- ベストアンサー
ボランティアの趣旨に賛同できなくなりました・・・
アメリカ在住です。ある日系のボランティア活動に参加したのですが、活動に加わるうちにその趣旨に疑問を持つようになりました。 こういう場合、どうやってやめるのが一番カドが立たないでしょうか。賛同できない以上、協力はしかねるのですが言い出しづらい雰囲気です。 あまり詳細なことは書けないので、漠然とした質問ですが、途中でボランティアを外れた経験のある方のお話などうかがえればと思って投稿しました。 どうぞよろしくお願いします。
- みんなの回答 (9)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
acrobotさん、はじめまして。私もアメリカ在住の既婚女性です。アメリカ滞在年数は21年、ボランティア暦は10年です。 一番最初のボランティアはある動物の救済活動でした。そこで数年活動したあと、引越を機に転移先のローカル団体に移籍しました。が、これほど動物好きの私でもたった2年しかもたないほど、その団体の運営方針には反感を抱きました。 >「都合よく利用されている感じ」 正にその一言でした。本来は犬や猫のための活動なのに、どうみても自分らの見栄や名声の方が重要だったとしか思えず、ボランティアなんて使い捨ての雑巾のような扱いでした。引っ越す前の団体は皆で意見を出し合い、古株も新参者も分け隔てがなかったのに対し、転移先の団体は「主(ぬし)」(=彼女らは給料を貰っていました)の大帝国のよう・・。もちろん辞めていくボランティアも多かったです。私は年ごとのメンバーシップを更新しないことで、特に何も言わずに去りました。正直なところ、言う気も失せてました。 それからは、すぐ気を取り直して地元の病院でのボランティアを始めました。とても気分良く奉仕できる環境なので、かれこれ4年以上も続いています。 ボランティアというのは無料奉仕なので、自分の時間が少しでも他所様の役に立てるという実感がもてて、帰り道に「ちょっとは役に立てたかな」と嬉しく感じるようじゃないと続きません。それがお金に代わる報酬なのです。残念ながら、すでに確立された団体の雰囲気や方針を改善してまで続けようというのは相当な覚悟と精神力が必要です。そのようなことにエネルギーを使い疲労困憊するのなら、他で自分に合った団体を見つけるほうが余程効率的だと思います。 そしてアメリカでの日本人同士のドロドロはイヤと言うほど見てきましたので、私は日系の団体や集まりは極力避けています。日本人が大勢集まったときの「腹の探り合い」的な雰囲気も苦手です。不平不満を抱えながらも一匹狼になる勇気がなくてズルズルと腐れ縁を続けている人たちも沢山見てきました。第三者からすると、何であんな陰口ばかりの環境にしがみつくのか理解できませんが・・。 アドバイスですが、acrobotさんも「一人でも別にいいや」という覚悟があるのでしたら、ゴチャゴチャと言葉を選んで気を揉むよりも正々堂々とご自分の考えを話して辞められたらいかがでしょうか?それが面倒なら「退会願い」のような文面を正式に提出してきっぱりと足抜けしましょう。何か陰で言われても耳を傾けないことです。 反対に、今後も表面上の社交関係は穏便に続けたい・・ということなら、体調や家庭の事情を理由にするしかないですね。 どちらにせよ、断るのは誰だってイヤなものです。次回からは何かに参加する時は慎重に。入るのは楽ですが、抜けるのは大変ですからね。 参考になれば幸いです。
その他の回答 (8)
- kysp1124
- ベストアンサー率43% (41/95)
丁寧な回答ありがとうございました。私が奉仕していた動物愛護協会はどちらも純アメリカの団体です。 余談ですが、前回の回答にも書いたように私は日本人の団体や集まりには一切関わりません。acrobotさんも感じていらっしゃるように、日本人社会は非常に要注意です。学生上がりの私にとっては本当にどうでもいいこと(=人の年収、旦那の勤務先、住居の大きさから学歴などなど)で他人の値踏みをする傾向があり、出すぎたら嫉妬されて駄目、逆に低すぎると馬鹿にされて駄目。20年も暮らしていて本音を話せる日本人は私よりかなり年配のお友達2人しかいませんが、いるだけでも奇跡に近いと感じます。 在米期間がちょっとだけ先輩なので僭越ですが一言だけ。acrobotさん、英語さえ出来ればアメリカ社会での自分の居場所の選択肢が増えます。英語力が無くて現地人の前では借りてきた猫の子なのに、日本人社会ではふんぞり返っている人も少なくないのが現実です。なにごとも継続は力なり。私も未だに毎日が勉強です。お互いに価値のある時間の過ごし方をしていきましょうね。(ボランティアからはちょっと話題が逸れちゃいましたね、ごめんなさい)
お礼
再びありがとうございます。お礼が遅くなってしまい、ごめんなさい。日系コミュニティと関わってみてあらためて気付いたことは、言語の大切さです。日本語と同じレベルにはなれなくても、それに近いレベルまで英語を持っていけば、おっしゃる通りオプションが増えますね。 よく考えてみると、このボランティアに集まってきている人は、渡米してまだあまり時間がたっていない人が多いように思います。だから、何もかも完全な日本流儀で、ちょっとついていけない感じがしてしまうのです。 英語がもっと自由になれば、ボランティアでも日系か米系か関係なく、その奉仕内容だけで選ぶことができますし。あらためて、やっぱりまだまだ英語力が不足しているなあと痛感しています。そこで、また英語の勉強を集中して始めることにしました。そういう意味では、今回のボランティアのことはとてもいい刺激になったので、よかったことにしようと思います。
- Gletscher
- ベストアンサー率23% (1525/6504)
ご存知と思いますが、ボランティアとは、自主的に行動する人のことです。 なので、自主的でなくなればボランティアではありません。 理由は必要ありません。 「ボランティアができなくなりました」だけで充分です。 それでも理由を聞かれたら、「自主的に行う時間がとれなくなった」とか、「団体の趣旨が私の考えと合わなくなってきたのでボランティアは続けられない」とはっきり言った方が良いと思います。
お礼
回答ありがとうございます。「できなくなりました」というのは、ニュートラルな感じでいいかもしれませんね。
補足
質問の補足です。 活動するための資料や、寄付を募るための配布物などを大量にもらっている状態です。配布物は相当凝ったもので、お金もかかっていると思うので、お返ししたほうがいいと思うのですが、それがあるので、一層言い出しづらいというのがあります・・・
- negitoro07
- ベストアンサー率24% (389/1569)
自分のプライベートな時間をつぎ込むだけの意欲がなくなったと言えばいいのでは? 向こうが理由を聞かないようなら、「こちらの都合で」とか「いそがしくなった」あついは、理由もいわずに「脱退したい」とだけ言えばいいはずです。
お礼
回答ありがとうございます。
- tomban
- ベストアンサー率26% (2616/9771)
うーん、漠然としてるので一般論を言いますね。 まず、日系ボランティア団体で、ほとんどこちらと変わらないということなので、気質も同じようなものと考えます。 「団体」という以上は「団体」としての行動理論が何よりも優先するわけですね。 そして、そのリーダーの持つ権限もかなり大きめであるということ。 そこには「個人の理論」は差し挟みづらいですし、自由度が高い、柔軟な組織運営をしているなら別ですが、そうでないならば、個人は「つまはじき」にされやすいものです。 ですので普通に「辞めます」で結構です。 辞める理由は「一身上で」でいいですね。 束縛されないのがボランティア活動のいいところだし、そして最大の「脇の甘さ」でもあります。 胸を張って離れるのがいいですよ。
お礼
回答ありがとうございます。たしかに、リーダーの持つ権限は大きいですね。それでいて、私から突っ込まれると「ボランティアだから分からない。答える必要はない」といった感じでリーダーが逃げて、ちゃんと答えてくれない。それがフェアではないと感じたのです。ここで相談してよかったです。みなさんからの回答に一つ一つお礼を書きながら、だんだん私の心も整理されてまとまってきました。
追補の追補です(笑) 私はボランティアの専門家ではありませんし、口語の意味は簡単に変化するので勘違い扱いは乱暴だったかもしれません、謝ります。 あくまで私の私見、参考意見として聞いていただきたいです。(異論ある方がたくさんいると思いますし、完全な正解があるとも思いません) 私はボランティアとは「自発性に基づいて行われる【社会をよくすることのみ】を目的とする行為すべて」だと思っています。 「単なる善行」でも「単なる福祉活動」でも「単なる無報酬労働」でも単独ではイコールにならないと思います。 もっといえば団体に収入があったとしてもそれが悪いとは思いません。ただし、あくまで副次的なものであってそれを「目的」とすることはまずいと思います。 そのため「寄付をたくさん集める」というのを目的にするのは私もおかしいと思います。 もちろん集めた寄付を社会に全額還元できるなら必ずしもまずくはないでしょうけど。 ボランティアの語源は「志願兵・自由意思」などの意味なのは広く知られていると思いますが、そう考えると「ボランティアだから趣旨が分からない」という表現に強い違和感を感じました。じゃあなんで参加したの?って思います。 団体としての活動趣旨というのは結構あいまいで定義が難しいものではあると思いますが、ひとりひとりがボランティアをする理由があると思います。 それらをまとめたものが「団体としての意思」になるのではないかと思います。 世の中を良くするため「自分がその団体でどういう方向性で活動するか」を参加者の多くがわかっていない団体に中味はないと思います。また、誰かに「ボランティアをしろ」とさせられているならそれもおかしいです。 自発性の求められることですから、その人自身がボランティアをする理由が「わからない」ならばそれは上記のような「自発性に乏しいただの善行」などであるか違う目的を持ったボランティアではないものではないかと思ったのです。 漠然と「世の中を良くしたいから」でも「代表に賛同すれば世の中がよくなると思ったから」でもいいので、その方の意見を言えているならばまだ納得いったのかもしれません。 主体が代表者や会社であることの是非はともかくとしても、活動の「目的」がはっきりしないならやっぱり「いいように使われてる感」は払拭できないと思います。 また、主催したものは賛同する人間すべてに成果を公表しなくてはならないと思います。 長くなりましたが、端的に言うと「ボランティアの皮をかぶった何か」っぽいなぁ、と私も思います。
お礼
再びありがとうございます。 >私はボランティアとは「自発性に基づいて行われる【社会をよくすることのみ】を目的とする行為すべて」だと思っています。 私もそう考えております。でも、集まっている人はチャリティの目的に関心があるとは思えず、そもそも目的があいまいなので、関心の持ちようもないというおかしな状況なんですよね・・・ あまり詳しくは言えませんが、実はもともと募集の広告は「ボランティア」ではありませんでした。詳しくは書けませんが、「スタッフ」として、いわば単発のアルバイト(?)のような募集内容だったのです。しかし、いつの間にかその話はなくなり、「ボランティアだから」という言葉にすり替えられました。私は報酬そのものが目当てではなく、そのイベントが私の関心分野と一致していたため、勉強の一環と考えて応募しましたので、たとえ「ボランティア」としてであっても、チャリティの趣旨が明確ならよろこんでお手伝いしようと考えました。しかし、リーダーの態度などを見ているうちに、やはりこれはおかしい、納得できないと感じるようになってしまいました。
- pon2pon2
- ベストアンサー率42% (107/250)
日本だと、アルバイトで人を集めて、募金箱を持たして、 お金を集めるボランティア詐欺が流行っていますが、 きちんと集めたお金の収支は公開されているのでしょうか? もし、そうでないなら、ちょっと怪しいですね。 TV局主催の、 大々的な年末歳末運動などでも、 実際にあつめた金額の内、ほとんどは、 人件費やら広告費やらで消えています。 ボランティアといいながら、誰かがお金を得る仕組みになっています。 収支公開された内容に、 納得いかないのであれば、その旨話して、 やめられた方がいいと思います。
お礼
回答ありがとうございます。お金の収支はたぶん公開されないと思います。お金の流れも今ひとつよく分からなくて、それも納得できなかった理由の一つです。ただし、そんなに金銭的なな意味で「儲かる話」ではないことだけは確かです。 どちらかと言うと、これは「ボランティア」ではなくて「インターン」に近いと思うんです。私はインターンとしてならこの分野の仕事に興味は持てるし、続けてもいいと思うんですが、「これはボランティアだから」と妙に強調されることに違和感があり、「ボランティア」という名を借りて、目的は別のところにあるのではと考えてしまいました。
お礼をいただき、ありがとうございます。 ちょっと追補したく思います。 どんな活動をする団体なのかわからないので何と言えませんが、そのリーダーの方=団体の発足者ではないということでしょうか。 そうだとすれば、団体の趣旨に賛同されて参加されるのが筋と思います。 ボランティアは人に言われてするもんではないと思いますし。 もしそのリーダーの方=団体の発足者なのであれば何がしたいのかわからない団体があることになり、これはこれで意味不明です。 いずれにせよそのリーダーも含めそもそも「ボランティア」って何かを勘違いしている気がします。 日本国内においてもそういう人はたくさんいますが。 方向性が明確でないことを理由にやめるのも真っ当とは思いますが、そのボランティアと全く関係のないところでトラブルがあってもアホらしいので適当な理由に差し替えることをお勧めします。
お礼
追補いただきありがとうございます。 >いずれにせよそのリーダーも含めそもそも「ボランティア」って何かを勘違いしている気がします。 こう感じられた理由をお差しつかえなければ、お教えいただけませんか。私もこれを機会にボランティアについて、もう一度よく考えてみたいと思っているので。 団体の責任者はほとんど表に出てきませんので、じかに質問できません。ボランティアのリーダー、サブリーダーとしか話ができず、また、彼らとの連絡も密に取れない状態です。 その団体が主宰する「チャリティ・イベント」の手伝いですが、チャリティの目的・テーマが漠然としていて、いわゆる「聞こえのいい単語」になっており、しかも「こういうテーマを据えているのは、そのほうが寄付が集まるからだ」と説明を受けたため、さすがにそれは違う!と感じた次第です。 私たちボランティアが活動することで、結果的にどのように社会に貢献できるのかが見えず、私には、ただ団体の責任者の名前を世間に知らしめるお手伝いをするだけになるように感じられました。責任者自身がイベントの主役ですので・・・(その団体はNPOなどではなく、普段は一般の会社です)
私は日本で暮らしているのでややずれていたらすみません。 ボランティアはあくまでも自発意思で行うものだと思いますし、しなければならないものなどではないと思います。 理由は割ける時間や金銭的な余裕がなくなったでもいいと思いますが「協力する気はもうない」とはっきり伝えるべきだと思います。 また、参加を強く求められるならばそれはボランティアではないと思います。 私も活動をしていたことがあり、忙しくなったせいでそれを離れた経験がありますがその後は参加者の方とも特に問題なく普通にやっていけてます。 また余裕ができたらやろうかな、程度には思っています。
お礼
さっそくの回答ありがとうございます。日系コミュニティは日本国内と似た性格を持ちますから、ずれていないですよ! 違いと言えば、海外の場合は人数が少ないので、別のところで一緒になる可能性がとても高いということでしょうか。何か表向きの理由を考えるのがよさそうですね・・・(たとえそれが本当でなくても) 実はまだ実際の活動はほとんどしていません。ただ、活動を始めるにあたっての説明を聞いていくうちに、本当の意味で「ボランティア」とは呼べない活動だと感じたのです。いわば、「都合よく利用されている感じ」がしてしまったのです。 また、活動の趣旨について疑問を感じた点を、ボランティアリーダーに質問したところ、明確な回答が得られず、「自分もボランティアだから、分からなくて当然」というようなことを言われたので、一気にやる気を失いました。活動の趣旨を理解できていない人が「ボランティアのリーダー」というのが納得できませんでした。 まだ活動をほとんどしていなくて、説明だけ聞いたような段階なので、なおさら「今やめると言ったら、あまりにもあからさまなのではないか」という不安がよぎって言い出しづらくなってしまいました。
お礼
アメリカ在住の方からのご意見がいただけてうれしいです。ありがとうございます。動物救済のボランティアは、日系の団体だったのでしょうか? 私は前にボランティアした時はアメリカ人の福祉施設で、本当にボランティア精神に満ちた場所でした。とても楽しく、充実感がありました。 >自分の時間が少しでも他所様の役に立てるという実感がもてて、帰り道に「ちょっとは役に立てたかな」と嬉しく感じるようじゃないと続きません。 本当にまさにこういうボランティアだったのです。 そういう経験があるだけに、今回の「ボランティア」については大いに疑問を抱いてしまいました。主催者もたぶんチャリティのことなど本気で考えてはいないと思います。自分の名前を冠したイベントで、いかに自分を売り込むかが大事で、そのために弱者や社会的な問題を「利用」しているとしか感じられなくなりました。おそらく私たち「ボランティア」のことも、「無償で都合よく利用できる労働力」としてしか考えていないと思います。 >日本人が大勢集まったときの「腹の探り合い」的な雰囲気も苦手です。不平不満を抱えながらも一匹狼になる勇気がなくて たしかに、参加している他のメンバーたちの本音が怖いぐらい全く見えず、何がしたいのか分からないのです。率直に言って「気味が悪い」です。私は在米数年になりますが、今までは語学力の向上のために日系コミュニティとは関わりを持たずにきて、今年になって初めて日系と関わるようになったので、ある意味でカルチャーショックです。 >次回からは何かに参加する時は慎重に。入るのは楽ですが、抜けるのは大変ですからね。 このお言葉、すごく響きました。軽率だったと反省しております。