- 締切済み
「官」が自分たちに落ち度、責任がある
不都合なことが起こったときの会見で 必ず、絶対に使う言葉があります 【遺憾に思う】 これを聞いて、官側が素直に過ちを認め、反省や謝罪をしているといった印象を受ける人は皆無でしょう 逃げている、ウヤムヤにしている、責任を感じていない、何ら反省していない そう思う人が恐らく全員でしょう これを使うと、聞いている側は官に対する信頼や誠意といったものは完全に消滅してしまいます そしてそれを官側も知っているはずです にもかかわらずなぜ使い続けるのでしょうか 「官は支配する側、民は従属する側、どんな時も謝ることはしない」 という、どこまでも己のみの面子・体面を保つことが第一という意識がいまだにあるからなのでしょうか い‐かん〔ヰ‐〕【遺憾】 [名・形動]期待したようにならず、心残りであること。残念に思うこ と。また、そのさま。「―の意を表する」「万―なきを期する」 YAHOO辞書より
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
みんなの回答
- yoyopon24
- ベストアンサー率11% (2/18)
回答No.2
簡単に誤る→賠償を支払う ということに繋がりかねません 賠償金は税金です 面子もありますが、不都合が起こったからといって 何でもかんでも誤るのは国民への背信行為です
- himemoco77
- ベストアンサー率45% (20/44)
回答No.1
政治家にとって国民に責められることより、政治家に責められることのほうがダメージが大きいからです。 過ちを認め、謝罪をすると、今度は地位や職を失うことになります。 たとえ国民にどう思われようが、自分の地位や職を守りたいのは官でも民でも一緒ではないでしょうか?