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自由権の「自由」について

自由権の自由とはどういう意味なのでしょうか? かなり漠然としている変な質問ですが、 回答お願いします。

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noname#100196
noname#100196
回答No.2

wikipediaによると、 「自由権(じゆうけん)は、基本的人権の一つで、国家から制約を受けるまたは強制されずに、自由にものを考え、自由に行動できる権利のことをいう。古くはイギリス権利章典・アメリカ独立宣言・フランス人権宣言から謳われ、今日までの歴史を持つ。内容は人間の自由のすべてに及ぶゆえ、その一覧を作ることはまず不可能である。自由権は、人権の中でも特に重要な人権といわれる。」 、だそうです。「古くはイギリス権利章典・アメリカ独立宣言・フランス人権宣言から謳われ」ていることから、自由権とは「キリスト教の神が人間に与えた(とされている)自由意志を何人にも疎外されずに行使すること」だと推測されます。 ヴァジニア信教自由法(1786年) 信教の自由を確立する法 (一)全能の神は、人の心を、自由なものとして創り給うた。[以下略] (二)(略)すべて人は、宗教についての各自の見解を表明し、これを弁護支持する自由を有する。また、何人も、その宗教上の見解の故に、その市民としての資格に、減少増大その他の変更を加えられることはない。 (三)―――もし、今後、この法律を廃止し、あるいはその適用を制限するような法律が、可決されるようなことがあれば、そのような法律は、自然権に対する侵害であろう。 (「人権宣言集」 岩波文庫 P118) そもそも自由意志、つまり自由とは、「神が全知全能であるのなら、罪を犯さない人間をつくることもできたはず。ではなぜ人間は罪を犯すのか(=何故人間は自由なのか)。神は全知全能ではないのか」という疑問から始まっています。この疑問は、「唯一絶対の真理であるキリスト教を信仰していない人類がいるのは何故か」、という疑問であるとも言えます。これらの疑問に対してその答えの一つとして、「神は人間に自由意志を与えた」という結論が出されたわけです。 裏を返せば、キリスト教の神の実在とその権威を信じることなしに自由権を得ることはできません(その上で自由意志によって他の神を信じたり、無宗教者になることは自由です)。日本国憲法において自由とは「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」(第97条)によって得られたものとなっていますが、この自由獲得の努力とは、とりもなおさずヨーロッパ世界において行われた努力であって、キリスト教の神の権威を認めることなしに自由を獲得しようとすることは、現代でも矛盾を伴う行為なのです。 「「世界人権宣言」の背景には、イギリスの「人身保護令状」「権利の章典」、フランスの「人権宣言」、ヴァージニア権利章典やアメリカ連邦憲法という西洋人による制度的工夫の積み重ねがあった。(略)それはまぎれもなく西洋文明の遺産であった。」 (「国際正義の論理」 講談社現代新書 P211)

snowdrop88
質問者

お礼

こんなに詳しく書いてくださり、有難うございます。 「自由」ってなんだかとても深いものなんですね。 人権の中で特に重要な権利だとははじめて知りました。 回答有難うございました。

  • toy-0207
  • ベストアンサー率27% (10/37)
回答No.1

詳しく言いますと、身体の自由、精神の自由、経済活動の自由というのが基本です。この3つからいろいろな事へ広がるので、そこまでは説明できませんが、自由権の自由とは公共の福祉に反してはいけない自由のことです。要するに、殺人、強盗、人権侵害など社会の利益に不利益なことはしてはいけないってことです。自由は自由でも、憲法や法律を破る自由ではないということです。 ・・・分かりにくくてすみません。

snowdrop88
質問者

お礼

分かりにくいなんて、そんな事ないです。 とても理解が深まりました。 自由の意味を履き違えるな。と解釈させていただきました。 回答有難うございました。

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