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親の態度に影響された性格の解決方法

29歳既婚女性です。 5つ離れた姉と、4つ離れた兄がいます。 私たちの父は、私たちが小さい頃から何かに付けて文句をいう人でした。テレビを見れば、「こいつの顔を見ると吐き気がする」「日本人はバカばかりだ」「威張りくさりやがって!」など、テレビに向かってずっと文句を言うような人でした。外出しても、他人を見ては文句ばかり。 でも意地悪な人ではなく、おもしろくて頭が良くて、知り合いにはとっても優しい人です。私は末っ子ということもあり、3人のなかでは可愛がられてたので父のことが好きでした。しかし、思春期にはやはり父の文句がいちいち癇に障りケンカばかりしていました。姉は父とやりあい家出をしました。それでも姉が結婚して子供ができた時には子供をずっと抱っこしてすごく楽しそうにしていました。でも相変わらず、他人に対して文句を言う癖は治りません。 時が経ち私たち姉妹はみんな30代前後です。私はあることに悩んでいます。それは、他人を見ると嫌なところばかり目に入るということ。街に出て人を見ると、心の中で文句を言います。テレビを見ても文句を言います。気づけば父とそっくりなことを言っています。他人のことは気にしなければいいのに、どうしても目に入ります。(たとえば、立ち読みをしている人にイライラ、子供を放ったらかしの親にイライラ、車からごみを投げる人、ウインカーを出さない人にイライラする。ひどい時は太っている人を見るだけでもイライラします) 母に聞いた話だと、姉が似たようなことを言っていたとのこと。 ピリピリした自分がいやです。小さい頃の父の姿が影響しているのでしょうか?どうすればピリピリしないおおらかな人になれるでしょうか。。。

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回答No.4

こんにちは。お気持ちよく分かります。でも、あなたの観察力や、自分自身を知ろうという態度はとても素晴らしいですし、勇気があると私は感じました。 基本的に私たちは「親」からの承認を得るために家族を形成します。そして、親の私たちの態度によりますが、私たちは親が持っている「ほしいものが手に入っていない」という状態、つまりは親の葛藤の部分を親から愛されたい、認められたい、という思いから引き継ぎます。親に認められるために、あえて親から怒られて傷付いたりし、自己表現をストップします。もし完全に認められている環境でなかったならば、認められるために社会に出た時にも家族と同じような態度を社会に対しても取ります。このケースの場合、心の中で考えている事の半分が親の言葉になります。 あなたは父親の影響について既に気付いています。実は気付く事が非常に大切で、気付くだけでその事は自然とリリースされていきます。 親との影響をリリースするためには、親と話をする必要があります。その際、「私はあなたたちのせいでこうなった」という相手を攻めるのは逆効果にもちろんなりますので、感情を入れずにレポーターのように幼少期の頃の思い出話をして、その時に親はどのような状況だったり、どのような気持ちを持っていたのかを観察しながらただ冷静に聞きます。親も親の影響を受けています。あなたが家族の中でどのような役割を演じていたのかに気付けば、父親からの影響を断ち切る事ができます。話をただするだけです。分析をする必要は全くありません。 ただ、これはとても勇気がいることです。あなたが長年、心の中に抑圧してきた根源に立ち向かうので恐怖や不安があると思いますが、本当に父親の影響から抜け出すためには親を認める事をしなければなりません。もし、父親が既に他界されている場合でも、イマジネーションや夢を使ってゆっくりと父親と話をする必要がありますが、この場合でも効果はあります。 徐々に人々に対する見方も変わってくると思いますが、個人的に受け取らない、人を裁かないという態度を意識的にしていきます。もし心の中で怒りや不満が出たら、これは私の一部ではない、と気付いた度に認識してみてください。結局、外側に表現している事や、感じている事は、あなたの内側にある事です。それが、怒りや不満であれば、あなたの中に怒りや不満があるという事に繋がります。自分を親や社会からではなくて、自分自身で認める事がポイントだと私は感じています。 以上私の個人的に体験や、多くの方の体験を元にアドバイスさせていただきます。何かの参考になれば幸いです。

maruruko
質問者

お礼

自分の性格が親に影響されてるかも?と気づいたのはここ最近なんです。姉が父親のことを母に言ったらしく、母親はとても反省していました。母親が父親に言うと、父は不機嫌になったそうです。 私は父を憎んではいません。大好きなんです。大好きだけど、怖いというのがあって、二人きりでいると会話は続きませんし、話しかけるのに少し勇気がいるくらいです。結婚相手を紹介したとき、父が嬉しそうに、普段は無口なのに今の旦那とずっとしゃべっていました。それを見て、本当に嬉しくて、お父さんに認めてもらえる人と結婚ができるんだ!と感激しました。ちなみに父は健在です。そうですね、父と一度じっくり話してみようかと思います。母が落ち込んでいたので、すごく考えて母に「お父さんのこと好きだよ、確かに文句を言うところ嫌いだったけど、そのおかげで少し人と違う考えを持てたかもしれないよ!悪いことばかりじゃないかもね!」とメールしました。自分と初めて向き合えたような気がしました。人を裁かない、自分で認める、何回も読みましたが、あと何回か読み直します!回答本当にありがとうございました。また相談したいくらいです!

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  • youchan37
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回答No.6

以下は私自身の生い立ちを中心に考えたものです。貴方の自己分析の邪魔をしないか少し心配です。全てが貴方に当てはまっているとは、当初から思っていませんし、ここにある貴方の言葉以外の情報がありませんので、元よりそれは無理なのであり。又、私や周辺人は貴方のそれより、もっと状態が深刻かも知れません(苦笑)。よって厳しい言葉が混じるかも知れませんが、それは直接貴方や貴方のお父様を指すものではありません。ご容赦下さい。どうかきっかけ作りのアドバイスとして捉えていただきたいのです。 私自身は自己愛性人格者です。自身それに気づいてからは大きく変わりましたが、全くの別人になったものでもありません。それは時に長所・短所として在り「個性」とも言えます。で、これが深刻な当時は「他人に厳しい評価をする」ことも又、慢性的に深刻な状態でありました。 今思えばそれには幾つかの理由がありますが、一番なのは「超的理想とありのままの現実とのギャップ」です。自己愛性者の心には、一般的な「理想の自分」を超えた「超理想的な自分」がいます。客観的に見ることができれば、それは時に「空想的」なほど強いものなのです。それで、他人にもそれを求めてしまうのです。「時に空想的なほど強い理想」なのですから、現実にそれを満たす人・社会は存在し得ません。だから「こうあるべきなのに、そうでない。けしからん」という苦言が、とても多く生じるのです。 もちろん社会に対して例えば「正義」を求めていく姿勢は必要です。これが丸々間違いということではありません。しかし現実社会にはハイエナもハゲタカも沢山いるのです。そして実はそういう人の心にも傷がある。そして自分の心にも傷がある。自分だってなかなかそれに気づかないで生きてきた。すると社会には自分よりもっと深刻な心の傷を抱えた人が、それに気づかないままで生きていても何ら不思議ではないし、又それを完全否定する権利は、そもそも自分には無いのです。そして実は、自分の親も又、そういう人々と同じであったのです。 そしてこのカタチの目線は、自分にも向けられます。例えば本当はフェラーリ(車)こそ自分にふさわしい、なんて考えていたり(笑)。でもありのままの現実の自分は、それが買えなくて安い車に甘んじている。するとそんな現実の自分が嫌いなのです。これが自己愛性者の「自己嫌悪」です。 ウディ・アレンのアーニー・ホールはご覧になりましたか? 「自分を入れてくれるクラブには入りたくない」。 自分で自分が嫌いだ。その嫌いな自分のことを好きになる人は、けしからん。苦言を呈したくなる。だから自分を好きになってくれる人を、受け入れることができないのです。自己嫌悪とは誠にやっかいなものなのです。 それで、自分がどうして自己愛性者になったのか? と見つめてみると、父の影響は大きいです。歴然としています。 私は父に9歳位まで一度も、叱られたこともないし、褒められたこともありません。その後はスパルタ的に叱られてばかりいました。幼児期までの父は、溺愛型でした。土・日は毎週どこかに、手を繋いで遊びに連れて行って貰い、おもちゃを買ってもらい…。実に可愛がられました。当時は父がとても好きでした。しかしそれは本当の教育ではなかったのです。私は本当は辛かった、悲しかったのです。自己愛が傷ついていたのです。だから幼児期の一時的な誇大自己にしがみついて、自分を支えてきたのです。 叱られないから、現実の自分の弱さ・問題等が分からない。等身大の自分が見えない。だから誇大自己が「誇大」であることに気づかない。そして一面で褒められないから寂しい。寂しいから「褒めてくれなくても、オレは本当は凄いんだぞー」と、誇大自己にしがみついて自分をかろうじて支えてきたのです。こういう構造でもって、私の自己愛性人格は決定的なものとなりました。 だから父に認めて欲しいという気持ちが未だに残っている。実は甘えていなかったのです。甘えを受け入れてもらっていなかったのです。今でも認めて貰いたいのです。大人から見ればつまらないことでも「褒める」。ある部分においては、褒められることが、幼児にとって、甘えが満たされるということです。甘えは食欲と同じです。満たされれば消える。しかし満たされなければ、生涯に渡って甘えたいという欲求は残り続ける。 どうして父がそのような子育てしかできなかったのか。それは父にも自己愛性人格が強くあったからです。強い自己嫌悪があったのです。それについて話をしたことなど無いまま、既に他界しましたが、間違いないです。きっと父は、「そんなつまらないことなんかしても、オレは褒めないぞ」と思っていたはずです。これも又、他者に対して厳し過ぎる態度の一つです。…子供にまで、です。それは自分も実は子供だからなのです。 タイプは微妙に違いながらも、実は父はウディ・アレンと同じだったのです。だから私も父に似たのです。たとえウディ・アレンと同じ心があっても、自身それに気づかない人は大勢います。それから、他人に好きになってもらうことと、自分の子供などの肉親のそれとは別です。子供であれば、これは本能的に可愛いでしょう。そして嫌でも一緒に居ないといけない。しかしそんな「子供が可愛い」というような気持ちが、直接本人の自己嫌悪を消し去るということは、残念ながら有り得ないことなのです。 つまりは、健全に自分で自分を好きになることが一番大切なのです。それができない限りは、自分を好きな人のことを受け入れることができない。たとえ自分も相手を好きであっても、です。 私の心が急展開したのは、当時の自分の心の傷、その痛み、辛さ、寂しさ、悲しさに気づいた時でした。とめどもなく涙が出ました。父に甘えたかったのに甘えさせて貰えなかった… それまでは、あれだけ可愛がられたのだから、甘えさせて貰っているはずだと思い込んでいたのです。しかしそれは表面上のニセモノだったのです。それに気づいたら、ああオレは可哀想な人間だった、と、自分で自分を慈しむ心が湧いてきたのです。そしたら自分で自分を好きになってきたのです。それから私は急速に変わり始めました。強い自己嫌悪から脱し始めたのです。 もしも貴方の心の中に、以前の私の心にあった大きな空虚にも似た何かがあるなら、こんな話が、それを埋めるきっかけにでもなれば幸いです。それからもしお子さんがいらっしゃるのなら、或いはこれから儲ける予定がお有りなら、どうか一層真剣にご自身を見つめてみて下さい。

  • izayoi814
  • ベストアンサー率33% (68/205)
回答No.5

私の父もそっくりです。(子供の頃のことはよく覚えていませんが) 確かに悪い人ではないのですけれども、気に入らないことに対してはひどく文句を言いますね。(最近はテレビに向かってが多い) 私自身も決して毒舌ではないとは言えませんが、ある頃から父を見ていて“みっともないなぁ”と思うようになり、口を慎むようになりました。 それでも車の運転中など、一人になるとブツブツ文句を言っている自分に気が付きます。(聞こえないと思ってかなりひどいことを言っているときも...) 私は、イライラさせる人がそんな行動に出る理由を想像しました。 「もしかしたら.....かもしれない」「たまたま.....だったのかも」とか。 その人がそうせざるを得ない事情を想像すると、勝手ですが同情心が湧きます。 でも、最近は不道徳な人が多くて、悲しくなることも多いですよね。 そんな人を見てイライラするご自分は、決して責めないで下さい。 彼らは常識を教わって来なかったので......。

noname#98268
noname#98268
回答No.3

昔の私を見ているようです(-_-;) そして私の父もTVのタレントさんに今もブツブツ言ってます。 幸いTV以外の人はあまり言いませんでしたが・・。 そのせいかどうか、私も二十代前半は他人の行動が鼻について、それがストレスでした。 でもある時職場の上司に「人の物差しの長さは全部違うから自分の物差しで見ないように」と言われました。 確かにそう言われれば他人から見れば私が正しいと思っている事はその人にとっては間違いで、私がストレスになっているかもしれない、と気付きました。 たとえば肥っている人も病気があって薬の副作用で、という人もいるからすべて自己管理で太った訳でないと思うようにする、 いつもは子供の管理をきちんとしているのに今日はついぼうっとしてしまい子供に目がいかなかった、 立ち読みもいつもは周りに気を使うタイプの人がつい気が入ってしまいまわりが見えなかった など別の見方をするようになれないでしょうか? (車のウインカー出さないとかゴミのポイ捨てなどある程度のルール無視などこの辺りは大抵の人が怒ることだから別とします。) 私の場合ですが、人と比べて自分がそんなにたいしてえらいことやってなかった事に気付いたらなんだか情けなくなっちゃってそれ以来他人の行動すべてにいらつかなくなりました。 今ではずいぶん丸い性格と言われてます。 間に子育てが入ったのでイライラが何の解決にならないと二重に叩き込まれたのかもしれません。 質問者様も何もすれ違いの他人の行動でイライラして自分をこれ以上痛めないようになさって下さい。

maruruko
質問者

お礼

考え方でこんなに世界が変わるんですね。確かに、太っているひとは病気の可能性もありますね。確かに、私もそんなに人を非難できるような人間ではないです。。。私は上に書いた例以上にももっともっと文句を言うんです。やっかみもたくさん。でもそうですね、何も他人のことで自分を痛めることはないですよね。私という人間を客観的に見るとどう扱っていいか分からないくらいピリピリです。まずは自分を大事にしようと思います。旦那だってピリピリは嫌ですよね。最近本当に悩んでいて外に出るのも怖い(また文句を言って結果自分が落ち込む)くらいだったのでみなさんの回答が心にしみます。ありがとうございました。

  • LOTUS18
  • ベストアンサー率31% (1807/5783)
回答No.2

安全な場所で 自分をその対象より上において 存分にさまざまなストレス(劣等感、鬱憤など)を晴らすのが そういった「文句」だと思います。 外出して他人を見ても、その本人に直接言うわけじゃないですよね。 テレビもそうです。 なので、自分の未熟さを周りにアピールする行為、と私は思います。 本人は自分優れているアピールなのでしょうが。 イライラする、ということで挙がっている人たちは マナーがなってない人ばかりなので (立ち読みは微妙かなと思いますが) イライラして当然といえば当然のような気もします。 太っている人に関しては自己管理能力のなさに いらだつのだろうし。 だからお父様のそれとちょっと違うように感じました。 私はマナー悪い人に遭遇すると 心の中で毒づいてますね(笑) 車関係だと「川に落ちてしまえ」とか思います(笑) こども関係だと大抵親の人相悪いので 「親に似てしまえ」とか(^_^;) 自分の中でちょっと面白くして笑い流すのがいいと思います。 太ってる人なら、想像でその腹に針ついて破裂させてみるとか(^_^;)

maruruko
質問者

お礼

回答ありがとうございました。父にはいろいろな鬱憤やストレスがあったんだろうと思いました。そう思うと父がかわいそうです。私は小さい頃から、父が誰かを褒めたり、美味しいとか嬉しいとかいう言葉を聞くのがすごく嬉しかった記憶があります。お父さんに認められた人はすごいんだ!と無意識に父を世界で一番偉い人のような存在にしていました。父の苦しみには家族の誰も気づかず、思春期にはひどいことを言ってしまったこともあります。お父さんにもホッとできる場所、心の安らぎが訪れるといいなと思いました。その手伝いが自分にもできるといいな・・・。 マナー悪い人を面白く対処する方法いいですね!幸いなことに旦那がとてもおおらかな人なので、私がイライラしていると冗談を言っておさえてくれることもあります。太っている人を見るとイライラするのはお察しのとおり、自己管理のことです。人のことは放っておけよ!ってかんじですよね。回答ありがとうございました。参考になりました。

  • formidable
  • ベストアンサー率15% (470/2940)
回答No.1

良い質問には答えが半分隠されている。 〔 開高 健 作家 〕 お父さまもアナタさまも ある意味で、Victim of Circumstances なのかもしれませんが、 それを嫌悪したり嘆いても何にもなりませんので ここは、 <よかったこと日記>をつくり よい面を重点的に見るようにしてみませんか。 つづけていれば[習い性となる]で改善されるでしょう。 ゆとり・余裕が生じる水平思考を採用してみるのも 1つの方法ではないでしょうか。 それだけでも 人間の幅が広がり、心の奥行きが深くなって 世界が変わって見えるかもしれません。 (水平思考はネット上の辞書でわかります) 正しいことを言うときは 少しひかえめにするほうがいい 正しいことを言うときは 相手を傷つけやすいものだと 気付いているほうがいい  〔 吉野 弘『祝婚歌』 〕 【引き摺っている挫折 諦めなければならなかった(諦めさせられた)夢 長い間叶わずにいる願望etc.は ないですね】

maruruko
質問者

お礼

回答ありがとうございました。早速、Victim of Circumstances と、水平思考についてネットで調べてみました。Victim of Circumstancesについてはあまり見つけることができなかったのですが、水平思考については見つけました。とっても面白い考え方ですね!もっと詳しく調べてみたいと思います。よかったこと日記も素敵なアイデアですね。自分では考えもしなかったようなことをいくつも提案していただいて感謝しています。ありがとうございました。