大抵、気になる人は、その場にいて異常的印象を放っている人がほとんどです。
人が気にするレベルというのは、
気にされない=合格点
気にされる=大抵の場合が赤点=異常者と見なされる
訳です。
で、良い印象を放っているが気になっても、それは気が付きにくいものです。だって、まじまじ見てたら変態じゃないですか?他の人と一緒に居たら、「○○のところにいる人どうよ?」ってな感じで、やっぱりおとなしく気にしているものですよ。そこで積極的に気になる人とコンタクトをとる人は少数派でしょう。
つまり、良い意味で気にしていても、その場でだけであったり、次の話のネタレベル程度まで取っておくのが当然のレベルだと思います。
で、人が気になる思いを起すのは、相手という存在を認識しなければいけない時です。
例えば、道端で道を迷っている人がいたとします。その人は道を知りたいです。でも、外見の印象から解っていそう、話が通じそう、話し掛けそう、もしくは話しかけたい!!と思っている人を探して道を尋ねます。
その時に道を尋ねる方も聞かれる方も意識する訳です。大抵の場合、意識するというのは、相手の印象、特性、高い意思疎通、高い信用、高い組織的行動、共同生活などの場合です。
ですので、自ら相手に気にして貰えるように行動を取らなければ、気にされる時は、異常でおかしいと思われて警戒されている時です。
>他人はもっともっと冷たく私を疎外するでしょう。
人は、嫌なものから遠ざかり、好むものや得するものの、付き合い応えがある人には関わろうとするものです。
そういった人を見つけることが大事なのではないかと思います。
音楽でも嫌いな音楽からは遠ざかるでしょう。
好きな音楽、聞き応えのある音楽は何回も聞くものです。
まあ、ストレスが溜まって、嫌いな音楽を聞くことによって、その音楽を批判する正当とも思える理由が沸き上がります。そういったケースで、批判し、自分のストレスを発散していたは私自身も一時期はけっこうやっていました。
生物的に私はクソではありませんが、日々暮らしを振り返っている見るとクソのような行動をとっていることが思い当たります。
その一部分をとってクソというならクソかもしれません。
しかし、私はその一部分をとっても自分をクソと常習的に言う気はありません。
お礼
優しくなれるよう、努力していきます。