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体罰

体罰について賛成 反対ですか? 賛成の方どんな体罰ならよいですか

みんなの回答

noname#86990
noname#86990
回答No.18

反対です。 幼い頃黒色のごみ袋に入れられました。 幼心に傷つきました…かは覚えていませんが覚えていないほど傷ついたのかもしれません。 …なんてことはありません。 大丈夫です! 人間に理性がある以上体罰以外のことで分かりあうべきだと思います。 こんなこときれいごとだの屁理屈だのとは分かっています。 人間の心が不完全であるために体罰は賛成か反対か議論が起きるんだと思います。 私はこんな人間達が幸せに暮らせる世界を望んでいます。

  • dell_OK
  • ベストアンサー率13% (766/5722)
回答No.17

賛成。 どんな体罰でもかまわない。 罰せられる罪を犯さなければどうと言う事はない。

  • Kules
  • ベストアンサー率47% (292/619)
回答No.16

ここにも自分と同じ意見はいなかった…これって少数意見なのかな? 私は賛成です。しかし賛成の理由が少し違います。 なぜ体罰が賛成かと言うと、体罰を反対にすれば「子供がそれを悪用するから」です。 もちろん世間一般で言われている体罰がいいとは思いません。他の回答者様も書かれているように、殴ってこちらの意図をわかってもらえるようになるには、かなりの信頼関係がないとムリです。そして親の理解も不可欠です。 でも想像して下さい。もし体罰反対として、それを悪用する子供がいれば次のようなことも起こりうるのです。 case1) 教室で子供が暴れ始め、周りの子を叩き始めた。口で言っても一切聞こうとしない。挙句の果てに先生に殴りかかってきた(仮に腹を殴ろうとしていたとしましょう)。危険を感じた先生は咄嗟に腹を腕でガードしたところ、殴ってきた手が先生の肘に当たり、子供は手を傷めた →体罰だと騒ぎ立てる。 目撃者がいるかどうか、は関係ありません。子供が体罰を受けたと親に訴え、それを聞いて親が学校に怒鳴り込んできた時点でただ事ではすまなくなります。授業どころではないでしょう。 case2) 教室で子供が暴れ始め、他の子供を無差別に殴りだした。このままでは他の子供に危害が及ぶので、暴れている生徒を抑える必要があった。後ろから羽交い絞めにして抑えようとしましたが、その先生は武道の心得がなかったので力加減がわからず、子供も激しく暴れたため子供が近くの机に手をぶつけ負傷。 →体罰だと騒ぎ立てる。 この場合生徒をうまく抑えられなかった先生に非があるのでしょうか? 上のようなケースが実際の教育の現場と比べ過激なのか、ヌルイのかわかりませんが、考えられないこともないと思います。 また、子供が「大人を殴っても殴り返されることはないし、大人はサンドバッグだ」と思ってしまうかも知れません。 以上のことを踏まえて、私は 「・子供に対して暴力の行使を許可する。ただし、その暴力は、 (1)自分の身を守るため (2)他の子供に危害が及ばないようにするため、子供を押さえ込むため のみに行使可とする ・上の項目を達成するために、教師は極力子供も怪我しないように自分の身を守る技術および子供を傷つけずに押さえ込むための技術を習得することを必須項目とする」 という形で賛成したいです。 こんな考えいかがでしょうか?

noname#88702
noname#88702
回答No.15

叱る先生が感情に任せて体罰スルのは「傷害」でしょうね。 叱る先生が冷静に自分がしている事を冷静に確かめながらする「体罰」 は賛成です。 殴られた後「自分が悪い事したんだな」って体罰された人が感じることもあります。

  • urara1599
  • ベストアンサー率28% (4/14)
回答No.14

どこまでを体罰とするかが問題だと思う。 少々のことなら許せるでしょう。 言って聞くのであれば最初からしないだろうし、 大人をバカにした子供になると思う。 社会に出れば体罰よりキツイ現実があるんだし 大人になった時、いい思い出にもなるでしょう。

  • SWM5903
  • ベストアンサー率68% (4965/7212)
回答No.13

死に至らしめたり、後遺症を残すようであればそれは体罰ではなく傷害と思っています。 ですから、有る程度までの体罰は賛成です。(げんこつレベルなら問題なしです)     「殴られずに一人前になった奴がどこにいるものか」 名言です。

  • jamiru
  • ベストアンサー率5% (170/3044)
回答No.12

基本的には賛成ですが、度を越える体罰は罰則が無ければ意味が無いですね。 体罰での問題は行き過ぎた体罰が原因ですし。 まぁ無闇に体罰をする人は能無しと古代から定説ですけど。 ほどほどに。

  • nandakka
  • ベストアンサー率23% (45/190)
回答No.11

反対です。 ・早い話が戸塚ヨットスクールを見ればよい。 ・敬意や威厳というものは普段の何気ない言動から  「自然に」勝ち得るものであり、子どもを殴って手に入れるものではない。 ・体罰は、手段として手っ取り早いだけに  容認すれば自然とそればかりに頼るようになり、過激化する。  その末路として体罰による傷害事件・傷害致死事件が起きている。  お金がないからと言って万引きすれば  お金があっても万引きしてしまうようなもの。 ・体罰はセックスに置き換えて考えると分かりやすい。  「この人になら抱かれてもよい」とまで相手が信頼してくれてこそ  セックスが許されるように、  「この人になら殴られてもよい」とまで子どもに信頼されてなければ  殴ってはならない。 ・安易に体罰を容認する人ほど自分は殴らずに安全圏に留まろうとする。  つまり、本当は体罰は危険であり許されないものと知っていて、  しかし安易な結論を求めるからこそ他人には体罰を要求するのだ。

回答No.10

反対。 こういうルールは、性悪説に立って作るべきでしょう。教師というのは結局、人間に過ぎません。人間である以上、すばらしい人格者から、どうしようもない人間まで多種多彩です。最悪な事態を想定して、ルールを作らなければ、問題を拡大させるだけです。 そもそも、体罰を与えなければならないほどの悪事をしたのであれば、殆どは刑法などに引っかかっているはずで、それならば警察などに付きだして法律に基づいた処罰をすれば良いだけでしょう。 いじめ問題などは、体罰など、司法と無関係の教師による治外法権が問題の深刻化に寄与していると思えてなりません。

回答No.9

一度も殴られたことないような子は 痛みを知るために一度くらい殴られても良いような気はします 体の痛みはもちろん、心の痛みも教えるには体罰は必要だと思いますが 前提として加えるほうが精神的に大人であることが条件です

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