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韓国人って本当はどんな人たちですか?
僕は朝鮮人に対してあるイメイジをもっていますが、それって真の朝鮮人性ではないような気がします。 創始改名は現在の韓国では日本の残酷な行為として、反日の一つの理由になってると思います。しかし以前、シナの唐王朝の時代に朝鮮人は苗字を変えているという話を聞きました。もしかしたら古代の朝鮮人は、自分の名前とかアイデンティティに対してかなり寛容だったのではないか?と僕は思ってます。 ぼくが知りたいのは幼稚なメディアの煽る反日や嫌韓ではなくて、古代から朝鮮系がもっていた性質です。なので朝鮮半島の神話や民間伝承、信仰、古い歌でもなんでもいいので文献資料等を紹介してください。お願いします。
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古代から朝鮮半島の人たちがもっていた性質はあまりよくわかってないみたいです。日本人が古代からもっていた性質がどんなのかというのも、さぁどのくらい判ってるでしょうね?古代の日本人の性質ってどんなのだったんでしょう。とっても興味深いですね。 でもシロウトの考えですが、民族性とか気質っていうのはそうそう時代が変わっても変わらないんじゃないかな、と思うことは時々あります。古代から変わらない性格、変わった性格、両方あるでしょうね。 私が読んだことがあるのは、 ・高句麗を作った部族のことを中国の古代歴史書が「大変に好戦的な民族である」と書いている。 → 中国のどの古代歴史書なのかは書いてなかったです。 ・高句麗・三韓の人々は歌や踊りを大変に好む。 → 三国志魏書東夷伝(さんごくしぎしょとういでん) という歴史書に書いてあると書いてありました。試しにインターネットでその本の原文を見てみましたら、三国志魏書東夷伝の高句麗伝に「其民喜歌舞」というのがあり、同弁辰伝(べんしんでん)に「俗喜歌舞飲酒」、同馬韓伝(ばかんでん)に「郡聚歌舞、飲酒昼夜無休」などとあります。この辺の記述のことかなぁと想像しましたがどうかしら。 歌や踊りが大好きなのは今もです。歌踊り、大~好き。お祭り騒ぎ、大~好き。パッと騒ぐの大~好き。ノリの良い人々です。何でもいいから盛り上がっちゃおっ、明るい人たちです。(もちろん、例外?で明るくない人も少しはいます。)たいていはネアカな人たちです。日本人が暗~く見える時、多々あります。 ただ、何でもいいからと人の悪口言って盛り上がることもちょこちょこありまして・・・・・・・・それはちょっとね、です。でもとにかく盛り上がりたい気持ちがいつもいっぱいな人たちです。内向的な日本人は韓国行くと明るくなれる、かも。だめかな?反日の嵐に見舞われて余計に暗くなる人もいますので(本当にいらっしゃいました。ノイローゼになられました。)御注意です。 神話は、紀元前からの神話と王権の歴史を記した『三国史記』と『三国遺史』というのがすごく有名です。『三国史記』は現代日本語訳も発行されてますよ。平凡社東洋文庫で、図書館とかによく置いてあります。前述の中国の歴史書もですが、こちらもよろしかったら是非検索なさってみてください。おもしろいですよ☆でも、紀元前からのことなんですが、編纂されたのは1000年以上経ってからの物なので元々の神話とはかなり変わったものになってるだろうと思われます。 古代の人名も出て来ますよ。今のとかなり違います。特に新羅の人の人名(王名、部族名など)はかなり違います。 民間伝承は、この『三国遺史』にたくさん載っています。でもこの伝承の中の有名な話の一つが否定されるような考古学的発見が昨年ありました。やっぱり伝承は伝承なんですけどね。韓国政府文部省は昨年、この中に出てくる檀君神話を史実として国史の教科書に載せることを決定しました。「檀君神話」で検索なさったら、本当の話だ、イヤ神話だといろいろ出て来ると思います。 古い歌は、「アリラン」という民謡が各地にあります。地域ごとにたくさんのアリランがあったのですが(ほんとにたくさんあったようです)、今一番知られてるアリランは「キョンギドアリラン」というキョンギド地方のアリランです。でもこれも近年になって編曲、編曲が重ねられた結果のもののようです。西洋人がキョンギドアリランをレコード録音した最古のもの、というのをニュースで聞きましたが今のキョンギドアリランとはかなり違うメロディー、歌詞でした。 今のキョンギドアリランの歌詞は1番はみな同じですが、資料によって2番以降が少しずつ違います。共通してるのは「さぁ、遊ぼう。遊ぼう。遊ばにゃ。若いときに遊ばなくてどうするんだ。」という歌詞です。刹那主義?刹那主義、これは今もあります。賭け事、大好き。一発逆転!「人生一発逆転」というテレビ番組もありました。運良く人生が一発逆転になった人の実話を再現ドラマにしたバラエティーでした。 資料は昔韓国の出版社の本で読んだものからの私の頭の中の資料なので、御提示できなくてすみません。もしかしたら「アリラン」で調べられたら何か分かるかも。 信仰については、七星信仰というのがあったと聞いています。七星、つまり北斗七星を信仰の対象とするものです。でもこれについては知ってる事がないです。知人が、ヨン様ドラマ『太王四神記』で北斗七星がどうのこうのと言ってたので、もしかしたらそのドラマに出てきたのかもしれません。私はそのドラマ見なかったのでわからないのですが。 私が知ってることはこんなところです。御参考の一助にでもどうぞ。
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- uoza
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大陸の半島なので、常に南下される危機を感じているため、侵略されないよう神経をとがらせている。儒学大国にしたのも中国の侵略意思を削ぐためと聞く。もともと長幼の序はあったようです。 ご期待には沿えていませんけど。
- nogul2n
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訂正 2番の最初2行目 親唐政策 → 親中国政策 でした。
- nogul2n
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唐の時代に苗字を変えたとお聞きになったのは、特に新羅のことを指した話かなと思います。新羅はほとんどの時代に親唐政策を取ってました。反発して、そうじゃなかった時代もありましたが。特に唐に軍事援助を強く頼んだ頃に、新羅の行政制度、官位名、服装(衣裳)などを唐に習って唐式に変えました。これは金春秋(キム・チュンチュ)という新羅の高官(王族)が唐の皇帝に、「我が新羅はこれから大国(唐のことをこう呼んでいた)式に変えます。」と直接言ったことばだそうです。先記の『三国史記』にそう書いてあります。苗字もその時に唐式に変えたのではなかったかと思います。金春秋が中国皇帝にこう言った背景についてもその歴史書に書いてありますよ。この歴史書は新羅を正当な王権として高く評価している高麗の時代に王命で編纂された、いわゆる正史ですのでその背景のあたりを是非ご一読なさるのをお薦め致します。 『三国史記』の中の新羅本紀というところに新羅のことが書いてあります。新羅本紀と言ってもなごうございますが、金春秋という名前が頻繁に出てくるあたりをご覧になってください。 金春秋は自分の息子数人を唐の皇帝に預けて「この息子らに何でも仕事をさせてやって下さい。」と言ってます。はっきり言って、人質を自ら差し出したのです。唐から息子を出せと言われたわけでもないのに、わざわざ自分からです。「息子を差し出した私が、唐皇帝陛下の意に背く事をするはずがございませんでしょう?」ということです。 ちなみにそんなこともやって唐の信頼を得た新羅は、唐から兵力を派遣してもらって百済を倒しました。百済からすれば、「唐の犬、新羅めーっ!」です。 金春秋でお調べになったらいろいろわかっておもしろいと思います。