「研究者」の定義にもよるかと思いますが、今の方が研究者にはなりやすいと思います。
仮に、「研究者」を(戦後の)4年生大学の教員に限るとして、昭和25年(1950年)の教員数は約1万1千人、現在の教員数は約17万人です。大学(学部)の学生数(在学者数)は、昭和25年が23万人、現在が280万人です。昭和25年であれば、修士号や博士号を持たなくても教員になることはありましたので、大学に在学している人が全員教員になることを望むとして単純に計算すると、昭和25年なら1.1÷23≒0.048、現在なら17÷280≒0.06の割合で大学教員になれます。つまり、単純に計算すると、現在の方が大学教員になれる可能性は高いです。(これは、その年の在学者数に対する割合なので、その年の卒業者に対する割合はもっと高くなります。)
現在の大学教員数が昭和25年の15倍以上になっているのに対し、現在の日本の人口は1.5倍程度にしかなっていないことを考えれば、上の計算よりも、もっと今は大学教員にはなりやすくなっているはず、と言うこともできます。研究者になりたい人は増えていますが、研究者のポストも(人口との比率で言うと)増えていますので。
ちなみに、現在の博士号取得者は1年間で1万6千人くらいですから、昭和25年であれば、大卒者の価値は今の博士課程取得者以上です。(上のは在学者数なので、昭和25年の1年間の大卒者数は多くても3~4千人でしょう。)
昭和20年代にも在野の研究者はいましたが、研究はお金がもうかりませんから、そういう人の多くは、資産家の子息か他にパトロンがいる人でした。現在は、企業の研究所等に所属している研究者も多いですから、研究者数も50年前よりはずっと多いです。そういう意味でも、今の方が研究者になるのは簡単だと思います。
>ということは、昔のほうが研究者の競争率も少ない。しかも研究テーマも今のように飽和していないので、ガンガン論文を書けるので研究者になりやすかったのでしょうか?
それは研究の(論文を書く)スピードだけの話です。60年前と現在とでは、採用時に評価される論文数や論文の質も異なりますから、単純に論文数だけ比較しても意味がありません。
他の方が書かれているように、50~60年前と現在を比較するのは、いろいろなことが違いすぎて、意味がありません。(上の計算も、結局はただの理屈の上のものでしかありません。)ただ、今の方が楽に博士号を取得できる分、本来は一人前の研究者としてずっとやっていけるだけの力のない人まで博士号を取得しています。そういう人がアカデミックポストに就けないのは当然です。確かに、常勤のポストに就くまでの期間は、優秀な研究者でも長くなっているかもしれません。でも、本当に実力があれば、いつかはポストに就けるものですし、それまでのつなぎになるポスドクの職は10年前と比べてもずっと多いです。
ご参考になれば幸いです。