余計なお世話でしょう。 適度にスポーツをする習慣を身につけるのは結構ですが、 本を読む習慣も以前通りでかまわないと思います。 本を読んで害があるとはとても思えません(特定の過激なジャンルを 除けば)。 一般的に、本の虫が嫌われることは無いと思います。 本よりもスポーツがいいなんて因縁をつけてくるのは 発言主が体育会系だったからではないでしょうか。
補足
回答ありがとうございます。 +御礼遅れてしまい、申し訳ございません。 手急ぎで書いている部分もあり、散文となってしまいましたが、 少し思う所がありましたので返答させて下さい。 > まあハッキリ言って余計なお世話でしょう。 > 適度にスポーツをする習慣を身につけるのは結構ですが、 > 本を読む習慣も以前通りでかまわないと思います。 有難うございます。そのように言って頂けると本当に助かります。 少し愚痴を言わせて頂ければ、 その方はどちらかと言えば性格の良い方なのですが、 ノリで押し切ってしまえという所がついて行けず・・・。 もうちょっと深みのある会話はできないものかと 私自身が不満に思っているのです。 その方はレッドカーペットやエンタの神様の話しをよくされるのですが、 「このネタが面白いよねー」と同意を求めて来るのが非常に煩わしい。 これらの番組のどこが面白いのかと疑問に思ってしまう、 +本の方が数百倍テレビよりも面白いと思ってしまうのです。 無理矢理にも笑わせる+笑う義務感のある番組では、私は笑えないせいでしょうか。 個人個人の笑いのツボが違ってもいいから、 笑いたい時に笑えばいいじゃないかと。 ああ言うレベルの低い量産的な皆で場を盛り上げる為に笑う芸は 宴会などで見ればいいんであって、テレビで時間を取って わざわざ見るようなものでは無いと思うのです。 (その代わり、メチャイケは笑う強要感が無く、普通に面白いので好きです) 私自身語彙力が無いので今の心情を上手く表現する事ができないのですが、 あえてストレートで傲慢な書き方をしますと、私からすれば、 「もうちょっといろいろと本読んで面白い話ししましょうよ。 レッドカーペットやエンタの神様なんて本当は全然面白くないっすよ。 これよりも面白い媒体(本)があるのでこっちを見ましょうよ。」 という事になります。 > 本を読んで害があるとはとても思えません(特定の過激なジャンルを > 除けば)。 > 一般的に、本の虫が嫌われることは無いと思います。 > 本よりもスポーツがいいなんて因縁をつけてくるのは > 発言主が体育会系だったからではないでしょうか。 そうなんですよね。 とは言いつつも、少し告白すれば私も曲りなりにも体育会出身なのです。 (まあ、リーグ1部の大学とかからすれば、お前んところは ホンモノの体育会じゃないとか言われる所ですが) 私は結構ひねくれた方であったのと、部の方がそれを許容して、 部の体制上でもコレをやれ、と命令を出す時にはちゃんと説明していましたから、 命令にも理由があるのだな、と思って育ってしまったので、 「有無を言わず、考えず、上下関係のみに従え」的な命令には承服できないのですね。 「スポーツしろ! 」という話しに喧嘩腰に反論すれば 「ホンモノではございませんが骨の髄までしておりました。」 と言った返事しか出ません。 (無論そんな風には言っておらず、年次が上の方ですので 一応上下関係を重んじぐっと我慢しております) しかし、私の仕事が当時上手く行っておらず、落ち込みどころか 鬱加減になりそうな時に声をかけて下さった時の言葉がこれだったので、 単に読書をしている私を非難するばかりのニュアンスではなく、 本当に気遣いをして頂いた部分も大だったかとは思うのですが、 私がこの言葉を分析してみるに、 ・スポーツして気晴らししろよ! ・本読んでいるばかりじゃ毒だぞ! という気遣いの他、 ・読書なんて世の中生きていく上で役に立たないよ ・読書は面白くないよ。 ・世界におけるパワーポイントの中心は本じゃないよ (よってお前の取るべき行動は読書ではないよ) というニュアンスも含まれていたかと思うのです。 私見ではあるのですが、私にはこのような意味にも受け取りました。 確かにどれも半分当たっていているように思えるのですが、 後半部分は納得できず、もやもやとしているのです。 また余談ですが、件の先輩が「これは面白い」と私に本を勧めて来た事があります。 その本は10数年前だかに流行した落合信彦の本でした。
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補足
厳しい回答ありがとうございます。 > あなたの言い分を読んでいると、読書がどうのこうの、と言うより職場の方、もしくはその方のものの言い方が気に要らないのですよね。 はい、端的に言ってしまうとその通りです。私自身がベストな行動として選択している読書という行動を一般論からの見地で否定されたような気がしまして。読書しない事の方が良いのかと。 人それぞれという事については同意で、私自身そういった事を気をつけなければならないという点で反省致しました。 余談ですが、その場のノリで面白い事を言えればいいという感じで最初の内は合わせていたのですが、どうにも相手方がそういったノリを求めるのがしつこいので、少し精神的に疲れていたのかもしれません。 > もししつこいようであれば、「家にテレビがない」とスッパリ言えばいいんです。 はい、ひょっとしたら個人を特定されるかも? と恐れていたので、今迄QAには記載していなかったのですが、私の家にはテレビがありません。必要を感じないのです。たまに他の家に行くとテレビがあるので、それを見ている状態です。 正直に言うと、普段の会話では本の内容の話題は触れないように気をつけているのですが、会話についぞ出てしまった感が否めません。お恥ずかしい限りです。これは以後十分に気をつけたいと思います。 > あなたがツマラナイというお笑い番組だって、たくさんの人が頭をひねらせて作っており事実、たくさんの方が面白いと言ってるから需要があるのですよね。 はい、その通りです。 ただ少し補足させていただくと、私自身はテレビの番組はこれが面白いんだ、と強く思っていても、それを強要する事はありません。常日頃言えない自分の意見を書いてしまった事をお詫び致します。 逆に件の方からは「一般論として~~しろ! 本ばかり読むな。」と強要されるのです。この辺がどうにも煮えきりません。 本を読む事は個人の自由である事、本人がそれを望んで選択している事はおおよそ世間一般には理解が得られないような不安があります。 これも余談ですが、エンタの神様がどうしてああいう方向に走ってしまったかというのは少し分かるのです。普通お笑いは自分の失敗や他人の失敗、勘違いなどをネタに構成を進めて行くのですが、ビートたけし氏の書籍によると、楽屋へ行くとスポンサーの一覧がずらっとあるのだそうです。そして、スポンサーが自動車会社であれば事故のネタが出来ない、製薬会社がスポンサーで風邪薬のCMを流していたら風邪を引いた、というネタができない。私はそうした雁字搦めの中であれやこれやと努力した結果、ああいう毒にも薬にもならない所に行き着いてしまったのだと思っているのです。ですので、その結果が私にとって面白くなかったとしても、そこから何とか抜けあがこうとする芸人達の現在の努力は認めない訳にはいきません。 職種は違えど、まっとうにやっていた努力の結果何もしていない人間から笑われるというような体験をしてきましたので、私には彼らを卑下する気持ちにはどうしたってなりえません。但し彼らの芸が面白くない時にはちゃんと視聴者の一人として面白くないと言うのが私の信条です。それが芸人の為にもなるとの事でしたので。 「知識は重荷にならない生きていく為の力だ」 との言葉の通りであって、私は全く以って生きていく為の力が無い状態です。 ですので、どうやっても私自身はここからスタートせねばなりません。 そして、人生において何を求めるのかというのは人それぞれですので、 これを他人に強要するような言い方も絶対にすまいと思いました。 色々とアドバイスを頂き、ありがとうございました。 手厳しいご意見を頂いたのですが、 私はまだまだ人間として稚拙な部分があるのだと言う事に気が付きました。 また、本を読む事によって知識の量から傲慢になっていた部分もあるかと思います。 知識の量なんて本来の人間の価値、本質には何の関係無いのにも関わらず、です。 まだまだ人間として成長しなければならない部分があるのだと思います。 そして、人間として成長する為には経験か、人との出会いか、悩みの打破か 知識の蓄積かという所で、私の今迄生きてきた短い人生の中で、 前3者も運良く色々な方とのご縁もあり、色々と良い事も嫌な事も 割に合わない努力や失敗なども、もしかすると世間一般的にはまだまだ甘いと 言うレベルかもしれませんが、それなりに経験してきたつもりです。 こうした中で知識の蓄積という点において、私自身がその量の少なさから 危機感を覚えている為、私は私個人のワガママで読書は続けようと思います。 そしてこれも私の人生における大切な一つの出会いだったのかもしれません。 重ねて御礼申し上げます。 回答ありがとうございました。