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悲劇のヒロイン
というフレーズがありますよね。劇中などではなく、実生活でこういった欝とか心をわずらっている人に使用される場合について聞きたいのですが、どうして悲劇のヒロインになりたがるのでしょうか?悲劇=美徳=アイデンティティ?とかそういったものに繋がってくるのでしょうか?そうだとしたら、その作られた価値観の一端はどこにあるのでしょうか?文学とかメディアですか・・? 詳しい方よろしくお願いします。
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No.2です。 >自分がそれに対してどうして惹かれるのか 私個人の経験ですが、小学生のころ、友達が怪我をして包帯を巻いてくると、その子に対してほのかに「うらやましい」「いいな」という感情を抱いたことがあります。 多分周りから「大丈夫?」「大丈夫?」って心配してもらって大事にされるのがうらやましかったのだと思います。(子供の頃の話です。不謹慎な話ですみません) おそらく人にかまって欲しい、大事にされたい、チヤホヤされたいという欲求からのものだと思います。 自己顕示欲の一種で、誰にでもある感情だと思いますよ。 人によって、「かわいそうな私」を顕示するか、幸せであることを顕示するか、または平凡であることを顕示するかの違いはあっても。 とは言え、こういう心理は表に出しすぎると人を不快にさせてしまいます。 不幸に憧れるというのはまだ余裕がある状態だし、苦しくて限界に達している人から見れば本当に不謹慎ですよね。 それによく言われるように「大変なのはみんな一緒」なのだから、自分ばっかりかわいそうアピールするとそれは人に嫌われてしまうと思います。 自分のことばかりになると、他人の大変さを思いやる気持ちも欠けてしまいがちになりそうですし。 私はそういう心理がわいてしまうことを否定する気はありませんが、 大人であればその辺はコントロールして、表には出さないようにする、あるいは小出しにとどめるといった訓練は必要だと思います。 それでもどうしても「不幸」に惹かれてしまうのなら 何か深刻な精神的な満たされなさや寂しさが影響しているかもしれません。 不幸を求めていると言いつつ実は幸せが欲しいからこそでは? とにかく、「不幸になりたい」などと思わず自分で自分を大事にしてあげてください。 私の前回の回答にも言葉足らずな部分があり、気分を害された方もいらっしゃると思います。 申し訳ありませんでした。 蛇足ですが、人の不幸話にすぐに過剰反応して「不幸の自慢だ」などと攻撃する人もいますが、 そういう人って結局はその人自身も「悲劇のヒロイン」になりたい人なんじゃないかと思います。 多少なりとも自分の深層心理の中にもそういう感情がなければ、「自慢」などという悪意に満ちた見方はしないですから。
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私もこの質問に対して抗議します。 私自信2年の鬱暦があり、今も通院していて、薬を止めることもできません。体力も知的能力も無くなり、人生に何の楽しみも見出せない苦しみ、死をも考えるつらさ。 うつ病は社会的には認知されつつありますが、まだまだ偏見も多く患者は大変辛い思いをしています。 経験者以外にはわからない辛さです。 どんな考えでこのような質問をされているのか理解に苦しみますが、病気で苦しんでいる人たちは、大変不愉快で、悲しく思っています。
お礼
抗議に関してはNo3の方へのお礼を読んでいただければ私の心理がお分かりになるかと思います。 不快な思いをさせて申し訳ありませんでした。
- PINGA01
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私は抑鬱です。何故、自分がこんな病気になったのか考えたことはありますが、悲劇のヒロインになったことはありません。必要以上に自分が病んでいることを人には話しません。悲劇のヒロインになったって、病気が治るわじゃないですから。病気だからとか関係なく、悲劇のヒロインになりたがる人はいると思います。
お礼
確かに、限定したのは間違っていたかもしれません。回答ありがとうございます。
- ajnsuqbaas
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質問に対して抗議します。 「欝とか心をわずらっている人に」「悲劇のヒロイン」というフレーズを使用するというのはどういう知見でしょうか。 まだまだ精神疾患、精神障害者に対する偏見が多いのだなと思い知らされ、 非常に悲しく、憤りを感じ、心が重くなりました。 本当に心を患っている人は、自分が悲劇のヒロインかどうかなど考えている余裕はありません。 自分でもどうにもならない症状が襲ってきて、対処できないから、病気なのです。 勿論回復期の人は、病気になりやすい心の癖を直そうと、特に気分障害圏の人は、 認知行動療法やカウンセリングなどでありのままの自分とむきあい、受け入れ、 その上で変える(受け入れなければ変えられません)努力をしているのです。 (cf:自己評価メソッド クリストフ・アンドレ 特に5~6章) たしかに、パーソナリティ障害(昔は人格障害と呼んだもの)の中には、 演技性や自己愛性の場合、このような症状を呈する人もいます。 しかし、これらは特に治療が非常に難しい病気です。 公立大病院でもパーソナリティ障害は対応しない、という所があるぐらい難しいです。 慎重なカウンセリングや認知行動療法で、心の構造(スキーマ)を、 気分障害圏の人よりはるかに慎重に和らげていかないと、治らないものです。時間もかかります。 でもそれを理解して、なんとかしなければと向き合っている人もたくさんいるのです。 それに対して「悲劇のヒロイン」、すなわちqa735386の20点回答のように、 こんなひどい目あってるの私だけ。かわいそう。。」と思い、 それを他人に「私ってかわいそうでしょう?」と執拗に言い同情をひくこと、 またはそういうそぶりをみせること(本人にその気がなくても) という捉え方をされると、繰り返しますが、 非常に悲しく、憤りを感じ、心が重くなりました。 ここを読んでいる人には、病気と戦う人、 自分の病気と向き合おうと、覚悟を決めた人がたくさんいます。 そしてそれを願い、支えようとして支持的に回答をくださる方もたくさんいます。 その人たちの前で、身勝手な発言は慎んでいただきたい。
お礼
私がいいたかったのは、世間的に悲劇のヒロインというフレーズを他者から使用される場合において失恋や何やらで苦しんでいる人に対してが多いと見受けて欝や心をわずらっている人と記載しました。なぜそういう、お前は悲劇のヒロインになりたいだけだよ、というような認識をされるのかがわからなかったためです。なので私はその発信者(そう捉える人)からの見識を聞きたかったのでこういう記載をしたのですが、聞き方が悪かったかもしれないですね。。 なぜこんな質問をするかといえば、私の場合において他者からそう言及されることが少なくないからです。私自身はそう感じてそのイメージに向かって直進しているわけではないので、あなたがおっしゃることも憤慨されることも理解できます。ただ、他者がそう認識するには、自分自身がそれを把握できかねる原因性があるのかもしれないとそこへ向き合いたいと思ったのですが、それならばこのカテではなく別のカテで質問するべきだったと、反省しています。気分を害された方、すみませんでした。
不思議なことに人は、幸せなことは自分が幸せだと思えればそれでいいのに、 苦痛や悲劇は、人に理解して欲しい、共感して欲しいという気持ちが強く出る生き物だと思います。 その「分かって欲しい」という気持ちのあまり、自分の不幸が他人のモノサシによって軽く扱われたらより苦しくなり更にアピールしたり、 自分より不幸な人が現れたら自分の悲劇性が薄れてしまう気がして、「自分のほうが・・!」と不幸度を競うようなことをしてしまったりするのだと思います。 悲劇的なことの方が、人の気持ちを惹きつけやすいですからね。ワイドショーなどはそのいい例だと思います。 何だか非難めいたことを書きましたが、割と多くの人にある感情だと思います。 それに気づかないふりをしているか、気づいてもなるべく出さないようにしているか、あるいは躊躇なく表に出すかの違いはあれど。
お礼
確かに・・・納得です。でもどうしてそういうものに惹かれるのでしょうね。私は自分が不幸であることが幸福なのですが、その自虐性の原因がどこからくるのか、といえばそういうもののような気がします。でも自分がそれに対してどうして惹かれるのかわかりません。。 回答参考になりました、ありがとうございます。もしよろしかったらその辺も教えていただけると助かります><
専門家でも詳しくもありませんが、そのように不幸なのだから何かしなくてもよいだろうというような怠惰な自己弁護のようなこともあるのではないかと思います。そしてそのような状態をむしろ同情の眼で周囲が見てくれるだろうという期待もあるように思えます。ヒステリーは誰もいない時や所では起こさないということも言われていますがこれに似たことではないでしょうか。
お礼
なるほどー。そういった甘えの一種たりえてるのですね。だから使用される時にマイナスイメージが強いわけですか。 参考になりました。ありがとうございます。
お礼
再回答どうもありがとうございます。お手数煩わせてすみません。確かに自己顕示欲の線が強いような気がします。自分の存在が疎ましく、自殺願望が強いのですがそこも見方を変えれば顕示欲ですもんね。真に自殺したかったら現にしていると思いますし。でもそこへ自身を追い詰めるのが私の幸せに繋がっている気がします。本当に不謹慎ですね、自分でも嫌です。 蛇足の方も参考になりました。少し自分の精神が整理できました。大変感謝です。