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幸せのつかみ方

'人を幸せにすることは自分を幸せにすることに繋がっている'という言葉がありますね。 実際にそうなるとお思いですか? たとえ自分の大切な時間を犠牲にしても

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  • ume-mori
  • ベストアンサー率28% (56/199)
回答No.7

思います。 自分のゆとりの範囲で、ですが。 でも、犠牲と思ってしまうようでは無理かも。 例えば、もう20年くらい前のことです。 みぞれの降る寒い日に傘を持たずに走っていたら、通りすがりの男性が自分のさしていたビニール傘「どうぞ」と渡してくださったことがありました。 当然、お名前も存じ上げないし、今ではお顔も忘れてしまいました。 ですが、あの時に冷え冷えとしていた心が温かくなったことは忘れません。 例えば、社会へ出たてのころ。 その電車で通勤するようになって10カ月。 連日の残業が祟ったのか高熱の気配のなか珍しく8時ごろ帰途に就き、空いている席で初めて座席のソファの色を見ました。 助かった、と座ったのもつかの間、すぐ前で女性がしゃがみ込みました。 座っている中では一番若いらしい自分に周りの視線が突き刺さります。 でも…、無理!、譲ったら自分が自分が倒れる…! 立ちませんでした。 どう考えてもその時点での「ゆとり」はマイナスでしたから。 自分の見終わった本やDVDを友人に貸すとき「なにがしのお金を払って買った物をただで貸すのは損」などとは思わないし、朝のごみ出しついでに隣家のおばあさんに声をかけるのを労とは思いません。 私がするのはその程度のことなので。 幸せ=小さな親切 と考え例をあげてみました。 これがもし、家族内での老人や病人のきつい介護を引き受けざるを得ない時、のような本当の犠牲が払われる場合のことであれば多少なりとも答えは変わってきますが。

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  • ramu_4649
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回答No.6

こんにちは。 >たとえ自分の大切な時間を犠牲にしても 犠牲にしてやった事がありました。 その結果は悪かったです。  私がこんなにしてあげていると言う気持ちになった。  向こうが求めていなかった。  ただ、便利に使われた。 なので、私にしてほしいと思っている人に向けてしてあげる事にしました。助けてほしいと思っている人には協力な助っ人になります。 今はダイエットの為に毎日歩いています。 その時にゴミを拾うことにしました。立ったりしゃがんだりでお腹の肉がなくなるだろうとも思っています。 タバコの吸殻をよく拾います。 あまり人がしていないだろうと思って気持ちがうれしくなります。 犠牲にするよりも出来る事から始めたらどうでしょう。 ゴミの量が多いとハッピーです。 テレビで哀川翔さんが「ゴミ投げたらラッキーバンクのコインがなくなるよ。ラッキーは使っちゃいけない」と言う話をしていました。 人を助ける事が哀川翔さんを生かしていると言うお話でした。 私は哀川翔さんの本を読んでみようかと思っています。

noname#84328
noname#84328
回答No.5

そうです。 繋がっています。 ただ、その「幸せにする」ということの内容ですね。 なんでもかんでも「助ければ良い」というものでもありません。 ある人が苦しんでるとします。 そうすると、その苦しみの原因を貴女が取り除いてあげるのは その人のためにはならないのです。 ザルで救うように、その苦しみの原因を取り払ってあげることは、その人にとっての「助け」にはならないのです。 その人は、その苦しみを受けることで「学び」をやってるのですから その「学び」という教材を取り上げてはいけないのです。 「愛深き冷淡」でなければいけないのです。 また 人と自分は繋がってますから、まず、貴女自身が幸せになれば、 人も幸せになります。 >たとえ自分の大切な時間を犠牲にしても 犠牲、、と自分で思ってては 人は幸せにできないし、貴女自身も幸せにはなれません。

noname#140045
noname#140045
回答No.4

#1です。 Ayuの歌で 「幸せの基準はいつも、自分のものさしで決めてきたから」と言うのがあります。 まず、自分の確固たる「幸せの基準」を持つことが大切だと思います。 同様に、自分の生き方の基準を持てない人は、他人を巻き込んでも一緒に不幸にしてしまうだけなのではないでしょうか。

noname#86305
noname#86305
回答No.3

こんにちは。 たぶん、自分では幸せだと思っていないだろう人の中には、 私から見て、「普通、そっち選ばないだろ。。」と思える人がいます。 本人は、人のためにがんばっていても、方法が間違っているんですね。 だから、労力に相当する幸せが得られない。 (苦労を背負ってしまう性分てやつでしょうか。) でも、 ・自分の事ばかり考えている人は、幸せにはなれない。 ・自分の事ばかり考えている人は、自分のことをよく解っていない。 と思うこともあります。 幸せそうに見えても、心が満たされていない人もいますし、 不幸そうに見えるけど、毎日が充実している人もいます。 好き勝手やって周囲が迷惑をしているけど、満足している人もいますね。 答えはないのか。。。結局。(今、気付いた。)

  • toteccorp
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回答No.2

貴方の負った犠牲は、幸せになり帰ってくると思います。 人生良いことばかりでも悪いことばかりでもありません。 悪いこと(犠牲)は人のために自分のために、自分で作るのです。 一時でも人を幸せにできるなんていいですね。

noname#140045
noname#140045
回答No.1

私は逆だと思います。 つまり 「自分を幸せにできない人は、他人を幸せにできない」 (自分以外の)他人を幸せにするためには「心の余裕」が必要です。 今日生きるのに苦労している人が、他人を幸せにできるはずがありません。 また「心の余裕」を得るためには、それなりの社会的地位やお金が必要です。 また、お金があれば使い道によって、多くの人を幸せにすることもできます。 (質問者さんがそうだと言っているのではなく)日本人はすぐに「人のため」と称して犠牲者づらしますが、そんなのではお互いに不幸になるだけです。

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