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ひとづきあいについて(33才兼業主婦)

友達を増やしたいけど、仲良くなるにつれ、本心でしゃべってしまいキツイ表現になってしまったりします。信頼しているからこそ、またネコをかぶる必要がないと考えるからなのですが、自分で後で自己嫌悪になります。かといってず~っと上っ面のつきあいっていうのも本当の自分を隠すようで気楽でいいですが信用できないかんじ。。。。こういった自分の中のもやもやで結局どうしたいのか、ないがたりないのか、どういった人間になりたかったのか、また実現できていないのかもわからなくなり結局それが寂しいという感情になります。どのように考えて人付き合いをしていけばいいのでしょうか・・・

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  • TYWalker
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回答No.5

#2です。 回答にお礼をくださり、ありがとうございます。 まず、私の回答にお礼下さった内容としては、子供2人で母子家庭で仕事を探したいけど見つからない、という相談に関しては、相談自体がやはり厳しい状況ですので、甘い内容にならないし、相手は切羽詰っていて人の厳しい言葉を噛み締める余裕もそうそうないでしょうから、話が厳しくなるのも仕方ないのかなと思います。 ただ、同じ内容でも「物の言い方」は色々あるので、ソフトな言い方、相手にちゃんと伝わる言い方を研究するのは損にならないと思います。言葉というのは「伝わってナンボ」ですから。「人を見て法を説け」ともいうますね。 また自分のことになりますが、女性と以前よく険悪になったのは、人に相談を持ちかけると聞いたそばから「こうすればいいんだよ。ああすればいいんだよ。君のこういうところが悪いんだよ」とズバズバ言う癖がありました。 相手は問題を抱えて相談しているのだから解決法を授けるのが一番だと思っていたのですが、相手にしたら「大変だねー。そうなんだー。つらいねー。それは絶対腹立つよー」と相槌を打ってもらって、自分の心の内を吐き出したかっただけなんですね。それに気づいて、意識して聞き役を演じるようになったら、トラブルが減りました。 「相手の気持ちをちゃんと汲んであげて、相手がちゃんと受け入れるペースで声を掛けてあげる」 というのはなかなか難しいんですけど、なれるとこれが自分でも楽しくなってきました。 あと、人間関係において、自分の評判というのは、驚くほど早く変わります。 評判を失うのもカンタンだけど、挽回するのもカンタンです。 ちょっと聞き役、やさしい人の役を、そうですねー1週間ぐらい演じてみてください。 自分への相手の態度がものすごく変わるのでビックリしますよ。 自分がそうでした。 ぼくの場合これを意識してやりはじめたのが35ぐらいなんですけど、大きな仕事をする機会があったり、面白い人のグループに参加したりして、自分の人生がどんどん変わったのがそれぐらいでした。 試してみる価値はあると思います。

pukupuri
質問者

お礼

お返事ありがとうございます。 納得しました。 特に、相づちを打つ。。。 聞き役に回る。。。 そうか!と思いました。 人づきあいっていうのを、もしかしたらこんな歳になってからようやく間違いに気づくってこともあるんですね。 なれると楽しくなるってところが救いです。 がんばってみます。 PS やさしい表現で諭してくださり感謝いたします。

その他の回答 (7)

  • bekky1
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回答No.8

#7です。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ >【相談】することがないから、言われないだけです。 おなじことを言われたら、やっぱりむかつくでしょう。 の部分がよくわかりませんでした。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ですが、たとえば、子供が、「ちょっと、お母さん聞いてよ・・・」ということで学校のアレコレをこぼすようなことがあったとするでしょう? で、その最後に、アナタが何がしか、教訓的なこと 「ソレは、アナタが早く起きてさっさと支度しないから、 間に合わないのであって、○○さんが文句言っても仕方がない。 大体、前の晩にちゃんと段取りして準備しておけばいいんじゃない。 TVなんかみてないでさっさとお風呂はいって、すればいい」 というような、「やぶへび」状態です。 つまりは、アナタのご友人がこの「子供役」であり、 アナタはありがちな「親の役割台詞」を言ってる。 相手もわかっているんです、本質的には。 でも、面と向かって、ソレはお前のほうが元はといえば悪いというような、「回答」が返ってくることを期待はしていないということ。 >私は話をするのに楽しく話しをする、相手を笑わせるっていうテクニックがないので、ついまじめな話になってしまいます。 なんだかイヤミに聞こえる・・・ これが一番心にぐさっとささりました。 相手は実際には、「困った状況をこぼしたいだけ」 ソレを「お前の悪いところはココだ、ココを治せばいい。 私はコレコレしたんだから」という 話の運びがね、【いやみ】になる。 自分の対処=コレコレが正しい、なやんでこぼしている、アナタは 間違っていると、言うに等しいから、【いやみ】に聞こえるのです。 いえ、アナタはとてもいい人です。 相手のために、解決策を考える。 そして、自分の体験を踏まえて、解決策を提示する、できる、 そのための経験もある。 が、しかし・・・です。 根本は、相談者は、解決策をアナタに考えてほしいわけではない。 話題として、提示しているだけで、その意味は 「私(=相談者・友人)は困ってる。 こんなことで、困っている、 なんてかわいそうな人なのかしら私」という 最後の、【自分がかわいそう】というタメの前ふりが 大事だから。 たとえの話、アナタがこぼす。 「教育費がかかる、塾が・・ね。 部活で、○○を買うんだけど、 けっこうするのよ、どっか、安いところないかしら、大変だわ」 ということをこぼしたときに、 解決策を相手に求めていますか? で、相手が、「ソレは分不相応というものでしょう、ダンナの稼ぎが悪いなら、公立でいいじゃない、無理に私立にやる必要がある? そんなお金のかかる、部活なんか 子供にやらせるなんて、お金がないなら、やめさせればいい、 アナタは甘い!」とでも言われたら、むかつくでしょう? 自分の「相談事」に対する、方向性が、 アナタの【真面目】に免責されるものではないということ。 楽しく、話をする、友人関係だけを大事にするならです。

pukupuri
質問者

お礼

丁寧にお返事くださり、ありがとうございます。 おっしゃりたいこと、ぐさっとささる必要もなかったということが ようやくはっきりわかりました。 私の場合は、同情してほしいのではなく、その人なりの解決方法を求めて相談しています。だから、その場合は「あなただったらどうする?」と聞いています。また、共感してほしい時?話題として提供するときは、みんなが聞いていて気楽に楽しめる話題をしています。 また、友人も同じく、聞いてほしいだけの人には(そのくらい判別できます)私は共感し、「あなただったらどう?」と聞かれた友人には、いきすぎた表現がありつつも自分なりの回答をしています。

  • bekky1
  • ベストアンサー率31% (2252/7257)
回答No.7

>どのように考えて人付き合いをしていけばいいのでしょうか・・・ タブン、あなたにこぼして、なにがしかの相談ごとを持ちかける人は、 【母子家庭】も含めて、あなたに直接解決になるような「本当のこと」を 言って欲しいわけではないと悟ったほうがいいですね。 理由は二つ。 本当につらい壁として立ちはだかるのはちゃんと、社会的に別のものがあるので、あなたが中途半端に喝を入れても、 それは、叱咤激励ととってもらえる可能性がまずないということ。 へこんだ人に、がんばれよは禁句でしょう? それと、実際には、このグダグダした現状を一種楽しんで、 「私は被害者」として同情してもらいたいだけの発言でもあるというのが2つ目の理由です。 ですので、母子家庭の話は、実際に、甘いことを言っていると、 なーンニも母子家庭的には解決には至らないであろうし、 別件の専業主婦が義姉妹に「アマイ」といわれたことを文句言っているのは、 実際に、「飛んでみる」気持が真摯であるわけではなく、 私にだってできる・・・とおもいたいだけ、できない自分がかわいそうという状態を【楽しんで】いるだけ。 つまり、あなたが苦言を呈さなくても、他の誰かが代わって当然に してくれるなら、そのときを待てば一番いいことで、 私にだってできる・・・という勘違いをしていたい人はそのように、 「夢を見せてあげて」。 実際問題として飛ぶ必要がなければ、それまでだし、 どうしても、というなら、あなたがされたような、無認可に入れて・・・という苦労をするようなことが実際にあるんだ、なんて私は甘かったんだろうと自分で反省をするから。 ことばを換えて言うなら、あなたは、本当のことを言いたいが為に タブン、余計なおせっかいなひとことを言ってしまうのでしょう。 (私も相当に似ていますが、笑) 悪い人じゃないですが、あなたからそのひとことを聞きたい人は タブン誰もいないとおもう。 私も学びましたから、リアルでは言わない。 親だって、子どもに何か言うと、「今やろうとおもっていたんだから、言わないで!」ってありませんか? 楽しい友達って、そういうものなのでしょうね、きっと、大人同士は。 たまたま、あなたには、子どものいらえと同じような状況にあることを 【相談】することがないから、言われないだけです。 おなじことを言われたら、やっぱりむかつくでしょう。 保育園の苦労は、して見ないとわからない。 すんなり入った人は、「エーそうだったの? 私のときは・・」と 同じような家庭状況でも、たまたまのラッキーを拾う人はいるし、 あなたが苦労話をすれば、それはそれで、「なんだかイヤミ」にも聞こえる。 実は我が家は、子ども二人とも、保育園を落ちて、浪人しています。 (笑・無認可に入れました、もちろん、痛いです) 更に、下の息子は、母子家庭に負けて、アキマチも2回落ちてる。 ただの、笑い話で「そうナノヨ、大変だったのよ、ヘラヘラ」と話せればオトモダチでいられるが 私は苦労したのよ、あなたは甘い! ムカツク! そんなものじゃない! では、タノシイユウジンカンケイとは、違うのでしょう。 保育園仲間(すでに子どもたちは社会人です)では時々集まっては、 飲み会をしますが、 本当の苦労話はモットもっと公私にわたってあります。 保育園での昔の事件もそうですが、職場、ダンナ、そして、成長した子どもについて、更に、ヨメシュウトとかネ。 今は、これに介護が加わりました。 でも、「本当は、もっと、どろどろと、イッパイ あるのよ、アハハ」と 集まって話をして、解散というのがルールです。 明るく、笑えない説教だけというのはだめですね。

pukupuri
質問者

お礼

お返事ありがとうございます。 頭がわるいので、補足いただけると有り難いのですが、 >たまたま、あなたには、子どものいらえと同じような状況にあることを 【相談】することがないから、言われないだけです。 おなじことを言われたら、やっぱりむかつくでしょう。 の部分がよくわかりませんでした。 私は話をするのに楽しく話しをする、相手を笑わせるっていうテクニックがないので、ついまじめな話になってしまいます。 なんだかイヤミに聞こえる・・・ これが一番心にぐさっとささりました。

回答No.6

50過ぎの男性です。 人間関係においては<空気を読む>ことも大切ですが 私は《距離感を保つ》ことも大切だと思います。 会話をすることは自分の意見だけを喋っていればいい というものではありませんので、相手の心情を考慮しつつ 話を進めないと関係は長続きしないと思います。 特に1対1の場合なんかそうですよね。 相手が腹を割って本音で話してきているのに 自分は殻に篭っておざなりの話でお茶を濁していては 相手から信用されなくなります。 その逆もそうです。 その距離感さえ守った付き合い方さえできれば 関係がギクシャクすることも少ないと思います。 初対面の相手には(距離をとって)礼儀正しく挨拶しますし 親しい仲の友人には(距離をとらずに)親愛の情を示すことで ますます仲良しになれるのではないでしょうか。 距離というのはもちろん!心情的な距離のことです。

pukupuri
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 一応、私なりに空気を読んでるつもりですが、きっと足りないのでしょう。 大勢になると、空気がわからなくなり、だんまりを決め込むコトが多々あります。 きっと思いやりが極端に足りないのでしょう。 自己嫌悪として感じていた自分に対するさげすみの気持ちは、相手を思いやることができていなかったということだと気づき、また、おおかたの人たちが当たり前にしていることが自分はできていないと気づきショックを受けていますが、この衝撃がなければ私は変わらなかったのだろうと思うので前向きになれるようにがんばってみます。

回答No.4

ネコをかぶるのと、相手を気遣うのとは違います。 本心で話すにしても、相手を傷つけないような話しかたをすればいいだけではないでしょうか。 例ですけど、一緒に服を選びにいって、友達に意見をきかれたとします。まったく似合わない…と思ったときに、 「すっごくかわいい!似合うよ!」と言ってしまうのは嘘ですよね。相手のためにもならないと思います。 かといって、「全然似合わない。やめときなよ」と言ってしまうのも、本心かもしれないけど、言われた方はいい気持ちはしません。 「それも悪くないかもしれないけど、こっちの方が似合うんじゃないかなー」などと、否定はせず、別の提案をしてあげるような言い方をするといいと思います。 相手のことを好きなら、相手にとってよいように、相手が傷つかないように、常に考えてあげればいいと思います。 それはネコかぶりではないですよ。

pukupuri
質問者

お礼

ありがとうございます。 説明するのが難しいのですが、平均的には、ちゃんとkaikai1900さんのアドバイス通り大人の対応をできている自負があります。 ただ、具体的に言うと、こんなこともありました。 私は仕事をしているので子供を小さい頃から保育園に預けています。今はニュースでも言われていますが待機児童が多いですよね。でも昔もそうでした。なかなか簡単に入れるものではないです。最初はヤクルトレディー(保育園がついているからです)からはじめました。その後、調べに調べて公立保育園に入るのは点数制になっていることを知りその点を稼ぐにはどうしたらいいかを考え、無認可保育園に入園させました。そのかわり、私の働いた給料はすべて保育園代に消えるコトを承知での入園です。また、仕事をして子供が風邪をひいても親は助けてくれないのでそこも自分で手配し、仕事をできる環境を整えました。結局1年ほど無認可へ通わせ、ようやく公立保育園に入園できたのです。こういったことがあったため、私の日記に「専業主婦。働きたいけど保育園に入れない。せっかく働いても保育料に消えてしまう。親も保育園もあてにならない、でも働きたいという主婦だっているんだ。義理の妹に専業主婦のくせにとか言われると腹が立つ」というコメントが寄せられた時、私はついついキツイコメントを載せてしまいました。こういったとき、本当なら。。というよりも大人ならよく考えて発言するべきかもしれないのに、ついついつい言葉が出てしまう。。。今回は個人的な友達ではなかったのですが。。。

  • yukiinu
  • ベストアンサー率42% (172/409)
回答No.3

私も同じように悩んだ事があるのでお気持ちすごく判ります。 でも今はこう気付いたんです。 学生の頃は自動的に「クラスメイト」という友達が毎年出来ますよね? 男子は別として1クラス約20人、女子校なら40人友達が出来ます。 その全員と仲良くなれました? それだけたくさんの人がいても多分ほんの数人だけ 本当に本音で話せる友達が出来るって感じじゃなかったですか? 今も同じなんじゃないかな?って思うんですよ。 同じクラスでも気を使っちゃって話せない子もいれば ちょっと話して「合わないな~」って思う子もいます。 でもいちいち悩んだりモヤモヤしないで気の合う子とだけ仲良くしませんでした? 知り合った全員と仲良くしようなんて疲れちゃいますよ。 本当に気が合えば、自然とありのままの自分が出せて受け入れてもらえると思うんです。 キツい表現で言ったって、それを笑って受け入れてくれる人が クラスで仲良くなれた友達と一緒なんだと思います。 大人になると出会いも少ないから、出会ったひとみんなと仲良くなりたいと思いますよね。 でも、気を使って仲良くしても疲れちゃいますよ。 なので、もしネコをかぶる付き合いしか出来ないならそれくらいの関係として たまに、気を使いながらランチやお茶をする友達って考えて一定の距離を保てばいいと思います。 その内に、学生時代のノリで話せる友達にだって巡り会えますよ。

pukupuri
質問者

お礼

お返事ありがとうございます。 巡り合わせ、あるといいな~

  • TYWalker
  • ベストアンサー率42% (281/661)
回答No.2

ぼくもそういう気がありますが、ぼくの周りにもっとそういう傾向の人(男女1人ずつ)がいて、そういう人は周りの人に疎んじられて、孤独な毎日を送っているようです。 振り返ればぼくも、もてて困るという経験はありません。連絡を取るのは自分からです。 質問者さんがどうか分かりませんが、自分および周りで嫌われている人には以下の共通点があります。 ・頭の回転が早い ・それを自慢にしている ・人のアラを探すのが得意だ ・それを笑いにするのが好きで、周りの人も喜ぶと思っている ・おしゃべり好きだ ・口数が多い ・毒のあるユーモアが好きだ ・周りの人に欠点を指摘されても、自分は自分だ(それが個性だ)からいいと思う どうでしょうか。 で、自分は一人で生きていけばいいんだ、自分のよさは「わかる人にはわかる」のだから、そういう人とだけ付き合っていけばいいんだ、しかも、自分はそれだけで十分な人付き合いが出来ている、という自信があれば、一向にかまわないと思います。 それでも、ここにこうやって相談されているということは、自分の過去の言動に反省することがあったり、自分の今の友達の数に不安があって、それを問題に感じているんですよね。 ぼくも以前そうだったので、反省して、直しました。 まず、自分の過去の言動で失敗した事例(余計な一言を言って、予想外に険悪になった会話)を反省して、もっと違う言い方があったのか研究しました。これには日記が役に立ちました。 次に、自分の周りでやはりしゃべり過ぎで失敗している人の過去の言動を分析しました。こちらの方がたやすいです。 で、ひとつ質問者さんは大きく誤解していると思うんですが、自分がポッと頭に浮かんだことをそのまま口に出さずに我慢することは、ネコをかぶることでも上っ面の付き合いをすることでもありません。 世の中には口下手な人がいて、次々に言葉を出すことが出来ない人もいます。そういう人に、言葉の間の沈黙が怖くてマシンガントークで立ち向かって、自分だけがしゃべってしまっていたことはありませんか。 ぼくはよくあります。 でも、そういうひとだって、次々に言葉がポッと出てこないだけで、心の中にはしゃべりたいこと、その人しかしゃべれない面白いことがつまっているかもしれません。それをしゃべる機会を、喋り好きの人は空間を埋めるだけのトークで埋めてしまっているわけで、もしそうなら周りの人にも、あなた自身にもずいぶん損失です。 だから「ひとりでしゃべっている人」が中に一人いると、話の内容が薄くていつも同じになってしまうので、ひとりでしゃべっている人は仲間はずれにしてゆっくりした会話を楽しもう、ということになるんです。 話の内容についても「難しい話はついていけない人」「しゃれがわからない人」だっていますよね。もっと細かく言うと「特定の話題が苦手な人」「容姿や体の欠陥にコンプレックスがある人」もいます。 普通そういう人と話すときは話題を選びます。 でも別にそれは「ネコをかぶった、うわっつらの付き合い」ではありませんよね。 思わぬ面白い話題が深く展開するかもしれません。 料理を作って人に食べさせるときは、自分の好みだけじゃなくて相手の好みも考えて、自分が入れたいものを我慢したりしますよね。 男女の関係が深くなるとキスをしたりセックスをしたりしますが、自分だけが気持ちよくなることを考えないで相手の好みを考えて行動することで、楽しさが倍増したりします。 そうやって考えると、相手を深く知るために自己主張を抑えることは、別にネコをかぶること(欺瞞)ではなくて、普通にやっていることだと思うんです。 これに意識して行動するようになって、相手の話を聞く、自分のしゃべりはセーブする、相手をちょっと多めに褒める、前の話の続きを聞いてあげる、ということをするようになってから、驚くほど人間関係が広く、深くなりました。 「あなたは昔にくらべてよくなった」と面と向かって言われたこともあります。 だからって自分が「大人の振る舞いをしていて、セコい」「牙を抜かれてしまった」「いつも気を遣っていて、ストレスがたまる」とは思いません。 みうらじゅんさんの言葉に「親孝行はプレイだ」というのがありますが、人間関係もある面では所詮プレイだと思います。 「アーこんなやつ、仕事でもなければ絶対付き合わんわー」と思っている人でも、プレイだと割り切って聞き上手を演じていると、意外と面白い話が出来て親友になることもあります。 ぼくは本当にそうだったんですけど、参考になりますか。

pukupuri
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 具体的に申し上げると、友人(母子家庭子供2人)が転職するのにどういった職場を選べばいいかわからなくなったと電話してきました。 親身に聞きますし、もちろん心配にもなります。そこで、ワタシなりの意見を言うのですが、数日間、いろんな募集を見つけてはどうしようか?と悩んでいた彼女。私もその案件の中で「これからやっていきたいことやこれまでの経験を活かせるもので○○がいいんじゃないかな?」などと答えていました。で、あるとき、彼女の話を聞いていたらやはり仕事に一貫性がなかったので、「私はこれまで派遣もしてきたけど一応、同じ職種で転職してきたよ。先のことまで考えてたから←これが余計なひとこと」と思わず言ってしまいました。何も考えずにいる人なんていないはずなのに。。ついぽろりといってしまいました。そこで自己嫌悪になります。

  • tinycat19
  • ベストアンサー率25% (322/1287)
回答No.1

深入りしない、つかず離れずです。 ご家族がいらっしゃるなら、余計他人を身近に感じる必要はないでしょう。それから、得体の知れないご近所より、舅や姑のほうが、ずっと自分たち一家のことを考えていますよ。 本音でしゃべると地が出てしまい、よほどの人でない限り、襤褸があります。だから、当たり障りのないことだけ、話すほうが賢明です。 最近、職場の年上の主婦で、一緒に働いている人に批判を加える人がいて考えさせられますが、批判をひそひそ脇で話している間も、電話応対に周囲が追われているわけですから、感謝こそすれ本末転倒です。それに批判を加える人間というのは、自分も批判を受ける部分を持っているから、他人に感謝の言葉が出ないのです。そういう人は、いずれ淘汰されていきますよ。 長い目で、職場でも近所でも淘汰されない人間になるためには、発言や言葉に気をつけるしかありません。 正しいものは必ず勝ちます。本音も良く考えて話すべきです。他人に善意を心がければ、おのずから話す方向が決まってきます。 心がけ正しく生活することが、人付き合いの秘訣でしょう。

pukupuri
質問者

お礼

ありがとうございます。 母もつかず離れずでいいじゃないといっています。 自分自身も親になり10年ちょいたつので、子供のおかげで?!社会というもののつきあい方も出来てきていると感じます。 で、tinycat19さんのおっしゃるとおり、家族(とくに私の場合は母)が一番の味方であるという認識も深めています。 でも、つかず離れずということが、なんだかさびしいと思うのは、引っ越ししてからです。 つかず離れずの知り合い(ママ友)でも年月をかけた幼なじみママたちはなんだか心を許してつきあえたのに、こちらにきてから、またそのようなお友達を作ることができるのか?とか不安になります。 また授業参観でも孤独です。。。。

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