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なぜ結婚式は神社で 葬式は寺でやれるのか

日本人はなぜお宮参りや七五三やは神社、その後キリスト教の学校に入れたあと、結婚式は神社で(あるいは教会)、葬式はお寺と、一生の行事をごちゃまでの宗教で出来てしまうのでしょうか?

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  • kottinQ
  • ベストアンサー率37% (220/587)
回答No.2

おはようございます。 どの宗教にも共通しているのは、「死後の世界への回答」です。 「死んだらどうなるのだろう」という不安に、それぞれの宗教が答えていますし、答えられない宗教(葬式ができない)は、宗教として本来成り立たないのです。 しかし日本の神道には、葬式がありません。 もともとはあったのです。 うんと昔、仏教が日本に入ってくる前には、神道も葬式をやっていたと考えられます。 朝鮮半島では、今も葬式の時に、死者を台に乗せて「ワッショイワッショイ」とねるそうです。これは、死者に思いっきり楽しい思いをしてもらって、この世の未練を断ち切り、あの世に行ってもらおうという考えなのです。死者を乗せる台が御輿になれば、神社の祭りと同じです。 仏教が入ってきて、仏教は政治と深く結びつきます。 奈良時代から平安時代は、仏教は上流階級だけの宗教で、民衆のものになってくるのは、鎌倉時代からだと言われています。それは、石仏が造られるようになるのが、鎌倉期以後であることからの推測です。 仏教が入ってきて、日本の支配者達は、それを利用して権力の足固めをします。しかし、神道を捨てきれなかった。神社の一番大きな役割は、「怒れる魂を鎮める」ことだったのです。前の支配者を倒し、新しい支配者が誕生する。新しい支配者は倒した支配者を祀ったのです。 それは「祟り」を恐れてのことでした。 何か疫病が流行ると、それは「祟り」と考えられました。凶作になる。「祟り」です。人の力ではどうしようもないことが起こる度に、神社は大きくなっていったのです。 そうして、仏教は政治的に保護され大きくなっていきますが、神道も捨てられなかった。やがて持ち分が決まっていったと考えられます。 人間の「生」の部分を神道が受け持ち、「死」の部分を仏教が受け持つ。世界でも類を見ない、宗教の共存です。 この問題は、大変興味深い問題です。簡単に書いたので正確さに欠けますが、この辺にしておきます。 梅原猛著、「隠された十字架」や「神々の流竄」が面白いです。

ishikamz
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 歴史もお教えいただきありがとうございました。

その他の回答 (5)

回答No.6

色々なものに神様が宿っているという「八百万(やおよろず)の神々」の思想概念が根本にある、日本独自の文化といえますね。 一神教と違い、厳しい戒律も無く、「日本の神様たち」は性格もおおらかなのだそうです。だから「来るもの拒まず、区別はせず」みたいな感じで今日に至っているのでは? そういう地盤があるからこそ、日本は外国文化の取り入れも上手いのだと思います。(クリスマスやハロウィンなどのイベントや食文化など) よくよく考えれば、お得な国ですね(笑) 日本国内であって日本人であっても、一神教宗教などに深く属している人たちは、お寺や神社といった「他宗教の聖域」には入れないと聞いたことがありますので、全ての日本人がこの独自文化の対象となるわけではないみたいです。 また、カトリック教会で信者以外が挙式する場合、挙式する2人で何度か教会に通ったりミサに参加したりと、一定の条件をクリアしないと挙式できないらしいです。

ishikamz
質問者

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回答ありがとうございます。

  • ho_saiken
  • ベストアンサー率52% (12/23)
回答No.5

>日本人が一生の行事をごちゃまでの宗教で出来てしまう のは、宗教の自由が認められていることもありますが、宗教の概念に対する歴史が浅い為、結婚式は神社(または教会)、葬式はお寺と概念ができてしまったと考えられます。 日本の宗教は本来、神仏一体でした。ですから今でも結婚式をお寺で執り行う方はいらっしゃいます。 短く申し上げますと、明治時代頃、天皇家が神道を崇拝したため、神社庁ができ、お寺に格が付けられる事態になりました。 それによって神社とお寺に行事の差が生じる結果になりました。 しかも日本人が本来崇めてきたものは神、仏ではなく、「自然」なのです。高い山であったり、姿が美しい山、実りをもたらす川であったり。 そのあたりの遺伝子が日本人に受け継がれて、ごちゃまの宗教も受け入れられるのではないでしょうか。

ishikamz
質問者

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回答ありがとうございます。

  • 2009ken
  • ベストアンサー率21% (769/3580)
回答No.4

それがごく普通だという認識が出来上がってるからでしょう。日本独自の文化ってやつですね。そもそもの宗教観が薄いというか、そういう気質なのでしょう。海外では、宗教系の政党というのがい主導権持ってることもあり、国教が定められてる国は少なくない。ですが日本はノンポリなので、法での縛りがない。むしろ、公明党や幸福党などの宗教系政治団体は、嫌悪感持つ人のほうが多い。土壌としてはその辺でしょう。 また、宗教的意義自体を表に出さない場合は、形骸化したイベントとして、とくに商売に利用されてるケースが多いですからね。クリスマスも昭和30年代にキャバレーなんかで「特別サービスする日」(つまり、クリスマスだからと家に帰ったり、恋人と過ごす日ではなかった)として始まったのが、ケーキ屋の陰謀で「家庭でケーキを食べる日」に代わって行ったし、さらに最近はデパートやホテルなどの陰謀で「恋人に高価なプレゼントして、豪華ディナーを食す日」になり下がっちゃった。バレンタインもお菓子屋が「チョコあげて告白する日」にした。七五三も「着飾って記念写真撮る日」で、そのついでに参拝みたいになってる。雛祭りも端午の節句も、お雛様や鯉のぼりを買って飾る日に。まあ、そういうイベント好きな国民であるというのもあるのでしょう。「記念日好き」みたいな。ある意味、平賀源内がうなぎ屋の宣伝のために「本日丑の日」と看板ださせたのと同じ感覚かな。 でも、こだわってる人は、仏教徒ですからと、参拝はしない方もいますし、神道で葬儀(神葬祭)やるご家庭もあります。キリスト教で洗礼受けられた方は、やはりキリスト教の葬儀を行います。 某仏教系学校法人では、雛祭りもクリスマスも、豆まきも、いっさい行事としては触れないし、執り行いません。一方で、各地に、お坊さんが参拝したり、その逆の公式行事が残っているところもあります。大昔にお坊さんが苦難にあったた時に、神様が助けてくれたという伝記に基づいていたり。素人ばかりがという話ではありません。 まあ、あなたの言うような人が多く、世間もそれを容認してるし、むしろ多数派というだけで、世の中はいろいろあるのです。

ishikamz
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

  • roze333
  • ベストアンサー率34% (32/93)
回答No.3

こんにちは、 >一生の行事をごちゃまでの宗教で出来てしまうのでしょうか? 確かにishikamzさんが言われるように変ですよね。 私も同じ意見です。 日本は信仰の自由が認められているからではないでしょうか。 そして冠婚葬祭やほとんどの祝祭日は宗教と関係があっても日本人は深く考えません。 信仰のあるなしではなく、個人的なお財布の問題やお祭りとしてとらえられていますし、企業はこぞってイベントを行い美化し、ビジネス化して莫大な収入源としているので、そういう環境に馴らされているからではないでしょうか。 信仰の問題ではなくお金さえあれば何でも出来てしまうそれが、日本人のとらえ方だと思います。 だから外国の人から批判されるのだと思います。 こういうのを信仰合同と言うそうですよ。 自分は無神論者だと言いながら、現実には色々関わっている訳ですから矛盾してますよね。そして当の本人もそれに気付いていない・・・・ これは、国民性かもしれないですね。

ishikamz
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

回答No.1

日本独特の文化だと思います 生まれたらお宮参り七五三、~結婚式、葬式 確か明治時代の前だったと思いますが、神社とお寺が一緒になったと思いました、その為に一部のお寺に鳥居が有る場所もるのはその為です 他の国では考えられないですよね(^-^) ですがそれを容認している、日本の神教仏教の心の大きい所と思います ただ中には仏教だけで通す人もいますし、最初からキリスト教で通す人もいます、それはそれで構わないのではないですか? 日本には宗教の自由が保障されていますので、一つの宗教で通すのも自由、色々な宗教をやるのも自由ですから、後は本人次第と言う事ですかね 私もその一人で菩提寺は有りますが祭りでは神社にも行きますし神輿も担ぎます、自由でいいですね 私は某宗教に入っていましたが、その宗派だけが素晴らしく他の宗教は間違えていると、言う考えの所でしたが、私には合わないと思って辞めました≪名前は書きませんが、書けばあそこかと思う所です≫

ishikamz
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

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