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臓器移植と治療費の倫理的な問題
- 質問者は、高度な治療が数千万から億単位のお金が必要である一方で、貧しい国の子供たちがわずかなお金で命をすくわれている現実について疑問を投げかけています。
- 質問者は、臓器移植の例を挙げながら、自分や身内に治療が必要になった場合には簡単に結論が出せるが、身内の場合は難しいと感じていることを述べています。
- 質問者は、治療費がかかる生死にかかわる病気の場合も同様に考えてしまうと述べています。
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>一方で世界の貧しい国の多くの子供たちは私たちにとってはわずかなお金で命をすくわれています。 これは 一方で世界の貧しい国の多くの子供たちは私たちにとってはわずかなお金で(人身売買などされ、その結果私たちは)命をすくわれています。 で宜しいのでしょうか?。 うーん、難しい問題ですが、これは「医療技術というもの」が発達し、しかもそれが「独占使用されている」という現実が起こしている問題でしょうね。 世界的に医療費が無料にできれば、こんなことは起きません。 医療費だけでなく、医療を学ぶ人間が非常に安価な授業料で学べれば、こんな問題なんかおきません。 つまりは「お金=医療」なのですよ。 富んでいる国はすばらしい医療の恩恵にあずかれ、そうでない国は駄目である、ということ。 その「現実」が起こしている現象にこれは過ぎません。 現実に目をつぶる必要なんかありません。 ありのままを受け止めることです。 しかし、先進国の多くは「医療の発達」のおかげで生命を永続させるチャンスはつかんだものの「人間の生死感」というものがダイレクトにわからなくなってしまって困惑しています。 実際に「人間を傷つけない限り、わからない」という人たちが増殖しているのは、昨今のニュースをご覧になればわかると思います。 人の生死を軽々しくしてしまったのもまた「医療」というものです。 人は自分たちが作り出した技術に、精神を飲まれてしまうことが多々あります。 医療とはまったく正反対の「戦争」も同じです。 人は「決して賢くない動物」だ、ということを、いい加減先進国は表明しないといけない時期に来ているのかもしれませんね。 あ、前書きが長すぎたな(汗)。 >自分自身に治療が必要な場合は、簡単に結論が出せるのですが(…現実にそのような立場になったら考えも変わるかもしれませんが)、身内の場合難しいかなと思いまして 身内でも他人でも「生死」というものは、いつでも何かによって「決定されていること」に変わりは無いのです。 先進国ならそれは「医療技術」ですし、貧困国ならばそれは「神様、仏様」です。 違いはあれど、本人にとって「自由」ではないのです。 だから、それは「遺された人の問題」でしかありません。 医療は金を取って患者を治すものです。 しかしそれは万人に公正なものじゃない。 貧富というものがある限り、ずっと不公平なものです。 我々は「生命」というものを、お金に託しているわけです。 貧しい人たちはそれを「人間以外の存在」に託している。 たった「それだけ」のことでしかないのですよ。 人間も、技術も、文明も、文化も…すべて人間が行うことは「穴だらけ」なのです。 そう考えれば、もしそのような事態が起きても(起きないほうがいいけどね)とりあえずは「赦し」の世界には入れます。 赦しの無いところ、復活もありません。 だから自らの行為が「万全でないんだよ」ということを自覚しておくのは大事なことなのです。 長文、ながながどうもでした(汗)。
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- uesaki30
- ベストアンサー率10% (3/30)
そういう募金(コンビニなどでよく入れるがお釣りや小銭を) 毟るフランチャイズオーナーや、バイトを、死刑にしてほしい。
- dell_OK
- ベストアンサー率13% (766/5721)
たぶんだけど、貧しい国の多くの子供たちがわずかなお金で命を救われていると言うのは間違いだと思います。 少なくとも私はそう思っていません。 確かに、子供たちが病気にかかったりしていて、わずかなお金で病気が治ったり、治らずも多少は元気になったりしているのかも知れませんが、その後のその子供たちがどうなっているのかを私は知りません。 一命をとりとめたところで、その後の事まで、そのわずかなお金でどうにかなっているとは思えません。 またその子供たちがなぜ幼くしてその命をなくしているのか、なくさないまでも苦しんでいると言う現状を改めない限り、無駄に、繰り返しましょう、無駄に、そのわずかなお金が使われているに過ぎないのです。 生まれてきた生き物はすべていつか死んでしまう。 それがその時であると言うだけの事なのに、なぜに無駄にお金を使うのか。 同じ無駄に使うなら、名前も顔も知らないどこかの子供によりも、自分のために使った方が納得できる。 わずかなお金と言うのも、物価の違いでそうなのか、本当に激安なのかわかりません。 例えば100人の子供の命よりも、私には今日の晩ご飯のおかずの方が重要。
- cucumber-y
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自分自身の治療に億単位の金がかかるなら、聞いた瞬間諦めます。 配偶者や息子達の治療のためならば思いつく限りの労を尽くしてなんとかしようともがくでしょう。 私がそのために犯罪者になっても仕方が無いという結論に辿り着くことも容易に想像できます。 私には私が守らなければならない人たちが既に決まっていて、それを守るのに精一杯であるべき。 世の全ての恵まれない方を私個人が助けようなどと考えるのは偽善を通り越して傲慢だと感じます。 私が身内以外の方々にできるのは職場のデスク上の貯金箱が満タンになったら、それだけをどこか募金しているところへ持っていくという偽善行為だけです。 コンビニの募金箱にもよく入れていますが、これは財布の中に1円玉、5円玉が入っているのが嫌だという極めて私の勝手な感覚からやっている行為であり、善意でも偽善でもありません。
自分の命はとりあえず大切。 身内や子供の命は何よりも大切。 外国の他人の子供の命のことまでは知ったことではありません。 自分でできることをすればいいと思います。
まさに、今、私の父親の弟の嫁さんが、必要としていました。 肝臓移植です。 近くの国立大学病院へ入院しましたが、そこでは「治療不可能(設備が足りない)」でしたが、息子(長男)が、臓器(肝臓)提供を申し出て、先生方が、大変、喜ばれたそうです。 そして、旧帝大大学病院へ転院させて頂いています。(先生の紹介です。) これを聞いて、私は、久々に「やる気」のようなものが沸いてきました。(希望の光を照らされたというか。「結構やるなぁ、と。見直したというか。」) 人間、人の命(特に家族)が掛かると、変な恐怖感のようなものが消えるものです。 ちなみに、私の肝臓は、「不適合」でした。(--;) お金なんて、人が生きるための「便利な道具」の一つに過ぎないのではないでしょうか。 お金に振り回される、なんていうのは、本末転倒かと。 お金は、あの世に持っていくことはできませんし・・・。 「自己中」のような仕事人間よりも、一見、遊び人風の「個人主義」の方が、自分には合っているなぁ、と、感じました。 なんとなく・・・ ※家族が事故に遭いそうになったら、身代わりになってしまうものです。 そういった感覚が消えてしまった時、鬱病が発生します。家族の和?がしっかりしていると、その鬱病も治ります。 私は、会社に入ってから、まるで母親を「お手伝いさん」のような感覚でいました。そして、ついに母親は鬱病に。 会社人間を止め、自分を見つめ直しだしたら、母親の鬱病が治り始めました。 ただ、昨年、家計が苦しくなり「派遣会社」を通して仕事をしたところ、母親は、他界しました。 いくらお金に困っても、893な稼業に手を貸すと、どういうことになるか、痛感致しました。 お金を、第一目的にすると、「家族が死にます」 ・韓国の前大統領は、「恨んではいけない・・」などと、わずかな遺書を残し2ケ月前に、自殺されました。(参考URL) ・今の大統領は、自宅を除いた全財産を、寄付しました。(参考URL2つ目)
- darumazen
- ベストアンサー率16% (18/107)
人間の命は地球よりも重く、虫けらよりも軽い
- sykt1217
- ベストアンサー率34% (277/798)
質問者様はご結婚なさっていますか? またお子様はいらっしゃいますか? 恐らく、本当に心から愛する人と結婚され、心から望んだ我が子を抱いたとき、そのときに初めてわかる(感じる)答えなのだと思います。(全ての既婚者・親が感じるわけではないとは思いますが。) 正直、命の重さって違っているのが現実だと思います。 命の重さを天秤にかける以上、そこに「自分との関係性」や「その人への思い入れ」などの「感情」が少なからず関わってくるからです。 外国の一人の子どもを救うか、我が子を救うか、どちらかしか救えないとしたら、私は間違いなく我が子を救います。 でもそれが正解かなんてわかりません。 正解なんてあるのかすらわからない。 将来、その助けた我が子が他人を危めるかもしれない。 助けなかった外国の見知らぬ子どもを助けていたら、誰もが崇拝するような、世界の救世主になっていたかもしれない。 でもそれって、結局は結果論ですよね。 先のことなんて誰にもわからない。 だから感情がその場の選択基準の一つになるんです。 取り止めがなくなるので、とりあえずここまで・・・。
- Hamida
- ベストアンサー率23% (267/1151)
医療に使える金高は、人によって異なります。ボランティアが募金をして、治療が出来る幸運な人もいますし、妊娠診療費が払えなくで、臨月に救急車で運ばれ、救急病院で死ぬ人もいます。医療治療費に関して、自分で出来うる最大の努力をすれば、それで良いのではと思います。 他国でも同じで、簡単な肺炎や感染症で死亡する人がいくらでも居ます。その様な人に募金をして援助することは悪いことではありませんが、自分の生命を犠牲にして行うことでは無いでしょう。