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バブル期に行われた、財政政策 金融政策
私は今、なぜバブル経済について調べています バブル期に行われた財政政策と金融政策の内容 また、その効果について教えていただきませんか!? ちなみにネットで調べ、資料を見つけることはできたのですが、頭の悪い自分では理解できませんでした・・・ 噛み砕いて教えてくださると助かります
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簡単なたとえ程度ですが。 もともとは、自動車、電気の対米輸出競争力が強くて、アメリカ人自体が自国のものより、日本製をどんどん買うので、対米貿易黒字が大幅に増えました。また、アメリカ人が長男、日本人が次男というたてえだと、貯金をしないお金を使うのがだいすきな息子が米、貯蓄が好きで節約がすきな働き者が次男の日本です。 日本のものを赤字だろうがなんだろうが、買い続けてくれるのでどんどん貿易赤字も増えました。米は。そういったなか、変動相場制をとった訳ですから、円高、ドル安へ流れていき、 ※かりにこれが固定相場せいだったろすると今の中国と米です。 固定相場制っていうのは、大量に貿易不均衡になるばあい、それは、行って見れば付けで売っているようなものなのです。お金はあとで いいですよ。といって、ばかすかばかすか、物を掛売りしているのとおなじです。でもいつかは、それはおかしいとなって、関をきったようにドル暴落になることは考えられます。 円高では、輸出しても円換算でいままでどおりお金が入ってこなくなってしまったので、(輸出に限ったばあい)今までのままになんとかもどせないかと、思ったとき、日本は金利を下げたのです。 ここで、輸出に頼る経済構造をかえよう→内需主導型、輸入は今度は安くなるわけだから、輸入することによって日本人の豊かな暮らしを組み立てよう。と思い立てばよかったのですが、そういうことはかんがえませんでした。 金利をさげたけっか、お金を預ける人がへり、金余り現象というのがおきて、余ったお金は、預金の変わりに、土地と株へ行きました; たいへん高騰して、一時は日本の国債償還もめどがついてしまうところまで株高も進んだのです。 それを、よいことだ。と考えずに、土地が値上がりして、一部大儲けするひとがでるのと、マイホームなどとても買えなくなってしまうひとが増える現象がおきて、その株高、不動産高をさげようという政策がうたれました。 これを、金利の段階的引き上げと貸し出しの総量規制をおこないました。 バブル崩壊という現象がおき、そのあとは長い長い不況がきました。 人工的に作られた不況なのです。 バブル崩壊によって、不動産の値段も株式の値段も暴落しましたが、家を買える人は、結局でてきませんでした。会社のほうが赤字やつぶれてしまったからです。 この政策をいっしょうけんめいやったのは、三重野という日銀にひとです。総量規制を一生懸命やったのは、当時の大蔵大臣、橋本竜太郎氏です。行き過ぎた値上がりを人工的におさえようとしたら、静まるどころか、経済は破裂してしまいました。立て直すのに10年以上かかったのです。馬鹿な政策をやったものです。
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- DDRSDRAM
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きっかけはプラザ合意、終末は不動産融資規制です。 貿易黒字が多かった当時の日本がアメリカの圧力で、輸入を増やすために円高と内需拡大を約束、この一環として、金利を下げたのがきっかけです。当時の日本は、当時の技術ではある意味最高レベルの生活をしており、感覚的には、家には一通りものがそろっておりほしいものがないでした。金利が下がって市場に金があふれたものの潜在的需要はあまりないので、消費に向かわず土地投機に向かいバブルとなりました。今回のアメリカの住宅バブルや石油投機と同じ状況でした。当時、東京と神奈川の土地を買うお金でアメリカの土地が全部買えるといわれていました。 プラザ合意では為替介入や公共投資もしましたが、外貨の溜め込みすぎと国債の多量発行をもたらしただけでした、しかも、不況でもないのに金利を下げたのでバブルになり、肝心のアメリカからの輸入は増えませんでした。 最後は、当時の大蔵省が不動産融資規制を発動、同時に金利も上げて土地投機にお金が回らなくなり一気にバブルが崩壊、長い不況へと突入しました。大量に不良資産を抱えた企業は、今度は金利が下がっても土地投機どころか設備投資も控えてしまって誰も金を借りなくなりぼろぼろとなりました。
お礼
詳しく書いていただきありがとうございます とても参考になりました