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先生って、なんで生徒の心のあり方に口を出すの?
- 職業柄、私が言うのも変なんですが、なんで先生って、生徒の『心のあり方』にまで口を出すんでしょう?私はスポーツが好きではないですが、「楽しさを教えてやる」と称していろいろ連れまわされ、うんざりした経験があります。それ以来、『他人のものの感じ方にまで口を出すな!』と思うようになりました。そんな私にとって「やる気を出せ!」というのは、すごく不可解な台詞です。
- 誰もがあらゆることに、やる気なんて持てませんよね?私は、生徒がやる気に溢れていようが、渋々だろうが、きちんと授業を受けて宿題をやっていれば、それでいいと思います。授業を好きになってくれれば嬉しいですが、でもそれって他人が強制できることではないですよね?トマト嫌いな人に「我慢して食べなさい」とは言えますが、「嫌いだと感じるな!」ってのと同じで、明らかに無茶でしょう。
- でも周囲の先生の指導を見ていると、どうも違和感を感じるんです。「やる気あるのか!ああん?」→(どう見ても無いだろ…)「……はい……」→(そりゃ無いとは言えんよな…)「何だ、不満げだな!不満か?」→(不満に『思う』ことすら許さないのか…)「……いえ…」→(心にもないことを…可愛そうに)「だろ!もっと前向きに心をもって!頑張りなさい。分かったか?」→(それで前向きになれるわけないよ。この人の言うことって具体性がなくて、実質的には何の助けにもならないんだよな…)「はい…失礼します」→(解決策もなく、怒鳴られて終わりか…)
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日本の学校教育は国際的に見るとかなり異常な面があると思います。 国連機関から3回も改善勧告を受けていて、しかもそれでも勧告をまともに取り上げないのですから、諸外国ではあり得ないことです。 「そういうもんだ」と適応することが間違いとまでは言えませんが、質問者さんのような視点は重要であると考えています。 いつもいつも適応していると、自ら環境に働きかけることができなくなるからです。 (1)心は強制できません。精神論だけに頼っている指導者は、人権感覚が決定的に不足しているので、生徒・保護者と敵対しやすいものです。 (2)別の問題として、「追い込めばがんばる」という発想は、「がんばれない原因」を分析するというスタンスを無くし、「対応策」を指導できない大きな用意かとなります。 (3)「やる気を出させるスキル」はあります。平均値として受験産業が高校よりその点で優れているというご意見も否定できないでしょう。 (4)(3)に関連して、精神論がダメというわけではありません。指導者の意見の押しつけに問題があるのです。 (5)体育教師や運動部顧問以外にも「体育会系」の教員は少なからず存在します。単純に一定数いるだけでなく、「発言力」を持っている学校は多数と言って良いでしょう。 まとめますと、質問者さんのようなスタッフは貴重です。 そういう先生にしか本音を言えない生徒は多いでしょう。 表面的に問題行動がない状態だけを「よし」と考えていると、有無を言わさぬ指導の誘惑に負けてしまう指導者は多数存在します。 そういう指導が、逆に問題を見えにくくして、深刻な犠牲を生む場合があるということを、もっともっと教育関係者は学ばなければならないと思うのです。
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- ringotaro
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文章からだけですが、質問者様も周囲の先生も、生徒に対する願いは同じであるように感じました。「やる気を出して前向きに授業に向かって欲しい」と。 >『やる気を出せ』に対して「やる気があろうがなかろうが、構わない」 とは書かれてありますが、質問者様も生徒がやる気を出してくれるに越したことはないと思っていらっしゃるんではないですか。やる気を出してもらうために教材研究などされているのではないでしょうか(違ったらごめんなさい。私の勘違いでした)。 一方、周囲の先生は生徒がやる気を出すようにと口で怒鳴るが、質問者様はその方法では生徒には響かないと思っている。 私は、その先生が本気になってその生徒のことを心配して怒鳴っているのなら、心に届くこともあるんじゃないかなあと思います。なんとなくだけど。 教育って、その人の一生を考えてするものだから、本当の成果は見えにくくて難しいですよね。
こんにちは。 五番で回答させていただいたzontagです。 >いくぶん感情的になってしまいました。 >ご不快に思われましたら重ねて申し訳ありません。 格段不快には思っていませんが、感情に流されては見えるものも見えてこないと思います。 いったん冷静になってみてはいかがでしょう。 >よく、理不尽に怒っておいて >「世間に出ればよくあることだ!」と言う人がいますが、 >「今のは、アンタが怒らなきゃ済んだだろ!」と思うんです。 すでにこれが感情的な発言で全体が見えていないと思われます。 揚げ足をとるわけではありません。 「よく理不尽に怒っておいて-と言う人がいますが」と書かれていますが、本当によくいるのでしょうか。 確かにそういう人はいますね。けれどそれが代表例となるほど一般的な例でしょうか。 一部の例をとりあげて全体を推し量るのは無理があります。 さらに申し上げれば、私が先日書いた話はそのような人について語っているのではありません。 五番のお礼の文章中で、理不尽という言葉から体育会系を連想されたのと同種の思いこみが感じられます。 >ゆえに、「理不尽な中にも意味がある」は私には意味不明です。 ゆえにの根拠としてあげている例が適当ではないからです。 >何度でも言いますが、無くせる理不尽は無くすべきではありませんか? 理屈としてはその通りだと思います。 けれどこの例からは、そういう考え方もできるかもしれませんねとしか言えません。 あまりに一面的過ぎます。 >なお私が「美化」と言ったのは、広く世間一般でのことです。 なぜここで突然、広く世間一般の話が出てくるのでしょう。 話の流れからすれば、当然、私のものを含めた回答への感想と読めます。 いちいち揚げ足をとっているようで心苦しいのですが、質問者様が感情に任せて書かれているためか、話の流れが把握しにくい文章になっています。 >よく思い出話などで >「昔、こんな理不尽なことがあったね~」 >「そうだね、今となっては思い出だね~」 >と話す人々がいますが、あれが信じられま>せん。 それは美化ではありません。 子供の頃の体験を客観視しているだけです。 >「昔こんなことがあってさ~思い出しても腹が立つ!」 >「うわ、災難だったねー」となるのが普通ではないのでしょうか? >少なくとも私はそうですが、皆さんはそうではないのですか?? 申し訳ありませんが、とても大人の方の意見とは思えません。 私は違いますし、私の周囲でもそのような話をする人は少数です。 もちろん人間ですから、そのような形で思い出してしまうことはあるでしょう。 けれどそれを、そのまま口にするかどうかはまた別です。 少々自分の話をいたします。 私は部下や後輩などを怒鳴ったことはありません。 ある程度大きくなってからは自分の子にもしたことはありません。 罰を与えることもしません。 ですから、何かを教えるにあたって「やることをやらなければ罰」を与えるという質問者様の方法は、私から見れば理不尽なやり方です。 そのような事をしなくとも教えることは可能だからです。 やることをやらなかったら罰を与えることに疑問を感じた生徒に、質問者様はどう答えるのでしょう。 そういうものだから、としか答えようが無いのではないでしょうか。 あえて理屈っぽい言い方をすれば、オペラント条件付けにおける嫌子ですが、言われた生徒がそれで納得するとは到底思えません。 心の中身に触れても触れなくとも、納得していないことを無理強いされればやはり理不尽な思いはします。 そのような考え方に立てば、質問者様も理不尽を押し付けている側にいます。 とはいえ、これは質問者様の方法論を否定したくて書いているのではありません。 会社や家庭と学校では条件が違います。学校間格差や、同一学校内での生徒の資質によっても対応が変わるでしょう。 私にとって理不尽な教育方法だと思われるやり方でも、その現場では当然である場合もあるはずです。 世の中とはそのようなものだと考えています。 そこで話の原点に戻りますが、大事なことはなんでしょう? これはすでに質問者様が書かれている通りです。 こうした方法が有用かどうかです。 その同僚の方のクラスはどうでしょう。教えている教科や部活動の成果はどうでしょう。生活指導や進路指導はどうでしょう。 もし過不足ない成果を上げているのであれば、その場においては有用な方法だという事ではありませんか。 また、私がいくら最善の方法を実行していると主張したところで、自分の部署で実績を上げられなければ理屈倒れと非難されてもやむを得ません。 大事なことは理屈ではありません。実践の結果をフィードバックする姿勢です。 質問者様の同僚の方のクラス経営が破綻していて、問題の在り処を検証した結果、「心の中身に言及するような無意味な指導を行なっているから」との結論に達したのであれば、それはその場においては意味のある結論です。 先の回答で書かせていただいたように、同僚の方と話し合って改善していただくようお願いするのが良いでしょう。 けれど文面から、そのような検証の上に立った発言がなされているようには思えません。 これも繰り返しになりますが、個人的な体験に立脚した嫌悪感を表明しているだけのように読めます。 自分は昔嫌な思いをした、だから自分は生徒にそのような思いをさせない。これは立派な態度だと思います。 であれば、そこからさらに一歩を進まれる事を望みます。
私はまだあまり社会人経験がないので生徒の立場から回答します。 一応教員免許はもっていますが、実習とボランティアでしか学校スタッフ側の経験はありません。 いろんな先生がいていいんじゃないかなぁ、と思います。 私は、感情論を言う先生って苦手だったのですが、そのような先生になつく子って必ず同級生にいました。 私にはわからないのですが、その人には響くものがあるようです。 また、私が好きだった理性的な先生のことを「冷たい感じがする」「距離を置かれている感じがする」と言って嫌がっていた子もいます。 教育実習などを経て感じているのですが、学校にいろんなタイプの人たいるってとても大切なことだと思います。 基本的に、子どもたちは大学生くらいになるまでは、学校と家族の中でしか他者と関係を持つことはありません。 その時に、学校で同じような先生ばかりだったら、子どもたちの出会う人間の種類がすごく減ってしまいます。 今になって振り返ると、「いやだと思った先生」からも苦手なタイプの人間との付き合い方を学んでいましたし、そのようなタイプの人間がいるということを知ることができました。 >こんな私は教員にふさわしくないでしょうか? 質問文を読む限り、質問者さまは素敵な先生だと思いました。 批判する人はいるかもしれませんが、教育現場に必要な方だと思います。
お礼
>いろんな先生がいていいんじゃないかなぁ、と思います。 >苦手なタイプの人間との付き合い方を学んでいましたし、 >そのようなタイプの人間がいるということを知ることができました。 仰る通りだと思います。 …確かに周囲が私の同類ばかりになっても、 それはそれでイヤですね…… それに私も >「冷たい感じがする」「距離を置かれている感じがする」 こう思われる可能性はありますね。気づいていないだけで。 最後の二行、ありがとうございました。明日もやる気が出ました。
五番に回答させていただいたzontagです。 丁寧なお礼をありがとうございます。 しかしながらどうも誤解があるようですので、訂正をさせていただきたいと思います。 >そして、怒鳴ることで相手の気持ちを変えられるとは思えません。 私もそうは思っておりません。 >体育会系の「やる気あるのかー!」「つべこべ言うな!」には >生理的嫌悪感すら覚えます。 >なので残念ながら、『理不尽な中の意味』とやらは想像もつきません。 まず、私の回答は体育会系に限った話をしているのではありません。 質問者様が普段から接していらっしゃる同僚の方が、体育会系の方かどうか私には判りかねます。 ですから一般的な状況を想定して答えております。 また、そのような状況が想像もつかないとの事ですが、日常生活で不条理、理不尽はいくらでもあるのではないでしょうか。 それらをよすがとして想像を巡らす事はなさらないのでしょうか。 >私は「冷静に考えて、最善の方法を選ぶべきだ」と思っております。 それは一面では正しい考え方だと思います。 けれど、この問題で質問者様はどのような最善の方法を選んでいらっしゃるのでしょうか。 同僚の方の指導が正しくないとお考えなら、そこを正す努力をなさるべきではないでしょうか。 文面から拝察する限りでは問題の解決を放置したまま、ただ斜に構えて眺めているようにしか読めません。 なんらかのアクションを起こされているのでしたら申し訳ありません。 けれど状況を改善する努力をなさらずに、ただここで同意意見を求めているだけでしたら、生徒にとっては同じことです。 >「怒鳴る先生の気持ちも考えろ」と仰るでしょうが、 そのような事は申しません。 教師の気持ちを忖度する必要は無いと思います。 それよりも状況を考えることが必要だとは思います。 >「じゃあ怒鳴られる生徒の気持ちは?」と言うのが私の主張です。 生徒の気持ちを推し量る態度は立派だと思います。 けれど生徒と教師が同じになっては指導は難しくはないでしょうか。 どうも文章からは、生徒のための義憤というよりは、御自身の過去の嫌な思い出が発言の底にあるように感じられます。 そのため、あまりに生徒の心情に傾き過ぎて客観的な目を失っているように思えます。 また、他の回答者様へのお礼からの引用で、ルール違反に当たる可能性もありますが、気になりましたので書かせていただきます。 >店員はクレーマーに腹が立っても、怒ったりしないでしょう? 生徒をクレーマー扱いしてるなどと野暮は申しませんが、店員と客の関係は比喩として不適当ではないでしょうか。 店員と客との関係は一過性のものです。 学校と生徒は、単純に店と客との関係と同じではないと思います。 仰りたい趣旨はおおよそ判りますが、比喩が適切でなくては例としての意味を持ちません。 それとも質問者様と生徒たちとの関係は、そのようなものだとお考えなのでしょうか。 >同じ怒るにしても「道理の通った怒り方」と「理不尽な怒り方」の、 >後者を私は嫌悪しています。 >そんな大人にはなるまいというのが、目標ですらあります。 そのお気持ちは理解いたしました。 その上で、具体的なアクションを起こされればなお良いと思います。 >なんでみんな「理不尽」を美化するんだろう…分からない… みんな「美化」しているのでしょうか。私にはそうは思えません。 理解することと美化することは違うはずです。 もう一度、みなさまの回答を読み返されてはいかがでしょう。 美化されている方はいらっしゃらないと思います。 長々と書かせていただきました。 生徒にとってより良い解決方法を模索されることを望んでおります。
お礼
いくぶん感情的になってしまいました。 ご不快に思われましたら重ねて申し訳ありません。 まず私は、自分なりの対策を考えてはおります。 ここでは、私の疑問を解消させたくて、質問させていただきました。 日常生活でも理不尽があることは知っております。 私が疑問に思うのは「なぜそれを無くそうとしないのか?」です。 もちろん、現実的に無理なことも多いでしょう。 組織の構造上、どうしても発生する理不尽は、諦めるしかありません。 ですが、防げる理不尽は防ぐべきでしょう。 よく、理不尽に怒っておいて 「世間に出ればよくあることだ!」と言う人がいますが、 「今のは、アンタが怒らなきゃ済んだだろ!」と思うんです。 それは『構造上、どうしても発生する理不尽』じゃなくて、 『その人が発生させた理不尽』だから、 アンタの力で防げたじゃないかと。 「世間ではよくあることだ」→「だから今回の理不尽もしかたない」 というのは、自制心のない人間の言い訳だと思うんです。 「そこらじゅうゴミだらけだから、オレもポイ捨てしていいよね?」 これとどう違うのでしょうか。 ゆえに、「理不尽な中にも意味がある」は私には意味不明です。 正直に申し上げると、私はこれを 「理不尽を与える人間が、自己正当化するための詭弁」 だとさえ思っております。 イジメをする人間が「お前を鍛えてやってる」というのと同じで。 何度でも言いますが、無くせる理不尽は無くすべきではありませんか? なお私が「美化」と言ったのは、広く世間一般でのことです。 よく思い出話などで 「昔、こんな理不尽なことがあったね~」 「そうだね、今となっては思い出だね~」 と話す人々がいますが、あれが信じられません。 「昔こんなことがあってさ~思い出しても腹が立つ!」 「うわ、災難だったねー」となるのが普通ではないのでしょうか? 少なくとも私はそうですが、皆さんはそうではないのですか?? 以上、中高生のようだと思われるのを承知で、 正直な気持ちを書かせていただきました。 もしご教授いただけるなら幸いです。
- taunamlz
- ベストアンサー率20% (175/843)
どっちでも良いと思いますけど。 俺の通った短大はどちらの先生も居ませんでした。 高校まではそれが普通だったので戸惑いましたが、慣れると高校の方がよかったなぁと思いました。 具体的に言いますと、 ○提出物は出さなくても怒ったり叱ったり催促したりしないが、当然減点される。 ○テストで赤点とっても叱られないが、再テストは生徒がお願いしてペナルティー(点数に応じて1教科レポート100枚とかが普通。600枚の人も居ました。)を受けて再テストを受けさせてもらう。 レポートを出さないと再テストを受けられないため、単位を落とす。再○テストでも赤点だと単位を落とす。結果として同級生30人が20人になりました。5人は後輩と卒業したらしいです。 ○授業で分からなかった事を先生に聞きに行くと図書室に行けといわれる。 ○授業に遅刻し、名前を呼ばれた直後に教室に入ると欠席扱い ○レポートを教科書丸写ししても「コレじゃあ意味が分からない」とつき返される。 こんな感じでしたので、あなたの意見も50歩100歩に感じます。 社会に出たら他の先生の言ってるような理不尽な事は良くある事だと思います。 俺の母校の先生たちのやっていた事はあなたの嫌いな先生たちと同じ事だと思いますが、あなたの言っている事を突き詰めると俺の母校の先生たちのような指導方法になるのではないかと思います。 生徒に好かれる先生が一人ぐらい居ても良いと思いますが、理不尽な先生ばっかりの方が勉強する以外の選択肢がないので、今では自分のためにはなったなぁと思っています。
お礼
いえ、私は別に甘いわけではなく、 提出物の催促もするし、叱ったり罰を与えたりもします。 さぼってダラダラしている生徒には怒鳴りつけもします。 ただその際に「義務を果たせ!」とは言いますが 「やる気あるのか!」とか「なんだ不満か!」のように、 相手の心理面を指摘したりはしない、というだけです。 同じ怒るにしても「道理の通った怒り方」と「理不尽な怒り方」の、 後者を私は嫌悪しています。 そんな大人にはなるまいというのが、目標ですらあります。 なんでみんな「理不尽」を美化するんだろう…分からない…
一保護者としての正直な感想を書かせていただきます。 この質問は本当に現職の先生のお言葉なのでしょうか。 疑問に感じていらっしゃる内容は理解できます。 かつて中学生、高校生だったかなりの人が同じように感じただろうと思います。 けれどほとんどの人は成長の過程で、それほど単純に割りきれる問題では無いと気づきます。 理不尽な中にも意味があると気づいて社会に出て来るのです。 そこが世の中の奥の深さです。 そこに思い至らず、いまだに中高生と同じ思考をされていることに驚きを禁じえません。 それでも質問者様が、心の中に疑問を抱えていらっしゃるのであれば問題はないと思います。 同僚の方々とそのことについて話し合われるのも意義のあることだろうと思います。 しかしながら、その話を生徒にするのはどういうお考えでしょうか。 同僚教師に対する不信を助長させたいのでしょうか。 それとも御自分が物分かりの良い教師であることをアピールしたいのでしょうか。 これから社会に出る生徒を送り出す高校の先生にお願いしたいのは、理詰めの考えから漏れ落ちたところにも世の中にとって大事な意味があることを教えてほしいのであって、生徒に迎合することではありません。 生徒にすり寄ってくる教師を生徒は見抜いています。 もし本当に高校の教壇に立っていらっしゃるのなら、これを機会に一考されることをお願いいたします。
お礼
もし私が「やる気なんか無くてもいいよね~」と言ってる 様子を想像されたのなら、誤解を与えて申し訳ありません。 そうではなく、例えば宿題をサボる生徒に 「君の気持ちに関係なく、宿題はやりなさい。 私はやる気の有無にまで口出ししないが、 義務は果たさないといけない」と諭すという意味でした。 もちろん、やることをやらなければ罰は与えます。 ただ相手の心理にまでは言及しないだけで。 No.4の方にも書きました通り、 私は「冷静に考えて、最善の方法を選ぶべきだ」と思っております。 そして、怒鳴ることで相手の気持ちを変えられるとは思えません。 私自身、根っからのインドア派で理系のせいか、 体育会系の「やる気あるのかー!」「つべこべ言うな!」には 生理的嫌悪感すら覚えます。 なので残念ながら、『理不尽な中の意味』とやらは想像もつきません。 「怒鳴る先生の気持ちも考えろ」と仰るでしょうが、 「じゃあ怒鳴られる生徒の気持ちは?」と言うのが私の主張です。 耐えろと叫んでるアンタが、真っ先に感情に負けてるじゃないか、と。 ……そんなに変でしょうかね?
言うまでもないことですが、高校は義務教育ではありません。 しかし、最低限の学歴としては高卒は必要かと思います。 中卒の学歴で働いている方ももちろんいらっしゃいますが。 生徒もこの程度の現実は承知しています。 だから、高校に進学してくるのです。 「やる気あるのか?」て、教師の決まり文句の代表みたいなものです。 そういう先生も内心はどのように感じられているのかは、本音をきかなければわかりません。 私は教師ではありません。1回の授業をするのに、事前に下調べなどされて授業されているものと思います。 こちらは一生懸命やっているのに、という思いを生徒にも知ってほしくて言っているのかもしれません。 あなたのように割り切って考えられたら、「やる気あるのか?」という必要もなくなるのかもしれません。 私も、色々な先生に教えられ、大きくなりましたが、経験談を交えて具体的な例を示された先生は少なかったと思います。 一教員の本音として、面白く読ませていただきました。 職場の上司にも同類がいますが。
お礼
割り切ってるというか… 「怒鳴っても効率なんか上がらないのになぁ。 気持ちは分かるけど、何の解決にもならないし。 そこで感情に負けて怒鳴る方こそ、大人じゃないだろう」 と思うんですよね。 別に生徒を見捨てているとかではなく、 単にそれが、有効な方法だとは思えないだけなんです。 例えば、店員はクレーマーに腹が立っても、怒ったりしないでしょう? 我慢してでも、解決に有利な方法を選びますよね。 そっちの方が、社会人として常識じゃないのかなと… とにかく、ありがとうございました。
- potachie
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教員と予備校講師との違いかも。 教員は結局は、「学力向上」については素人なのかもしれませんね。 予備校講師が、生徒のやる気を引き出せなくて、結果を出せなければ、翌年にはその場には居ません。良い生徒が集まらない人気講師でないなら、なおさらです。「やる気」を出させるスキルを磨かないとダメなんです。 生徒に「やる気」を確認している時点で、素人なんだなぁと思ってしまうのですが。 >> 反応は、おおむね中立か、好意的です。 教師の面前での応対でホンネは出ないでしょう。第3者経由で確認しないと。 スキルは磨いておいて損はないと思います。
お礼
やる気を出させるスキルがあるんですか… 私は「生徒を惹き付けるために、やるだけのことはやって、 後は神頼みだなぁ」と思っていました。 TV番組や映画を作る人が、作品に人気が出なくても 視聴者を責めたりしないのと同じで。 気が小さくて萎縮しがちな生徒っていますよね。 その先生は、そういう相手にも同じなんです。 ですが、後でその子と私が話してるときに 泣くのを我慢するようにして 「…別に望んで来てるわけじゃない……」 「…意思確認といいながら、実質は強制じゃないか…」 「…『ハイ』って言わなきゃ怒るくせに…」 そう漏らしたもので。 こういうのも「信用されてる」って言うのかなぁ…と思ったんです。
- HANANOKEIJ
- ベストアンサー率32% (578/1805)
その教員の担当科目を教えてください。 高校の教員は、安定した職業ですね。転職を何回経験したか、思い出すのもいやですね。 私は、反抗的だったので、「やる気あるのか?」という教員には、近寄りませんでした。暴力教員にも、担当されずにすみました。 その教員が、日本一の授業をしていても、欠陥教員ですね。まあ、免職にはならずに、定年まで勤めるのでしょうね。 NHK高校講座を生徒に紹介してください。勉強したくなったら、NHK高校講座という勉強もあるのだ、ということを知らせてください。 http://www.nhk.or.jp/kokokoza/ http://www.nhk.or.jp/kokokoza/library/index.html http://www33.ocn.ne.jp/~aozora_gakuen/ http://www33.ocn.ne.jp/~aozora_gakuen/links.htm 寝不足で起きているのか寝ているのかよくわかりませんが、一言。 失礼しました。
お礼
別にその先生を責めるわけではないんです。 厳しいのも、熱心さゆえだと理解できます。 ただ……あの精神論というか… 生徒に有無を言わせない、反論を封じるようなやり方が、 果たして実際に効果を上げているのか疑問でして。 その先生の人格はさておき、 こうした方法の有用性について質問するつもりでした。
相応しいか否かはともかくとして、 他の子ほどの結果は出せないけれど「やる気」をもって取り組んでいる、 ような生徒のことは全く評価しない、というのであれば、 それはそれで一貫しているので、そういう教師がいてもいいでしょう。 個人的には、やる気がなく結果も出せないような人は 理詰めに解決策を問われても、 ない知恵は浮かばず、追い詰められて辛いだけ。 「やる気あるのか!ああん?」などと一方的に怒鳴られて うなだれているほうが、むしろ気楽なのではないかと思います。
お礼
あー…やる気があれば評価はしますよ? やる気に溢れるのはいいことだし、教育効果というものもありますから。 ただ、意欲がないからといってマイナスにはしないというだけで。 要するにこういうことです。 やる気があるし結果も出てる…「偉い!完璧!」○ やる気はあるが結果が出ない…「うん、よく頑張ったね」○ やる気はないが結果は出てる…「別にいいんじゃない?」○ やる気はないし結果も出ない…「ダメ!論外!」× これは一貫していませんか?
お礼
>罰を与えることに疑問を感じた生徒に… 罰…というか、叱責や何らかの強制力を及ぼすという意味ですね。 叱責や罰は与えなくても構いませんが、 結果が出なければ留年になり、卒業認定しないだけですね。 それすら理不尽だと言われれば、その人は生きていけない人です。 『働かないと収入が無いなんて理不尽だ』 『ご飯を食べなきゃ死ぬなんて理不尽だ』と同レベルでしょう。 私が何度も申しているのは、そうした「避けようの無いこと」でなく、 「Aさんが起こした理不尽は、Aさんが悪い」という意味です。 思い出話のアレは『客観視』なのですか… 私も文句を口に出したりしませんが、 それでも思い出しながら笑うことはできません。 頭の中では、それはずっと『嫌な記憶』です。 それ以外の感じ方があるとは、思いもしませんでした。 ただ、確かに自分も感情的だったことには気づきました。 『検証』についても、なるほどと思わされました。 これほど理屈立てて、何度も話してくださった方は初めてです。 大抵は「理屈っぽい」と一蹴されていたので、 今回は大変感謝しております。 これを励みにして、明日以降も頑張りたいと思います。