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怒られたり褒められる事が基準で生きていけるのか
現在転職活動中で無職生活が8ヶ月目に入りへこんでいる35歳の男です。 自分の人生を振り返り、今後やりたい事を模索しているのですが、なかなか出てこなくて困っていました。これについては、他の皆様も必ずしも目標が無くても日々頑張っている人もいるのでここでは深く触れませんが、そういった事を考えている過程で気づいた事があります。 それは、今までの自分が、怒られたくない、褒められたいという感情で動いてらしいという事なのです。いや、ほぼそうだと言ってよいと思います。 高校卒業後12年勤めた会社では、やはり怒られる事が嫌で、自分でもその事を自覚していて、あえてその感情を利用して自分の仕事の精度を高めました。そのかいがあってか、後半の7年間は管理的な仕事に就く事になり良い経験をしたと思っています。 しかし、やはり発想の根底にあるのは怒られたくないという感情なので積極的に物事を展開して良い結果を出したという事より、確実な業務でなんとかやってきたという感じです。 その後4年の別の仕事でも、先輩に怒られたり突っ込まれるのが嫌で、自分のスキルを高めて行きました。30代の未経験職という事もあったので自分でも勉強はしましたが、やはり根底に怒られたくないという感情があったと思います。それでも、着実に仕事を成し遂げていくというスタイルは小さな会社では重宝されるのか、気づくとその会社では古参の部類に入る立場になりました。 そして、今、新しい仕事に就く為に、今後やって行きたい事はなんなのか?模索をしているのですが、様々な事を思い浮かべるのですが、だいたい「こんな風になって人にすごいと言われたい」という発想に行き着いているのです。 怒られる事が嫌だ、褒められるのが好き・・・こういった事は誰でもそうなのだとは思いますが、あまりにもそれに捉われている気がします。 私の育った家は、父も母も共働きで、放任主義。テストでいい点をとっても何かをとってもあまり褒められた記憶が無く、また当然いたずらをすればひどく怒られました。もしかするとこういった経験も関係しているのかもしれません。 こういった発想で動くというのはとても子供っぽい事ですよね。怒られない褒められるといった事を気にしているせいか、やる事も受身的になっていますし、自分で物事を考える事が出来ていないのではないかと感じています。 妻にも「あなたは自分で目標を決められないから仕事は選んでいられない」と言われて悲しく思います。実際にそうなのかもしれませんが、「~が出来ない」と言われる事にとても抵抗があります。 ただ、本当に自分が受身的な人間なのかというとそうでもなく、自分で強くやりたいと思う事は意外とどんどんやっていたりもします。なので、本当は自分で働きかけて何かをする事も結構好きなのだと思いますが、仕事になると失敗を恐れるあまりか受身的になってしまいます。 考え方として、中学生くらいから「境遇は与えられる」という発想を持っていたせいもあるのかもしれません。実際、そんな風に思う事もありますし、その与えら得た境遇に対して前向きに生きる事を実践してきたつもりだったのですが、ここに来て行き詰まりを感じています。 今までの経験から、受け身なスタンスでいた時の方が人生がうまく言っていた気がします。20代の頃は自分は最高の運の持ち主だと考えており、その運を享受するに足る人間でいようと勉強などもしてきたつもりです。最近はそんな風に運が良いのだと考える事すら出来なくなっています。 皆様も、こんな風に怒られる事や褒められる事を基準にしている人はいますでしょうか。同じような境遇の方のご意見を伺いたいです。また、その状況は良くない事だと感じて転換をしたという人の意見も聞いてみたいものです。このままでは自分の自信がどんどん失われていく気がして怖いです。 ちょっとしたアドバイスでも結構です。ご意見お待ちしております。
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NO2です。 失礼しました、奥様はすでにいらっしゃったのですね。 それだと、先の私のアドバイスはあまり役にたたなくて、申し訳ないです。 申し訳ないついでに私のことを書くと、私の場合仕事に対するモチベーションはとりあえず「お金」です。 稼げば稼いだだけ、「あれもできる」「これも買える」「あそこにいける」という感じで、「報酬」というご褒美があるから、頑張れる感じですね。 私の場合は、「稼いでいれば、夫と一緒にある程度のぜいたくを楽しめる」ということが、大きくモチベーションになっています。 ひとりだと、やっぱりどれだけお金があっても、遊べても、ちょっとつまらないので。 「人に認められたい」という気持ちは、そこまではないです。 私は、あまり自分が有能なほうだとは思ってないので、いつも「まわりに助けらればかりで、お金も必要とする以上にもらえて、感謝だなあ」という気持ちです。 もしかしたら、「感謝の気持ち」もモチベーションのキーワードになるのかな? 何事も、「自分の力」だけでは成ることはなく、周囲の力と、幸運、が重なってはじめてうまくいくものだと思っています。だから、いつも気楽でいられるのかも。 あとは、仕事だけを見ていない、家族や趣味など、人生の他の部分にもある程度のエネルギーを注ぐことが、仕事のモチベーションにもつながっていると感じますね。
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- youchan37
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加藤 諦三さんの本なんですが、沢山出ていて全て読んだわけでもないし、 読んだものも、どの本に何が書いてあったのがハッキリ分別できず申し訳ないのですが、 確か「自分に気づく心理学」は、かなり貴方の悩みを的確に突いた内容であったと思います。 中途半端ですいません。 とにかく加藤さんの本には、貴方のような悩みをもった人が頻繁に出てきます。 (だから後で区別しづらい 笑) 殆ど全ての本に出てくるといっても差し支えないと思う。 ただ上記の本は、比較的集中して貴方のような悩みをもった人に対して書かれてあると思いました。 加藤さん自身が、大体貴方と同じタイプの人だと思いますよ。 親との関係で自分自身を失ってしまい、自分が何が好きなのか何が嫌いなのか、 何に対して怒っているのか何が快いのか分からなくなってしまった、と。 そうすると自分では何が正しいのか何をすべきなのかも分からなくなってしまい、 よって回りの意見で自分の行動を決めてしまう、と。 もしまだ加藤さんの本をお読みになったことがないのでしたら、是非ご一読をお薦め致します。 但し、理屈だの理論だの言葉って、時には無力だなーと感じるのです、私事ですが、特に最近(笑)。 それは実は他のスレなんかの回答によってなんですが。 だから最後はそこから何を得てどう自分に活きたのか、ということになると思うのです。 なんだかとりとめのないハナシになってしまいました。 ご健闘をお祈り致します。
お礼
回答ありがとう御座います。 加藤諦三さんですか、名前は知っておりますが本を読んだ事はありませんでした。 しかも、本人が私と同じようなタイプだとは、、、一度読んでみたいと思います。 まずは、そういったところから情報を収集して、自分と同じようなタイプの人がいかに悩んできたか、解決してきたかなどを知る事が大事だと感じました。 今ここで、あがいている事が自分の人生の道しるべになっていけたらと思います。 本当にありがとうございました。
こんにちは。 転職活動があまりうまくいかなくて、今少し元気がなくなっていらっしゃるのですね。 転職活動って水ものというか、本人の実力があるからうまくいくというよりも、「そのときたまたま会社が求めているものと本人の持っている力がマッチした」場合にうまくいくものだと思います。かなり、「運」の部分もありますよね。 私は、質問者さまのこれまで積んでこられたキャリアは安定感があってすごいなと思いますし、きっとそのうち、質問者様を必要とする企業が見つかるだろうと思います。 ただ、転職がうまくいかないときって、妙に「やりたいこと」とか「人生の意味」とかにとらわれているときだと思います。 「どうして生きているんだろう」「人生とは」といったような哲学的なことは仕事を持ってからでも考えられますから、今はもっと転職活動に集中したほうがいいと思いますよ。 転職するなら、何がゆずれないのか。 「どうしても年収だけはアップさせたい」なのか、「自由な時間は確保したい」なのか。 「やりたいことをしたい」も事由としてありでしょうけど、質問者様は今やりたいことがないそうなので、これは考慮にいれなくていいですね。 そのあたりの現実的な「ゆずれないポイント」をピックアップして、あとは自分の経験から「やれる」と思う仕事を狙って企業にアピールしていくことが大切だと思います。 「人から褒められるために動いている」、それは十分立派なモチベーションですし、実際これまでも機能してきたわけですし、それが正しいかどうかなんて深く追求する必要はないと思います。 ただ、「仕事」だけでは人生が味気ないなと感じはじめたことを、どこかで錯覚して今のように認識しているだけかもしれません。 とりあえず「仕事」は「仕事」と割り切って、生き甲斐などは求めずに事務的に転職先を探し、とりあえず仕事が見つかったら、今度は恋人や結婚相手を探すなど、プライベートを充実させてみてはどうでしょう。 「誰かのために働く」というのも、強力なモチベーションになると思います。
お礼
回答ありがとう御座います。 そうですね。転職活動疲れである側面は否定できないと思います。 マッチングのタイミングもあると思います。その時が来るまでなんとか頑張りたいと思います。 今までが受身的にやってしまっているせいか、面接の時にも出来ている事を謙遜というか、自信なさげに語っているのかもしれません。あと、語り口がなんだか淡々としているので、熱意が伝わりづらいですね。 転職活動がうまくいかなくて、目的がぶれて人生哲学にまで行ってしまっている部分はありそうです。そこを解決して無いからうまくいかないんだと。そんな面もあるかもですが、簡単に答えが出るなら今までだって苦労はしなかったでしょうしね。汗 整理できているようで、譲れないポイントが絞りきれていないようにも思います。もう一度整理してみます。
- Tori_30
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僕も同じような原動力で動いています。(現在、20台後半の男) まあ、質問者さんとは違って僕の場合は「面倒臭い」という意識が勝ってしまう為、結局は怒られるがまま、だったりするんですけど(^^;)恥ずかしながら。 というか、「自分は最高の運の持ち主」ってところも一緒ですねw今現在、僕もそんな風に思ってます。僕の場合は”運”で乗り切ってきた、という自負(?)があるからでしょうか・・・?(ここについてはちょっと言いたい事もあります。それは後で余裕があったらお話しましょう。) 人には社会生活を営む上で満たすべき大事な欲求がいくつかあるらしいですね。 その中の一つに「承認欲求」というのがあります。 これが、貴方が仰るような「怒られたくない、褒められたい」というものなのではないでしょうか?それが為に良い仕事をするっていうのは、社会の仕組みであって忌避すべきものではないと思うんですよね。ごく自然な欲求だと思うのです。僕達の周りには”絶対に”他者がいるのですから。 ただ、それに全て依存するとなるとちょっと不安な部分があるのも確かですよね。自我を失ってしまうようなそんな予感もあります。(全てを他者に依存してしまう状態。それ以外の欲求が希薄な状態。) 承認欲求以外がない状態。それは確かに危うい感じがします。 でも、そんな状態って本当にあり得るのでしょうか? そもそも、人には生きる上で絶対に外せない欲求があります。食欲、睡眠欲がそれです。さらに「楽しみたい」「楽したい」「遊びたい」という欲求も当然抑えられないでしょう。 それらすら無いなんて事はあり得ないと思うんです。 しかし、現にそれが希薄なのではないか?という不安を感じている。自然に出てくるべきものが出てこないもどかしさを感じる。 それは、何か「それを出しちゃまずい」という思い込みがあるからではないのかなぁ?と思うんです。 心の一方では欲求は確かにある(はず)。でもそれを感じられない。感じられないというより、表に出せないのではないかな?と思うんです。心のもう片方で、それらを無いものとして扱ってしまっているというか。 一方は本能ですよね。感じるまま、気の赴くままの心・・・。 そして、もう一方は理性。理性とはこれまでの人生で学習した事ではないでしょうか? つまり、その学習の過程に何らかの要因がある。生育環境に起因するものがあるんじゃないか?って事です。 「アダルトチルドレン」とか「毒になる親」とかの書籍を読んでみる事をお勧めします。または、検索して調べてみると良いと思います。 貴方と同じような悩みを抱えている人が実は数多くいる事が分かるでしょう。僕もその一人です。 では、最後にとっておいた話。「運が良いと思ってる」についてです。 「運が良いと思ってる」それってもしかして、”そうでなかったら今、こうして生きてはいない”という思いはないですか? そこまで大げさじゃなくても、”そうでなきゃ、こうしてまともには育たなかったはずだ””そうでなきゃ、今までに落ちこぼれてるはずだ”とかそういう思い。 いや、だからなんだ?という話なんですけどね。僕も自分の事を「運が良い」とか思ってるから考える事なんですけど。そういう側面もあるんじゃないかなぁ?って。 長文失礼しました。
お礼
回答どうもありがとうございました。 まずは同じような原動力、運が良いという考えで生きている方がいらっしゃるという事がわかってなんだかとても共感いたしました。 たしかに、いろいろと外に出してはいけないと思ってしまう癖があるかと思います。特に仕事においては相当慎重に事を運ぶ傾向があるので、結局自分の意見を引っ込めてしまう事も多いですね。 参考の書籍については、良い機会なので一度読んでみますね。 ちなみに私の運が良いというのは、No.1様とはまた違った感じかもしれません。例えば、20代で骨折をした事があるんです。仕事中に。ですが、それがきっかけで内勤業務を覚えさせられて、後々の管理職への道が開けたり、当時加入していた生命保険や会社の保険で中古とは言え車が買えたんです。また、初めての転職では、自ら行動する事もなく、飲み屋でお酒を飲んでいたら、「うちにバイトに来ない?」と誘っていただき入社できたり。それ以外にも、小額ではありますが、宝くじで5万とか、1万。懸賞でも高級な肉や野球のチケットが当たるなどしました。なんか自分が悪い方に行かないように何かが幸運を運んでくれている。守られているって感じる・・・そんな感じですかね。ありがたいことです。 でも、良く考えたらNo.1様のような考え方も納得です。2年前にある手術をしましたが、まったく後遺症も無く元気にしているのは奇跡としか思えないですしね。 運が良いと思っていると本当に運がよくなるのでしょうね。近頃、そう思う気持ちが弱まっているので、ほんとに運が悪くなっているのかも。。。 おかげでなんか、そういう意識をまた持って生活が出来そうです! ありがとうございます。
お礼
こちらにも回答ありがとうございました。 妻はいるんですよ~。でも、こんな性格ですから、妻からいろいろ言われる事にも過剰に反応しすぎている部分があります。 でも、最近それが自分が行動を起さない言い訳になっているなと思う事がありました。せっかく私のためを思っていろいろ言ってくれるのに、それに答えられない自分にイライラするときもあります。 自分の気持ちをいろいろ洗い出したところ、私もある程度豊かな生活を送れるようなお金が欲しいんだと気づきました。 今までは、仕事をなんとか頑張ってきたので意識しなくて、そこそこのお金がもらえていて、それが自分の重視している事だと気づいていませんでした。(とは言ってもそんなたいした金額ではありませんが、独身時代なら十分なくらい) 実はもともと趣味に関しては、それなりに手を出しているタイプなんです。ただ、近頃無職のクセに趣味をやっているなんてイカンと思って自粛しはじめたんです。 ただ、私の性格からするとそれがむしろ悪い影響を及ぼしている気がしています。 趣味を通じて人と会い、ひとと会話をしますよね。私はそういう会話から自分に気づきが多いタイプのようです。趣味自体より、そういう活動をする事で自分にいろんな刺激を与えていたんですね。 それを変に、自分に対する戒めのように趣味などを自粛してしまい、しかもそれは自分自身に納得をさせずにやってしまったので気持ちがもやもやしているのかもしれません。 こういうときだからこそメリハリを大事にして、活動をした方が良いのかもしれませんね。 No.2様の回答でまた、気づきいろいろとありました。 ありがとうございます!!